第38話 博覧会
カーマ王国の王城にて、アルスはベッドの上で至福の時を過ごしていた。ここ最近はずっと執務をさぼり、念願のニート生活を送っていたのだ。
あの悪夢のようなザーマインとの戦争、その戦後処理も一段落し、そして更に大黒柱であった宰相ゴレームが目覚めたのだ。
アランも新しい宰相として優秀にやっているが、やはりアルスの教育係でもあったゴレームと比較すると、アルスの内心を完璧に理解しているとは言い難い。
ゴレームの体調はまだ万全とはいえないが、完全に体調が戻り次第、宰相に復帰させるつもりであった。
そんな事を、時折考えながら怠惰に過ごしていたアルス。
一見、誰がどう見ても、自分の理想を実現した幸福な生活を送っているように見える。だが、それは最初だけだった。
(何も文句がない、至高といえる生活。だが……)
この生活が永遠に続くといえるのか?
突然ザーマインとの戦争になったように、突如としてこの生活が崩れ去ることがあるのではないか。彼の脳裏に一抹の不安がよぎる。
(ゴレームもいつまでも生きているわけではあるまい。民も、腹が減ったり病が流行ったりすれば、すぐに不満を言い出す。それの行きつく先は反乱だ……)
そんな漠然とした不安が、彼の心の奥底でくすぶり続けていた。
どうすれば、この完璧なニート生活を永久に保証できるのか。どうすれば、あらゆる面倒事の種を、未来永劫にわたって根絶できるのか。
アルスは、食べかけの菓子の皿をじっと見つめた。そして、彼の怠惰を極めた思考回路に、天啓とも言うべき閃きが走った。
「……そうか」
呟きは、確信に変わる。
「民が不満を抱く根源は、突き詰めれば二つ。腹が減ることと、病や怪我で苦しむことだ。ならば、この二つを完全になくしてしまえば、民は永遠に満足し、我に陳情などしてこなくなるのではないか?」
無限の食料。完全な医療。それを実現すれば、民は永久に幸福で、王は永久に安楽だ。
理想な生活が実現すれば、今度はそれを永続化したい。古今東西あらゆる権力者が抱いた欲望。それはアルスも変わらなかった。
(そうだ、それこそが我が目指すべきもの!名付けて理想郷計画!)
アルスは己の天才的な発想に打ち震えた。しかし、その興奮も束の間、彼の思考はすぐに現実的な問題――すなわち、実行に伴う圧倒的な面倒へと行き着く。
(待て待て。言うは易しだが、どうやってそんな才能を見つける?国中に布告を出し、応募者を選別し、面接し、研究を管理し……考えただけで億劫だ。あまりにも面倒すぎる。やはりこの計画はなしだ。今の平和を享受できるだけ享受して、問題が起きたらその時に考えよう)
一度はそう結論を出し、再びベッドに沈み込もうとしたアルス。
だが、彼の脳裏に、戦場で命を落とした兵士たちの顔と、燃え盛る戦場の光景が蘇った。
そして、何より恐ろしいのは、それに伴う民衆の不安と、いつ自分に向けられるか分からない不満の矛先だった。
(……いや、ダメだ。先延ばしにすれば、結局は戦争のような、もっと大きな面倒事がやってくる。今、少しだけ面倒なことを我慢すれば、未来永劫の安息が手に入るのだ。やるしかない……!)
腹を括ったアルスだが、まだ問題はあった。大規模な催しには、莫大な費用がかかる。
国庫に手を出せば、当然、アランや貴族たちから細かい説明を求められるだろう。それもまた、面倒だ。
(金か……。そうだ、金ならあるではないか)
アルスの脳裏に、ザーマイン帝国から得た莫大な賠償金の存在が浮かんだ。
小心者の彼は、反乱を何より恐れ、まず真っ先に今回の戦争で殉職した兵士の遺族へ、十分すぎるほどの補償金を支払っていた。
だが、それでも有り余るほどの金が国庫には眠っている。
(あれは、いわば他人の金。我らが汗水垂らして稼いだ金ではない。つまり、この賠償金を使って才能があるものを集め、研究させる。仮に失敗したとしても、我が国の懐は痛まない。そうだ、これはノーリスク・ハイリターンな投資なのだ!完璧だ!)
失敗しても自分の腹は痛まない。成功すれば永遠のニート生活が手に入る。ついに自らを完璧に正当化する理屈を見つけ出したのだ。
アルスは今度こそ本当にベッドから飛び起きると、すぐさま宰相アランを呼びつけた。
宰相執務室で、アランは山積みの書類を前に、アルスからの突然の呼び出しに困惑していた。目の前の若き王は、異様な熱っぽさで語りかけてくる。
「アランよ。我は決意した。我が国の、百年先を見据えた大事業を始める」
「……百年先、でございますか」
「うむ。我が国の民が、永遠に飢えと病の苦しみから解放される楽園を創造するのだ。全ての民が満ち足り、不満の種が根絶された、真の平和国家を築き上げる!」
アランは、アルスの言葉に表面上は恭しく頷きながらも、その内心では思考の嵐が吹き荒れていた。
(飢えと病からの解放……?単なる民衆への恩恵ではない。この御方が、そのような分かりやすい善政を口にするはずがない。真の狙いはどこにある……?)
