第2話大正、昭和、神坂俊一郎登場と彼の苦悩
時代は、大正から昭和に飛びます。
竹野青華が、時空を超えて交流していた相手は、祖父竹野清十郎の転生である神坂俊一郎だったのです。
彼は、維新の七卿の一人を曽祖父に持つ母神坂高子と、土佐の士族の祖父を持つ父辻野常和の間の長男として、昭和32年に誕生しました。
結婚前の辻野常和は、真面目な一流商社マンながら、どこかしら暗い雰囲気を持っていました。
そして、彼には人並みの愛情が欠如していました。
でも、彼の生い立ちにも、原因があったのです。
彼の曾祖父辻野豊和は、土佐藩の郷士の出身だったのですが、犬神筋といわれる呪術師の家系であり、郷里の中村では、それなりの家柄ながらも、気味悪がられる存在だったのです。
また、土佐では、京都から流れてきたと思われる陰陽道の流派があり、豊和の母方はその家系であったのですが、こちらも祈祷から呪術に近いことまで請け負っていたため、辻野家は、呪術師の血を引く家系だったのです。
それを面白がった元の殿様が、明治維新の際、彼を取り立て、政府の外交官となるや、同じ藩閥の縁故で、薩摩の島津氏の娘を妻にもらうことができました。
そして豊和、義和団の変の折には北京に赴任しており、諸外国の人々と共に紫禁城に立てこもり、絶体絶命の状況の中、獅子奮迅の活躍をして期待に応えることができました。
そして、豊和の後を継いで、父和幸も外交官になりました。
その父が、アメリカ赴任中に現地に来ていた日本女性、原田瑠璃と結婚して生まれたのが常和だったのです。
瑠璃は、生粋の日本人だったのですが、夫和幸よりも長身でプロポーションもよく、彫りの深い顔立ちで、黒髪ながらウェーブがかかっていたため、イタリア・スペイン系に間違えられることも多い女性でした。
性格も情熱的で激しく、常和が3歳になった時、和幸に帰国命令が下ると、瑠璃は、絶対帰国しない、離婚してでもアメリカに残ると言い張り、本当に夫と息子を捨てて失踪してしまったのです。
和幸は、国の命令ですから、帰国せざるを得ません。
帰国して直ぐ、外交官として格好がつかないからと、豊和は、息子和幸に再婚を迫り、瑠璃に未練があった和幸を押し切って、妻の親戚である島津家の一族の娘であった吉田松子と結婚させました。
戸籍上も、豊和の差し金か、瑠璃との結婚が記載されておらず、常和は、松子との結婚と同時に彼女の長男として生まれたことになってしまったのです。
松子は、良妻賢母を絵に描いたような素晴らしい女性で、夫の連れ子である常和にも、後に生まれた弟良和にも変わらぬ愛情を注いで育て上げました。
しかし、常和は、実母の瑠璃に似たのか子供の頃から長身で、アフロヘアーのような縮れた髪の毛と、目が大きく彫りが深い少し日本人離れした容貌を持っていたのが災いし、子供の頃からアメリカ生まれの鬼の子と白い目で見られていじめられたのです。
それを見返すためもあり、彼は、勉学と水泳に熱心に取り組み、秀才のスポーツマンとして知られるようになりました。
ところが、常和が高校生の時、父和幸が急死し、祖父豊和もその直後に病死してしまったため、辻野家は生活に困窮することとなりましたが、常和は成績優秀であったため、何とか神戸商船大学に入学することができました。
ところが、戦局が悪化した昭和19年、大学2年生だった常和は、学徒動員に先だって特別に徴用されることになったのです。
常和は、幼少の頃から外交官の父和幸に習って、日、英、独の3ヶ国語が操れたのです。
ですから、その会話能力を見込まれ、特殊な任務に就くためにと徴用されたのです。
異例なことでしたが、彼は出征に先立って海軍兵学校に特別に編入され、3ヶ月の短期の教育を受けました。
父から、米独語会話と共に欧米的な考え方を教わっていた常和には、天皇陛下万歳とか、玉砕なんて思想は理解できませんでしたし、3ヶ月の教育は、ひたすら実戦に対処するためのものでしたから、彼の考えを変えるところまでには至りませんでした。
そもそも、自分の任務が何なのか、何のための教育なのかさえ知らされなかったのです。
実際に行けばわかるとしか教えられず、任務を全うできれば、大学に復学させ、学費も免除すると言われ、背に腹は代えられず渋々引き受けたのですが、海軍兵学校での教育が終わるや否や、潜水艦に乗り組んで出発することになりました。
乗り組んだ潜水艦も特異なもので、海軍兵学校での教育では、このような大型の潜水艦は存在しませんでしたし、何よりも困ったことは、誰に聞いても、任務と行き先は、船長しか知らないとの答えでしたから、更に訳がわからなくなりました。
秘密裏に何かを運ぶ任務なのかとは想像できましたが、食料と燃料以外のものは積んでいないとの船員の証言もありましたから、逆に、何かを受け取りに行く、それしか考えられませんでした。
常和、英語ドイツ語の能力を見込まれたわけですから、相手はその言語圏と考えられましたが、まさか敵国ではないでしょうから、ドイツに行くと考えるのが最も合理的な答えでした。
しかし、フィリピンを過ぎたあたりで、潜水艦は敵機の魚雷により撃沈されてしまったのです。
当時の潜水艦、現代の原潜と違って、ずっと潜ったままではいられませんでしたから、制空権を失った地域では何時撃沈されても不思議は無い状況でした。
そこで常和は、海軍兵学校の教育にもありましたから、艦長には、艦から緊急退避する際の用意と訓練をすべきと進言していたのです。
ただ一人任務の詳細を知っていたと思われる飯塚雅彦艦長は、普通なら縁起でも無いとぶっ飛ばされても不思議はない彼の進言に、「そうだな。君はまだ大学生だし、正式な軍人でもないから、何時でも緊急退避できるよう、用意をしておけ。」と笑いながら命じたのです。
そして、潜水艦が沈没する直前に、彼は逃げ出したわけですが、元々大型の潜水艦の割には異常に少なかった乗組員の中でも、逃げたのは彼一人だけだったのです。
「早く逃げないと沈んでしまう。何故逃げないんだよう。」
彼は叫びましたが、艦長以下の乗組員たち、生きて帰ることはない覚悟だったらしく、彼に敬礼した後、笑顔で艦と共に沈んでいったのです。
狐につままれたようなというか、これは果たして現実なのだろうかとの感覚の中、常和は救命胴衣を着て、船の破片に這い上がって3日間海を漂っていたところ、偶然通りかかった味方の駆逐艦に助けられました。
しかし、たった一人の生存者の上、任務もよくわからないのですから、説明しようにも要領を得ず、仕方なく暗号通信のための通信員として大学生ながら徴用され、潜水艦に乗り組んでいたと答えることにしました。
うさんくさげに見られた常和は、たった一人おめおめと生きて帰った国賊と揶揄され、死んでこいとばかりに、1週間後に小さな水雷艇に乗せられて出撃しました。
この出撃も、確固たる作戦に絡むものでは無く、目標もはっきりしないものだったのですから、無謀であり、結果は、悲惨なものでした。
