第3話:消えたエレベーター エピソード1「深夜バイトへの誘い」

「ストレンジタワーの深夜清掃?」


有樹は、スマホの画面に表示されたバイト情報を眺めながらソファに横たわった。時刻は午後三時。窓から差し込む陽光が高層マンションのリビングを明るく照らしていた。


「……なにを見ている?」


リビングのもう一方の端、キッチンカウンターに座っていたミカが、アイスクリームのカップを手に尋ねた。淡々とした口調だが、少しだけ首を傾げる仕草に好奇心が見え隠れしている。


「バイト探し。今夜、暇だし」


有樹は溜め息をつきながら答えた。最近、一人で過ごす時間が増えるとどうしても考えすぎてしまう。それを紛らわすには、適当な仕事をするのが一番だった。


「人手不足のため、一晩限りの清掃スタッフ募集……か」


巨大オフィスビルの清掃なんて、面白みのない仕事に思えたが、時給が異様に高い。深夜帯だからだろうか。それとも他に理由が?


「行くなら、俺も」


ミカの言葉に、有樹は驚いて顔を上げた。彼らが一緒に暮らし始めて一ヶ月経つが、ミカが自分からバイトに興味を示すのは珍しかった。


「お前、清掃なんてやったことあるのか?」


「……ない」


「だろうな」


有樹は苦笑した。この天使らしき存在は、思いもよらないところで人間らしさを見せる。好奇心旺盛な子供のようでもあり、時に超然とした神秘的な存在でもある。そのギャップに、有樹は少しずつ惹かれていることを自覚していた。


「まあいいか。俺一人じゃ退屈だし」


有樹はそう言って応募ボタンを押した。すぐに確認メールが届き、夜の11時に現地集合とのこと。


「ミカ、お前はスーツとか持ってないよな」


「……必要か?」


「いや、今日のバイトは作業着あるみたいだから大丈夫」


アイスを食べ終えたミカは、空になったカップを眺めていた。


「……もう一つ、食べたい」


「お前、アイスばっかり食ってるな」有樹は呆れながらも冷蔵庫からもう一つ取り出した。「天使にカロリーって概念あるのか?」


ミカは無言でアイスを受け取り、スプーンを口に運んだ。その目は僅かに輝いていた。


「そうだ、お前にスマホ買ってやらないとな」有樹は思い出したように言った。「連絡取れないと不便だし」


「……スマホ?」


「ああ、これだよ」有樹は自分のスマホを掲げた。「通信機みたいなもんだ」


ミカは不思議そうな顔で有樹のスマホを見つめたが、特に興味は示さなかった。


「……その機械で、天のことは知れるか?」


「天? 天国のことか?」有樹は首を傾げた。「さあな、検索すりゃ宗教的な解釈とかは出てくるだろうけど」


ミカは何か言いかけたが、やめたようだった。その代わり、静かに二つ目のアイスを食べ始めた。


夕方、有樹はシャワーを浴びて着替え、夕食の支度を始めた。冷蔵庫から鶏肉と野菜を取り出し、マンションの広めのキッチンで簡単な炒め物を作る。ミカは黙って有樹の調理する様子を観察していた。


「お前、料理とかできるのか?」有樹は何気なく尋ねた。


「……わからない」


「そっか。記憶がないんだもんな」


有樹は皿に盛った料理をテーブルに並べた。ミカは黙って席に着き、有樹の「いただきます」に続いて小さく同じ言葉を呟いた。


「深夜の仕事だから、今のうちに腹を満たしておくといい」


「……人間は、なぜ眠るのか?」


突然の質問に有樹は箸を止めた。


「エネルギー補給というか、体と脳の修復のためだろ」


「……私は眠らない」


「そうだったな」


共同生活を始めてから、有樹はミカが一度も眠ったところを見たことがなかった。夜中にリビングでじっと窓の外を眺めていたり、本棚の本を黙読していたりする。最初は気味が悪かったが、今では慣れた。


「お前、本当に天使なのか?」有樹は時々疑問に思う。「天使なら、もっと……こう、神々しいイメージがあるんだが」


「……私が何者かは、私自身もわからない」


ミカの瞳が揺れた。記憶を失ったままの彼は、自分のアイデンティティに迷いがあるようだった。


「まあいい。とりあえず今夜のバイト、頑張るか」


有樹はそう言って皿を下げ、夜のバイトに備えて少し仮眠を取ることにした。

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