第7話:反撃の狼煙とソフィアの秘密

「これを鑑定したわ…!彼の魔法、一見完璧なように見えるけれど、あまりに合理性を追求しすぎた結果、極微細なエネルギーの揺らぎと、構造的な偏りが生じている!彼のその合理性が生んだ、わずかな最適化の隙…!そこを突けば、あるいは…!」


 瑠奈の言葉は、絶望に沈みかけていた俺の心に、一条の光を投げかけた。

 アノニマスは、ソフィアさんにとどめを刺そうと、右手に凝縮された破壊のエネルギーを溜めている。残された時間は、ほとんどない。


「相馬君、急いで!彼の魔法の“揺らぎ”は、特定の属性の魔力に対して極端に不安定になるの!あなたの拾った“ゴミ”の中に、その属性を微量に含むものがあるはずよ!それを彼の魔法陣が展開される瞬間にぶつけて!」


 瑠奈が、早口だが的確に指示を出す。彼女の《叡智の神眼》は、アノニマスの魔法の弱点と、それに対処するための具体的な方法までも見抜いているのだ。

 特定の属性…?俺は必死に自分のアイテム袋の中を探る。中には、戦闘中に拾い集めた、アノニマスの魔法の残滓ざんしや、この書庫で手に入れた様々な「ガラクタ」がごちゃ混ぜに入っている。

 瑠奈の指示する特徴…それは、確か以前、「廃棄書庫」で拾った「奇妙な虹色にじいろに輝く鉱石クズ」だったはずだ。あの時、瑠奈は「これは…非常に不安定な複合属性の魔力を含んでいるわね。扱いを間違えれば危険だけど…」と呟いていた。

 これだ!俺はその鉱石クズを数個、強く握りしめた。


 アノニマスは、俺たちのそんな動きには気づいていないのか、あるいは意に介していないのか、ただ冷徹にソフィアさんを見据え、その右手の魔力をさらに高めていく。

 彼が、ソフィアさんに向けて最後の魔法を発動しようと、複雑な紋様を刻んだ魔法陣を空間に展開し始めた、その瞬間――。


          ◇


「行っ…て…ください…!未来を…!」


 ソフィアさんが、最後の力を振り絞ったかのように、か細いながらもりんとした声で叫んだ。

 彼女は、破損した自身の腕部を犠牲にするようにして、一瞬だけ小さな防御フィールドを展開。それがアノニマスの魔法の発動タイミングを、コンマ数秒にも満たないほどだが、確かに遅らせた。

 その一瞬の隙。俺にとって、それは永遠にも等しい時間だった。


「うおおおおっ!!」


 俺は、瑠奈の指示通り、握りしめていた「虹色の鉱石クズ(ゴミ)」を、アノニマスの展開しかけた魔法陣の中心めがけて、ありったけの力で投げつけた。

 ただの石ころだ。コントロールなんてあったもんじゃない。だが、俺の願いと、ソフィアさんの想い、そして瑠奈の確信が、その石ころに何らかの力を与えたのかもしれない。


 そして、それとほぼ同時に、瑠奈が両手をアノニマスに向け、残された魔力を全て注ぎ込むようにして、何か不可視の力を放った。

 彼女の唇が、微かに動く。

「――彼の魔法の“構造的な偏り”を、強制的に増幅させるわ…!」


 俺の投げた鉱石クズは、まるで吸い込まれるようにアノニマスの魔法陣の中心に命中した。

 次の瞬間、信じられないことが起こった。


          ◇


 鉱石クズが魔法陣に触れた途端、その虹色の輝きがアノニマスの魔力と激しく反発し合い、バチバチと火花を散らした。

 鉱石が持つ特殊で不安定な複合属性の魔力が、アノニマスの完璧に合理化された魔法の、ほんの僅かな「揺らぎ」と共鳴し、そのバランスを根底から崩し始めたのだ。

 さらに、瑠奈が放った不可視の干渉波が、その術式の「構造的な偏り」を致命的なレベルまで増幅させる。


「なっ…!?私の術式が…制御不能だと…!?」


 アノニマスが、初めて狼狽ろうばいの声を上げた。

 彼の右手に集められていた破壊のエネルギーは、行き場を失い、彼自身の魔力制御を離れて暴走を始める。

 魔法陣は激しく明滅し、亀裂きれつが走り、そして――大爆発を起こした。


 轟音と衝撃波が、通路全体を揺るがす。

 俺たちは咄嗟に身を伏せ、爆風と瓦礫がれきが頭上を通り過ぎるのを待った。

 やがて、爆風が収まり、舞い上がっていた粉塵ふんじんがゆっくりと晴れていく。

 そこに立っていたはずのアノニマスの姿は、なかった。

 彼がいた場所には、大きなクレーターができ、周囲の壁が黒く焦げ付いている。

 だが、アノニマス自身の痕跡こんせきは見当たらない。


「やったのか…?」


 俺が呟くと、通路の奥の暗がりから、アノニマスの苦々しげな声が聞こえてきた。


「まさか…私の完璧な術式が…このような原始的な方法で破られるとは…!?感情に左右されぬ私が、このような未熟な者共に…!あり得ん!この屈辱…覚えていろ!」


 その声には、今までにないほどの怒りと混乱、そしてわずかな恐怖の色さえ混じっているように感じられた。

 声と共に、アノニマスとその部下たちらしき気配が、急速に遠ざかっていく。どうやら、彼らは撤退を選んだようだ。

 彼の仮面の一部が割れ、そこから覗く氷のような瞳が、一瞬だけ何か人間的な感情を宿したように見えたのは、俺の気のせいだろうか。


          ◇


 アノニマスたちが完全に去り、通路には再び静寂が戻った。

 俺と瑠奈は、顔を見合わせ、そして、どっと体の力が抜けるのを感じた。

 勝った…のか? いや、追い払った、と言うべきか。

 いずれにしても、絶望的な状況を、俺たちはなんとか生き延びたのだ。


「ソフィアさん!しっかりして!」


 俺は、壁際で力なく倒れているソフィアさんの元へ駆け寄った。

 彼女のボディは、先ほどよりもさらに酷く損傷し、あちこちが黒焦げになり、内部の機械が剥き出しになっている。瞳の光も、今にも消えてしまいそうだ。


「ありがとう…ございます…あなた方は…本当に…“希望”を…見せてくれました…」


 ソフィアさんは、途切れ途切れの声で、それでも優しい微笑みを浮かべてそう言った。

 だが、彼女の声は、どんどん弱々しくなっていく。


「私の記録媒体(コアメモリ)…その一部も、彼らに…アノニマスに…奪われてしまいました…でも…まだ…残されたものが…この胸に…」


 ソフィアさんは、最後の力を振り絞るようにして、自身の胸部装甲に手を伸ばした。

 そこには、小さなハッチのようなものがあり、それがゆっくりと開いていく。

 彼女の瞳から、完全に光が消えようとしていた。


「相馬悠人様…姫川瑠奈様…どうか…私の“願い”を…見つけて…そして…叶え…」


 言葉は途中で途切れ、ソフィアさんの動きが完全に止まった。

 美しい自動人形は、まるで眠りについたかのように、静かになった。

 俺は、ただ呆然と、その光景を見つめることしかできなかった。

 勝利の代償は、あまりにも大きかった。

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