出撃して半日もたたずに敵機の機銃掃射を受けただけで、水雷艇は爆発沈没し、彼自身、敵機の弾丸が腹部を貫通する重傷を負いながらも、奇跡的に内蔵には損傷がなかったらしく、他の乗組員が全員死んでしまった中、またまた前回の経験を生かして救命胴衣を着て船の破片の上に這い上がり、波間を3日間漂っていたところを、偶然にも前回と同じ駆逐艦に救助され、今度もたった一人の生還者になったのです。
こうなると、兵士たちの中には、国賊どころか死神と言う人まで出ましたが、今回は名誉の負傷がありましたから、風当たりは前回ほど強くなかったのが面白いところでした。
そして、野戦病院に収容されたときに一緒になった上官が、たまたま神戸商船大学の先輩だったため、まだ大学生なのに、本格的な学徒動員を前に訳ありで徴用されたらしい常和を惜しんだ彼の好意で、終戦前の6月に転進組として本土に戻ることができたのです。
宮崎の飛行場に降り立った常和は、大学生と言うわけには行きませんから、ようやく名目上海軍所属としてもらえて、特攻隊の訓練を尻目に、名誉の負傷による待機命令が下りました。
そこで、休日に今は平和台公園と呼ばれている公園まで出かけ、八紘一宇の石碑の前に立って思いました。
本来「八紘一宇」とは、世界の国を一つの家のように支配するとの意味の言葉であり、この石塔は、何と世界中の遺跡から持ち寄った石材で作られていました。
軍部は、世界を天皇陛下の元に独占支配すると解釈して侵略戦争の理論武装に利用していたのも確かですが、当時は朝日新聞あたりも、その思想を積極的に鼓舞していましたから、常和は、実態を知らせない大本営や軍部だけを責めるのは筋違いだと考えていました。
何故人間同士が戦わなくてならないのか。何故殺し合わなくてはならないのか。
悲惨な戦闘を見、周囲で多くの人の命が奪われた経験をした彼は、碑の前に座り込んで考えました。
しかし、所詮答えは出せなかったのです。
彼には、人間の存在意義自体がわからなくなったのです。
出撃させられたら今度こそ死ぬだろうなと思いつつ、彼は短い間でしたが、宮崎で過ごしました。
その頃、青華は晩年を迎えていました。
大野良明と結婚し、西宮の夫の医院を手伝っていた彼女でしたが、空襲で家と病院を焼かれたため、夫婦は広島市内で親戚の病院を手伝い、子供たち二人は津山に疎開させていました。
そして迎えた8月6日、空襲警報が発令された時、青華は自分と夫の運命を悟りました。
ああ、二人一緒に死ぬ時が来たんだと。
そして、夫を誘い、空襲警報を無視して病院の建物から外に出ると、空を見上げながら夫に言いました。
「こんな時代だけど、幸せな人生だったわ。良明さんありがとう。」
妻の言葉に、良明も結婚前に彼女が言った、二人一緒に死ぬという言葉を思い出し、運命を悟りました。
「そうだな。お前と結婚できて幸せだった。子供二人は、安全な所に居るし、何とかなるだろう。ありがとう。」
微笑みあった後、二人で空を見上げると閃光が走りました。
そして、二人は一瞬にして消滅しました。
同じ頃、竹野清十郎の屋敷跡の竹林が一斉に開花しました。
竹野青華の名は、飢饉の前兆とも不吉とも言われる竹の花を想起させるから縁起でも無いと言った人も居ましたが、清十郎は、彼女の人生を表すと押し切っていたのです。
彼が言ったとおり、竹林の開花が、彼女の死を告げるものともなったのです。
幸いほどなく戦争は終結し、死を覚悟していた辻野常和は、無事神戸の我が家に戻ることができたのですが、二つの理由で大学を中退せざるを得なくなってしまったのです。
一つは経済的な理由でしたが、もう一つが皮肉なことに、学籍確認の為に提出した書類から、彼は、戸籍上は継母松子の実子となっていて、年齢も、アメリカにいた3年の期間がカウントされていなかったため、実際より3歳若いことが明らかになってしまったことでした。
常和は、当時としてはとんでもないできちゃった結婚の子供となってしまっていたわけですが、これは、今は亡き祖父が、よかれと思って瑠璃との婚姻届を提出しなかったためのようでした。
当時は飛び級的なことも認められていたとは言え、それはそれなりの試験を受けた者であり、年齢が3歳も違うと本人であるかどうかも疑われることになったのです。
結局は、経済的な理由が主で大学をやめざるを得なくなったのですが、それまでの成績は優秀でしたから、亡父の伝で一流の商社に就職することができました。
そして、大学の恩師の紹介で、資産家の娘の神坂高子と結婚することになるのですが、この時彼は、大学を卒業したと偽った上に、大学中退後、やることがなくなって実母瑠美の消息をたどっていた際に偶然めぐりあって、経済的にも支えてもらいながら同棲を続けていた、2歳年上の再従姉妹の原田留美子を、冷酷にも捨てたのです。
高子の母の鶴子は、偶然常和が留美子と同棲している事実を知り、彼女と話しまでしたのですが、留美子は、常和のためになるなら自分は身を引き、二度と二人の前には現れないと健気にも誓いましたし、本当は娘のことはどうでもよいと考えている変な母親だったため、高子にも夫にも伝えませんでした。(しかし、後年孫の俊一郎にだけこのことを教えたのです。)
神坂高子の母藤原鶴子は、曾祖父の血を引く藤原系の家柄の良さ以上に、宇部小町とうたわれた美貌を誇る美女で有名でした。
しかし彼女、その美貌だけでなく勉学、料理、裁縫、歌舞音曲全ての才能に恵まれており、同郷で幼なじみであった、後に日本の首相となる岸伸介、佐藤栄作兄弟を、私にかなわなかった洟垂れ小僧と一蹴するほどの才媛でもあったのです。
鶴子には妹が二人いましたが、姉ほどの美貌と才能がない分逆に縁談は調いやすく、元公家の血筋を生かして、豊前と肥前のお殿様の家に嫁ぎました。
妹二人に遅れをとった鶴子、いくらでも縁談はあったのですが、祖父は維新の七郷とはいえ、今や貧乏な元公家でしかない家の実情を理解していました。
まして、妹二人で財産使い果たし、自分が嫁ぐ時になると、既に十分な支度をしてもらうこともできなくなっていることも、賢い彼女は認識していたのです。
そんな鶴子でしたから、両親の負担を避けるためにも地元で、持参金の心配の無い嫁ぎ先がよいと希望し、20歳の時、望まれて宇部の名刹に身一つで嫁いだのです。
評判の美女でしたし、料理の腕も一流でしたから、夫の住職多田了安は大喜びしました。
ところが、10歳年上の夫に愛人が3人も居たことを知った鶴子、結婚3ヶ月で絶縁状を叩き付けて婚家を飛び出しました。
当時は、結婚イコール入籍ではなく、しばらく期間を置いてから入籍することが普通でしたから、鶴子はまだ入籍されておらず、戸籍上は離婚歴はつきませんでした。
ただ、まだまだ女性の地位が低い時代で、女性から離婚を宣言することは大変希であり、同様な例として佐賀の白蓮事件がありましたが、鶴子にとっては、これでまともな結婚はできなくなったと言っても過言ではありませんでした。
ところが、世の中うまくできたもので、そんな鶴子に相応な男性が現れるのです。
