12話 バーチャルペットの向こう側 エピソード1「光る犬たちの楽園」

土田有樹は朝の10時過ぎ、コーヒーを飲みながらスマートフォンの「Short Works」アプリを眺めていた。FIRE生活も3年目に入り、最近は「何もしない贅沢」にも飽きが来ている。


「また変なバイトでも探すか」


画面をスクロールしていると、妙に高時給の募集が目に留まった。


『最新AIペットケアセンター「デジタルエデン」でのホログラムペット世話係募集。時給2000円、未経験歓迎、動物好き優遇。勤務地:港区芝浦』


「AIペット?何だそれ」


詳細を読むと、ホログラムで投影されたペットの世話をする仕事らしい。餌やりから散歩、グルーミングまで、まるで本物のペットのように扱うという。


「どうせまた変な仕事だろうが…まあ、暇つぶしにはなるか」


有樹が応募しようとした時、隣のソファに座っていたミカが振り返った。


「……動物」


「お前、動物に興味あるのか?」


ミカは少し考えるような素振りを見せた。


「……わからない。でも、なぜか気になる」


有樹は眉を上げた。普段は何にも興味を示さないミカが、珍しく反応している。


「じゃあ一緒に行ってみるか。どうせ二人分の枠もあるみたいだし」


---


翌日の午後、二人は港区芝浦の「デジタルエデン」を訪れた。地上15階建ての近未来的なガラス張りの建物で、エントランスには「AI Pet Care Center」という英語のロゴが光っている。


受付で名前を告げると、白衣を着た50代の男性が現れた。神経質そうな表情で、眼鏡の奥の目がせわしなく動いている。


「田中博士です。本日はありがとうございます」


田中博士に案内されたのは、3階の白を基調とした清潔な空間だった。天井は高く、壁面には巨大なスクリーンが設置されている。そして部屋の中央には、信じられない光景が広がっていた。


数十匹の犬や猫が駆け回っている。しかし、それらはすべて半透明の光で構成されたホログラムだった。柴犬、ゴールデンレトリバー、ペルシャ猫、アメリカンショートヘア。様々な品種のペットたちが、まるで本物のように自然に動き回っている。


「すげえな、これ」


有樹が感嘆の声を上げる一方で、ミカは静かに立ち尽くしていた。


「ここはペットロス症候群の方々のためのセラピー施設です」田中博士が説明を始める。「最新のAI技術で、亡くなったペットを忠実に再現し、飼い主さんに癒しを提供しています」


「亡くなったペットを?」


「ええ。生前の写真や動画、飼い主さんの証言を基に、AIが性格や行動パターンを学習します。まるで本物のように…」


田中博士の説明が途切れた。ホログラムの犬たちが一斉にミカの方を向いたのだ。


「あれ?」


柴犬が駆け寄ってきて、ミカの足元で甘えるような仕草を見せる。続いて三毛猫、ゴールデンレトリバー、ダックスフンド。次々とペットたちがミカの周りに集まってくる。


「こんなことは初めてです」


田中博士の声が震えている。


「AIにはランダム要素はありますが、これほど特定の人に集中するなんて…」


---


田中博士の慌てた説明を聞きながら、有樹はミカの様子を観察していた。普段は無表情なミカが、わずかに目を細めている。まるで懐かしいものを見つけたような表情だった。


「バイトの内容を説明しますね」


田中博士が気を取り直して話を続ける。


「基本的には、ホログラムペットの『お世話』をしていただきます。餌やりはデータ入力、散歩はプログラム実行、グルーミングはメンテナンス作業という形になります」


有樹は納得したが、ミカは相変わらずペットたちに囲まれたままだった。


「実際にやってみましょうか」


田中博士がタブレットを取り出し、操作を始める。すると、ホログラムの餌皿が現れた。


「この『餌やり』ボタンを押すと、ペットたちが食事を始めます」


しかし、ミカが担当することになった柴犬は、プログラムとは違う反応を示した。餌を食べる素振りをしながら、時々ミカを見上げて鳴き声を上げる。その鳴き声は、データベースにない音だった。


「おかしいですね…プログラムにない行動です」


田中博士が困惑する中、さらに異常な現象が起きた。柴犬のホログラムが、まるで本物のように涙を流すような動作をしたのだ。


「おい、ホログラムが泣くって、どういうプログラムだよ」


有樹の疑問に、田中博士は首を振った。


「そんな機能は実装していません…これは、一体…」


---


その時、ミカが静かに口を開いた。


「……この子は、ハチ」


「え?」


田中博士の顔が青ざめた。


「なぜ、その名前を…」


「……ハチは、ずっと誰かを待っている。とても大切な人を」


ミカの言葉に、田中博士は震え始めた。確かに、その柴犬のモデルは田中博士の愛犬「ハチ」だった。しかし、そのことは誰にも話していないはずだった。


「君は、どうして…」


ミカがハチのホログラムに手を伸ばした瞬間、周囲の空間が微かに歪んだ。光が屈折し、一瞬だけ現実と錯覚するような温もりが空気に漂った。


有樹は目を細めた。また始まったか、と思った。ミカの周りでは、いつもこういう不思議なことが起こる。


「……この子は、本当にここにいる」


ミカが呟いた時、ハチのホログラムが大きく鳴いた。それは悲しみとも喜びともつかない、複雑な感情を込めた鳴き声だった。


田中博士は震える手でタブレットを操作し、システムのログを確認した。しかし、画面に表示されるデータは正常で、異常な動作を示す記録はどこにもなかった。


「これは…どういうことなんだ」


有樹は腕を組んで状況を整理しようとした。ミカが来ると、いつも現実では説明できないことが起こる。今回も同じパターンなのか、それとも何か別の理由があるのか。


ハチは相変わらずミカの周りを回り続けている。まるで長い間会えなかった友人に再会したかのように、嬉しそうに尻尾を振っていた。


「……明日も来る」


ミカが田中博士に向かって言った。


「明日も、ハチに会いに来る」


田中博士は困惑しながらも頷いた。この異常な現象の原因を突き止めるためにも、ミカに来てもらう必要がある。


夕方、施設を出る時、ハチはミカを見送るかのように入口まで付いて来た。ガラス越しに、小さく手を振るような動作をした。


「明日、また会おう」


ミカが小さく呟くと、ハチは一度大きく鳴いて、奥へと戻っていった。


帰り道、有樹がミカに聞いた。


「お前、あの犬のこと知ってるのか?」


「……知らない。でも、とても懐かしい」


「懐かしい?」


「……きっと、私も昔は動物だったのかもしれない」


ミカらしい、つかみどころない答えだった。しかし有樹には、今回の件がただの偶然ではないことがわかっていた。


明日、きっと何かが起こる。

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