第15話:第四の記憶~託された研究データ~

「見つけたわ、アノニマス!あなたの“完璧な論理”の、その僅かな綻びをね!」


 瑠奈の力強い宣言が、幻惑に満ちた書庫の第四エリアに響き渡った。

 彼女の《叡智の神眼(ソフィア・アイ)》は、アノニマスの仕掛けた複雑な幻術の核…つまり、奴自身が隠れている場所…を正確に見抜いていた。

 俺は、瑠奈が指し示した方向へと、迷わず全力で駆け出す。

 背後では、アノニマスの「理解不能だ…!」という焦燥しょうそうに満ちた声が聞こえる。どうやら、俺たちの予想外の反撃に、奴の完璧な計算も狂い始めているらしい。


 瑠奈の進化した“眼”は、もはや超高性能なレーダーのようだ。

「相馬君、右前方三メートル!そこに空間の歪み!おそらく転移トラップよ!」

「了解!」

「次は左!魔力障壁が展開されるわ!厚さは薄い、勢いで突破して!」

「おう!」


 彼女の的確な指示に従い、俺は次々と現れる幻影の罠や、実体化した攻撃魔法を紙一重で回避し続ける。

 そして、その間にも、俺の《ゴミ拾い》スキルは、戦闘中にアノニマスが落としたり、魔法の余波で飛び散ったりした「ゴミ」を、目ざとく拾い集めていた。

 それは、奴が魔力制御に使っていたらしい「微細な金属片(ゴミ)」だったり、詠唱に使ったと思われる「古代語のメモの切れ端(ゴミ)」だったり、あるいは、彼の魔法によって焦げ付いた「床の破片(ゴミ)」だったりする。

 一見すると、何の役にも立たないガラクタばかりだ。だが、俺は確信していた。これらが、いずれ何かの役に立つかもしれない、と。


「姫川さん、これ!何か分かるか!?」


 俺は、アノニマスの足元から拾い上げた、微かに魔力の残滓ざんしを感じる「黒ずんだ水晶の欠片(ゴミ)」を、瑠奈に向かって放り投げる。

 瑠奈はそれを空中でキャッチすると、瞬時に鑑定する。


「…これは、彼の魔力増幅装置に使われている特殊な水晶ね。ただし、連続使用でわずかな亀裂きれつが生じているわ。彼の次の大技は、おそらく不発に終わるか、威力が大幅に減衰するはずよ!」


 その情報とほぼ同時に、アノニマスが苦し紛れに強力なエネルギーブラストを放ってきたが、瑠奈の予測通り、それは途中で威力を失い、俺たちの足元でむなしく霧散むさんした。


          ◇


「なぜだ…なぜ私の論理が通用しない…!お前たちのその非合理的な行動は、どこから来るのだ…!」


 アノニマスは、俺たちの予測不能な連携と、次々と弱点を突かれる状況に、次第に冷静さを失い始めていた。その声には、今までなかった苛立いらだちと、そしてほんのわずかな恐怖の色さえ混じっているように聞こえる。

