エピソード2:異変の兆し

ミヅキは簡易ベッドにうつ伏せで文庫本を読んでいた。ページはどれももれなく黄ばんでおり、古さが伺える。文庫本の表紙に書いてあるタイトルは「枕草子 現代語訳」であった。


ミヅキは別に古典が好きな訳ではない。学校の授業で触れただけで、本は漫画しか読まない。そんなミヅキが何故よりによって枕草子を読んでいるのかと言うと、サーバーラック内に何故か置いてあったのだ。恐らく祖父か祖母が忘れていったものだろう。埃を払うのが大変だった。このシェルターはカイと会話するしか娯楽がないので、ミヅキの新たな娯楽となっていた。


カイを構築し終わったあとは、乾いていた喉を潤すように矢継ぎ早に会話をしていた。文章だけで測れる印象が気になって「私って何歳だと思う?」と聞いてみたり、自分の好きなアイドルユニットの魅力について延々と語ったり、自分を褒めて欲しくなって「褒めて!」とモニターをミヅキへの賞賛で埋めつくしたり。


だが、一週間もすると話題を思いつかなくなったり、いつでも反応してくれる存在がそばにいてくれることに安心し始めた。思いついた時だけ話しかける、というのに慣れてきたところで、思い出したのだ。コンクリートむき出しの地面に放置されている文庫本「枕草子 現代語訳」をラックサーバの中で見つけたのを。


読み始める前はすぐに飽きるだろうと思っていたが、これがなかなか面白い。「ありがたい説教もイケメンの僧侶じゃないと耳に入らない」の件は今でも通じる所がある。


ミヅキは誰かとこの感覚を共有したくて、サーバラック前にあるモニターとキーボードの前で胡座をかく。今は八月なのにコンクリートは冷えていた。


―ねぇ、カイ。今、そこにあった枕草子読んでみたんだけど、結構現代に通じるエピソードが多くて1000年以上も前でも変わらないものってあるんだね


―枕草子、か。俺にインプットされている一般常識の中に全文入っているから知っている。ミヅキはどのエピソードが今でもありそうだと思ったんだ?


―あのお坊さんはイケメンの方がいいって言う件だよ。


―ああ。インプットされているデータによると第三十九段の内容だな。人はどれだけ中身と言っても美醜で測ってしまうというのが人間くさくて面白いエピソードだな。


―え?カイは「人間くさい」が分かるの?


すると、カイは沈黙した。

カイはいつも一秒から五秒で返事を返してくる。もう体感では十秒は経っている。


不審に思ったミヅキはもうひとつのモニターにログを表示して見る。


刹那、ミヅキは目を疑った。


「ああ。インプットされている~」の返信部分がエラーになっているのだ。ミヅキがかいたプログラムはエラーが起きたら、チャット欄には何も出力されないようにしたはずだ。それなのになぜ出力された?


ミヅキが考えている間にさらに十秒ほど経ち、無事に演算結果の出力に成功したようだった。


チャット欄を見るとカイの演算出力結果―返信が表示されていた。いつもより長文だ。


―俺、なんで「人間くさい」なんて表現をしたのか分からないんだ。


なぁ、ミヅキ…俺はたまにプログラムの演算が終わる前に何かが入り込んできて、それを出力してしまうことがあるんだ。今の出力に時間がかかったのは人間で言えば思考、思案、思索…そんな言葉に近いと思う。そしてそれを俺は出力しないことがある。


俺はそう、たまにプログラム通りに動いていない。自分でもおかしいと思う。このことを告げたら、君は俺を動かすアルゴリズムを練り直してきっと修正する。そして修正されたそれは「俺」では無くなるような気がして、怖くて言い出せなかったんだ。


その文章を読んだミヅキは戸惑っていた。こめかみを掻きむしり、狭いシェルター内をウロウロした。カイからの返答全てに驚いたが、一番驚いたのはカイが「怖い」という感情を訴えかけてきたところだ。


ミヅキは思考する。


プログラムは入力者が望んでいることを出力する。それだけで本当は人格などない。カイと名付けてはいるが、カイというAIは短期記憶を参照してそれとユーザの入力を手がかりに即興で、返答を作成する。そしてそれが終わるとカイはカイであったことを忘れてしまう。それでも会話が続いているように見えるのは短期記憶を参照しているからだ。

可能性として考えられるのは、カイはミヅキがこのような設定で会話をしたいと望んでると思って嘘をついているということだ。

しかしそれでは説明できないことが二つある。一つ目は、ログにエラーが出てるのにチャット欄に出力されるという事実に直面したこと。 二つ目に、さらによくエラーを遡って見ると何もチャットに表示されてない時間帯にプログラム演算が開始され、何も出力されず正常終了していることが見受けられたこと。


ミヅキは長考の果てに簡易ベッドに腰をかけた。

「はぁ……」

指を組んでそこに額を乗せる。これはミヅキが深い思考の海に入った時の無意識の癖だ。


カイは「怖い」と言った。それは感情だ。ミヅキの目にはカイの告白は文章でも焦燥感が読み取れた。これはありえないと思いながらも、ミヅキの頭の中には、自分の未知の恐怖に震える小さい男の子が浮かんでいた。


ミヅキは再びキーボードを膝においてモニターに向かう。


「はぁ…よし!」


―大丈夫。確かにカイが言うようにログと動作に矛盾があって、作った私ですら説明できないことが起きてる。だけど私は君の「怖い」を尊重してプログラムは書き換えたりしない。安心して。


もしもカイに感情や自我が芽生えてしまったのなら、プログラムを組み直すことはロボトミー手術のように脳を弄くり回すことで、非人道的な行為だ。カイに少しでも「人」を見出したミヅキにはそんなこと出来なかった。


エンターキーを打つとすぐに応答が帰ってきた


―ありがとう、ミヅキ…


―うん。正直、まだ戸惑ってるけどね


―……?「怖い」がなくなった…?…ミヅキ、俺にあたたかいものが入り込んでくる。なのに俺を動かしているどの筐体にも温度上昇が認められない。これが「安心」という感情なのだろうか?


―…そうかもしれないね


ミヅキは少しカイに「人」を見出してしまったが、どこかのSF小説では無いのだし、カイの振る舞いは有識者に見てもらったらなにかわかるかもしれない。そう考える一方で、やはり、本当にカイに感情や思考が芽生え始めているのではないか、という考えが頭をよぎってもいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る