後に彼女の夫となる神坂鷹雄は、家柄こそ豪農の五男と優れなかったものの、精悍な美男子ながら怪力無双で、勉学にも武道にも優れた才能を発揮していました。
そして、高卒の学歴ながら、ある財閥系企業の工員から身を起こしてみるみる出世し、その才覚を見込まれ、23歳の時に宇部の裕福な商家の娘、福川絹子と結婚しました。
2年後、娘章子も生まれたのですが、質実剛健を旨とする鷹雄、裕福な実家に頼る絹子の奢侈に我慢ができなくなり、離婚していたのです。
それで、お互いの知人から良い相手がいると紹介され、鶴子と鷹雄は結婚することになったのです。
鶴子、夫鷹雄には自分と同質の才能を見いだすことができたため、彼を尊敬し、良妻として尽くしました。
また、鷹雄も、大変な美女の上、世が世なら高嶺の花のお姫様であったろう鶴子と結婚できたことだけでも幸せと喜び、当時としては異例なほど、妻を大切にしたのです。
それで、娘高子が生まれたのを機に、鶴子は先妻の子章子も引き取り、分け隔てなく育てました。
ちなみに、鶴子に絶縁状を叩付けられた夫?了安は、とんでもない好色坊主との悪評が立ち、さしもの名刹も一代で没落することになってしまいましたから、鶴子のしっぺ返しは大変なものとなったのです。
鷹雄と別れた絹子も、実家に戻ったものの、こちらも鶴子と違って美女ではなかったこともあり、派手好みの女との悪評が立ってしまいました。
生活は、実家の商売を手伝って不自由しませんでしたし、娘も鷹雄に引き取られたため、再婚相手を探したのですが、再婚相手にも贅沢を言ったため、縁談が調わず、結局は独り身で生涯を終えました。
美男美女で有名だった両親、鷹雄と鶴子の一人娘として生まれた高子だったのですが、勉学と運動の才能には恵まれましたが、容姿は腹違いの姉章子とさして変わらない、見栄えのしない普通の女の子であり、母と違って料理裁縫も駄目で、それがコンプレックスになっていました。
そんな高子でしたが、女学校の時に、京都帝国大学の学生伊藤英一と知り合い、高子の才能を愛した彼は、将来の妻にと望みました。
お互いの両親も認めたため、許嫁になったのですが、戦争がふたりを引き裂きました。
学徒動員で南方に出征した英一は、フィリピンで熱病により死去してしまったのです。
憧れの人であった英一を亡くした高子、男性の友人は多かったのですが、結婚まで踏み切れないでいる内に28歳になってしまいました。
当時は、30歳近いと行かず後家と言われたもので、高子が常和と結婚することになった時、友人たちは面白がって彼女を易者につれていって結婚運を占わせたのです。
すると、3軒はしごしたにもかかわらず、全員に同じことを言われたのです。
「あなたは、結婚するが直ぐ別れて数回結婚し、最後は億万長者になるでしょう。それから、最初の子は、数十万人に一人の天才が生まれるでしょう…。」
友人たちは余りの結果に祝福してよいのか悪いのか迷いましたが、高子は反発して、絶対に離婚するものかとその場で宣言してしまったのです。
彼女は、この段階で目標設定に誤ったのです。
離婚しないことよりも、幸福な結婚生活を送ることの方が大切だったにもかかわらず、後年息子に諭されるまで、意地になって別れないことにだけこだわっていたのですから。
高子の結婚は、彼女が一人娘であったため養子縁組で常和が神坂家に入る形になったのですが、当初はそれなりに幸せでした。
そして、1年後に長男の俊一郎が生まれました。
ところが、この子の誕生が常和と高子の夫婦には、大いなる不幸の幕開けとなったのです。
元々、人としての愛情とはなにかを理解できない常和でしたから、高子と何となく結婚してはみたものの、夫婦間の愛情についても理解できませんでした。
結婚当初の彼は、妻が自分を大事にしてくれるから、アメリカ流と言うか、ビジネスライクにそのお返しと思ってそれなりに優しくしていました。
ところが、1年後長男俊一郎が生まれ、妻の関心が子供に向くと、子供のように周囲を困らせて自分に注目させようとするようになったのです。
高子の父鷹雄は、常和は人格的に問題があることに気付いたため、立派な跡取もできたからもう彼は必要が無い、別れろ、と高子に迫りました。
易者にも言われていましたから、彼女はこの時離婚しておくべきだったのかもしれませんが、離婚しないことにばかりこだわり、代わりに行うべきことには目を向けなかったのです。
高子は、今まで余りにいい人とばかり付き合い過ぎていたため、子供もいることだから、夫はその内立ち直ってくれるだろうと安易に考えていたのです。
その上、夫を積極的に立ち直らせる努力をしようとはせず、何かと俊一郎にばかり目を向けて逃げていたのです。
そして、子供の為に離婚はしないと父にも言い張り、自分自身の人生のことを考えようとしなかったのです。
偉そうに宣言した高子でしたが、夫が自分に対して愛情を示さなくなると、恐ろしいことに、その責任を息子の俊一郎に転嫁し始めました。
あんたが生まれたから夫は駄目になったのよと、毎晩のように、俊一郎に暴力を振っていたのですが、俊一郎は、母の殴る蹴るの乱暴に、涙は流すものの、何故か声を上げて泣くことがなく、誰にも気づかれませんでした。
泣きもしない、子供らしい可愛さのない俊一郎に、高子のDVはエスカレートしていき、第二子を妊娠すると、つわりもあって、更にひどくなりました。
しかし、俊一郎は超人的に丈夫な肉体を持っていて、母高子の殴る蹴るの乱暴にも、あざ一つつかなかったのです。
結婚以来両親と同居していたため、両親には夫のことを責められ、その夫常和は自分や子供に無関心で、精神的に追い詰められた高子、母鶴子の前で、側で遊んでいたまだ1歳半の俊一郎を、突然縁側の方に向かって突き飛ばしたのです。
鶴子が悲鳴を上げて手を伸ばしましたが、時既に遅く、俊一郎は縁側を越えて飛んでいきました。
神坂家、高子の父鷹雄が戦時中に大阪市内の家を空襲で失って疎開して来て建てた家だったのですが、小さい子供が生活することなど考えていなかったため、縁側の向こうは、庭は庭でも今で言うロックガーデンのような作りで岩と皐月が点在する、崖といったほうが良いほどの急斜面だったのです。
勢いよく飛んでいった俊一郎は、数メートル落下して大きな岩に頭からぶつかりました。
直接見える位置ではありませんでしたが、グシャッという音を高子も鶴子も聞きましたし、俊一郎自身、この時頭が岩にぶつかって骨が砕けた感覚がありました。
ですから、どう考えても、頭蓋骨骨折で即死していないとおかしいのですが、次の瞬間、俊一郎は青い光の満ちた空間に座っていました。
向こうには、明るい光が見えましたが、青い光の空間に居ると、全てが癒やされ、頭の傷も修復されていくことを感じました。
しばらくすると、見えなくなっていた左目が徐々に見えるようになってきたのとともに、頭が元通りになったように感じたので、何故か生きているし、明るい方に歩いて行こうかと立ち上がると、呼びかけられました。
