第09話 心機一転_02

 気づけばどこかの路地裏まで来ていた。

 少し走ったことで僅かに息切れしてしまい、ゆっくりと肩で息をする。チラリと横を見ると、黒髪の少年もまた同じように息を整えていた。


「……ここまで来たら大丈夫か」


 額に汗を浮かべつつも、冷静な声色で彼は呟く。

 見たところシアと同い年ぐらいの少年だった。また、背中腰に刃渡りの太い直剣が納刀される木製の鞘がぶら下がっている。刀を持ち歩いているシアが言えることでもないが、少し変わった風貌だ。

 それに……彼の横顔を改めて確認し、シアは思わず眉をひそめる。


(……あれ? この人の顔……なんだろう、変な既視感が……)


 別に顔見知りというわけではない。知らない顔だ。

 だが……どことなく妙な『覚え』を感じる。しかしその感覚の正体が分からず、なかなか言語化できない。

 掴めそうで掴めないモヤモヤした何かに頭を悩ませていると、少年はゆっくりとシアの方へと向き直った。


「……なあ、あんた」


「え?」


 急な呼びかけに間抜けな声が漏れてしまう。

 若干裏返ってしまい恥ずかしくなるも、そんなシアのことなどお構いなしに少年は続けた。


「助けてたよな。奴隷を」


 指摘を受けて思わず驚く。

 まさかそこを言及されるとは微塵も考えていなかった。なぜならシアは、あの鎖を斬った場面を誰にも見られていないと判断していたから。

 シアが奴隷を助けた。その事実を認識しているということは、即ち、あの斬撃が見えていたということだが……。


「どうやったのか知らないが、あんたが近くに行った途端あの子が解放されたように見えた」


 少年から答え合わせをしてくれる。どうもそういう訳ではないようだ。

 とはいえ、シアが助けたということに疑いはない様子。それなりに周囲に溶け込んだ上での行動だったが、それをしっかり認知しているとは。中々観察眼のある少年である。


「……今時、公然でああいう大胆なことをできる奴は珍しい」


 どこか遠い目をしながら彼は言う。


「だから放っておけなかった。余計なお世話だったのなら、すまない」


 その謝罪を受けてシアは思わず呆然としてしまう。珍しいのはお互い様だった。奴隷を助ける平民を見てこんなことを言える人こそ今時珍しい。

 あの貴族に真横から蹴りをぶち込んでシアの逃走を手助けしたのも、そこが原動力になっているようだ。


 なんだか少し安心する。

 訳も分からずここまで連れてこられて彼の考えが一切読めなかったというのもあるが、それ以上に。

 今の世の中に疑問を持ってる人が他にもいることに、シアは少しほっとした。


「ううん、そんなことない」


 首を振りながら小さく笑い、シアはわざとらしく肩を竦めた。


「実を言うとわたしも我慢の限界だったから。もう少しで手が出そうだったし……」


 もちろん最後まで暴力沙汰にするつもりはなかったが、もしシアに一切のしがらみがなかったら最初からあの男をぶっ叩いて女の子を助けていただろう。

 白目を剥いて気絶していた奴の顔が脳裏をよぎる。なんというか、モヤモヤしたものは吹き飛んだ。


「あなたが蹴っ飛ばしてくれて少しスッキリした。こっちこそありがとう」


「……、そうか」


 少年は僅かに笑みを浮かべつつ相槌を返す。

 素っ気なくはあるが、不思議と不愛想には感じない。なんだか不思議な少年である。


「なあ……もしかしてそれ、刀か?」


 と、少年は少し躊躇い気味にシアの肩に掛かってる一振りに視線を送った。

 少し意外な問いかけだったが、確かに珍しいものである。シアは頷いた。


「そうだけど……どうかしたの?」


「……」


 こちらからの問いには反応せず、じっと刀を見つめる少年。無表情なのでまったく感情が読めない。

 しばらくして彼は体ごと顔を背け、俯きがちにぽつぽつと呟いた。


「……、故郷の剣なんだ。懐かしくて、つい」


「故郷……? あっ」


 少年の言葉を聞いて、先ほど彼の顔を見た時に感じた既視感の正体にシアはようやく気付く。

 ……リュウショウと同じなのだ。顔立ちというか、造形のベースが。


(リュウショウさんは極東の国出身だって言ってた。この人もたぶん……)


 おそらく彼もまた同じ地域出身だから、リュウショウの顔立ちとどことなく共通する雰囲気を感じ取り、覚えがあったのだろう。

 思わぬ偶然もあるものだ。


(でも確か、極東って……)


