コトダマシ
千代田 白緋
第1話 コトダマシを探して
「言葉には霊魂が宿る」
こんな台詞はよく聞いたことがある。それが事実なのかフィクションなのかは定かではない。科学的に立証されていると言う人もいるが、何かと胡散臭さを感じずにはいられない。
ある秋の夜のこと。芥川ナキリは「コトダマシ」がいると言われる荒廃した寺院へ向かっていた。
「コトダマシ」とは、ある時を境に都市伝説の掲示板に現れた「言霊を操り、様々な依頼を受けてくれる人」のことだ。なぜ言霊師ではなく、コトダマシとカタカナ表記なのかは謎だったがネット上特有のスラングなのだろうと私は理解した。実績は確かなようで、掲示板には「コトダマシさんのおかげで助かった」「コトダマシさん、マジ神」という何とも具体性のない称賛の声が多くあった。正直、今の私に頼れるのはこの言葉ぐらいだった。
私は車を停止させ、ポケットからスマホを取り出した。ここまでの道が決して間違っていない事を確認する。この寺院はカーナビにも登録されていない為、サイトに掲載されていた地図に従ってくるしかなかった。運転席から降りると後部座席からリュックサックを取り、背負った。背中に重みをずっしりと感じながら、車のライトを消す。一気に辺りは暗くなり、肌を風が滑る。孤独が一気に襲ってくる。人里離れた寺院、そして夜であるから仕方が無い。そう自分に言い聞かせる。
私は恐る恐る道を進んだ。蜘蛛の巣がかかり、所々、壊れている寺の門をくぐり、中に入る。寺院全体がシーンとしていて人気を感じない。地面の落ち葉を踏みしめる音だけが響く。どこかで鈴虫が鳴いている。私は薄着で来てしまった事を後悔した。いや、違うな。この寒さは何もできなかった自分の無力さを痛感させるものなのだから受け入れるべきだ。
秋とは言え、まだまだ草が生い茂っているが、周囲を確認すると道がうっすらと出来ていた。その道は人が歩いて、草が押し潰されて、自然に生まれた道のように見えた。私は道を進みながら安堵の息を漏らした。道が出来ているという事は私以外にもここに来る人がいる。やっぱりコトダマシがいるのだ。
道は長く続き、寺院の裏にまでつながっているみたいだった。しばらく歩くと遠目からだが、大きな木が見えた。その木の下が赤くぼーっと照っている。私の足が「急げ」と言って、聞かなかった。私はいつから明かりに群がる虫になってしまったのだろうか。本心では真夜中の寺院なんて頼まれても来たくはないぐらいの小心者なのに。しかし、私にはどうしても「コトダマシ」に会わなければならない理由があった。背中にさらに重みが増す。
木の近くまで来ると、木の根元に小さい地蔵が祀られているのが分かった。その周りが何十本もの、火の付いた
私は震える声で
「コトダマシさん、いらっしゃいますか?」
と口を開いた。返事はない。ただ人気を木の中から感じる。確か、三回呼ばないと、答えてくれないんだったかな。
「コトダマシさん、いらっしゃいますか?」
「コトダマシさん、いらっしゃいますか?」
「呼んだかい」
一人の男が木の中から話しかける。若めな声だ。とは言え、自分よりは年上な気がした。
「あなたがコトダマシさんですか」
「そうさ、私が君の言うコトダマシさんだ。コンさんと呼ばれている。言葉によってヒトの人生を変えてしまう特別な力を有するモノ。さあ、今宵もバカシアイだ」
優しい声だ。最後の言葉は決め台詞だろうか。バカシアイ……化かし合い……どういう意味なのだろう。脳内変換していると不思議な感覚に襲われた。声の主の姿は木の中に隠れて見えない。どんな人なんだろう。そんな意味のない脳内の思考はすぐに消しゴムのようなもので拭い去られた。私は引き寄せられるようにして乞い願う。
「お願いです。母を助けてください。母を、どうか母を」
嗚咽のように言葉が出た。なにかの術にかかってしまったかのように。
「ハハギミをですか、それは大変、心配でしょう。良いでしょう。それで、お金は持ってきていますか」
やっぱり、お金は取るんだ。でも、お母さんの命がそれで助かるなら―。しかし、いつまで経っても顔を見せてはくれない。こんな人にお金を渡してもいいのだろうか。お金の話が出た途端に冷静になるのは、何とも現金な話である。
「どうしたんだい?さあ、お金を。さあ、さあ、こちらに」
はやし立てるように言う。
「ハハギミの命を助けたくないのか」
「そんなことはないです」
「では差し出せ!」
強い声に私の思考がブツリと切られた。
ボト、ボト、ボト。私は気が付くと涙と共に、リュックサックから大量のお金を落としていた。私は再度、繰り返した。
「このお金で、私の母を救ってください。お願いします」
私は精一杯、頭を下げる。一瞬、目の前を誰かが過ぎ去った。見るとリュックサックから出したお金が無くなっていた。急な喪失感が心を襲い、私は正気を取り戻した。
「十分な額だ。でも、よくないぜ。誰かも分からないヒトにこんな大金見せたら。俺たち、「事騙師」はお金だけ持って行っちまう」
「えっ?」
「全く、おめでたい頭だ。お前、本当に「言霊師」なんて存在がいると思っているのか?」
頭をあげると木の下にあった蝋燭が宙に浮かび、声の主の顔を明るくした。何が起こっているんだ。木から狐のお面をした和服の男がお金の枚数を数えながら現れた。その隣には小柄で猿のお面をした男が大金を腕に抱え込えニヤニヤと笑っている。
