第46話 暴走の余興


夜は、まるで息を潜めるように

静まり返っていた。

だがその沈黙の中に、

確かに“何か”が蠢いている。

神社を包む結界が、微かに軋む音を立てた。


優李は、境内の奥にある

拝殿の縁側に座り込んでいた。

目を閉じ、

何かを押し殺すように息を荒げている。

その掌には黒い靄が集まり、

まるで心臓の鼓動に合わせて脈打っていた。


「……また……来たのか…?…」


その声は震え、ど

こか他人のような響きを帯びている。


――「違う。俺は“ここ”にいる。お前の一部だよ。」


零禍の声が頭の奥に響く。

その音は、優しく、懐かしく、

だがどこか毒のように甘い。

優李の瞳がゆっくりと開く。

その奥に、黒い光が揺らめいた。


 


その頃、澪は本殿で祈りを捧げていた。

彼女の額には薄い汗が滲み、

手は震えている。


「……神様!……どうか……優李を……」


けれど、祈りの声に応える気配はなかった。

夜風が吹き抜け、蝋燭の炎が揺らめく。


朧が静かに現れる。


「……感じるか。零禍の力が、また動き出した」


その声は低く、冷たい。

澪は不安そうに顔を上げる。


「優李……また、苦しんでるの?」

「苦しみではない。あれは、侵食だ、」


朧の言葉に、澪の心が締めつけられる。


 


――外では、異変が進行していた。


優李の影が地面から浮かび上がる。

黒い靄が腕を伝い、

まるで別の意志を持つようにうねり出す。


「……やめろ……俺は……!!」


必死に抗おうとする優李。

だが零禍の囁きが、心を侵す。


――「もう抗うな。俺とひとつになれば、痛みも、孤独も、すべて消えるんだ。」


その言葉に、優李の呼吸が乱れる。

脳裏に蘇るのは、幼い頃の澪と朧、

そして零禍と笑い合っていた記憶。

だが、それもすぐに黒いモヤ

塗り潰されていった。


「……やめろ…もう、俺を……壊すな…!」


 

その叫びに気づき、澪が走り出した。

夜の風が冷たく頬を打つ。


「優李!!」


駆け寄った瞬間、彼女の目に映ったのは、

黒い靄に包まれた優李の姿だった。


「……あ……あぁ……!」


澪は息を呑む。

その姿はまるで、

零禍がこの世に再び形を持とうとしている

かのようだった。


「優李! 私の声を聞いて! お願い、帰ってきて!」


涙混じりの声が闇に響く。

優李の唇が動く。

だが、その声は零禍のものだった。


「……澪。お前が封印したのは“俺”だ。……だが、今度はお前が俺を望む番だろ?」


澪の背筋を冷たいものが走る。

優李の身体から伸びた黒い霧が、

澪の頬をかすめた。

ほんのわずかな触れ合いでも、

澪の体温が奪われ、心臓が痛む。


朧がすぐさま間に入る。


「下がれ、澪!」


刀を構え、黒い霧を切り払う。

切られた影は煙のように散るが、

すぐに形を取り戻す。


「……切っても切れぬか。まるで魂そのものだ!!!」


朧の声に、

澪は震える手で数珠を握りしめた。


「優李を取り戻す……。何度でも……!」


優李の中で、零禍が笑う。


「ならば――見せてやろう。お前の愛が、どこまで耐えられるかを。」


 


その瞬間、夜の空が歪む。

雷のような音とともに、

結界が一瞬揺らいだ。

地面が震え、

黒い花弁のような影が空中に舞う。


澪が息を呑む。

朧が剣を握り直す。

優李の瞳の奥で、

零禍の意志が完全に芽吹こうとしていた。


――零禍は、もうすぐ“この世”へ帰還する。


 

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