 リュウショウの故郷についてシアは一度調べたことがある。

 極東にはかつて大国があった。それこそ『ブレイザブリク王国』や、北の『グラズヘイム帝国』と肩を並べるほどの。

 ──が、今現在ミッドガルランドを占める大国は先述の二大国家のみ。

 極東を統べた国は今やどこにもない。つまり、そういうこと。


 シアは押し黙る。

 気づきはしたものの、そこに言及できるほどデリカシーの欠如はしていない。


「……それじゃ。もう行くよ」


 こちらの思考に気付いたのかは分からないが、少年はぶっきら棒に言って身を翻す。

 シアが何か言う間もなく路地裏の奥へと歩いていってしまった。


「あ……、」


 呼び止めようか一瞬頭をよぎるも、別にこれ以上話すこともなくシアはその背中を見送る。道を折れ、彼の姿は完全に見えなくなった。

 なんとなく少年が姿を消した先をぼーっと眺める。王都に来て早々、不思議な出会いだった。


(そういえば名前聞くの忘れちゃった……ま、いっか)


 この広い王都。もう二度と会うことだってないかもしれない。特に後悔することもなく、シアはすぐに頭の中を切り替えた。


 ──ゴォォォン。

 街中に重低音が響き渡る。


 音を聞いてシアは思わず上を見上げる。正確には、その元凶でもある街の時計塔へ視線を移した。

 時計の針はキリのいい時間を指している。


「いけない。そろそろ学院向かわないと」


 思わぬ寄り道が発生してしまい、早めに行動する予定が結局丁度いい時間になってしまった。

 気を取り直し、シアは改めて早足で動き出す。

 目指すはこの王都で唯一の学業施設──『王立リースタニア学院』だ。



   ◇◇◇



 広大な敷地の中に密集する真っ白な外壁を用いた高級感ある学院校舎の数々。『王立リースタニア学院』は王都アティエルの中でも五本指に入るほどの大規模な施設だろう。

 王立とあるように、王族自ら資金を出して設立されたこの学院は今年で50年目の歴史となる。多くの優秀な卒業生を輩出してきた伝統的な学び舎として、この国に学院の名を知らぬ者はいない。


 そして──そんなリースタニア学院では今日、新入生の入学式が執り行われていた。


「──私の祖父にあたる先代の国王ウィルフレッドにより、50年前、ここリースタニア学院は設立されました。記念すべき50期生の皆さまにおかれましては、厳選なる入学審査を合格しこの場にご臨席いただけましたこと、代理である私が言わせていただくのは恐縮ですが、急務により欠席してしまった父上共々心よりお祝いさせていただきます」


 学院敷地内でも特に立派で一際大きい建築物である大講堂。

 全校生徒を集めた式や学内イベントの際に利用されるこの大広間に、今はおよそ100名近い新入生が等間隔で並べられた椅子に腰を下ろしていた。

 シアもまた、現在は学院の制服に身を包んでその中の一人として清聴している。


 講堂内正面の演壇に立ち拡声魔法である小さな魔法陣を浮かべながら粛々と挨拶を行うのは、この国の王女様でもあるアイリーン・アティエル・リースタニア王女殿下。

 目を見張るほどの美しい金髪と一つ一つの仕草から窺える高貴な気品は、新入生だけでなく出席している学院の職員たちまでも釘付けにしている。


 あれでシアよりも年下だというのだから驚きだ。

 小柄でまだ少し幼い顔立ちでありながら、身にまとう雰囲気は一級品である。


「学院での生活は、勉学や魔法、武芸だけでなく、人と人との関わりを経て人生観の様々な基礎を培う大切な場だと聞き及んでおります。私は王族故、皆さまと同じように学生として肩を並べることは叶いませんが、様々な学院行事に来賓として出席するたびこの学び舎の空気を肌で体感し、その事を実感しております」


 学院の挨拶にわざわざ王族が来るというのも少し大げさな気もするが、この学院は『王立校』。つまり王族様の懐で学院の運営資金が賄われている。

 つまり王国そのものが運営する学問施設と言って差し支えない。

 よって入学式の挨拶に国王自ら挨拶に赴くのは恒例であるらしい。今年は欠席との話だが、代わりに民からも大人気なアイリーン王女がご挨拶してくれるのだからある意味シアたち50期生は運がいいのかもしれない。


「皆さまにはどうか、私の分もこの学院生活を楽しんでいただければと思います。3年という期間、きっと楽しいことばかりではないでしょうが、そこで学ぶ一つ一つが皆さまの糧となるでしょう」


 以降もしばらく王女殿下の挨拶は続いた。

 最後に彼女が演壇の上で頭を下げたことで、講堂内に無数の拍手が響き渡る。

 アイリーン王女が来賓席に戻ったのを見て、司会の教員が改めて式の段取りを進めた。


「王女殿下。大変ありがたいお言葉、感謝致します。では次に在校生の挨拶をさせていただきます。在校生代表──、」


 司会の声に呼ばれ、おそらく三年生であろう在校生の男子生徒が登壇する。王女様の後ということもあって僅かに緊張している面持ちであったが、特に滞りもなく、再び堅苦しいスピーチが始まった。

