#49 奴は…… 最弱

 エレベーターの扉が開くと、地下の空気は少しだけ冷えていた。

 アングラTVの中で最も大きなスタジオは、コンクリートが打ちっぱなしで、そこに白い暗幕と、隅には無骨な機材カートがいくつもあった。

 男性のスタッフが数人、準備を整えてこちらを見る。その奥で、唐沢社長の秘書——ミヲリが、無表情のままタブレットを持って立っていた。


「千堂事務所の貴志です。よろしくお願いします」


 支給のジャージに袖を通した巧翔が平身低頭入っていく。スタッフたちが頭を下げる中、ミヲリは一瞬だけ視線を上げ開口一番、ためらいなく言った。


「それ、初期アバターですか? センス0ですね」

「いや、そっちで用意してくれたやつなんですけど……」


 思わず小声になる。彼女はタブレットから目を落とさず、淡々と返した。


「ですが、着るか着ないか。審美責任は貴志さんにあります」

「厳しいですね。でも、着る以外の選択肢ありませんよね」


 最もな正論をぶつけると、ミヲリは近くの機材に借り止めされていたガムテープの切れ端を剥がして、巧翔の左胸に貼り付けた。

 見ると【貴志巧翔。社長】と、極太マジックで書いてあった。

 

 これからここで身体測定に臨むのは、他に誰もいない。

 わざわざそんなことをする必要があるのかとも思うが、ジャージの件も含めて、おそらく場の雰囲気作り程度の意味なのだろうと勝手に納得する。

 

 ミヲリはタブレットを操作しながら、スタッフたちに向けて。


「では始めましょうか。まずは視力→聴力→反応光タップの順で行きます。異論は認めま…… せん!」

「わざわざ溜めて言わなくていいですよ。こちらは指示通りにするだけですから」

 

 そう返しながら周りの様子を伺うと、男性スタッフたちは揃ってにこやかで、ミヲリのそれが普段通りなのだと改めて理解したのだった。

 

 指示された立ち位置で顎を引いて水平にし、視力検査用の電子パネルを見る。

 表示されるランドルト環の切れ目をテンポ良く伝えてゆく。

 

 次第に小さくなる環の切れ目だが、まだ見える。

 

「2.0です。でも答える速さから考えると、2.0を超えてるかもしれませんね」


 測定係が驚きを含みながら言う。ミヲリが数字を受けて、短くメモを打った。


「視力は上々。バフですか?」

「バフって言い方やめて。たぶんサバゲーで森に行くことが多かったからかもしれないですね。遠くの緑を見ると視力回復の効果があるとかなんとかかんとか聞いたことがあります」

「なんとかかんとかですか……」

 

 相変わらずタブレットと睨めっこのミヲリ。

 まさか、なんとかかんとかと打ち込んでいるのではないだろうな。と思うが、やりかねない気がしてならない。


 続いて聴力。ヘッドセットを装着し、音の有無を親指で示す。高域が少し心配かと思ったが、合図は途切れない。

 スタッフが首をかしげ、確認を重ねる。ミヲリが続きを引き取る。


「高域の落ち込みなし、低域も良。生活騒音下の聞き分け耐性は高いですね。モスキート音も聞こえているようです」

「まあ、20代ですから。というか調べたんですか?」

 

 ほぼ無表情でサムズアップだけ返したミヲリはすぐに「では次は反応光タップです」と検査を進めた。


 モニターの前にスタンバイさせられると、否応なしにカウントダウンが始まった。3……2……1……。

 赤いランプが点り、手を伸ばす。右、左、上、下。外周は歩幅で寄らず、手を伸ばして届く範囲を丁寧に拾う。途中、誤タップが一度。

 思った以上に、右下と左下。少々身体を屈ませないとならない所が遅れて、焦りが指先に出た。


「OK、平均±σ内。成人男子として普通値」

「普通か……」

 

