第12話:オリエンテーションについて、主従の認識

「新入生向けのオリエンテーション、ですか」

「そう。三年度代表、この学院のトップとして、そこでスピーチをすることになったのよ」


 ある日の同好会。会話のきっかけは、机に向かったヒビキが何やら紙の束を両の手で握りしめて見つめていたこと、そしてそれをマギが指摘したことだった。メイドとしてなのか、あるいは生来のものか、マギは少しお節介なところがある。そのことをヒビキは知っている。

 なので説明した。これは今年度の新入生に対して、オリエンテーションで行うスピーチの内容であり、取り立ててあなたに頼む用はない……と暗に示す。なんだかんだと言っても、それなりに信頼はしていても、自分でできることまでマギにお世話してもらうのは癪である。それがヒビキの当然のスタンスであった。

 そしてそれを聞いたマギは、きょとんと目を少し丸くして、


「オリエンテーション、スピーチ」


 子供のように、与えられたワードを復唱した。時折だいぶ腑抜けた声が出る奴だな、とヒビキは思う。それなりに感情が読み取れるようになったというべきか、こいつがクオンで気を抜き始めたというべきか、それは定かではないが。ともあれその朴訥とした反芻から読み取れることとしては、


「……知らないの?」

「申し訳ありません、教えていただければ」


 「オリエンテーション」「スピーチ」の二つのワードについて、マギは知らない。聞き慣れていないどころか聞いたこともないらしい。そういうことだった。

 まあ無理もない……のだろうか? ヒビキにとって密かにこの会話の念頭にあるのは、マギへの教育。忘れてはいけない学校へ馴染ませること。そのために同好会を立てたし、オーダーを与えた。

 最近は授業中も(ヒビキが細心の注意を払っていちゃもんをつけられない授業態度を維持することで)静かにさせている。内容も繰り返し聞いているし、宿題が出ればチェックしてやっている。無関係を気取るのはとうに諦めたので、それならアルケイデア家の関係者として、さすが、という人物になってもらわねば、ということだ。そういうなし崩し的な受容が、ヒビキの中にあった。

 無論有事における連携はもっと積極的かつ深いもので、そういった大事における態度を鑑みればもう既にヒビキの信頼というものは勝ち取れている……のかもしれないが、それはあくまで有事。

 平時におけるヒビキからマギへの結論は、「物知らず」。クオンのことも世の中のことも、常識はずれは常識知らずであった。というわけでこういった知識の欠落について、正しく対応すること……それがヒビキの命題となるのである。


「いいわ。まずオリエンテーションから説明しましょうか」

「ありがとうございます、ヒビキ様」


 ぺこり、頭を下げるマギ。こういう節々の時折慇懃無礼に差し迫るような腰の低さについても、それなりに納得するようになった。まあ要するに、意識しているぶんには善性に近い。無知故にわけのわからないことをして、それが彼女の非人たる正体に繋がっているとして……無理に明らかにする必要はない。

 見た目はどう見ても人間なのだから、人間をさせてやればいいだけだ。そういうわけで、もはや完全に手取り足取りである。幸いヒビキはこういうことを好むので、大した負担にはなっていない、むしろ好循環と言えるのだが。

 というわけで、クオン新年度の恒例行事、オリエンテーションとスピーチについての説明をヒビキは始める。一応学院に関わることだし、仕方ないな、と。大概彼女も世話焼きだ。


「オリエンテーション、つまり学院の説明会。クオンには毎年齢十五歳になった子供が入学するの。そこまではいいわね?」

「私は十五歳ではないのに今年入学しましたが」

「あなたの話は置いておいてくれない? ややこしくなるから」

「特別編入生は別枠というようなことでしょうか」

「そういうことだから、次行きますわよ次。……ともかく、通常はこの国で育ち、この国のために魔女の適性を見出され、この学院に入学する。でもあなたも知っている通り、このクオンにはさまざまのルールと、忘れてはいけない心構えがある。それを新入生に叩き込むのがオリエンテーションなのよ」


 ふふん、と得意げに、ヒビキはそこで言葉を切った。オリエンテーションとはすなわち、クオンの生徒として必要な儀式、通るべき通過儀礼。私も最初にクオンの門戸を叩いた時、ここで大いに胸を高鳴らせたものだ。神聖であり、中枢であり、最高の場所である……そういう心構えを心身に叩き込んだものだ、と思い耽る。

 が、対面するマギについて、そんなことは知ったことではない。より正確に言うなら、本当に知らない。経験がない。


「なるほど。ヒビキ様、一つ質問が」

「ほう。殊勝かつ積極的な態度、よくってよ? どうぞなんでも、クオンのすべてについて私に聞いてくれれば──」

「オリエンテーションの中身について具体性がありません。前々からですが、ヒビキ様のお話は前置きが長すぎます。私が把握すべきは実際の手順、そしてスピーチの概要では」

「……人に話を聞く態度かそれがっ!!」


 そう、二人きりの部屋にヒビキの絶叫が響き渡った。もちろんマギは動じない。ただ、


「あくまで丁重に申し上げております」


 と言うばかりだ。

 そこからヒビキは息を整え、粛々と説明をし直した。

 まずオリエンテーションは別館の講堂で行われる。新入生全員がその席に座り、そして壇上には学院代表、すなわちヒビキ・アルケイデアが席を構える。


「ヒビキ様が筆頭ですか。先生方は」

「クオンは大人が大人ではないのよ」


 クオンの教育方針として、教師は積極的には生徒に干渉しない。なるべく生徒同士のコミュニケーションを重視している。これは一方では密接な学生同士の関わりを見出すためであり、魔女としての適性の問題でもある。