「ど、どういう事ですか」
膝から力が抜ける感覚がする。困惑と不安の入り混じった声で問いながら、姿勢を何とか維持しながら、一歩後退りする。
「どういう事も何も、俺たちはお前が探している「言霊師」じゃない。お前が見たサイトも俺たちが作ったんだ。お前は騙されたんだよ」
「そんな……そんなこと」
私は口元を手で覆った。
「こら、なにニヤニヤしてんだ、サル。さっさと麻袋に金を詰めな」
「はい。コンさん」
嘘だと思いたい自分と本当はもう気が付いている自分の混濁する思考を抱えたままの私をよそに、サルと呼ばれた男はコンと呼ばれる男からお金を受け取り、麻袋に詰めていった。そして、コンはおもむろにスマートフォンを取り出して、私のそばに投げた。
「これを見れば、夢から覚めるかな?」
私は戦慄した。スマホに表示されたサイトこそ、私が「コトダマシ」を知り、この寺院へ導いたサイトだった。今日に至るまで死ぬほど見てきたサイトを見間違えるはずはなかった。それが何を意味するのか。想像するのに時間はかからなかった。嘘だと蓋を閉めていた思考の鍋が一気に開いた。私は膝から崩れ落ちた。「言霊師」なんていないのだ。私は騙されたんだ。
「お前のその裏切られた顔、たまんないな!俺らはコトを騙すのが生きがいなんだ。今回で言えば、言霊師が存在するって事を騙したって話。人間の間じゃあ詐欺師って言うんだっけか。切羽詰まったヒトは騙されやすくて敵わねえなぁ」
さっきまでの優しそうな口調とは裏腹に汚く狐はお面をずらして、笑った。その口が本物の狐の様に見えた。毛の生えた口。到底、人間のものには見えない。気が動転していて、見間違えたに違いない。
「それじゃあ、お金は貰っていくよ。詐欺だって言って訴えてもいいけど、「言霊師」なんて言葉を出した時点で君は頭が可笑しい子認定されちゃうだろうぜ。信じた君が悪いってみんなが言うはずだろ」
サルと呼ばれていた男は一目散に麻袋を抱えて消えてしまっていた。なるほど、去るのはお得意って訳か。
「まあ、でも安心しな。現実は変えられないが、お前の記憶の中だけ母ちゃんが助かったって騙しといてやるよ」
するとコンは腰の巾着袋から香り袋を取り出すと、地面に投げた。袋が破けて、あたりに粉が舞う。刺激臭を伴ったその粉が鼻腔を襲う。
「この粉を吸って一刻が過ぎたら、お前の記憶は書き換えられる。良かったな~頭の中だけでも母ちゃん助けられて。これも一つの救いのカタチ……だろ?虚像を見ながら、死んでいく母ちゃんを安心して放置しておくんだな」
粉が舞い、視界がぼやけ、目も鼻も痛い。追わなきゃ。でも体に力が入らない。粉のせいか、それとも悔しさからか、涙が止まらない。
私は地面の砂利を握り、後悔を重ねた。ごめんなさい、お母さん、お父さん、ごめんなさい。お金を取られちゃった。ごめんなさい、ごめんなさい。
隣で小さく鈴虫が鳴いた。そして、遠くで鈴の音が一つ。今まで明るかった周りが一気に暗くなった。どうやら、蠟燭の火が一気に消えたらしい。
「誰だよ!お前!おい!なにすんだよ!」
コンの怒号が暗闇の中で聞こえる。誰かが来たのだろうか。すると、砂利を掴んで泣いている私の目の前に麻袋が飛んできた。
飛んできた方向を見ると、先ほどの男二人の影と別の影が一つ、月明かりの元、対峙していた。背格好からして男の人だ。暗くてそれ以上は分からない。
「てめえ、人の金取ってんじゃねえよ!」
男は殴りかかった二人を避けて、刀のような物で二人の体を弾いた。
「痛ってえな、この野郎!人間風情が!!」
男を襲った事騙師のその手には獣の爪のようなものが見えた。しかし、その攻撃も難なく、回避される。
「くそ、もういい。こんな奴に構っていられねえ。サル、さっさと金取ってこい!」
「へえ!」
サルがこちらに向かってきた。それも四足歩行で。見たわけじゃない。ただ砂利を蹴る音が人間の足音ではなかった。これじゃあ本当の猿みたい。麻袋の中のお金を取られるわけにはいかない。私は動きの鈍くなった体を動かし、砂利を蹴って、麻袋を抱きかかえた。咄嗟に動いたことで体制を崩し、顔や腕に砂利がめり込んだ。地面と私の体で覆い、守る。どんどんと猿が近づいてくるのが分かる。怖い。今度は私が襲われる。
しかし、そうはならなかった。
刀が抜かれるような音がした後、ビリビリという紙が裂ける音がして、サルが私の横で倒れた。
「てめえ、なにもんだよ!」
コンは負けじと男に迫っていった。この時初めて、男が口を開いた。
「全く、先に人のものを取ったのはお前さん達だろう。全く怪異退治は俺の本職じゃないんだから」
頭をポリポリと搔きながら、男は続ける。
「でもまあ、俺の名、語って、か弱き者を手にかける奴に情けをかけるほど、甘くねえ」
またブシュと音がして、コンは倒れた。
「たぁーく、俺が修行でこの寺にいねえ間に、詐欺まがいの事をする怪異がおるとは聞いていたが、拍子抜けだな。大丈夫かい、嬢ちゃん?」
けだるそうで、意欲を感じさせない男の声。若くはないが老いてもいない声。多分、四十そこそこだろうか。私は服に着いた砂利を落としながら立ち上がった。
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