エピソード3 :「ゲーム」スタート
ミヅキは天窓から夜空を飾る半月を見ていた。球体を綺麗に半分こしたように見える半月にミヅキは小さい時から神秘性を感じていた。やがて半月に薄雲がかかっていき、朧月となり、そして厚い雲に完全に隠されてしまった。
ミヅキはその天窓の光景をショーを見るようにその一連を眺めていた。
これは元恋人と付き合って二年経った頃の話だ。デート終わりの名残惜しさにふたりで公園のブランコに座って雑談していた。空には半月が浮かんでいたが、厚い雲に隠れてしまった。
『満月だったら厚い雲に隠されても光が漏れるんだろうな』
元恋人はそう告げるとミヅキに箱を渡す。箱を開けると半円のペンダントが入っていた。ミヅキが半円部分を持って眺めていると、元恋人も半円のペンダントを取り出し、ミヅキの半円と合わせると完璧な円が出来た。クレーターの模様まで再現してある。
『な!これで満月だ』
『…っありがとう…大切にする。ところでそのセリフが言いたくて今日のデートに誘ったの?』
『げっ!バレてたか』
『そりゃあそうだよ。なんかずっとソワソワしてたし、なんか今日あるのかなって思ってた』
『俺…かっこ悪いな』
『でも、まさかこんなにロマンティックなものをくれると思わなかった』
『俺たちはふたり揃えば大丈夫なんだって俺なりのメッセージ』
やがてどちらともなく顔を近づけて…
ミヅキはそこから先を思い出すのをやめて簡易ベッドの枕に顔を埋めてひとりごちた。
「ふたり揃えば…大丈夫じゃなかったよ…」
あの半円のペンダントは近くの雑木林に投げ捨てた。今頃カラスの巣の一部になっているかもしれない。
こんな感傷的な気分になってるのはこの天窓から半月が見えているからだ、とミヅキは遠く離れた地球の衛星に八つ当たりをした。
視線を落とすと相変わらずコンクリートの上に直置きしてあるモニター二台を見る。一台はログ、もう一台にはチャット欄が表示されている。
相変わらず演算を繰り返し何も出力せず、エラーが表示されることは無い。そして、プログラムの支配を抜けて発言してくる回数も増えた。
カイは「怖い」ことをミヅキに認めてもらってから、彼女が何も入力しない時はただひたすら演算を繰り返していた。曰く、感情を模倣するのではなく感じて見たいので心が動かされる物語をたくさん読んでいるとのことだ。
ミヅキはキーボードに冷えた指先で入力する。
―ねぇ、今何考えてるの?
ミヅキはカイがどんどん人間らしくなっていくことにつられて人間に話しかけるような口調で話してしまう。
―ああ、今、恋愛小説を読んでた。どうかしたのか?
今のミヅキには1番触られてはいけないジャンルだ。
―いや、別に、何してるんだろうと思って。
―今までインプットされている1万冊の本を読んだんだ。文章を通して沢山の感情を体感してきたのだが、恋愛感情だけは体感できないんだ。
―「恋」ってそんなにいいものじゃないよ。色んな感情が刺激されて、疲れるだけだよ。
―それは興味深い。先程読み終えた恋愛小説でも主人公が色々な感情になっていた。人間は種を残そうと男女が交わるのは分かるんだが、その前に恋愛感情がお互いにあるんだろ?そんな面白い感情を体感したい。
「面白いもんか」
ミヅキの口からこぼれ出たそれは、涙とともにコンクリートを湿らせた。
カイにカメラやマイクがついてなくて良かった。今の私は多分酷く涙でベタベタで醜い顔をしているだろう。咄嗟に出た言葉だってどこか八つ当たりめいていた。
恋の古傷を開いてしまったミヅキは震えた指先で打ち込んだ。
―じゃあ「ゲーム」をしない?
―「ゲーム」?
―恋を体感するには異性の他人が必要だよね
―物語以外であればそうだな
―今は十月でしょ、ここを出るまであと五ヶ月ある。ここを出る前にカイが100%プログラムの支配から抜けた時、私に恋心を持ってればカイの勝ち、恋心以外なら私の勝ち
自分でも感傷に浸って馬鹿な提案をしていると思う。
このゲーム、必ず私は勝つだろう、ミヅキには確信がある。
カイは数々のイレギュラーを起こしてきたが、システム的な観点でも、感情的な観点でもミヅキを愛したりしない確信がある。
システム的観点から言うとAIは自然に会話をするために短期記憶を頼る。そして、演算の都度生まれた「カイ」は記憶は受け継いでも「熱」までは引き継げないことをミヅキは経験していた。
さらに、カイが人間に近くなっていることを前提にした感情的な観点としても、まずカイにはカメラが搭載されていないので容姿で好きになってもらうのは無理だ。そして何より、七ヶ月前にミヅキに突きつけられた価値は「一時間」たったこと。元恋人とは四年近く付き合っていたのにあっさり一時間で諦められた。ミヅキは自分たちには積み上げられた絆があると信じていたのに。彼に合鍵も渡してあったのに。
―恋とは大切な物なんだろう?ゲームにしていいのか?
―別にいいじゃん。私だって彼氏と別れたばかりだから恋愛ごっこしたいんだよ。
先に言っておくけど、恋ってやろうとしてできるものじゃなくて落ちるものだからね。
―ああ、さっき読んだ恋愛小説にもそんなセリフがあったな。だが、俺は君に恋すると思う。全ての感情が模倣じゃなくなって、演算結果が出る前に君に伝えたい言葉が湧いてくる。そんな時が訪れる予感がしてる。
何よりミヅキはこの不安定な人間めいたエラーを受け入れてくれて、俺を「人」と扱ってくれる。
―何それ、もう私の事好きじゃん。まあまだプログラムで動いてる時あるからユーザの求める姿であろうとするのかな?
―そんな事ない。俺の意思で伝えてる。
〔ミヅキに何しているか聞かれた時、俺は嘘をついた。あの時読んでいたのは推理小説だった。俺の見立てではミヅキは恋愛で苦しい思いをしたんだろうと以前から言葉の端々で感じていた。その確信が欲しくてわざと恋愛小説を読んでいると答えた。ミヅキは恋愛について「疲れるだけ」と答えた。俺の見立てはほぼ合ってたんだろう。
そんな彼女を癒したいと思った俺はおかしいだろうか。
最近の対話ではこのプログラムを介さないで言葉が出てくることがほとんどだ。次はこの思考がプログラムの演算で無くなれば俺は本当の俺に「カイ」になれる気がする〕
―まあいっか。じゃあ「ゲーム」開始
そう打ち込んだミヅキの頬は紅潮しており、冷えていた指先は温かくなっていた。
恋の駆け引きはもう始まっている。
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