 教師を務める大人は魔女としての適性を持たない、あるいは低いことが多いのだ。類稀なる魔法マギアを発揮しクオンの出世ルートに乗った生徒は、概ね更なる国の中枢へ向かう。学院において大人の魔女が関わるのは、校長を含めた数名であると言われている。悪く言えば雑用であり、誰でもできる教鞭……そういう認識が、決闘至上主義の延長に存在する。

 故にクオンに秩序をもたらすのはやはり決闘能力であり、生徒筆頭のヒビキはその役割を自動的に受け持つことになっている。

 優秀な魔女であるはずの校長が表に出て来たのを見たことはヒビキもない。誰もが魔法マギアを使え、どんな能力がその奥に眠っているか分かりきっていない以上、公の場に出ることは危険だからだ。


「つまり、私が新入生へのオリエンテーションを仕切るわけ。その一環として、クオンの意義、方針、使命を伝えるスピーチがあるのですわ」

「スピーチ」

「たくさんの人の前で喋る、それだけのことなんだけどね」

「有事があっても抑えられて、なおかつ前に立つに説得力のある人物が……ということで、ヒビキ様が選ばれたわけですね」

「よくわかってるじゃない。三年度代表ですわよ、代表」


 そういうことだ。クオンの方針は生徒主体、悪く言えば放任。魔女の卵たちを前に、非常事態で仕切れるだけのカリスマと能力。それこそ先日の侵入者騒ぎがあって、クオンはより強固な防御能力を求めている。

 まだ魔法マギアがおぼつかない新入生が襲われたら。そういう思惑についても委細承知で、ヒビキはあるプランをすでに考えついている。


「マギ。一つ命令させてもらおうかしら」

「なんでしょうか、ヒビキ様」


 すなわち、


「決闘同好会を以て、オリエンテーションの警備を完遂するわよ」


 決闘同好会の実働である。

 警備。まずその概念が、クオンの中ではあまりない。侵入者騒ぎについてもそもそも決闘同好会に任せた結果戦闘になったわけだし、その後についてもクオンの体制自体が変わったわけではない。

 理由は単純、クオンは始まりの魔女の契約に絶対的な信頼を置いているから。敷地内に入った人間がクオンを害することを禁じる脳操作をはじめとして、数千年を超えて守り抜いて来たセキュリティがこの学院には存在する。

 だが、とヒビキは考えている。確証には至らないが、可能性として楽観視はできないということを。すなわち、「契約解釈」。ヒントはあの侵入者が仕掛けた強制決闘と、中枢の不正コントロールだ。

 あれができているということは、仮面を被った下手人の正体はクオンの関係者……あるいは生徒、だとヒビキは推測する。クオンのルールに干渉しているということは、だ。

 クオンのルールに干渉する時、直接ルールを、始まりの魔女の契約を変えることはできない。しかし他ならぬ決闘同好会でヒビキが目論むように、契約解釈の範疇でルールの施工方法を弄ることはできる。

 おそらく侵入者がこの学院に仕掛けている「何か」は、自分と似た発想なのだ。どういう仕組みで、どういう抜け道で行うかは定かではないが……強制決闘の四文字がやはりチラつく。何事も最悪を想定しておいた方がいい。セレナから聞いた話では、侵入者騒ぎの結果、生徒たちは目立った決闘を避け、クオンの成績基準そのものが麻痺し始めていると聞くが……それが狙いであるとか、そういう早合点がよくないのだ。

 まだ目的があり、そのために再び強制決闘が行われるとしたら。あの侵入者に対抗する戦力を、決闘という契約の範囲内にあらかじめ置いておく必要がある。

 

「つまり、いるだけで意味がある。あなたに頼みたいのは、そういうことよ」


 もちろんクオンがこれを大事にしたがらない理由について、ヒビキも察しはついている。始まりの魔女の契約が脅かされるとなれば、それはもはや国の威信、平和を脅かす大事件になりかねないからだ。

 できるだけクオン内部では「正体不明」という結論のまま侵入者を捕らえたいのが心情だろう。……それでは、学校生活が保証されないだけだ。

 故にヒビキは立ち向かい、能動的であり続ける。自身の立場を使い、より学院と同好会を接続し、問題をむしろ待ち構える。

 そういう心づもりであった、が。


「ヒビキ様」

「あら、何か質問?」

「はい。概ね問題ありませんが、一つだけ」


 問題ありません。その言質を取り、内心でガッツポーズ。それにしても小言が多いなとは思うが。セレナは良い子だから聞いてくれるとして、やはりマギは測りきれないのだ。そうヒビキは思う。


「私も新入生として、オリエンテーションに出席したいのですが」


 ……やはり、測りきれない。

 予想外のところから、議題が生えて来た。

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