その翡翠き彷徨い【第40話 994年、序章】
七海ポルカ
第1話
『最近、大神殿の流れも変わって来たようだなぁ……』
ひそひそ、と聞こえて来る。
『女王アミアカルバがサンゴールに嫁いだ時はあんなに強固に反対したのにな。今じゃ陛下陛下とすり寄ってると来た』
『あれほど毛嫌いしていたサダルメリク・オーシェにすら、近々【薔薇の指輪】を贈るらしいっていうから本気だぞ』
『【薔薇の指輪】ってことは……特別神官位を?』
『大神殿が行われる儀式に携われる地位だぜ、本当に?』
『おぉー破格の対応だな。メリク殿には神学校で学んだ経歴もないのに』
『それが、あの若さで宮廷魔術師団に入れるならば、その学歴に等しいと大神官自ら許可を出したんだと』
『はぁ、そうなるとサンゴール騎士団も黙ってないんじゃないか?』
『大当たり。今日上官に聞いたんだけどな、サンゴール騎士団は来月行われる騎士武術大会に女王に次ぐ貴賓として、正式にメリク殿を招待するらしいぜ。騎士館のあの舞台正面のテラス席は、今まで王族以外が座ったことなんか、一度もないんだぜ? サンゴール史上初めて騎士団が王族以外を『王家に関わる者』として認めたって事になる』
『豪勢だなあ、全く』
魔術学院の正装を着た四人が柱の側に立ちしきりに溜め息をつく。
『王子を持たない女王アミアカルバに拾われて、第二王子の師事を受け、軍部大臣オズワルト・オーシェが後見人になり、十五歳でサンゴール最高学府魔術学院に入学。一年後、十六歳で宮廷魔術師団に入団を許可され、女王アミアカルバとの関係は良好のまま、……いや増々寵愛深まったと言うべきか、おまけに王女ミルグレンは一目も憚らず彼に熱を上げている…………と、羨ましい限りの華麗な経歴だ。運がいいの一言で片付けるにはあまりにも勿体無い』
『ここで重要なことは、王女ミルグレンとサダルメリク・オーシェは法により結婚自体は、何の問題も無く認められるってことだ。兄妹のように育って来たとはいえ二人は血は繋がっていない』
『こうなると女王アミアカルバがサンゴール殿を城に留めたまま育てたのも、それを見越してのことだったのかも?』
『女王に絶対的な恩義と忠誠心を抱かせる教育など、子供にだったら簡単に施せる。まさに思いのままだ。意にそぐわぬ場合はいつだって切れる。女王陛下は悠々と玉座に座り、サダルメリク・オーシェの成長を待てばいいだけだ。
王女ミルグレンが王位継承から遠ざけられた姫だとしても、婿の方を意のままに出来れば実権は握ったも同然だからな』
『策士だね』
メリクは魔術学院の礼拝堂の内側の壁に寄りかかって、表から聞こえて来る会話に耳を傾けていた。表の人間達は閉ざされた礼拝堂の中に人がいるなど考えてもいないらしい。
メリクの人生には、いくつかの波がある。
それはメリクが運命の波に抗わずそれに身を任せる性格をしていたからかもしれない。
歴史とは一時の激情ではなく激情の吹き出す経過そのものを指す。
メリクはサンゴール時代……それに一度も抗わなかった。
だから彼の人生、サンゴールで過ごした時間には波がある。
周囲の人間に左右されることで生み出された波が。
第二王子リュティスの近くで集中的に過ごした時期もあり、彼とは隔離されて育った時期もあるように。
だが運命に抗わなくてもメリクにも感情がないわけではない。
彼は波がある人生のうちに、周囲の人間の思惑に自分の感情をいつも左右されて来た。
サンゴールに来た当初メリクはリュティスの言葉だけ聞いていればいいと思っていた。
しかしほどなく自分には第二王子の言葉など簡単に与えられるものでは無いと気づき、周囲の人間に溶け込まないといけないと考え、周囲の人間にひたすら気を遣って過ごすようになった。
しかしあまりにサンゴール城には多様な思惑が多すぎて、それに振り回されるうちに疲れ切ってしまい、他人の声を拒絶するようになった。