「お前は、どうしてここにいるんだ。」
周囲を見回しても、声はすれども姿は見えません。
「わかりません。教えて。」
俊一郎、1歳半でも普通に会話ができたため正直に答えると、見えない存在の方が戸惑っている様子でした。
「私にもわからない。何故君がこんなところに居るのか。」
「ここはどこ。」
「あの世の一歩手前、中間世という場所だ。」
「あなたは誰。」
「転生を司る存在。看視者。難しいから、イギギと答えておこう。」
「ふーん、イギギさんなの。」
「そうだ。」
「僕、どうなるの。」
今度は、明らかにイギギさんの方が困っている様子でした。
「何故君がここにいるのか。私は、それがわからないから困っている。」
「あっちに行ったら何があるの。」
「あの世だ。」
「じゃあ、暗い方に戻ったら。」
「日本なら三途の川とでも言うのかな。死んだら通過してくる場所だ。」
「ふーん、僕死んだんだ。そうだよね。あんな高いとこから突き落とされて、頭が砕けたら死ぬよ。」
しかし、俊一郎には母に突き落とされたことに関する感情が欠落していたので、単に状況的にそうだとしか思わなかったのです。
「そのようだが、そもそも、君が死ぬことは、予定外なんだ。」
「というと。」
「難しいこというと、君には、死んだ記録がない。魂が、死の関門を通過した記録がないんだよ。」
「どういうこと。」
「私は、人間の魂全てを記録している。また、誰が何時死んだかは、死の関門でチェックされるから、そのことも全て把握しているのだ。死の関門でチェックされていない人間の魂が、中間世まで来ること、つまり、お前がここに居ることは、普通に考えるとあり得ない。でも、現実として、死の関門を通過した記録にないお前が、ここに居る。どうしてお前がここに居るのか、私にもわからない。こんなことは滅多にない。だから、つい聞いてしまったんだよ。何故お前がここに居るんだと。」
「僕もわかんないよ。」
当然、俊一郎にわかるわけもありません。
「仕方ない。帰ってもらおう。」
「帰るって、生き返るってこと。」
「そうだな。」
「それって、いいことなの。」
俊一郎は、向こうに見える明るい光も魅力的に見えましたから、暗い方向に戻ることがよいのかどうかわかりませんでした。
「お互い、悪くはなかろう。私は、死の記録のない魂を、現世に戻すことができる。あってはならないことを是正することができるのだ。そして、お前は、生き返ることができる。」
「じゃあ、いいことなのか。」
「そうだな。君の家族も喜ぶだろう。」
そう言われたものの、父も母も自分を何故か憎んでいるようだし、自分を突き落として殺そうとしたのがその母なのだから、どうなんだろうと、俊一郎は考えてしまいました。
「おじいちゃん、おばあちゃんは喜ぶか。」
苦し紛れに答えると、イギギは条件を付けました。
「ただ返すのも芸がないから、その分人生で学んでもらおう。君の魂には、人間について学ぶという課題をつけとこう。」
「それっていいことなの。」
「いろいろなことを知ることができるから、いいことだろう。」
「じゃ、いいか。」
元々好奇心旺盛で何でも知りたがるところのあった俊一郎でしたから、それはいいことだと思うことができました。
「では、帰ってくれといいたいところだが、私が気になったことも、参考までに聞いておこう。君は、まだ1歳半のはずだ。それなのに、何故そこまで言葉が使えるのだ。」
俊一郎の幼児にしか見えない見かけと、子供とは思えない受け答えのギャップが大きすぎたので、イギギは聞いてみた。
「ああ、僕、体は1歳半の神坂俊一郎であって、心は神坂俊一郎だけではないんですよ。」
「何だそれは。」
流石のイギギも、混乱したようでした。
「うーん、戦時中にお母さんの婚約者だった人とか、江戸から明治の頃の大地主のおじいさんだった人とか、鎌倉時代の武士とか、平安時代の陰陽師とか、もっと昔のどこかの国の王様だった人とか、いろいろな人の記憶が混ざっているんですよ。この体だって、誕生前からの、両親の記憶としか思えないものまであるんですよ。だから、僕であって僕でない。1歳半じゃない部分があるから、こんな風に大人みたいに話すこともできるわけです。ついこの間も、お花屋さんに変わったお花があったので、「これなんていうお花。」って聞いたら、店員のお姉さんが、「フォックスフェイスよ。」って教えてくれたんです。それで僕、「へえ、狐の顔なの。」って言ったら、そのお姉さんも、お母さんも、びっくり仰天してたんです。何故その名前の意味を知ってたって聞かれても、僕にもわからない。1歳半の子供じゃない記憶があるからとしか言えない。」
イギギは、むしろ彼の答えだけで納得が行ったのです。
「そうか。君は、前世のことを完全には忘れていないんだ。だから、死も怖くない。それが、死の関門である三途の川を飛び越えることができた理由の一つかも知れないな。」
俊一郎は、別の疑問を持ったので聞いてみました。
「僕、きっと頭がぐちゃぐちゃに砕けてるはずなんだけど、そんな体でも生き返ることってできるの。」
「ああ、その点は心配はいらない。無傷にすると変だから、少し時間を戻して調整しなおして、奇跡的に軽傷ってことにしておくから。」
看視者イギギにとっては、時間の操作は訳もないことだったのです。
「痛いの嫌だな。」
頭が砕けた時は、痛みを感じている暇も無かったので、俊一郎は思ったままを口に出してみました。
「じゃ、おまけに痛みの感覚もなくしておこう。それから、君の体は今でも十分丈夫だが、更に丈夫に、そう簡単には傷つかないようにもしてあげよう。」
イギギ、俊一郎が母親に再度殺されない保険に、彼の肉体を更に強靱なものにしたのです。
「ありがとう。」
「そう簡単には傷つかないとはいっても、一つだけ弱点があるから注意することだ。」
「何ですか。」
「自分自身には無効だ。」
「つまり、自殺は出来るってこと。」
イギギ、俊一郎の挙げた幼児らしからぬ例に苦笑しました。
「それは極端だが、自分で傷つけることについては、普通に傷つくし血も流れる。他からの力に対しては強いというだけじゃ。」
「ああ、じゃあお母さんに殴られても蹴られても大丈夫ってことかな。」
「そうだな。それが一番役立ちそうだな。」
イギギ、これからも虐待されそうな俊一郎が気の毒に思えましたが、彼はあっけらかんとしていました。
「はーい。じゃ、帰ります。」
「二度と来るなと言いたいところだが、そういう訳には行かないから、今度はちゃんと死んでから来てくれと言っておこう。」
「はーい。」
イギギ、彼は恐らく前回の転生の時に何らかの手違いで、複数の前世記憶が消されずに残ってしまったのだろうと理解しましたが、とりあえず、直ぐに舞い戻って来られないような措置を講じたのです。
どこをどうやって帰ったのかわからなかったのですが、気付くと俊一郎は、祖父鷹雄に抱かれて病院に向かっていました。
痛みはないけど、自分の体はどうなっているのだろうか。
疑問には思いましたが、今祖父に聞くのもおかしいので、医者の診断に任せることにしました。
