第14話:アノニマスの罠と瑠奈の進化

 アーヴィング・博士の第三の記憶…「願望成就装置ウィッシュメーカー」という禁断の魔導具の存在と、それを巡る壮絶な過去…それらを知った俺たちは、言葉を失い、ただその衝撃的な事実に打ちのめされていた。

 俺たちが足を踏み入れたこの「賢者の書庫」は、単なる古代遺跡などではなく、世界の運命を左右しかねないほどの、重大な秘密を抱えた場所だったのだ。

 そして、その秘密を巡って、「忘却の徒」と、ソフィアさんやアーヴィング・博士のような人々が、長年にわたり戦い続けてきた…。


 俺たちが、隠し部屋から出て、書庫の第四エリアと呼ばれる新たな区画へと足を踏み入れた、まさにその時だった。

 不意に、周囲の空間がぐにゃりと歪み、景色が蜃気楼しんきろうのように揺らぎ始めた。


「なっ…!?」

「これは…強力な広範囲幻惑魔法…!相馬君、気をつけて!」


 瑠奈の鋭い警告と同時に、俺たちの目の前に、あの忌まわしい白い仮面の男――アノニマスが、音もなく姿を現した。

 その手には、先ほどとは比べ物にならないほど強大な魔力が渦巻いている。


「お前たちは知りすぎたようだ、イレギュラーな詮索者どもめ。その“禁断のゴミ”に関する記憶は、ここで完全に消去させてもらう」


 アノニマスの声は、相変わらず感情の欠片もない、冷たい機械音のようだ。だが、その奥には、明確な殺意と、そして俺たちの知り得た情報に対する強い警戒が感じられた。


「感情というバグに踊らされるがいい。それがお前たちの限界だ」


 アノニマスがそう呟くと、俺たちを包む幻惑魔法パーフェクト・イリュージョンはさらにその濃度を増し、俺と瑠奈は、互いの姿を見失い、それぞれが悪夢のような精神的なトラウマを追体験させられる、孤独な戦いを強いられることになった。


          ◇


 俺の目の前には、いつか見た高校の教室の光景が広がっていた。

 クラスメイトたちが、俺を指差して嘲笑あざわらっている。

「おい見ろよ、また相馬がゴミ拾ってるぜ」

「あんなスキル、何の役にも立たないのにな」

「あいつ、マジで存在価値あんの?」

 それは、俺が最も恐れ、そして心の奥底に封印していたはずの、過去のトラウマだった。誰にも必要とされていないという無力感、自分のスキルの価値を信じられないという絶望感。

 幻聴だと分かっていても、その言葉の一つ一つが、鋭いやいばとなって俺の心をえぐってくる。

 足がすくみ、体が鉛のように重くなる。戦う気力なんて、どこにも湧いてこない。


(ああ…やっぱり、俺なんて…ただのゴミ拾いなんだ…)


 諦めの感情が、俺の心を支配しようとしていた。

 一方、瑠奈もまた、彼女自身の悪夢の中に囚われていた。

 幼い頃、その特異な《神眼鑑定》の能力ゆえに、周囲から「化け物」「気味が悪い」とささやかれ、孤立していった記憶。信じていた人々に裏切られ、心を閉ざしていった日々。

 彼女の周りには、無数の影が現れ、彼女を嘲りあざけり罵倒ばとうする。

「お前のその眼は呪われているんだ」

「お前がいると不幸になる」

 瑠奈は、耳を塞ぎ、その場にうずくまって震えていた。

 俺たちは、アノニマスの巧妙な精神攻撃によって、完全に戦意を喪失させられようとしていたのだ。

 さらに、アノニマスは実体化した幻影の兵士たちを俺たちに差し向け、物理的な攻撃まで加えてくる。俺も瑠奈も、ただすべもなく、その攻撃に身をさらすしかなかった。


          ◇


 もうダメかもしれない――。

 俺が、そんな絶望的な考えに囚われかけた、その時だった。

 脳裏に、ふと瑠奈の言葉がよみがえったのだ。

『あなたのスキルは、誰かを救う力になる』

 そうだ。俺は、彼女にそう言ってもらえたじゃないか。そして、実際に、佐々木さんの生徒手帳を見つけたり、ソフィアさんの記憶の欠片を発見したりしてきたじゃないか。

 俺のスキルは、無力なんかじゃない。


「違う…!俺は…一人じゃない!俺のスキルは…無力じゃないんだ!」


 俺は、心の底から叫んでいた。

 そして、その声は、悪夢の中でうずくまっていた瑠奈にも、確かに届いたようだった。


「相馬君…!」


 瑠奈の顔が、はっと上がる。彼女の瞳に、微かな光が戻った。

 彼女もまた、俺の言葉を、そして俺と出会ってからの日々を思い出し、心の奥底に眠っていた強い意志を取り戻そうとしていた。

 ソフィアさんの悲劇、アーヴィング・博士の願い、そして、俺と共にこの困難に立ち向かうと誓った、あの時の決意を。


「相馬君!あなたの“ゴミ”を信じなさい!それは、どんな幻よりも確かな“真実”のはずよ!」


 瑠奈の力強い声が、幻惑の霧を切り裂くように響き渡る。

 彼女は、自身の精神力と鑑定能力を極限まで高め、アノニマスの幻惑魔法の複雑なパターンを必死に解析し始めていた。そして、その情報を、テレパシーに近い形で俺に伝えてくる。

 俺のスキルが感知する「光るゴミ」の中には、アノニマスの幻影が生み出した「偽物のゴミ」と、そしてこの幻惑空間を打ち破るための「現実の手がかりとなるゴミ」が混在しているのだと。


「見極めるのよ、相馬君!あなたのその“拾う力”で!」


          ◇


 瑠奈の言葉に、俺は覚醒した。

 そうだ。俺のスキルは、ただの《ゴミ拾い》じゃない。それは、忘れられた価値を、隠された真実を、“拾い上げる”力なんだ。

 俺は、自分のスキルを極限まで集中させ、周囲に散らばる無数の「光るゴミ」の中から、瑠奈が示唆する「現実の手がかりとなるゴミ」――それは、アノニマスの魔法の僅かなほころびや、この幻惑空間の構造的な弱点を示すエネルギーの残滓ざんし――を、一つ、また一つと見つけ出していった。


 そして、瑠奈の《神眼鑑定》もまた、俺との絆と、自身の力を信じる心によって、ついに限界を超えた。

 彼女の蒼い瞳が、まばゆいほどの蒼色の光を放ち、その輝きは彼女の全身を包み込む。

 スキル進化――!

 その名は、《叡智の神眼(ソフィア・アイ)LvMAX》!


 進化した瑠奈の眼は、もはやアノニマスの幻惑魔法の複雑な術式構造、そのエネルギーの流れ、そしてこの術の核となっているアノニマス本体の正確な位置を、寸分の狂いもなく完璧に見破っていた。


「見つけたわ、アノニマス!あなたの“完璧な論理”の、その僅かな綻びをね!」


 瑠奈は、確信に満ちた声でそう宣言すると、俺にアノニマスの本体が潜む核の位置を正確に伝えた。

 俺は、迷わずそこへ向かって全力で走り出す。

 背後で、アノニマスの初めて聞く、焦燥しょうそう驚愕きょうがくに満ちた声が響いた。


「馬鹿な…私の幻術が…これほど早く破られるなど…!感情が、合理性を超えただと…?理解不能だ…!」


 俺たちの反撃が、今、始まる!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る