自分の心を信じて、生きようとした。
しかしそうしている間に閉ざされた世界に生きたメリクの力は、他人を傷つけてしまう。
……自分を曝け出すことが極端に怖くなった。
救いを求めるように再び第二王子リュティスのもとに寄ったが拒絶され、リュティスの元を一度離れるとサダルメリク・オーシェは利用価値があると思っているだけの人間達ばかりが寄って来て、そういう人間の話は耳を貸さない方がいいと、何でも聞いて傷ついてばかりは駄目だと、そう自分を固く制御するようになった。
しかし魔術学院に入ると少ないが友人達も出来、与えられなかったらずっと地の底にいただろう言葉も、確かにこの世には存在すると確信を得た。
――だからメリクは今、人の言葉には下らなかろうが何だろうが耳は傾けることにしていた。
国の情勢を知る為だ。
残念ながら国の情勢とは、多くの場合下らない大多数の人間の動きによって左右されるものだったから。
リュティスに対して反意を持った大神殿勢力に、彼らの政治的意図の一端を知らない間に担がされた一件からメリクはもう、サンゴールという国の情勢に自分は無関心ではいられないと気づいた。
知らないフリをしていればいい、そんな時期は過ぎてしまった。
宮廷魔術師という公の地位を確かに得た今、子供の言い訳をすることはもう許されない。
『……十年前サダルメリク・オーシェを巡って軍部大臣オズワルトと神儀大臣クルスが対立したことがある。
結果女王の決定でサダルメリク・オーシェの後見人はオズワルトの方に決まった。当時、今より未来に不確定要素が多すぎた彼の後見人は、リスクの大きい役目だった』
笑い声がする。
『今のメリク殿なら誰だって手を上げて引き受けるさ』
『喜んでな』
『そこがオーシェ卿の老獪な所だ。あの人は騎士団出身で自分の活躍の場も軍部にほぼ絞っている。下手に社交界に関わっていたらそれこそ命取りだからな。実力主義の騎士団という地盤に、しっかりと自分の根を埋めているからこそ、そのリスクを引き受けることが出来た』
『メリク殿は六歳……当時、ほとんどの人間がオーシェ卿が貧乏くじを引かされたと思っていた』
『それが蓋を開けてみれば十年後……軍部大臣のオーシェ卿は今もサンゴール騎士団に大きな影響力を持つ軍閥の筆頭で、国政においても無視出来ない重鎮となり、対する神儀大臣クルス卿は今期で政治から身を引き大神殿勢力は変動期を迎えた。
……分からんもんだな』
『オズワルト・オーシェの先見の目が勝ったのさ』
『メリク殿は近々宮廷魔術師団の管理室に必ず入ることになる。あれだけの逸材だ、宮廷魔術師団の上層部が欲しくないはずがない。管理室の人間に与えられる【金の指輪】は貴族の子爵位に相当する。すると……』
『今度は養子『格』なんて曖昧なものじゃなくて正真正銘の貴族様になるってわけだろ』
もはや笑いではなく、嘲笑の域に近い笑いが漏れた。
『俺の読みではこの【金の指輪】が動く時――政治が動く』
『子爵位があれば王女とも釣り合う身分だからな』
『女王唯一の姫君に、相手は才気溢れる若き美貌の魔術師殿……女王アミアカルバを支持する国民は、このロマンスには熱狂して飛びつくに違いない』
『――となるとサダルメリク・オーシェの次なるお相手は……』
『いよいよ【
『手強いな』
『いや、今のメリク殿なら勝負になるさ。おまけに二人は師弟だ。手のうちはよく分かってる。今まで通りの絶対恐怖ではメリク殿には勝てないさ』
『大体、第二王子は元から人望がないからな。メリク殿の人柄なら多面に好意的に受け取られるさ』
『こりゃ本当にサンゴールの歴史が変わるかもしれないぞ』
学院の鐘が鳴った。
男達の声は去って行く。
メリクは翡翠の瞳をゆっくりと閉じた。
………ただ側にいることの。
(その何と難しいことか)
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