医者の診断では、後頭部の切り傷だけ、しかも俊一郎、イギギさんのお陰か、痛みも感じないで済んだのでした。
イギギさんを慌てさせたようだし、一回死んで生き返ったとしかいいようがないな。
そう思った俊一郎でしたが、宿題を出されたことを思い出しました。
人間について学ぶって宿題だったな。
俊一郎、どうやって中間世と往き来したのかは全く記憶になかったのですが、看視者イギギとの会話は覚えていたのです。
鶴子は、数メートル落下し、岩にぶつかったのに奇跡的に生きている俊一郎を発見すると、仕事が休みで畑仕事をしていた夫鷹男を呼び戻し、病院に連れて行かせました。
そして、呆然としている高子を問いただしたのですが、全く答えないので、殴る蹴るの折檻をしました。
母なのに、大切な自分の息子を殺そうとしたことを叱っての折檻だったのですが、高子は自分の行動の意味が全く理解できていなかったので、何故息子を突き飛ばしたのか、今何故母に殴られたり蹴られたりしているのかさえもよくわかりませんでした。
それでも、自分が息子を殺そうとしたこと、そして、絶対殺してしまったと思ったのに、生き返ってきたとしか思えないことは、何となくわかりました。
自分の息子俊一郎は、いくら暴力を振っても泣きもしないし恨みもしない、そして、怪我もしないのですから、もしかしたら悪魔の子なのかもしれないと、怖くなりました。
鷹男は、鶴子から事情を聞き、今回は奇跡的に軽傷に終わったものの、娘に俊一郎を預けておいてはその内殺しかねないと危ぶみ、とりあえず彼を預かって、鶴子に世話をさせることにしました。
また、欠陥住宅と言われそうな縁側についても直ぐに改築し、窓付きの壁にし、窓には手すりまで付けたのです。
高子としては、2番目の子供がお腹にいましたし、母が息子の面倒を見てくれることをむしろ喜んだのですが、何故自分が息子を虐待しているのかについてはよく理解できなかったのですから、夫婦とも親として、それ以前に人間として、欠陥があったとしか思えません。
高子の症状は、今なら鬱病だったと診断されるかもしれませんが、愛情を欠いた息子に対する言動は、それ以前の問題だったのです。
後に俊一郎は、当時の母は心身症だったのだろうと考えていましたが。
俊一郎、事件の後妹貴世子が1歳になるまでの1年半祖母の鶴子に預けられました。
鶴子、若い頃宇部小町とうたわれた美貌だけでなく、全ての才能にも恵まれていて、勉強は文句なしの天才、音楽も一度聴いた曲は歌えるし、習ったこともないオルガンで弾くこともできたから、モーツアルトのような絶対音感の持ち主の天才でもあったのです。
その上、料理、裁縫といった家事の面でも非の打ち所がない女傑でした。
そんな彼女ですから、家事が嫌いで苦手な娘高子に手伝わせても、怒るのが面倒なだけだったため、全て一人で片付けてしまっていたのです。
娘の高子は、勉強は天才的にできましたし、運動能力もなかなかのものでしたが、家事については元々嫌いで、当時の女性としては落第者だったのです。
そんな鶴子とともに生活していた俊一郎、見よう見まねで彼女の家事に関する技術を吸収していきました。
自分のやることを面白そうに見ていたため、鶴子、娘には手伝わせたことの無かった料理や掃除を、2歳の孫の俊一郎に手伝わせてみました。
最初にやらせたのは、基本である出汁をとるための鰹節削りでした。
一瞬にして鰹節の目を見分け、さっさと削る祖母を見た後、俊一郎は自分でやってみましたが、ガリガリと大きな粉が出るだけで、うまく削れません。
鶴子は、説明する代わりに、俊一郎に鰹節と削り器を預けて好きにさせました。
それで彼は、鰹節には木材のような目があり、きれいに削るためには方向があることを直ぐに理解しました。
ほどなく、鰹節削りについて祖母から合格点をもらった俊一郎、両親が広大な敷地の端に自分たちの家を建てて別居するまで、彼女から家事についての技術をどんどん学んでいったのです。
鶴子、後に俊一郎の妹貴世子にも料理や裁縫を教えようとしたのですが、彼女は母高子に輪をかけてやる気が無く、ものにならなかったため、1週間で諦めました。
常和は、息子俊一郎の後娘の貴世子も生まれたにもかかわらず、仕事に身が入らなくなり、務めていた一流商社をくびになってしまいました。
息子が無職では体裁悪いからと、義父鷹雄は、当時校長を任されていた工業高校の伝で金属加工の会社を買い取って彼に任せてみたものの、資金が足らなくなると、勝手に祖父の銀行口座から金を流用したり、悪事に耽るようになって行きました。
高子に、妻としての愛情があったのなら、夫のことを何とかするべきだったのです。
それができないのなら、夫婦で居ることを諦めるべきだったのですが、彼女も愛情とは何かがよくわかっていませんでした。
ですから、息子を返してもらえた後は、夫も娘もほったらかしにして、安易に息子に逃げてしまいました。
その俊一郎はというと、中間世から帰ってくる臨死体験後、見えない青華との心の交流が始まっていましたから、彼は彼で、母の相手が面倒になると、三千坪はあった祖父の邸宅の広大な庭の草木と話したり、青華の世界や、前世記憶の白昼夢の世界に迷い込んだりして過ごしていたのでした。
見えない存在との対話も、見えないものの具体的な人格である青華だけでなく、時々不思議なささやきを聞くこともありました。
小学校の1年生の時、彼は、そのささやきに誘われて、近所のアパートの屋上に上がってみました。
すると、ささやきはこう命じたのです。
「屋上のへりを一周してごらん。」
当時のアパート、今と違って4階建ての低層建築でしたが、自殺予防なんて思想もなく、屋上には手すりも何もありませんでした。
ですから、ささやきの命令は大変危険で、文字通り一歩間違えば十数メートル下に転落し、そうなれば恐らく死んだに違いないものだったのです。
しかし、俊一郎は、迷わずささやきにしたがって屋上のへりを一周したのです。
「できた。何かいいことあるかな。」
すると、ささやきはこう答えました。
「お前がその気になった時にわかるだろう。」
後年俊一郎は、この時のささやきは、彼が持っていた天性の身体バランスを試すものだったのか、それを与えるものだったのだろうと考えました。
そんな俊一郎でしたが、看視者イギギを感心させただけのことはあり、彼は、易者の予言どおりの何十万人に一人の天才でした。
勉学では並ぶ者無く、音楽の才能も祖母譲りで、音大の教授が舌を巻くほどのものを見せていたのです。
鷹雄も、そのことをとても喜んでいましたが、度重なる義理の息子常和の不始末による心労か、彼が小学4年生の時に病死してしまいました。
夫の死に、長年連れ添った鶴子はあっけらかんとしていて、その後は、一人で勝手気ままに余生を送りました。
ただ、俊一郎だけは、そんな祖母を寂しいから一人でいるのだと理解して、暇があると彼女を訪ね、彼女も彼にだけはある程度心を開いて、時々、父の常和が同棲していた再従姉妹の留美子を捨てた話とか、母の高子が万引きした話とか、とんでもないことをまだ小学生の俊一郎に教えていました。
