第12話:姫川瑠奈の覚悟と“神眼”の力

 ソフィアさんの第二の記憶…アーヴィング・博士の悲劇的な最期と、「忘却の徒」の非道な襲撃…それらを目の当たりにした俺たちは、言葉を失い、ただ重い沈黙に包まれていた。

 部隊長に持ち去られた「記憶のゴミ」を取り返せなかった悔しさと、ソフィアさんが背負ってきたあまりにも大きな悲しみが、俺の胸を締め付ける。


 隣にいる瑠奈は、先ほどからずっと、表情を硬くして押し黙っている。

 普段の彼女なら、こんな時でも冷静に状況を分析し、次の一手を提案してくれるはずだ。だが、今の彼女は、まるで心の奥深くに閉じこもってしまったかのように、その大きな蒼い瞳はうつろな光を宿し、どこか遠くを見つめている。

 俺は、そんな瑠奈の様子が心配でならなかったが、どんな言葉をかけていいのか分からず、ただ黙って彼女の隣に寄り添うことしかできなかった。


 彼女は、ソフィアさんが「知識」や「特別な能力」ゆえに孤独を強いられ、大切なものを理不尽に奪われた姿に、自身の過去を強く重ね合わせているのかもしれない。

 以前、彼女がぽつりと漏らしたことがあった。「私のこの眼は、時々、呪いのように感じる」と。その言葉の重みが、今になってズシリと俺の心にのしかかってくる。


 しばらくして、俺たちが休憩のために腰を下ろせるような、比較的安全な小部屋を見つけた。

 俺は意を決して、瑠奈に声をかけた。


「姫川さん…大丈夫か? 無理しないで、少し休んだ方が…」

「…………」


 瑠奈は、何も答えず、ただうつむいている。その肩が、微かに震えているように見えた。

 俺は、彼女が何かをこらえているのだと察し、それ以上何も言わず、静かに彼女の隣に座った。

 重苦しい沈黙が、俺たち二人を包み込む。


          ◇


 どれくらい時間が経っただろうか。

 瑠奈が、不意に顔を上げ、ぽつりぽつりと、途切れ途切れに自分のことを語り始めた。

 それは、俺が今まで知らなかった、彼女の心の奥底にしまい込まれていた、痛みを伴う告白だった。


「私のこの眼…《神眼鑑定》は、物心ついた頃から、他の人には見えないものが見えたわ」


 彼女の声は、普段の冷静なトーンとは違い、どこか弱々しく、そして震えていた。


「人の嘘、隠された悪意、時にはその人の未来に起こる不幸の予兆まで…あらゆる情報が、望んでもいないのに、私の頭の中に流れ込んできたの。物質の成り立ちや、世界の法則のようなものも、手に取るように理解できたわ。でも…それは、私にとって祝福ではなかった」


 瑠奈は、ぎゅっと自分の両手を握りしめる。


「幼い頃、友達だと思っていた子たちが、裏では私のことを“気味が悪い”と噂しているのを知ってしまった。家族でさえ、私のこの特異な能力を理解しようとはせず、“変わった子”として遠巻きに扱ったわ。信じていた人に、私の能力を利用され、そして裏切られたことも一度や二度じゃない…」


 彼女の言葉の一つ一つが、鋭いとげのように俺の胸に突き刺さる。

 俺は、彼女がいつも他人と距離を置き、感情をあまり表に出さなかった理由を、今、初めて本当の意味で理解したのかもしれない。


「私のこの眼は、人との繋がりを壊し、私を孤独にするだけの…呪いなのかもしれないと…そう、ずっと思っていたのよ」


 そう言って、瑠奈は再び俯いてしまった。その震える肩は、彼女がどれほどの孤独と苦しみを抱えて生きてきたかを物語っていた。


          ◇


 瑠奈の告白を聞き終えた俺は、しばらく言葉が出なかった。

 彼女が背負ってきたものの重さに、ただただ圧倒されていたのだ。

 だが、俺は、彼女に伝えなければならないことがある。俺が、今、心の底から感じていることを。


 俺は、静かに、しかし力強い声で言った。

「そんなことない! 絶対にそんなことないよ、姫川さん!」


 瑠奈が、驚いたように顔を上げる。その蒼い瞳には、まだ涙の膜が張っていた。


「俺のスキルなんて、ただの《ゴミ拾い》だ。姫川さんのその眼がなきゃ、俺が拾ってくるものは、本当にただのガラクタで終わってた。生徒手帳の持ち主だって見つけられなかったし、あの羊皮紙の価値も分からなかった。ソフィアさんの記憶だって、俺が見つけても、姫川さんが鑑定してくれなきゃ何も分からなかったんだ」


 俺は、彼女の瞳をまっすぐに見つめて続ける。


「姫川さんの力は、誰かを傷つけるためのものじゃない。隠された真実を見つけ出して、誰かを救ったり、ソフィアさんみたいに困っている人を助けたりするための力だよ。俺は…心の底から、そう信じてる。だって、俺は、姫川さんのその力に、何度も助けられてきたんだから」


 俺の言葉は、決して上手なものではなかったかもしれない。だが、それは、俺の偽らざる本心だった。

 瑠奈は、俺の言葉を、まるでかわいた砂が水を吸い込むように、じっと聞き入っていた。

 彼女の瞳が、大きく揺れているのが分かった。


          ◇


 やがて、瑠奈の大きな蒼い瞳から、ぽろぽろと大粒の涙があふれ落ち始めた。

 それは、彼女が長年抱えてきた孤独と悲しみが、ようやく溶けて流れ出していくような、そんな涙に見えた。


「…う…うぅ……ひっく…」


 彼女は、まるで子供のように声を上げて泣きじゃくった。普段のクールで理知的な彼女からは、想像もできない姿だった。

 俺は、何も言わずに、ただそっと彼女の隣に座り、自分のハンカチを差し出した。瑠奈は、それを素直に受け取り、顔をうずめて泣き続けた。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 ようやく泣き止んだ瑠奈は、目を真っ赤にらしながらも、どこか吹っ切れたような、そして少しだけ穏やかな表情で、俺のことを見つめた。


「…ありがとう、相馬君。…あなたのその言葉だけで…私は、救われた気がするわ…」


 その声は、まだ少し震えていたが、そこには確かな温かさが宿っていた。


「あなたといると、私のこの眼が、少しだけ…ううん、すごく誇らしく思えるの」


 瑠奈がそう言った瞬間だった。

 彼女の全身から、ふわりと淡い蒼色の光が溢れ出したのだ。その光は、彼女の瞳の輝きと呼応するように、次第に強さを増していく。

 これは…まさか…!


「姫川さん、その光…!」

「ええ…どうやら、私のスキルが…新たな段階へと進化しようとしているみたいね…」


 瑠奈は、驚きながらも、どこか嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は、俺が今まで見た中で、一番美しかった。

 俺たちの絆が、彼女の力を、そして俺たちの未来を、新たなステージへと導こうとしている。そんな予感が、俺の胸を熱くした。

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