エピソード3「見えない受験生たち」

翌日の昼過ぎ、有樹は桜丘高等学校を訪れた。昼間の学校は夜とは全く違って見える。生徒たちの声や部活動の音が聞こえ、普通の高校そのものだった。


事務室の扉を叩くと、50代くらいの女性事務員が出てきた。


「あの、夜間警備でお世話になっている土田と申します」


「ああ、警備員の方ですね。お疲れさまです。何かご用でしょうか?」


事務員は松本と名乗った。人当たりの良さそうな女性だが、有樹が警備員だと分かると少し警戒したような表情を見せた。


「実は、この学校の歴史について教えていただきたくて。特に…何か大きな事件とかあったかどうか」


松本の表情が曇った。


「歴史、ですか…どうしてそんなことを?」


「いえ、夜警備をしていると、色々と気になることがあって。建物の特徴とか、注意すべき場所とか、知っておいた方がいいかなと思いまして」


有樹は慎重に言葉を選んだ。


松本は少し考えてから、応接室に案内した。


「実は…あまり大きな声では言えないんですが」


彼女は声を落とした。


「この学校では30年前に大きな事故がありました。入学試験の最中に火災が発生して、受験生12名が亡くなったんです」


「入学試験で?」


「ええ。当時は3階の3年A組で入学試験が行われていました。午後の試験時間中に、1階の電気設備から出火して、煙が建物全体に回ったんです」


有樹の背筋に寒気が走った。3年A組。昨夜声が聞こえた教室だ。


「受験生たちは…逃げ遅れたんですか?」


「試験に集中していて、避難が遅れたんです。それに当時の3階は避難経路が限られていて…12人の受験生は煙に巻かれて意識を失い、病院に運ばれましたが全員…」


松本は言葉を詰まらせた。


「それは…大変な事故でしたね」


「ええ。学校としても大きなショックでした。その後しばらくは3階の教室は使われませんでした。今でも3年A組は物置として使っています」


「その…事故の後、何か変わったことはありませんでしたか?」


松本は有樹を見つめた。


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


「いえ、警備をしていると時々…」


有樹が言いかけた時、松本が深いため息をついた。


「やっぱり聞こえるんですね」


「聞こえるって?」


「声です。毎年この時期になると、夜中に3階から声が聞こえるという話があるんです。前の警備員さんたちもみんな…それで辞めていったんです」


松本は困ったような表情を見せた。


「最初は建物の音だと思っていたんですが、あまりにも多くの人が同じことを言うので…もしかすると」


「どんな声なんですか?」


「試験を受けているような声だと聞いています。『時間が足りない』とか『問題が分からない』とか…まさに入学試験の時の声だと」


有樹は昨夜聞いた声を思い出した。確かにその通りだった。


「毎日聞こえるんですか?」


「毎日ではありませんが…特に事故の起きた3月のこの時期によく聞こえるそうです。午前3時半過ぎ頃に」


3時33分。山田が言っていた時間と一致する。


「学校としてはどう考えているんですか?」


松本は困った表情になった。


「正直に言うと…どう対処していいか分からないんです。生徒には話していませんし、昼間は何も起こりません。でも、夜間の警備員さんには必ず聞こえるようで…」


「前の警備員さんたちは、どのくらいで辞めたんですか?」


「長くて1ヶ月、短い人は3日で…皆さん『もう無理です』と言って辞めていかれました」


それで警備会社が人手不足になっているのか、と有樹は納得した。


「あまり深く関わらない方がいいと思います」


松本は心配そうに言った。


「確かに変な現象ではありますが、害はないと思います。ただ…精神的に参ってしまう人が多くて」


有樹は頷いた。


「ありがとうございました。参考になりました」


事務室を出る時、松本が呼び止めた。


「あの…もし何か異常なことがあったら、すぐに連絡してください。無理はしないでくださいね」


学校を出ながら、有樹は考えた。30年前の入学試験で12人の受験生が亡くなった。ミカが見た受験生の数と一致する。そして毎年この時期に同じ現象が起こる。


「偶然じゃないな、これは」


車に戻ると、ミカがコンビニのアイスを食べながら待っていた。


「どうだった?」


「30年前に入学試験で事故があった。受験生12人が亡くなったそうだ」


ミカの手が止まった。


「……やはりそうか」


「お前、知ってたのか?」


「……分からない。でも、彼らの苦しみは感じる」


「苦しみ?」


「……終わらせることができない。ずっと同じことを繰り返している」


ミカは校舎の方を見つめた。


「彼らは30年間、毎晩同じ試験を受け続けているのか?」


「……そう」


「それって…成仏できてないってことか?」


ミカは頷いた。


「今夜も彼らは現れる。君にも見せる」


「見せるって、どうやって?」


「……私の力を少し分ける」


その夜の3時33分が、今から怖くもあり、楽しみでもあった。ついに、その12人の受験生たちの正体が明らかになるのか。


「でも、なんで30年も同じことを繰り返してるんだ?」


「……きっと、試験を完了できないから」


「完了って?」


「……彼らは答案を最後まで書けずに死んだ。だから、ずっと試験を続けている」


ミカの言葉に、有樹は胸が痛くなった。試験の最中に亡くなった高校生たち。彼らは30年間、同じ苦しみを味わい続けているのか。


「何とかしてやれないのか?」


「……分からない。でも、今夜君に彼らを見せる。それから考える」


夕方が過ぎ、夜がやってきた。有樹とミカは再び桜丘高等学校に向かった。今夜こそ、すべてが明らかになるような気がしていた。

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