第3話「封鎖ゲートを越えて」

 四月二十二日、夕方五時すぎ。西日が地面を斜めに照らし始めた頃、一翔たちは“そこ”に立っていた。

 虹ヶ丘ランドの正門前。

 さびついた鉄の柵には「関係者以外立入禁止」のプレートがぶら下がっており、かつて人々の歓声があふれていた入口には、静寂と風の音だけが残っていた。

「……うわ。ガチで閉じてるな」

 洋輔が苦笑混じりに呟いた。フェンス越しに覗く園内は、雑草が伸び、塗装が剥がれたアトラクションが見え隠れしている。

「これ、ほんとに復活できるのかな……?」

 そう言いながらも、一翔はフェンスに手をかけた。冷たく、そして硬い。

「ここに、もう一回だけ人を入れるには、どれだけの準備が必要なんだろうな」

「とりあえず、今日は現地調査が目的。できるだけ多くの情報を得たいわ」

 結衣は、リュックからバインダーとチェックリストを取り出す。

「写真記録、遊具配置、配電盤の位置。あと非常口の数と避難ルートも調べたい」

「それって……入るの前提で話してない?」

 洋輔が眉を上げる。結衣は無言で地図を開き、答えの代わりに蘭へと視線を向けた。

「非常口はこの裏。資材搬入口と一緒になってる。南京錠は錆びてて、軽く力をかければ外れる構造。開けるんじゃなくて、“押す”の」

「マジでプロ……」

 一翔がぼそりと呟いた。蘭はどこか淡々としていて、感情をあまり表に出さない。ただ、それがかえって信頼感につながる。

「でも、それって……不法侵入じゃ」

 洋輔が言いかけたとき、結衣が口を挟んだ。

「目的は破壊でも遊びでもない。現地を知らずして安全確保もなにもできない。明日、管理会社に正式連絡するけど、その前に、こっちの準備も必要なの」

「そもそも、現地に一歩も踏み込まないで運営計画立てるなんて無謀よ」

 蘭の一言がトドメだった。洋輔は「はいはい」と両手を挙げる。

「わかった、わかったよ。責任は取らないけど、ついてくさ」

 日が沈みかけた頃、四人はランドの裏側へと回り込んだ。民家もない細道を進むと、錆びついた鉄製の搬入門が現れる。

「ここ……だな」

 一翔が息をのむ。

 蘭がしゃがみ、南京錠に手をかける。ギギギ、と小さな音がして、錠が傾いた。

 カチ。

 音は軽かったが、何かが開かれたような気がした。

「開いた……」

「慎重に」

 蘭の合図で、四人は中へ滑り込んだ。途端に、別世界の空気が広がる。

 見慣れた街の一角に、時間が止まった異空間が横たわっていた。




 足元には、細かい砂利と落ち葉。かつて園内を走ったキッズトレインの線路が、今は土に埋もれかけていた。

「……誰もいないのに、誰かが見てる気がするのは何でだろ」

 洋輔がぽつりと呟く。無理もない。人の気配のない遊園地には、独特の“静けさ”がある。かつての賑わいが音の残像のように空間に染み付いていて、それがかえって、今の沈黙を際立たせる。