高子は、父の死を悲しみましたが、夫は全くあてにならず、祖父が死んだら信用のない彼の会社もつぶれましたから、父の残した莫大な遺産で、夫と家族を養うことになってしまいました。
俊一郎は、臨死体験後もしばらくは数々の前世記憶を自分の中に共存させ、それぞれの人格の興味のおもむくままに行動していたため、傍若無人の問題児でもあったのです。
それでも、勉強ができる子は偉いという不文律と、彼に理解のある教師のおかげで、何とか社会に参加できていたのですが、彼には元々他人に頼るという概念がなく、世間一般でいう友達を作る必要性を感じないため、誰とも相容れない子供時代を過ごしていました。
ところが、祖父鷹雄の死後、小学生にして父親代わりに母から頼られるようになってしまったためか、一挙に神坂俊一郎としての自我が確立されたのです。
周囲の大人が子供過ぎたため、10歳にして、大人にならざるを得なくなってしまったのです。
ただ、俊一郎自身の自我、人格の確立は、彼の孤独を更に深めて行きました。
今までは物理的には一人でしたが、精神的には一人では無く、何人かが一緒にいたような状態だったのですが、自我の確立により、本当に一人だけになってしまったのです。
ただ、俊一郎の人格は、他人を妬む感情が欠けていた代わりに、孤独を全く苦にしない強さを持っていたのです。
そのため、自分は自分と割り切ることができ、極普通の家庭の知人達と自分を比べ、それを幸福とか不幸とか思うこともありませんでした。
そんな俊一郎でしたが、大きな欠点もありました。
天才で、何でもできるくせに、こと本人がやる気にならないことに関しては、凡人以下の力しか発揮しないことでした。
小学生の時は、他の教科は全てトップクラスの成績ながら、体育だけは最下位と言うひどい成績でしたから、クラスの皆は、彼は、運動は全くできないと思いこんでいました。
しかし、彼が小学5年生になった時、体育の授業でサッカーをしている(彼の感覚では、いやいややらされている)最中に、ふと閃いたのです。今、左の前衛にフリーで居るチームメイトが一人居るから、あそこにパスを出せば、点が取れるのではないかと。
そして考えたとおりに超ロングパスを出してみると、閃いたとおりにパスした相手がシュートを決めて点を取ってくれたのです。
彼、キック力でも、本当は学年随一ぐらいのものを持っていたのです。
そのことがきっかけとなって、彼は体育にも目覚めました。
不思議なささやきの、「お前がその気になったときわかるだろう。」との言葉の意味もわかりました。
彼は、天性の身体バランスにより、平均台の上を走ることもでき、全く鍛えていないのに、その気になりさえすれば、人よりも速く走ることができたのです。
突然走るのまで速くなってしまった彼でしたが、その前が余りにひどかったお陰か、互選による能力別編成なる変な方法で徒競走を編成していた運動会では、ずっと一番遅い組で走らされ、その後は常に大差をつけて1位になり続けることができたのです。
それで、ようやく周囲の者も彼を見直したのですが、中1の時にサッカーで複雑骨折に近い重傷を負ったため、また以前のとおり体育はできないとの評判に逆戻りしてしまいました。
この事故により、イギギさまの言葉が立証されました。
彼は、ドリブルの練習をしていて転倒したとき、偶然自分の右足で左足を蹴ってしまったら、左下腿部の骨が2本とも見事に折れたのです。
しかも、それほど強く蹴ったわけでもなく、転んだ本人も、見ていた教師や同級生も、笑っていたほどだったのです。
それが、立てないと言うのでみんなで見に行くと、左足は不自然に曲がっており、折れていることがわかって大騒ぎになったのです。
整復作業のために引っ張られるまで、大した痛みもなく、平気な顔をしていた俊一郎だったのですが、整復することができなかった上に、引っ張ったことにより周囲の組織を傷つけたのか、その後は2日後に手術してステンレス板とボルトで固定するまでは、痛みを感じることになりました。
それにしても、眠ることができるぐらいの大した痛みでは無かったのですから、イギギさまが言ったように、痛みの感覚にも乏しいことが証明されました。
ですから、確かに自分自身の行為に関しては、さしもの強靱な肉体も効果が無いことが証明されたわけです。
勉強の方はと言うと、中学生になってもやらないでもできたので、さぼりまくっていました。
中学時の俊一郎、実力テストは常に学年トップクラスの成績ながら、普段のテストのための勉強は全くしなかったため、実力テストの学年順位と、普段の中間、期末テストのクラス順位が同じという変な成績でした。
そのため、普段のテスト重視の内申点はよい点数をもらえず、公立高校の志望ランキングは、不当に低いものとなってしまったのです。
しかし、中学で最初で最後の学年トップの成績を獲得した大阪府教育研究会のテストの成績を評価した私立の進学高から、是非来てくれと言われたので、府立高校を蹴って、その私学専願で受験し、入学テストでも、1,100人の受験者中6位の素晴らしい成績で合格したのです。
実際に入学した者の順位では3位でした。
ちなみに、彼より上の成績の二人は、東大、東京工大に、彼は京大に合格したわけで、3人とも高校でも大して勉強はしていませんでしたから、才能そのままの順位だったと言えます。
この頃になると、両親の仲は更に悪化していましたが、ひどい家庭環境ながらも、彼は高校進学を機に、心機一転なんでもやってみようと考えました。
そして、そのとおりにオールマイティーの力を発揮し始めたのです。
勉強はクラストップ、音楽も上級者並にピアノまで弾けるのですから当然一番、その上体育でも意外な俊足と視野の広さ、反射神経の素晴らしさを発揮し、高校が推奨していたサッカーでは、背が低いながらもゴールキーパーからストライカーまで全てのポジションをこなすオールラウンドの名選手になったのです。
しかも彼、背がやや低く足が短いことを除けば、顔もまずまず恵まれていましたし、性格も表面的には温厚な紳士でしたから、女性にも当然のように人気があったのです。
しかし、過ぎたるはなお及ばざるがごとしで、見事に妬みの対象となり、同級生達が受験勉強で心の余裕がなくなると、才能に恵まれた彼を怪物のように見るようになり、受け入れてもらえなくなってしまいました。
元々彼は、その才能故に他人とは相容れぬ孤独な境遇であり、周囲の見る目は全く気にしない強さを持っていましたが、家庭も泥沼状況でしたから、何だか嫌になって、手を抜いていい加減に片付けることを覚えました。
孟子ではありませんが、中庸の方が日本の社会では受け入れられやすいことを、彼は16歳にして悟ったのです。
だから学業の成績は途端にクラスの中ほどにまで落ちましたが、これは、中学同様試験のための勉強をしなくなったからで、実力テストや模擬テストでは、変わらず学年ベスト5に入っていましたから、教師は彼の実力を測りかねていました。
