通りの騒動
馬車は王都ニヴェラの緩やかな坂道を下り、中央駅を目指して石畳の大通りへと入っていた。朝の光が尖塔の上に差し込む中、通勤客や市場の露店商たちが通りに活気を与えている。
車内では、レヴァニアが旅程の確認を続けていた。
「駅には八時着」
「この分じゃ無理だぞ。誰かさんのせいで」
「十時の列車で西方ルート」
レヴァニアはアレウスを無視した。
「途中、ミルカントで乗り換えて──」
「その先は、泥と毒虫の地獄だろ」アレウスは窓の外を眺めながらぼやいた。「きっと」
「大丈夫よ。今回はちゃんと“博物館の調査団”として行くんだから。事前に準備された宿舎と、現地では政府の護衛付き。安全のはずだわ」
「“はず”って言葉を信じられない程度には、俺たちは経験積みすぎたんだよな……──」
アレウスの眉がぴくりと動く。カツン、カツンと、石畳を打つ馬蹄の音が、背後から異様な勢いで迫ってきた。
追手の手に握られているカービン。退役軍人は息を飲む。
「銃だ!」アレウスは御者に叫んだ。「速度を上げろ!」
御者台に座っていたのは、いつもの御者。だが、その男は振り返って追手を見ると、青ざめた顔で叫んだ。
「無理です! 無理ですって、あんなの──! 騎兵か盗賊か知りませんけど、あんなの命がいくつあっても足りませんよ! 巻き添えはごめんです!!」
そのまま、御者は手綱を放り出し、馬車から転げ落ちて通りに逃げ出した。
「な──!」
レヴァニアが叫ぶよりも早く、馬車が大きく傾いた。
「不味い! ──ノア! 運転を!」
アレウスの叫びに反応し、後部から駆け上がってきたノア。彼は一瞬の迷いもなく御者台に飛び乗った。体を躍らせ、見事な動きで手綱を掴み取る。
「大丈夫か!?」
「なんとか!」
「頼んだぞ!」
ノアは鞭を打つと、驚いた二頭立ての馬は再び走り出し、馬車は大通りを再加速した。だが、追手もすでに視界に現れていた。
アレウスが窓から振り返ると、黒ずくめの騎乗者たちが五、六騎、一直線にこちらへ迫ってくる明らかに武装した一団だった。
パンッ、と乾いた発砲音。続けざまにもう一発。木の外板に弾が当たり、破片が弾ける。
「きゃあ!」
「バレンティア、伏せろ!」
アレウスは彼女を座席の影に引き寄せ、鞄に手を伸ばす。しかし、ノアの荒い運転のせいで鞄はアレウスの手から遠ざかる。
「ノア、もう少しだけ……安定してくれ!」
「申し訳ありません、旦那様!」
ノアの白髪が風に舞い、彼の眼差しには揺るぎない決意が浮かんでいた。背筋を伸ばし、手綱を操る様は、その老けようからは想像できない気迫に満ちていた。
そのとき警笛が響いた。
馬車が交差点を通過すると、王国警察の騎馬警官が二騎、馬車を追いかけてきた。
「止まりなさい!」
「無理だ! それより後ろの奴らを何とかしてくれ!」
アレウスは窓から叫んだ。状況を察した彼らは、そのまま後方の追手に方向を変えた。
怒声と警笛はすぐに銃声に変わった。
市街地のど真ん中で、交戦が始まった。
「 ノア、かっとばせ!」
「かしこまりました!」
石畳を轟音とともに滑る馬車。
石畳の上を、馬車は火花を散らすようにして駆け抜ける。騒然とした通りに悲鳴が響き、商人たちが荷物を放り出して脇へ逃げる中、背後では騎馬警官と黒ずくめの追手たちが、まるで戦場のような銃撃戦を繰り広げていた。
カービン銃の炸裂音が耳を劈き、一発が警官の馬の前脚をかすめた。馬が大きくのけぞり、乗っていた騎馬警官が振り落とされる。
自分達を護ってくれていた警官の一人が落馬した事にアレウスは歯を食いしばる。
「あの野郎ども……レヴァニア! 鞄を!」
「は、“はい”!!」
レヴァニアは鞄を手にとり、アレウスに渡した。
革紐を引きちぎるようにして蓋を開けるアレウス。中から取り出したのは、年代物の回転式拳銃だ。手入れの行き届いた鋼鉄が、太陽の輝きを受けて鈍く光る。
目を大きくするレヴァニア。
「支えていてくれ!」
窓から身を乗り出したアレウス。レヴァニアはアレウスに指示され、咄嗟に彼の腕を掴む。
振り返ると同時に、追手の一人に狙いを定める。騎乗のまま、こちらを正面から追い詰めようとする黒装束の男。顔を布で覆い、その手には銃が握られている。
アレウスの目が細められ、引き金に指がかかる。
──ドンッ!
