第2話 言霊師「鈴虫」

「あ、あ、ありがとうございました」


私が顔を確認しようとすると


「おっと、ごめんよ。少しの間、目をつむっていてくれるかい」


と目の前を塞がれた。


「は、はい」


何が起きたのか分からない。ただ、目の前にいるこの人は私を助けてくれた。その事実は変わらない。私は言う通りに目をつむった。それを確認するかのように、ゆっくりと目から手が離れていく。そして、後ろの木の方に向かって、風が吹いた。さっきまで風なんて吹いていなかったのに。あたりの粉が消えて、柔らかな原っぱのような香りに変わった。


「もういいよ」


「あ、はい」


目を開けるとそこには誰もいなかった。ただ、人気が静寂の海と化したこの空間に微かに残っている。私とそして木の上に隠れてしまった男の人と。


「嬢ちゃん、気を付けないと。寺に入っていく所から見ていたけど、こんな人里離れた場所に女の子が一人で来ちゃいけないぜ~」


「ごめんなさい。ていうか、寺に入ってくる時から見ていたんですか!」


「ああ、そうさ。もう少し、駆け付けるのが遅かったら、大金をあいつらに取られていたんだから」


「なぜ、寺に入るときに声かけてくれなったんですか。そうすれば、私は—」


そう言いかけた時、遮るように男は言った


「私は怖い思いをしなかった、裏切られたという絶望を感じることはなかったって?そらぁ、俺だって忠告したかったさ。でもな。考えてもみろよ。突然、暗闇で男に声かけられて、俺があなたの探している言霊師ですって言って信じるか?」


「信じたと思います」


「いいや、嘘だね。人間てのが信じるのは実体験を伴った時だけ。どれだけ、言葉で繕っても完全に信じることはできない。現に、嬢ちゃんはやつらの口先だけでは動かなかった。やつらは妖術を使わないと金を奪えなかった。ハハギミを助けたくないのかという問いに対して、嬢ちゃんから否定の言霊を引き出し、では差し出せという行動に根拠をねじ込んだ」


「妖術って、あのヒトたちは一体?」


「あいつらはヒトじゃない、俺たちの業界じゃあ怪異と呼ぶ」


「怪異?」


「厄介な妖怪とか、幽霊とか、そういう類のものたち。人間みたいに実体はない。今回は二文字の怪異だったから真っ二つに斬るだけで済んだな~手間もかからず、楽ちん、楽ちん」


仮面を外した時、ちらりと見えた狐の口は本物だったんだ。そう思って、事騙したちが倒れた所を見ると、きれいさっぱり消えていた。元からそこに存在していなかったかの様に。煙かの様に。しかし、現代社会において妖怪だの幽霊だのが存在しているとは考えられない。というか考えたくない。というか二文字の怪異って何。


「あなたは怪異では……ないんですよね。というか、二文字ってどういうことですか」


私は怪異と呼ばれる存在と戦った人が人間であるのか分からなくなっていた。


「俺は俺の事を人間だと思ってる。でも見る人によっては俺も怪異の一つかもしれんから、何ともな~」


よく分からなかった。それにさっきの「怪異退治は本職じゃない」という発言が気になった。じゃあ本職は?という話になってくる。男は続けて、


「二文字って言うのは、さっきのコンやサルみたいな名前が二文字の怪異を指すんや。コンは狐の鳴き声として最もポピュラーなもんだろ?だから、君には狐の姿に見えた。サルも同じ原理」


