第14話:アッシュの策、苦悩する内通者

 翌日、アッシュはエリーゼに、サイモン・ミラーが内通者である可能性が高いこと、そして、その背景に病気の娘の存在があることを打ち明けた。彼は、この戦いにおいてエリーゼをただ守られるだけの存在ではなく、共に戦う対等なパートナーだと認めていたからだ。


「そんな…サイモンさんが…」

 エリーゼは、驚きに目を見開いた。サイモンは、彼女が店番をしている時にも、時折パンを買いに来ては、優しく微笑んでくれる男だった。

「彼も…苦しんでいるんですね」

 エリーゼの言葉には、非難ではなく、同情の色が滲んでいた。彼女自身が、理不尽な運命に翻弄されてきたからこそ、サイモンの苦悩を他人事とは思えなかったのだろう。

「ああ。だから、彼を断罪するだけでは何も解決しない。俺は、彼を救う道を探したい。そして、敵をおびき寄せる」

 アッシュの瞳には、冷徹な戦略家としての光が宿っていた。


 その日の夕方、アッシュは町の会計事務所にサイモンを訪ねた。人払いをし、二人きりになると、アッシュは単刀直入に切り出した。

「昨日の襲撃、あんたが手引きしたんだろう」

 サイモンの顔から、さっと血の気が引いた。彼は狼狽し、必死に首を横に振る。

「な、何を言うんだ、アルフレッドさん! 私がそんなことするはずが…」

「娘さんのためか」

 アッシュの静かな一言に、サイモンの虚勢はガラガラと崩れ落ちた。

 彼はその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らし始めた。

「う…ああ…すまない、すまない…!」

 全てを認めたも同然だった。

 サイモンは、涙ながらに全てを告白した。重い病に侵された娘。高額な治療薬。そこに付け込んできたカインの手下。断れば娘の命はないと脅され、やむなく協力してしまったこと。

「もう、どうすればいいのか…分からないんだ…」

 絶望に打ちひしがれるサイモンに、アッシュは静かに手を差し伸べた。


「娘さんのためだったんだろう。だが、町を危険に晒すのは間違っている。まだ間に合うかもしれない」

「え…?」

「俺に協力してくれれば、娘さんの薬もなんとかする手立てを考える。俺はパン屋だが、薬草にも少しは詳しいんだ」

 その言葉は、暗闇の中に差し込んだ、一筋の光だった。

 サイモンは、震える手でアッシュの手を取った。

「本当か…? 協力すれば…娘を…!」

「ああ、約束する」

 アッシュの力強い言葉に、サイモンは涙ながらに何度も頷いた。彼は、この町を裏切った罪を、自らの手で償うことを決意した。


 作戦は、夜に行われた。

 サイモンは、アッシュの指示通り、カインの手下に「エリーゼが町の教会に一人で隠れている」という偽の情報を伝えた。敵は、今度こそ確実にエリーゼを捕らえるため、前回よりもさらに手強い精鋭部隊を送り込んできた。


 月明かりが差し込む、静まり返った教会。

 傭兵たちが、音もなく扉を破り、中に突入する。

「もらった!」

 リーダーの男が叫んだ、その瞬間だった。

 教会の内部から、眩い光が放たれ、傭兵たちの目を眩ませた。エリーゼが仕掛けた、光の魔法の罠だ。

 そして、祭壇の陰や柱の陰から、武装したアッシュと町の男たちが一斉に飛び出してきた。


「なっ…罠か!」

 不意を突かれた傭兵たちが動揺する。

 その先頭に立っていたのは、一本の剣を握りしめたサイモン・ミラーだった。

「お前たちを、これ以上好きにはさせない!」

 彼は恐怖に震えながらも、必死に声を張り上げた。

「俺は、この町を裏切った! だが、もう誰かの言いなりにはならない! 自分の町は、自分の手で守る!」

 サイモンの叫びは、町の男たちの士気を奮い立たせた。

「うおおおっ!」

 雄叫びと共に、激しい戦闘の火蓋が切って落とされた。


 敵は、サイモンが伝えた情報通り、精鋭揃いだった。町の男たちは、その巧みな剣技に苦戦を強いられる。

 だが、彼らは一人ではなかった。

「援護します!」

 エリーゼの声と共に、敵の足元に土の魔法が発動し、動きを鈍らせる。彼女は教会の二階から、的確な補助魔法で仲間を支援していた。

 そして、その混乱の中心で、アッシュが舞う。

 彼の動きは、もはやパン屋のそれではない。パン切り包丁一本で、屈強な傭兵たちを次々と打ち倒していく。その太刀筋は、元四天王としての経験が染み込んだ、まさしく必殺の剣技だった。

 サイモンも、必死に剣を振るった。彼の剣は未熟だったが、その瞳には町を守るという固い決意が宿っていた。彼は、自らの身を挺して仲間の盾となり、その贖罪の戦いを続けた。


 数で劣る町の男たちだったが、地の利と、仲間を守るという強い意志、そしてアッシュとエリーゼという規格外の戦力によって、戦況は徐々に傾いていった。

 やがて、リーダー格の男がアッシュの一撃に倒れ、残った者たちも次々と戦闘不能に陥っていく。

 激しい戦闘の末、町の人々は、ついに勝利を掴んだのだ。


 サイモンは、全身に傷を負いながらも、その場に立ち尽くしていた。彼の目からは、安堵と悔恨の涙がとめどなく流れていた。

 アッシュは、捕らえたリーダー格の男の胸ぐらを掴み、低く問い詰めた。

「誰の指示だ」

 男は、口の端に血を滲ませながら、アッシュを睨みつけ、不吉な予言を吐き捨てた。

「…フン、これで終わりだと思うなよ、化け物め。カイン様はじきにお越しになる。そして、ヴァルケンハイン将軍閣下も、副官レオンハルト殿と共に、お前たちのような虫けらどもがどのような無様な最期を迎えるか、見届けに来るだろう…!」

 ヴァルケンハイン将軍。レオンハルト副官。

 その名がはっきりと告げられ、この戦いの背後にいる、真の黒幕の存在が明らかになる。

 事態の深刻さは、アッシュたちの想像を遥かに超えていた。

 つかの間の勝利の歓声の中で、アッシュとエリーゼは、来るべき本当の戦いを予感し、静かに表情を引き締めていた。

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