第11話「開発会社の逆提案」
七月十日、夕方。
桜峰市役所ロビーの天井は高く、外の蝉の声がかすかに響いていた。夏休み前のこの時期、市民窓口はどこも混雑しているが、ひときわ落ち着いた空気が漂うのが、市議会事務局のある3階フロアだった。
「やっぱり、こっちも黙ってないか……」
裕介はタブレットの画面を操作しながら、ロビーに設けられた臨時会議用スペースのイスに腰掛けていた。その横で、洋輔がアイスコーヒーを片手にうろうろしている。
「で? その“逆提案”ってのは、具体的に何?」
「新テーマパークだよ。虹ヶ丘ランドを取り壊したあと、土地を買収して新しい施設を建てるってさ。“未来志向”のアミューズメントって触れ込みで、開発会社が議員連中に売り込んでる」
「まじかよ……なんか、それってもう、俺らの復活作戦が“邪魔”って言ってるようなもんじゃん」
「実際、そうだろうね」
裕介の声は静かだったが、目は鋭く光っていた。
「でも、向こうには“勝ちパターン”があるようで、案外穴だらけだ」
彼はそう言って、タブレットの画面を洋輔に向けた。そこには開発会社の公式資料や、企業ニュースの断片がいくつも並んでいた。
「これが、その会社の決算データ。去年から2回、事業撤退してる。それもどっちも“テーマ型施設”。地元と揉めて、採算合わなくなって逃げてる」
「うわ、ホントだ。“地域との協働が困難となったため”とか書いてある。うわーうさんくせぇ!」
「うさんくさい、で済ませちゃダメ。これ、議員に見せれば、少なくとも“継続的な信用”は問える。いま虹ヶ丘ランドの土地を簡単に譲渡させないための材料にはなる」
洋輔は目を丸くして裕介を見た。
「……さすが、情報班班長。頼りになるぜ」
「当たり前。俺、今回の役割、“説得と抑止”だからね」
その時、奥の自動ドアが開いた。
「――お待たせしました。市議会側の代表と、開発会社の担当者、すぐにこちらに来られるそうです」
対応してくれていた事務局職員が、申し訳なさそうに二人に声をかける。
裕介は立ち上がり、制服のネクタイをさりげなく締め直した。
「よし、いよいよ“第2ラウンド”開始だな」
「なあ裕介、俺、横で見てるだけでもいい?」
「ダメ。お前は“第三者としての町の目線”って立ち位置だ。アイスコーヒー片手でも、しっかり話を聞いとけよ」
「へいへい。じゃ、最前列で拍手係するわ」
そう言いながら、洋輔はニヤッと笑った。
会議室に入ってきたのは、スーツ姿の三人だった。
一人は市議会の総務委員長、飯田。短髪で無表情、手に厚めの資料ファイルを抱えている。
もう一人は開発会社〈アーバンリンク・グループ〉の営業部長、長峰。背広のネクタイは派手で、笑顔だけが先に出てくるような男だった。
最後の一人は秘書らしき若手。手元のタブレットに議事録アプリを立ち上げていた。
「では、予定通り開始します」
飯田議員の開会宣言とともに、臨時ブリーフィングは始まった。とはいえ、形式は会議ではなく、あくまで“提案ヒアリング”。市の公開ルールにより、住民側にも発言権がある。
「本日は、現中学生グループの主導する虹ヶ丘ランド復活活動と、今後の都市開発計画が重なる関係で、双方の意見を確認させていただきます」
飯田の言葉はどこまでも中立だった。だが、視線はときおり、開発会社側に傾いていた。
長峰がまず先に口を開いた。
「今回、我々がご提案するのは、未来志向の複合型テーマパークです。全天候型アトラクションと地域商業の融合で、年間を通じて集客可能な施設を計画しています」
プロジェクターに映されたのは、最新型ドームのモックアップ画像と、地域経済波及効果を示すグラフ。
洋輔が小声で呟く。
「すげぇ金かかってそう……けど、なんか“現実味”が薄いよな」
「予算規模だけ大きく見せて、収益は曖昧。ありがちなやつだよ」
裕介はそう言って、すっと手を挙げた。
「すみません、住民側から質問してもよろしいですか?」
「もちろんです。どうぞ」
飯田の一言に促され、裕介は立ち上がった。
「アーバンリンク・グループさん、こちら過去五年間の事業履歴を拝見させていただきましたが――そのうち二件、開業三年未満で撤退されていますよね?」
会議室の空気が一瞬止まる。
「どちらも“地域連携に難があった”と記録されてますが、今回の提案では、そのリスクをどう回避する想定ですか?」
長峰の笑顔が、わずかに凍った。
「……過去の事例は、確かに地域との価値観の違いが影響しました。しかし今回は市との連携が中心で、住民側との調整は行政経由で行いますので……」
「じゃあ、住民とは“直接調整しない”と?」
「いえ、それは……段階を踏んで……」
「段階を踏んでる間に、施設が赤字になったら、撤退ですか? “未来志向”のテーマパークが“過去の失敗”になるのは、僕たちの町にとって望ましいんですかね」