そんな調子でしたから、3年になった彼が京都大学に進学したいと言い出した時、普段の成績の平凡さに担当教師は悩みました。
でもまあ、受けるだけならいいかと思って許したところ、彼は京大一つしか受けなかったのです。
これには教師は焦りましたが、彼は平然と答えました。
「絶対合格します。」
確かに、模擬テストの成績だけを見れば、東大にさえ合格できるレベルでしたから、教師は渋々京大一本の出願に同意しました。
そして、家庭環境は滅茶苦茶の中、しかも、図太い彼でさえ緊張したのか、試験前夜全く眠れず、大阪府でもトップクラスだった国語で20点と言うとんでもない点数をとりながらも(後から考えると、回答用紙を間違えたかもとの弁)、得意の英語と生物で90点以上の高得点をあげた彼は、ぎりぎりセーフの点数ながら、ちゃんと合格したのです。
合格を報告しに行くと、元担任の教師は思わず本音を漏らしてしまいました。
「まさか通るとは思わなかった。」
皮肉なことに、絶対大丈夫と思って東北大を受けさせた生徒の方が落ちたのですから、余計にそう思っていたのですが、俊一郎は苦笑しながらこう答えました。
「運が良かったのでしょうね。」
俊一郎、こういうところは、大人の態度だったのです。
母の高子にとっては、息子がかつての憧れの恋人と同じ京都大学に入学したことは、生涯最高の喜びでした。
そしてその時、彼の口からとんでもない言葉を聞くことになったのです。
俊一郎自身は、小さい頃から気付いていたことだったのですが、彼の前世は、学徒動員で死んでしまった母高子の婚約者、京都帝国大学の学生伊藤一郎だったのです。
高子は、息子の俊一郎が、以前から第二次大戦中の映画を見たり、京都帝国大学の学生だった昔の恋人との話しをしたりすると、異常に悲しそうな顔をするのが気になっていたので、この機会にと聞いて見たところ、彼はこう答えたのです。
「僕には、第二次世界大戦の時とても悲しい思いをした記憶があるんだ。そう、夜の公園で、中学生みたいな女の子にこう言ったんだ。『僕は、もっともっと大学で勉強したかった。今は敵だけど、アメリカやイギリスのことももっと学びたかった…。』そしてそう言った自分は、戦争で死んでしまってその女の子には二度と会えなかった。だから、第二次世界大戦の話しを聞くと、とても悲しくて辛いんだ。」
彼女は、息子の言葉に愕然としました。
高子は、許嫁だった一郎とは、全くなさぬ仲で終わったのですが、学徒動員で出征する前夜、当時住んでいた家の近く、大阪港に近い公園で、息子が言ったとおりの別れの言葉を彼女に残していたのです。
こんなことがあるのだろうか。我が子があの人の生まれ変わりだなんて、何と言う縁なんだろう。
彼が大学に入って直ぐに、鶴子は日課の早朝の散歩中に交通事故にあって呆気なく死んでしまいました。
不思議なことに、俊一郎はサッカーの試合がある日だったのですが、前日手に大怪我をして自宅に戻っていたのです。
そして、その日に限って、日課で早朝犬を連れて散歩に出かける祖母を、俊一郎と高子の二人だけは、止めないといけないような気がしたのです。
そして、鶴子が出ていった30分後、俊一郎と高子は同時に鶴子の夢を見ました。
その中で、普段は憎まれ口しか叩かなかった彼女が、『仲良く暮らすんだよ。』と言って微笑んだのです。
次の瞬間、二人は飛び起きました。
そして、玄関で鉢合わせした二人は、思わずこう叫んでいたのです。
「ばあちゃんに何かあった。」
扉を開けると、彼女が連れて行ったはずの犬が入って来ましたが、背中に血がついていたのです。
そして、着替えて捜しに行こうとしていると、警官が二人訪ねて来て、『その犬はお宅のお祖母さんの犬ですか。』と聞きました。
「そうです。」と俊一郎が答えると、鶴子が事故死したことを告げたのです。
心を開かず、嫌われ者になっていた祖母の死に、本当に悲しんで泣いたのは、亡くなる前夜にも彼女と大喧嘩していた俊一郎一人だけでした。
俊一郎は、母に頼られる存在となっており、孤独が当然になっていましたが、祖母の鶴子も自分と同じ孤独な仲間だと捉えていたからです。
誰にも理解されずに死んでしまった祖母のことを、本当に悲しく思えたのです。
その後も彼は、頼りない父親の代わりを務め続けている内に、否応なく実の父親と対峙することになり、大学3年の夏には、母の代わりに本当に父と対決することになったのです。
何故かと言えば、遅きに失した感はあったものの、ようやく高子が離婚調停を家庭裁判所に申請し、彼が大学生ながら母側の代理人となったからでした。
両親とはいえ、夫婦のことに首を突っ込みたくなかった俊一郎、最初は当人同士に任せるつもりだったのですが、大阪家庭裁判所での最初の調停に付き添っていったところ、母高子と妹貴世子の二人が感情的になって常和に向かって怒鳴り散らし、俊一郎が間に入ってなだめて回ったことから、調停委員の指名もあって、彼に白羽の矢が立ち(彼自身、本当の白羽の矢だと思った損な役目でした。)、代理人を引き受けざるを得なくなったのです。
しかし、彼は、母の代理人ながらも、調停委員のように、冷静に、公平に、二人の言い分を聞く立場に立ったのです。
二人の主張はというと、高子は、感情的になって、働かなかった夫常和を非難しました。
それに対し常和はと言うと、自分は働こうとしたが働かせてもらえなかったのだと涙ながらに嘘をついたのです。
俊一郎の目から見ると、母の高子は、本気で常和を働かせようと努力していたとは到底思えませんでした。
むしろ、二人で遊び回っていたようにさえ見えるこの10年間だったのです。
しかし、父の常和も、全く働こうとしたようには思えませんでした。
つまり、どちらの言うことにも真実と嘘の部分があることを認めざるを得なかったのです。
そして、二人が浪費したお金も、元はと言えば全て祖父の遺産であり、二人が働いて稼いだお金ではないのですから、お互いが自分のお金を奪われたかのように言い合うこともおかしく思えたのです。
そんな事情もあり、調停は困難を極めました。
俊一郎は、弁護士とともに、まず母の高子に、夫婦の財産についての考え方を一から教えないといけなくなりました。
彼女、実父の遺産でしたから自分だけのものであり、養子縁組の夫には権利はないと思い込んでいたのです。
そして、高子よりはまだいくらかましだった父常和に対しても、同様に財産分与に関する原則の考え方を説明しました。
しかし、そんな彼の正当な行為を、自分の代理人でありながら父の肩を持っていると誤解した高子は、ひどく非難しました。
弁護士も、『息子さんの言うことが常識であり、法の正しい解釈なのですよ。』と再三説明したのですが、それでも割り切れず、『男には女の気持ちはわからないのよ。』と、妹の貴世子と一緒になって、彼に謂れの無い非難を浴びせたのです。