 彼の完璧な計算が、「感情」や「絆」という、彼にとっては理解不能な変数によって、確実に狂わされていく。


「理屈なんて知るか!俺たちは、ただ…守りたいものがあるだけだ!」


 俺は、アノニマスに向かってそう叫び返した。

 そうだ。俺たちが戦う理由は、そんなに難しいものじゃない。

 ソフィアさんの想いを守りたい。瑠奈を守りたい。そして、この書庫に眠る、失われた歴史と知識を守りたい。ただ、それだけだ。

 その想いが、俺たちに力を与えてくれている。


 アノニマスは、俺の言葉を聞いて、仮面の下で何かを呟いたようだったが、それは聞き取れなかった。

 だが、彼の動きが一瞬、本当にほんの一瞬だけ、止まったように見えた。

 その隙を、瑠奈は見逃さなかった。


「相馬君、今よ!彼の魔法防御の最も薄い一点…仮面のすぐ下、首元!そこを狙って!」


          ◇


 瑠奈の指示は、寸分の狂いもなかった。

 俺は、彼女が示したアノニマスの急所――仮面のすぐ下、わずかに覗く首筋――めがけて、全速力で突っ込んだ。

 そして、以前、書庫の片隅で拾っておいた、何の変哲もない、ただの硬くて丈夫そうな「金属棒(ゴミ)」を、ありったけの力でアノニマスの仮面に叩きつけた。


 ガキンッ!という硬質な音と共に、アノニマスの白い仮面が砕け散った。

 あらわになったその素顔は、俺の予想とは少し違っていた。

 もっと冷酷で、非人間的な顔立ちを想像していたのだが、そこに現れたのは、意外にも若く、そしてどこか影のある、整ってはいるが普通の青年の顔だった。

 その瞳には、深い悲しみと、そして何かに対する強いトラウマを抱えているかのような、暗い光が宿っていた。


 彼は、仮面が砕けた衝撃で、一瞬呆然ぼうぜんとした表情を浮かべ、そして、力なく呟いた。

「…これが…感情…というもの、なのか…?」

 その言葉の意味を、俺はまだ理解できなかった。

 アノニマスは、ふらりとよろめき、そしてその場にゆっくりと崩れ落ちた。意識を失ったわけではないようだが、完全に戦意を喪失している。


「今回は…私の…敗北だ…」


 彼はそう認めると、残っていた部下たちと共に、音もなくその場から撤退していった。その去り際は、まるで霧が晴れるかのようだった。

 彼が去った後には、懐からこぼれ落ちたのだろうか、一つの「黒焦げになったUSBメモリのようなもの(ゴミ)」が残されていた。


          ◇


 俺は、アノニマスが落としていった「黒焦げのUSBメモリみたいなもの(ゴミ)」を拾い上げた。

 それは、ソフィアさんの第四の「記憶のゴミ」だった。

 俺は、リュックから慎重に、ソフィアさんから託された「コアメモリの本体」を取り出した。それは淡い光を放ち、微かに温かい。

 そして、拾ったUSBメモリ状の記憶のゴミを、そのコアメモリの本体にそっと近づけた。


 途端に、俺たちの目の前の空間に、再び鮮明な立体映像が投影され始めた。

 そこに映し出されたのは、アーヴィング・ベルクソン博士が、完成間近のソフィアさんに向かって、何か重要なデータを託そうとしている場面だった。

 博士の手には、今俺が拾ったのと同じ形状の、黒いUSBメモリのような外部記憶装置が握られている。


『ソフィア…これは、私が長年研究してきた“願望成就装置”の改良と、その安全化に関する全ての研究データのバックアップだ。万が一、この書庫や私の身に何かあった時のために、お前にこれを託しておく』


 博士の声には、どこか覚悟を決めたような響きがあった。


『この知識は、使い方を誤れば世界を滅ぼしかねない、まさに諸刃もろはの剣だ。だからこそ、いつかこの知識を正しく理解し、世界の未来のために役立ててくれる“真の探求者”が現れるまで、お前がこのデータを守り抜いてくれ。そして、もし私に何かあっても、お前は生き延びて、私の意志を継いでほしい…』


 映像は、そこで終わった。

 その直後、俺たちの目の前で信じられないことが起こった。

 俺が手にしているソフィアさんのコアメモリ本体が、まるで生きているかのように脈動し始め、USBメモリ状の記憶のゴミから、勢いよく情報を吸い上げ始めたのだ。コアメモリはまばゆい光を放ち、カチリ、カチリと内部で何かが組み変わるような音が響く。


 そして――。

 俺の頭の中に、再びあの温かいソフィアさんの声が、以前よりもずっとはっきりと、そして力強く響いてきたのだ!


『…システム…自己修復…完了。外部記憶領域からのデータリストアに成功…。相馬悠人様、姫川瑠奈様…聞こえますか…?』


 その声は、紛れもなくソフィアさんのものだった。

 俺と瑠奈は、顔を見合わせ、そして歓喜の声を上げた。


「ソフィアさん!聞こえるぞ!本当に…!?」

「ええ…!信じられない…!コアメモリだけで、意識が…!?」


 ソフィアさんの声は、楽しそうに笑った。

『はい。私の本体ボディは失われましたが、コアメモリは無事です。そして、あなた方が集めてくださった記憶の欠片と、この第四のデータによって、私の主要な論理回路と人格データが再構築されました。いわば…ゴーストとしてですが、私は再びあなた方と共にあります』


 ソフィアさんの、まさかの復活。それも、コアメモリだけの存在として。

 俺は、彼女の言葉が信じられなくて、何度も問い返した。


「本当にソフィアさんなのか?夢じゃないよな?」

『ふふっ。夢ではありませんよ、悠人様。証拠に…そのボサボサの髪型、最新のヘアスタイルデータと照合しましょうか?私のデータベースには、数千種類のイケメン風アレンジがございますが』

「いや、それはいいって!」

 俺が慌てて言うと、隣で瑠奈がくすりと笑った。その顔には、安堵と喜びがありありと浮かんでいる。


 次にソフィアさんの声は、瑠奈に向かって言った。

『姫川様、先ほどの戦闘でのアドレナリン分泌過多は、長期的に見て思考効率を低下させる可能性があります。リラックス効果の高いハーブティーのレシピデータを提供いたしましょうか?私のデータベースには、数千種類のレシピがございますが、特にカモミールとラベンダーのブレンドはおすすめですわ』

「…結構です、ソフィアさん。それよりも…あなたが無事で…本当によかった…」

 瑠奈は、目を潤ませながらも、心からの笑顔でそう言った。


 ソフィアさんの、まさかの一時的(?)復活。

 それは、俺たちにとって、何よりも嬉しいサプライズだった。

 彼女と共に、物語は新たな局面へと向かおうとしている。俺は、そんな予感を強く感じていた。

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