一発。放たれた銃弾は騎手の肩口を正確に撃ち抜いた。男は呻き声すら上げずに馬上から崩れ落ち、転がる体が石畳に血を引く。
銃弾の応酬。揺れる馬車ではねらうのも一苦労だ。
アレウスは再装填のために拳銃を傾け、薬莢を払い出す。
ノアの馬捌きは一切緩まず、馬車は王都中央駅へと続く坂を一気に駆け上っていく。
「駅が見えました!」ノアが叫ぶ。
前方に、駅舎の高い時計塔が見えた。針は七時五十分を指していた。
その瞬間、レヴァニアが指差す。
「見て! あれ……!」
前方から駆けてくる騎馬警官達。王国警察は並列陣形を組んで馬を駆る。金属製の胸甲に朝の光が反射し、規律の取れた統率がまざまざと目に映る。
その瞬間、広場に入ろうとする彼らに向かって、黒ずくめの追手たちが一斉に銃を構える。
「伏せて!」レヴァニアの声が響いた。
数発の銃声が重なり、騎馬隊の先頭を走っていた警官の兜が跳ね飛ぶ。
「突撃ッ!」
隊列の中央にいた隊長格の男が吠えるように叫び、馬上からまっすぐ剣を抜き放った。警笛の轟。騎馬警官達は一斉に黒装束の追手たちへと突撃する。
「ありがたい……」アレウスが呻くように言う。
騎馬と騎馬が激突し、鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。中心では隊長が追手の一人の銃を斬り払い、返す刀で馬の脚を狙う。相手は体勢を崩し、弾かれたように馬上から転げ落ちた。
騎馬同士の衝突。馬の鳴き声と銃音、甲冑のきしみ、悲鳴と怒号、そして火薬の臭いが入り混じる混沌の中を、アレウスたちの馬車は猛然と突き進んでいく。
「あと少し……! 駅のロータリーを越えれば!」
ノアの声には希望と緊張が混ざっていた。彼の腕は衰えていない。まるで軍の式典を彷彿とさせる精緻な手綱さばきで、暴れかけた馬を巧みに操っていた。
アレウスは銃を再装填しつつ、広場の周囲を鋭く観察する。まだ数名、黒装束の敵が残っている。彼らは追ってくる騎馬警官達と銃撃を交わしながら、こちらの馬車を明確に狙っている。
馬車は中央駅の大広場に滑り込んだ。目の前に広がるのは、荘厳な鉄と石の駅舎──高いアーチと鋳鉄の柱に支えられた、近代と伝統が融合した王都の玄関口だ。
「ノア! 停めろ!」
「はい! 旦那様!」
唸る馬。馬車は弾みをつけて停まった。
アレウスは息を詰め、狙いを定める。
拳銃から火花が閃いた次の瞬間、追手の一人が肩口を撃ち抜かれ、馬上でバランスを崩す。男は呻きも上げずに落馬し、石畳に転がって動かなくなった。
アレウスは素早く再び照準を合わせる。
今度は左腿。敵は悲鳴とともによろめき、そのまま崩れ落ちた。
アレウスは最後の追手に狙いをつける。彼は馬を停め、カービンを構えるが、アレウスの方が速かった。
正確無比な一発。鋼鉄の弾丸は男の頭を撃ち抜いた。
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