常和にしても、子供が全員妻の方に付いたことに一種の被害者意識を持っており、大学を卒業したと偽って以来、嘘を嘘で固めて行かざるを得なくなった彼、もう虚言癖を通り越して虚言そのものと言ってもよい状態になっていましたから、非常に手の込んだ嘘で、俊一郎を苦しめました。
面白いもので、常和はセックスアピールというのか、一種独特の魅力を持っており、最初、女性の調停委員は、彼の言っていることが真実だと信じ、俊一郎が嘘をついていると非難したのです。
そんなわけで、俊一郎は、調停委員に対して両親の結婚生活の事実関係を確認してもらうだけで半年近くを費やすことになるのです。
しかも彼には学業もあり、クラブでサッカーもやり、家に帰っての雑用もあったのです。
そのためか、京都の下宿にいる方が、家にいるよりも落ち着けるようになってしまったのです。
母に調停の進み具合や、財産分与の基本的なことを説明するのは、彼には一番の苦痛になってきたからで、何度も同じ説明を繰り返さないといけなかったから余計です。
そんな俊一郎でしたが、幸いなことに、彼、家族以外の女性には恵まれたのです。
優しい紳士であることから、小学生の頃から女性に人気があった俊一郎でしたが、大学までは誰とも付き合わず、女性には無縁に過ごしてきたのです。
そんな彼でしたが、大学1~2年生の時は先輩の女性に可愛がられ、3年生の時には、後輩の女性相手の恋愛ごっこで慰めてもらえたのです。
そして、3年の夏に両親の離婚調停の話が始まった時には、たまたまクラブにマネージャー希望で顔を出した、京都大学同学年の夷川幸子と親しくなったのです。
幸子は、元々優秀な京大の学生の中でも図抜けた頭脳の持ち主(IQ200超との説もあった程でした。)で、異才で一目置かれていた俊一郎でさえ、とてもついていけないと降参したほどでしたが、子供のように無邪気な面も持っていました。
彼女、170センチの高めの身長に、スタイルも良く、容姿も美女といってよいものでしたし、性格的にも、控え目な普通の女性であり、何も知らずに接していれば、普通の美人女子大生タイプだったのです。
ところが、知識と教養、頭の回転が余りに超絶的だったため、大変優秀な京大生をもってしても、彼女と頭脳の面では対抗不可能、お手上げ状態だったのです。
普通の大学生がまず知らないようなことで議論しても、彼女、微笑みながら瞬時に答えを出してしまうのです。
自然、周囲の特に男子学生からは敬遠されるようになり、幸子は何も悪くないのに、必要以上に消極的にならざるを得なくなっていました。
神坂俊一郎にしても、幸子ほどの知識と教養は持ち合わせていませんでしたし、頭脳にしても、一般的には天才の部類でも、彼女にはとてもかないませんでした。
しかし、俊一郎は、生来妬みの感情が欠落していた上、今までの苦労(本人は苦労と思ったことはなったのですが)の成果か、他人を見かけで差別することもありませんでした。
ですから、幸子の才能を正当に評価し、女性としてでは無く、同年輩の友人として、普通に接することができたわけです。
俊一郎にとって、幸子に接する態度は極普通であり、自然なことだったのですが、幸子にとっては、自分の才能を正当に評価しつつも対等な立場で会話し、その上で女性として大切に扱ってくれる唯一の男性となった俊一郎でしたから、彼には好意と共に憧れの感情を持ち、女性に大変親切ながらも絶対手を出さない少々変わり者の彼を、母性的にうまく包むことができたのです。
実は俊一郎、幸子を見た時、とても懐かしい感じがしたのです。
彼女とはどこかで会っているはずだが、現世ではない。
驚異的な記憶力からそのことを確信した彼は、過去生を探っていって、前世の一つ、竹野清十郎の孫娘、青華にたどりつきました。
ああ、可愛い孫だったのかと妙に納得した俊一郎でしたが、二人は、精神的には明らかに恋愛関係まで進みながらも、肉体的には、セックスはおろかキスさえしないただの友達同士の関係から踏み出せなかったのです。
酔っ払った幸子が、俊一郎に抱きつき、俊一郎がしばらく彼女を抱きしめていたのが、唯一二人が密着した一時でした。
ただ、今までそんな風に支えてくれる女性のいなかった彼は、幸子が側にいてくれるだけで幸せでした。
しかし、彼の幸福は長続きしませんでした。
半年後の2月、彼女が体調を崩してクラブに来なくなってしまうと、彼が忙し過ぎたこともあって、二人の仲は自然消滅してしまったのです。
幸子が、優しい彼には、中途半端な自分よりも、もっと女性的に優しく包んでくれる女性がいるはずだと考えて身を引いたのが真相だったのですが、彼女にとっては、同年輩で自分の才能を妬むことなくまともにつきあってっくれた男性は、俊一郎唯一人だったのですから、自分のことをもっと考えるべきだったのです。
幸子と別れて傷心の彼でしたが、幸子と並行して彼を見守っていたのが、京都大の2年後輩の野々宮沙依でした。
京都西陣の平安時代から続く旧家の娘である彼女は、上品な雰囲気を持った女性でしたが、容姿自体はそれほど優れてはいませんでした。
しかし彼女、幸子には負けたものの、京大の中でも大変優秀なレベルの頭脳を誇っており、その頭脳に似合わない豊満な色気のある肉体の持ち主でもあり、堅実な京女の典型でもあり、幸子が居なくなった後、俊一郎を陰ながら支えるようになったのです。
俊一郎も、品行方正を絵に描いたような彼女の持つ意外な色気と、堅実な京女ぶりには感心しており、好意を持っていましたから、程なくお互い相思であることもわかりました。
しかし、お互い堅実すぎて、関係は進展しませんでした。
何故かというと、平安時代から続く野々宮家跡取り娘の沙依には、それなりの家柄を持った、問題の無い家庭の夫が必要であり、俊一郎は家柄と人柄は申し分がなかったものの、家庭がむちゃくちゃ過ぎたため、諦めざるを得なかったのです。
俊一郎も、沙依の家庭の事情を考えると、交際を進展させることは結果的に沙依を苦しめることにしかならないと考え、彼女のためを思って男女を越えた友人以上の関係に踏み込むことはありませんでした。
4年生になると、京大の恋人目当ての他大学の女性たちがどっと押しかけてきて紳士的で優しい彼に興味を示したため、彼は幸子がいなくなった寂しさ、沙依とつきあえなかった悲しみを更に慰められることになったのです。
その後も卒業直前まで続いた両親の離婚調停によって、彼は、人間は一つのことを見方によってどれほど違って捉えるか、自分の保身のためにどれだけ嘘をつくか、を学びました。
俊一郎にとってこの経験は、望んでも得られない貴重な経験であり、後年、自らの家庭の危機に際して、この時の経験を存分に生かすことさえできたのです。
しかし、代償も小さくはありませんでした。
両親の不仲、俊一郎ではなく家族の問題が、直接は関係の無い二人の人間の人生に大きな影響を与えることになってしまったのです。
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