 シアは先ほどからずっと真剣な面持ちでそれらの話に聞き入っている。

 別に大真面目を気取っているわけではない。話の内容自体は実はそんなに頭に入っていない。


 ──どうしても意識せざる負えないことがあった。それを考えただけで、いかに冷静を装っても浮足立ってしまう。

 ここには今、シアと同年代の新入生が全員いる。それはつまり……もきっとここにいる。


 在校生の挨拶は当たり障りない内容を喋った後、すぐに終わった。式自体時間が限られているので生徒のスピーチにそこまで時間をかける予定ではないのだろう。

 男子生徒が壇上から下りたのを境に、改めて司会の声が響く。


「それでは新入生代表の挨拶に移ります」


 一泊置いて、司会の視線が新入生たちの一番先頭へ向けられる。

 厳密にはその角に座る一人の女子生徒へと。


「新入生『首席』代表──、リムル・ヴァレンス」


「!」


 拡声魔法で講堂内に響き渡るその名前を聞いて、シアの肩が僅かに震えた。

 そうだ。彼女がここに、いないわけがない。まさか早々に顔を拝めるとは思ってもいなかったが、同じ空間にいることは最初からずっと予感していた。


 呼びかけに応えて席から立ち上がり、気品ある振る舞いで登壇していく少女。

 長い黒髪を華やかに揺らすその姿からは王女殿下に勝らずとも劣らないオーラを感じさせ、在校生たちの視線を奪っていく。


 眉目秀麗。容姿端麗。

 彼女の姿に当てはまる賛美の言葉は多い。

 かつてシアから全てを奪っていった少女──リムル・ヴァレンスが、今まさに演壇上に姿を現した。


「……本日はわたしたちのために、このような盛大な式を挙行していただき心より感謝致します。僭越ながらわたくし、リムル・ヴァレンスが新入生を代表してお礼を申し上げます」


 恭しく頭を下げる姿を遠目に見て、シアは頭の中が真っ白になる。

 息が詰まる。胃の奥がキリキリする。リムルの姿に視線が完全に固定される。


 彼女は随分と雰囲気が変わっていた。

 初めて会った日はもっと貧相で、等身大の平民の子供という感じだったが、それが今や見る影もない。整った顔立ちと出るとこが出る良好な発育に恵まれた少女からは年齢以上の大人びた佇まいを感じさせる。

 名前を言われなかったらきっと気づかなかっただろう。


(……やっぱりいるよね)


 スカートの上で作る握り拳に自然と力が籠る。いるとは思っていたが、いざ目にすると嫌な緊張が全身を駆け巡る。

 リムルとシアはたった二日違いの生まれ。つまり学院への入学時期だって自然と同じ年代となる。


 覚悟はしていた。入学を決めた以上、いずれは嫌でも顔を合わす。

 今にも溢れそうになる心の中に宿る激情をシアは必死に抑え込む。


「学院生になるということに、正直まだ実感がありません。しかし今、名誉あるリースタニア学院の学び舎に立てていることに安心と喜びを感じています。これまでは生を授けてくれた父と母を初め、多くの方々のご助力のもと日々を過ごしてきましたが──、」


 彼女の壇上での挨拶を耳にしながら小さく深呼吸をする。

 本音ではすぐにでもリムルの胸倉を掴みにいきたいところだった。あの日、シアから全てを奪っていった恨みつらみ、言いたいこと全部本人に向けて吐き出してやりたい。

 だが、それはシアの望む『復讐』ではない。シアの夢……何よりも優先すべきなのは、『わたしのような悲しみをこれ以上生まないこと』だ。

 リムルと争うことでも、彼女からヴァレンスの名を取り戻すことでもない。


 幸いなのは、名乗りさえしなければシアもシアだと気づかれないだろうという点だ。

 かつては裕福な暮らしのおかげで年齢の割に発育が良かったシアだが、奴隷生活で完全に健康面が壊れ、リュウショウに助けられて以降もそれが戻ることはなかった。おかげで身長だけが年相応に伸びてしまい、胸も尻も小さく体の線は細い。

 長かった髪もバッサリ切ってしまったし、顔つきも随分変わった。例え両親であっても容姿を見ただけではシアとは分からないだろう。


 つまり……黙っていればいいのだ。

 同じ敷地で、同じ勉学に励む。それだけでいい。

 向こうはシアが生きているとさえ思っていないだろうし、その認識のままでいてくれればいいのだ。それが互いに最も都合がいい。


「まだまだ未熟なわたしたちですが、伝統ある学院の一員として賢明に学び、この国の未来を担えるよう成長していく所存です。学院長を初め、先生方、先輩方、どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」


 挨拶の締め括りを聞きながらシアは視線を俯かせる。

 拳は未だ熱が籠っていた。


(わたしはもう、関係ない……)


 シアはシアだ。あの頃のシア・ヴァレンスは、もういない。

 ──そう、心では分かっているけれど。

 無意識に握られた拳は、なかなか解くことができなかった。



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