「私にはってことはあなたには?」


「俺には文字の集合体にしか見えんよ。まあ、その目のおかげで文字の切れ目が分かって退治できる。嬢ちゃん、コって文字にどんなイメージを持つ?」


「コですか?いろいろあると思います。個人の個、故人の故、倉庫の庫―」


「そう、いろいろある。イメージがいっぱいあるということは、存在が曖昧になるってことや。自分のカタチを保てなくなる。せやから、怪異を斬った後には何も残らん」


「あなたは一体?」


「紹介が遅れたな。俺は鈴虫。正真正銘「言霊師」だ。俺の職場で「事騙師」が出没してるって聞いたもんでな。自分の職場は綺麗にしておかないといけないだろう」


私はそれを聞いた途端に、木の方に走っていった。


「あなた、本当に言霊師さんなんですね!顔をよく見せてください」


「おーっと、近づきすぎ、近づきすぎ。そこまで」


そう言われた瞬間、自分と木の間に透明な壁を感じた。これ以上進めない。進んではいけないと身体が言っている。


「俺たち「言霊師」っていうのは、人に顔を晒しちゃいけねえ決まりなんだ。ほら、離れた、離れた」


私はこの発言を信じ切れなかった。確かにこの人には助けてもらった。しかし、一度、自称「コトダマシ」の盗人に騙されたし、もしかすると、この人もグルなのではないかという懸念さえ心に芽生えている。大事なお金。もう二度と取られる訳にはいかない。


「まあ、と言っても信じてもらえないだろうな。あんなことがあってすぐだ。さっきも言ったように、人間が実体験を伴わなきゃ信じてくれねぇ。そうだろう」


私の思考を読んだかのように、けだるげに鈴虫は言った。


「そ、そんな事は」


走って駆け寄った手前、信じていない訳ではない。本物なら、お母さんを助けてもらいたい。しかし……。


「良いだろう。信用に足るかどうか、俺を試すといい。依頼だけ置いていきな。言霊師って生業は金を取る商売じゃねえと俺は思ってるからな」


「分かりました」


「地蔵の近くに受け皿があるだろう?そこに依頼内容を書いた紙を置いといてくれ。依頼によりけりだが明日の朝には確実に済ませておく」


私はお堂の柱を机代わりにして、依頼内容を紙に書いた。


「じゃあ、置いておきます。でも、依頼を叶えてくれるのだから、しっかりお金は払います。気持ち程度、私が今、あなたをどれだけ信じているかの分を置いていきます。言ってみれば、かけ金です。あなたが、あなたの力が、言葉が、信頼におけるのか見分けさせてください」


「強情な嬢ちゃんだ。はいよ。明日の夜、また来てくれよ」


私は紙と千円札一枚を受け皿に置いて、その上に地面に落ちていた小石を置く。そして、その場を去った。実際、半信半疑だ。寺院の前に止めた車に乗り込みながら思う。「明日の朝までに」って、日付が変わるのにあと二時間しかない。この間に依頼を完了する事なんて出来るのだろうか。まあ朝とも言っていたし、明日の朝という時間の感覚は人それぞれだ。こればっかりは確かめようがない。しかし、幸運なことに丁度、明日はお母さんのお見舞に行く日である。面会時間は十時からだ。彼の仕事が完了しているかはすぐに分かる。私は車を走らせて、寺院を後にした。



『母の原因不明の病を治してください。話すことも、体を起こすこともできず、でも目だけは明いているんです。お医者様にはもうどうすることもできないと言われました。どうか、母を助けてください』


鈴虫はかけ金と共に置かれた依頼書を見ながら、ため息をつく。


「俺の信用、千円ぽっきりか……まあ、しゃあないか。それにしても原因不明の病ねぇ。なんとまあ、アバウトで厄介なんだか。まあ、『名無し』の怪異ってところかな。肩慣らしには丁度いい。嬢ちゃんの依頼、聞き届けたぜ」


鈴虫はかけ金の千円札をポケットにしまうと依頼の紙を長方形に長細く折りたたんだ。そして紙の端に、胸から取り出したマッチで火を付けて、空に溶かした。そして、その煙を空気と共に肺一杯に吸い込む。むせることなく、肺に溶かす。そして、拍動する心臓が送ってくる血液に混ぜて、脳まで煙の粒子を届ける。


「さあ、お仕事、お仕事」


目を静かに開けて、呟く。肩に『言ノ刃シリーズ「シオリ」』を担ぎ、砂利に着地する。言葉には魂以外にも思念が宿る。脳まで到達した煙の粒子が教えてくれる。依頼主の強い思念。母を想う気持ち。そして、怪異の気配。それらが鈴虫を怪異の場所まで導いてくれる。


「時間が惜しいな。肩慣らしに、少し、本気を出すかな」


首を左右に傾げて、コリをほぐす。


「年をとるのは嫌だねえ」


鈴虫は勢いよく、走り出した。

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