 反射神経に関しては、今まで鍛えようなどと考えたことすらなかったので、まあ、そんなものだろうと納得する。というか、そもそもこんな装置を使って検査した記憶すら無い。

 

「でも、上限の平均値ですからね、落ち込むこともないですよ」

 

 年齢もほぼ変わらないくらいのスタッフの男性がにこやかに声をかけてきた。どうやら、落ち込んでいる反応に見えたらしい。

 まあ、わざわざ訂正するほどのことでもないので頷き返すと、ミヲリの「それな」がかさなった。

 

 自分抜きで完結する二人を見ながら、いつも通りなんだな。という思いを強くした。

 

「ところで、ミヲリさんはさっきからなにしてるんです? 集計ならわざわざ来ることもなかったでしょうに」


 待機の合間、気になっていたことを聞いてみる。彼女は一拍置いて、いつもの平板な声で言った。


「不正監視」

「はい? ただの体力測定に、不正なんてする人間はいませんでしょうに」

 

 ミヲリはビシッと指差して「微レ存」とたった一言で締めた。

 

「ああ、あると思ってるのね」

「世界は広いので」


 肩の力がすこし抜ける。

 彼女の言う世界、見ている世界がどんなものなのかはわからないが、その中に加えられたということは、認められたということなのだろうと勝手に納得して、苦笑いが漏れた。


 握力、スパイロメーター、立位体前屈は今どきの座位に切り替わっていた。説明を聞きながら、指示に従ってこなしていく。

 数字はどれも「成人男子として普通」。呼気を吐き切ると、胸の内側が少し熱を帯びた。


 そうして、すべての測定が終わると、ミヲリがタブレットの画面をこちらへ向けた。簡易のレポートが並んでいる。


「まとめます。視力は人並み以上。聴力は普通。反応光タップ含むその他も普通。しかし、中高生の女の子たちと並べれば、さすがに上であると言えるでしょう」

「それはそうでしょうね」

 

 性別が違うのだから当然だ。こっちはラブラの乗った20代で、185cmもあるのだから。

 

「チーター乙」

「チート扱いしないでくださいよ!」

 

 自分から望んで参加を希望したわけでもないのに、なんたる言い草。

 

「問題は、使用予定の3Dモデルとの体格差。——換算で苦労します。無理なく、かつ“中の人”に負担がないギリギリの数値に補正。差し引いても“少し上”に乗るなら、許容範囲」


 自分の身体と、あの小柄な素体が、どう噛み合うのか。息の使い方や、重心の落とし方を、少しずつ置き換えていく作業になるのだろう。

 

 だがそれをこちらで行うわけにはいかない。それをすれば、それこそチートになってしまう。


「ざっくり総評。奴は千堂事務所の中でも最弱」


 ミヲリに表情を変えずさらりと言われて、思わず顔を上げる。

 

「はい、雑魚乙〜」

「言うと思いましたよ」


 淡々とした口調に、ほんのわずかな遊び心が混じる。こういう温度差に、救われることがある。


「扱いが、だんだん唐沢さんみたいになってませんか?」

「仕様です」


 間髪入れずに返され、こちらもつい笑ってしまう。

 スタッフが計測器を片づける音が、遠くで重なった。


「初期装備でよく戦いました。評価:合格。調整はこちらで行いますので、貴志さんには何度か実際にGSEで体感していただきますね」

「もちろんです」

「よろしい」

 

 静かに告げて、彼女はタブレットを閉じた。

 地下スタジオの空調が、消毒液の匂いを薄く運んでくる。胸の奥で、わずかに息が深くなった気がした。

 

「では次のセクション、行きます。よろしいですか?」

「了解です」


 短く答えると、ミヲリは柔らかく顎を引いた。ほんの一瞬だけ、目尻が笑ったように見えた。

 見間違いかもしれない。けれど、その微かな温度が、思った以上に励みになった。

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