裕介の口調は冷静だったが、言葉には針のような鋭さがあった。
長峰が答えに詰まっていると、飯田議員が言った。
「この点については、別途事務局からの詳細調査を行いましょう。市民感情の影響も考慮します」
それは、裕介の指摘が“有効打”だった証だった。
会議は予定より十五分長引いた。
長峰は終始笑顔を保っていたが、議事録には「想定外の指摘により、資料内容の修正検討を要する」と記されていた。
会議室を出たあと、裕介と洋輔は市役所ロビーの片隅に腰を下ろしていた。外はすっかり夕暮れに染まり、ガラス越しの西日がフロアを淡く照らしていた。
「よっしゃ。……完璧なカウンターだったな、今の」
洋輔が肩を軽く叩いてくる。
「途中から、あの開発会社の人、顔ひきつってたぞ。てか、あの議員、最初は向こう寄りだったのに、途中から明らかに態度変えてたじゃん。あれって……」
「財務の話になると、あの人は慎重になるんだよ。開発計画のリスクが表に出ると、議会全体の責任問題になるからね。俺たちの資料は、議員にとっての“逃げ道”になる」
裕介は水を一口飲み、タブレットを閉じた。
「今日は、正直“第一防衛ライン”ってとこかな。本当に大事なのは、次の市議会本会議で誰がどこまで発言するか。それと、町の人たちの反応」
「でも、今日の資料があれば、町の人に説明できるよな? “俺たちのやろうとしてることのほうが、ちゃんと地に足ついてる”って」
「うん。俺たちのイベントは、日程も内容も、運営も全部中学生の手で進んでる。利益じゃなく、“地域の記憶を残す”ことが目的なんだって、伝え続けるしかない」
ふと、洋輔が手を止める。
「なあ、裕介」
「ん?」
「さっき、俺、“町の目線”とか言ってたけどさ……やっぱ俺も、当事者だわ」
裕介は首を傾げた。
「昔、親父と来たんだよ。虹ヶ丘ランド。ジェットコースター乗れなくて泣いてさ、結局メリーゴーラウンドだけ乗って帰ったけど……楽しかったんだよな。あの時の空気とか、音とか、今でも覚えてる」
それを聞いて、裕介は目を細めた。
「……だからこそ、守るんだよ。あの時間を知ってる町の人間として、な」
「おー。めっちゃそれっぽい。台詞もらっていい?」
「やめてくれ、恥ずかしいから」
二人は肩をすくめて笑った。
その笑い声の中、ロビーの天井越しに、次の挑戦が始まる音が、静かに響いていた。
この町に新しい風が吹き始めていることを、誰もがまだ気づいていない。
でも、確かに始まっているのだ。
たった一日の“再生”に向けて――。
週明け、議会に提出された“アーバンリンク開発案”は一時保留となった。
理由は、「住民による先行活動との重複」「撤退リスクを含む実績調査の不備」そして「現状の施設に対する地域感情の軽視」。
それを読んだ裕介は、感情をあらわにせず、ただ目を閉じて深く息を吸った。
この一文がどれだけの意味を持つのか、彼にはわかっていた。
そしてそれは、仲間たちにもすぐ伝えられた。
夜のグループチャットは、思ったよりあっさりした内容だった。
一翔:「なんかよくわかんないけど勝った?」
結衣:「正確には、“いったん止まった”。でも、それだけでも充分成果よ」
洋輔:「ナイス資料班。ってか、裕介、もしかして議員よりスゴイ?」
聖美:「よく調べてくれてありがとう。次はわたしたち、営業許可の追加項目が出そうです。がんばろ」
蘭:「今のうちにフェンスと資材管理、もう一回チェックしとくね」
幸平:「夜間巡回ルート、強化版つくっとく。筋トレメニューもな!」
実希:「んじゃ、私は告知チラシ第3弾いきまーす。次のタイトル、『ぜったい楽しい日になる』とかどう?」
そんな流れの中で、裕介は静かに返信を打ち込んだ。
――「この町を、僕らの手で守る。あの日見た笑顔の続きを、僕らの手でつなぐ。それができるのは、今この瞬間だけだ」
そのメッセージには、誰もすぐには返信しなかった。
でも、既読マークが次々とついていく画面は、まるで無言の合図のようだった。
春から始まったこの挑戦は、いよいよ本番へと近づいていた。
残りは、あと七十二日。
それはまだ“余裕”とは言えない時間。
だが、もう“無謀”ではない。
未来を諦めない言葉と、ひとつずつ積み重ねた信頼と、そして――一人一人の想いが確かに育っている。
もう、誰も「夢でしょ」なんて言えない。
これが現実になっていくんだと、町中に知らせるために。
彼らは、また次の朝を迎える。
それぞれの役割を背負って。
そしてそれぞれの想いを胸に――。
(第11話「開発会社の逆提案」了)
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