アランの脳裏で、大陸地図と軍事教本が目まぐるしく展開される。
(待て……飢えを知らぬ民とは、すなわち無限の補給を可能とする兵站の暗喩か?病を知らぬ民とは、いかなる悪環境にも耐えうる強靭な兵士の比喩表現か……?まさか、陛下は国民そのものを改造し、不死身の軍隊を創り上げるおつもりなのか!?いや流石に思考が飛び過ぎか)
アランは一度その過激な発想を打ち消す。だが、それに代わる仮説もまた、常軌を逸していた。
(では、経済による支配か。我が国が食料と医療を独占すれば、大陸の全ての国は我が国に頭を下げざるを得なくなる。武力を用いず、大陸を経済的に隷属させる……血を流さぬ、あまりにも冷徹で効率的な征服計画……)
軍事、経済、どちらの筋書きも現実離れしている。だが、ドラゴンを従え、不可能を可能にしてきたこの王ならやりかねない。そして、そのための技術を博覧会で大陸中から集める、と……。
(なぜ、これほど公な手段を?これは他国への陽動か?我が国の富と野心を見せつけ、大陸の情勢を揺さぶるための布石……。あるいは、この私自身が試されているのか?陛下の真意を、どこまで読み解けるのかを……)
いくつもの仮説が浮かび、そしてどれもが決定的な確信には至らない。
アランは、アルスの言葉から発せられる無数の恐るべき可能性の前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
目の前にいるのは、民の幸福を願う聖王などではない。一つの言葉で、大陸全土を揺るがすほどのいくつもの未来を同時に天秤にかける、計り知れない存在だ。
「ついては、其方に命ずる。第一回・カーマ王国 未来創造博覧会を開催せよ。大陸中のありとあらゆる才能を、我が王都に集めるのだ。必要な金は、ザーマインからの賠償金で賄え。これは、我が国の未来への投資である!」
アルスの真意は、「その計画を実現できそうな都合のいい才能を、他人の金で見つけ出して丸投げするため」であったが、アランには「複数の恐るべき計画の中から、最適な駒を見つけ出すための選別試験」のように聞こえた。
「御意のままに。このアラン、陛下の深遠なるご計画の意図を汲み取り、必ずや成功させてみせます」
アランは深々と頭を下げ、すぐさま準備に取り掛かった。その瞳には、いまだ解けぬ謎への知的な探求心が宿っていた。
アルス王の勅令による未来創造博覧会の開催布告は、瞬く間に大陸全土を駆け巡った。
カーマ王国の民衆は、「我らが賢王は、勝利に驕ることなく、民の未来のために新たな一手を打たれた!」と熱狂し、王への忠誠をさらに深めた。
貴族たちは、「陛下は軍事のみならず、技術においても大陸の覇者となるおつもりだ」と興奮し、己の利権拡大の好機と捉えた。
そして、その報は近隣諸国にも衝撃を与えていた。
技術力の誇示か、あるいは新たな兵器開発の隠れ蓑か。各国はカーマ王国の不気味なまでの躍進に、警戒を強めざるを得なかった。
様々な思惑が渦巻く中、カーマ王国の王都には、一攫千金を夢見る発明家、名声を求める学者、そして自らの異能の価値を問う者たちが、大陸の隅々から集結し始めていた。
その頃、王都の城門を、一組の対照的な二人組がくぐっていた。
一人は、年の頃二十代前半の女。着古したローブのあちこちが薬品で焼け焦げ、無造作に束ねた髪は常に静電気を帯びているかのようだった。
しかし、その瞳だけは、常人には理解しがたい探求心と狂気的なまでの熱に爛々と輝いている。
彼女こそが、フェルシール神聖国から追放された錬金術師、クレフィア・ファーレンであった。
背には大きな鞄を背負っており、その両手には時折カタリと音を立てる革袋を、宝物のように抱えている。
「ふ、ふふ……素晴らしい……。この活気、この熱気!様々な才能が集まっているようだ!」
クレフィアは確信した。カーマ王国に来たことは正解だったことを。
「心配はいらない。この私の研究こそが、真に世界の理を革新させるのだからな……!」
もう一人は、クレフィアの数歩後ろを、荷物を満載した手押し車を押しながら、おどおどと歩く気弱そうな青年。クレフィアの助手、フィンである。
「く、クレフィア様……あまり目立つと衛兵さんに捕まりますよ……。それに、その瓶、さっきから変な音が……」
「問題ない、フィン!これは希望の音だ!我々の才能を正当に評価してくれるという、あの若き賢王……アルス陛下に会えるのだぞ!あの方ならば、きっと理解してくださる……!この私の、完璧なソリューションを!」
クレフィアの常識外れな言動に胃を痛めながら、フィンは巨大な博覧会場を見上げた。故郷を追われ、流れ着いたこの国。
そして、噂の若き王。それが、自分たちにとって最後の希望なのか、それとも新たな絶望の始まりなのか。フィンの心は、不安で押しつぶされそうだった。
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