「まずは、観覧車を確認したい」

 結衣が前を指差した。草に埋もれかけた道を抜けると、巨大な影が現れる。

 虹ヶ丘ランドのシンボル、ピンクと水色の観覧車。

 止まったままのゴンドラが、風で微かに揺れていた。軋むような音がして、一翔の背中に寒気が走る。

「でっけぇ……」

 洋輔が圧倒された声を上げた。見上げるゴンドラの一つ一つが、まるで眠っているようだ。

「……支柱の根元にサビ、ありますね。あと、ゴンドラの吊りボルト、緩んでる箇所が見えます。高所点検が必要」

 蘭が冷静にチェックを始めた。すでに持参していたスケッチブックにメモと構造図を書き込み始める。

 一翔は、ふと、ゴンドラの下に置かれたベンチを見つめた。思い出すのは、小さなころ――母と一緒にここに座って、アイスを食べながら、上の観覧車を見上げていた記憶。

「……母ちゃん、今もあのときのこと覚えてるかな」

 誰にも聞かれないような小声だったが、結衣が振り返った。

「ちゃんと、伝えよう。遊園地を残したいって思ったのが、一翔にとってどんな気持ちからか。それが伝われば、きっと応援してくれる人が増える」

「……ああ。そうだな」

 言葉に力がこもる。

「よし、次はジェットコースターの構造確認」

 結衣が地図を広げて進路を指示する。

 そのときだった。

「……ん?」

 洋輔が立ち止まった。

「なんか、聞こえた?」

 耳を澄ますと、風の中に混じって、かすかな金属音――カラン、カランという微かな音が聞こえた。

「……誰かいる?」

 蘭が眉をひそめた。次の瞬間、ガサッと茂みが揺れた。

「ま、まさか……幽霊じゃねぇよな……?」

 洋輔が半歩後ずさる。

「ちょ、やめろって、マジで……」

 一翔が思わず笑いそうになるのを必死でこらえながら、一同は音のする方向へと向かう。

 そこにいたのは――

「……ネコ?」

 白と黒のぶち模様。錆びた遊具の上に、小さな猫が座ってこちらを見ていた。

「なんだよ、ビビらせやがって……」

 洋輔が胸を撫で下ろすと、結衣がそっとスマホを取り出し、猫と周囲の景色を撮影した。

「記録。これも、広報に使える」

 「廃墟」「猫」「遊園地」――その三つの組み合わせは、どこか物語性を持っていた。

「さて、次は……」

 そう言いかけたところで、蘭が静かに告げた。

「……センサー反応あり。監視カメラがまだ生きてる可能性ある。戻ろう」

「げ、マジか!」

 一翔たちは慌てて非常口から出直し、門を再度閉めた。

 あっという間の侵入と撤退。

 だが、今日得た情報は大きかった。

 そして、猫が最後に見せた「にゃー」の一声が、なぜか一同にとって忘れられない印象を残した。




 再び外へ出た四人は、舗装のはがれた細道を歩きながら、手元のノートと写真を確認した。

 風は少し冷たくなっていたが、心の中は不思議と熱くなっていた。

「これで、図面と実地のズレもある程度確認できた」

 結衣が紙を手繰りながら言った。

「非常口は4ヶ所確認。うち2ヶ所は開閉可能。観覧車は支柱とゴンドラの要再点検、園内導線は南西部が完全に封鎖状態。あと、ネコ一匹」

「ネコまで報告すんのかよ」

 洋輔が笑うと、一翔もつられて笑った。

「でも……マジで、いろんな意味でリアルになってきたな。遊園地を復活させるってことが」

 一翔の声には、はじめて確かな“自覚”があった。思いつきだったアイディアが、少しずつ現実の形を帯びてきている。

「不安はあるけど……怖くはない。みんながいてくれるから」

 その言葉に、結衣は一瞬だけ立ち止まり、空を仰いだ。

 空には、観覧車のシルエットが、夕焼けに浮かび上がっていた。

「今のうちに、管理会社へ連絡して、正式に調査の許可をもらっておく。次は法的に正しい手順で入れるようにしなきゃ」

「そっちは頼んだ。俺らは写真まとめて、プレゼン資料にしようぜ。次の作戦会議、説得力必要だろ?」

「あと、ジェットコースターの全体図、蘭が描いてくれた構造線を元に補強できると思う」

「みんな、すごいな……」

 一翔は、言葉に詰まりかけながらも、最後にこう言った。

「この遊園地を、俺たちで生き返らせるんだ。絶対に」

 フェンスの向こう、遊園地はまだ眠っている。

 けれど、その眠りの中に、確かに“目覚めの気配”が差し込み始めていた。

 七人の中学生が動き出した。

 遊園地が、もう一度だけ夢を見られるように。

―――第3話「封鎖ゲートを越えて」完(END)

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