第20話 VIP


 生まれ変わった旅館の玄関前。澄み切った青空の下、俺は、深呼吸を一つした。

 そして、入り口に掲げられた札を、厳かな手つきで裏返す。

 木の擦れる乾いた音が、始まりの合図だった。

 「準備中」の文字が隠れ、力強い筆文字で書かれた「営業中」の文字が、朝の光を浴びて輝く。


「はい、オッケー! いい感じに撮れたよ、お兄ちゃん!」


 小町ちゃんが、スマホをこちらに向けたまま、満足そうに頷いた。これは、世界へ向けた、俺たちの「再開宣言」の動画になるらしい。


「まあ、オープンとはいっても、当分は『完全招待制』だけどな」

「うむ。価値はこちらでコントロールする」


 縁側で腕を組んでいた郁美さんが、静かに言った。


「問題は……その栄えある最初の客人に、誰を選ぶか、だ」


 彼女のその言葉に、俺と小町ちゃんの顔に緊張が走る。

 この最初の招待が、今後の旅館の、いや、俺たちの運命を左右する、極めて重要な一手になるのだ。


 居間のちゃぶ台を囲んで、再び作戦会議が始まった。


「有名で、人柄のいいインフルエンサーはどうかな? うちの旅館の魅力を、きっと素敵に伝えてくれるよ!」


 小町ちゃんが、現代的なPR戦略を提案する。


「おじさんたちや、世話になった町の人たちを招待して、お披露目会をするのはどうだ?」


 俺が、義理人情を優先した案を出す。

 しかし、郁美さんは、その二つの案を、ため息一つで一蹴した。


「甘いな。お披露目や宣伝は、全ての脅威を排除した後にやることだ。我々が今すべきは、最も厄介な相手の喉元に、こちらのルールを突きつけること。我々の周りをうろつく、最も大きな鮫……『ブリザード』を、ここに呼ぶ」

「え……!」

「敵地に乗り込むのではなく、我々のホームグラウンドに招き入れる。対等な交渉のテーブルに着かせ、力関係はこちらが上だと、最初にはっきりと知らしめるんだ」


 一度は恐怖を感じた相手。だが、彼女の言う通りだ。この問題を避けては、本当の平穏は訪れない。

 俺は、覚悟を決めた。


「……わかった。呼ぼう、ブリザードを」


 その日の午後、郁美さんが作成した一通の招待状が、ブリザード日本支部に送られた。

 文面は、「先日延期となりました、相互理解のための会談の再設定、及び、当旅館が誇るささやかなホスピタリティをご体験いただくための一泊二日のご招待」という、極めて丁寧なもの。

 しかし、その中には「当主の多忙なスケジュールの都合上、日時はこちらで指定させていただく」「お越しいただくのは、交渉の全権を委任された方を含め、三名までとさせていただきます」といった、暗にこちらが主導権を握っていることを示す一文が、巧みに盛り込まれていた。

 返信は、驚くほど速やかだった。

 「ご招待、謹んでお受けいたします」という簡潔な文面と共に、三名の訪問者の名が記されていた。

 日本支部統括、白石。渉外担当、氷室。そして、警備部長、岩尾。

 トップとその懐刀、そして最強の武力。交渉と、威圧と、実力評価。全てを同時に行おうという、相手の本気が透けて見えた。



 


 会談当日までの数日間、俺たちはそれぞれのやり方で「最高のおもてなし(迎撃準備)」を進めた。

 俺は、母から、VIPをもてなすための作法を一から学び直した。お茶の淹れ方、料理を出すタイミング、布団の敷き方。俺の戦場は、ダンジョンではなく、この旅館の畳の上なのだ。

 小町ちゃんは、地元の最高の食材を使った会席料理の献立を練り、客室に可憐な生け花を飾った。

 そして郁美さんは、三人の経歴や性格を徹底的に分析したレジュメを作成し、俺たちに共有した。

「氷室は怜悧な頭脳、岩尾は寡黙な武力、そして白石は……全てだ。決して油断するな」


 約束の日。

 静まり返った旅館の玄関前。一台の黒塗りの高級車が、時間通りに、寸分の狂いもなく到着した。

 最初に降り立ったのは、見慣れたスーツ姿の氷室さん。彼女は、恭しく後部座席のドアを開けた。

 次に現れたのは、岩のような筋肉を上質なスーツに押し込めた巨漢、岩尾。その顔には古い切り傷があり、一切の感情を読み取らせない目で、じろりと旅館を一瞥した。

 そして最後に、車からゆっくりと降り立った男に、俺は息をのんだ。

 歳の頃は俺と同じくらいか、少し上か。遊び心のあるデザインのジャケットを、モデルのように着こなしている。その整いすぎた顔には、全てを見透かすような、絶対的な自信に満ちた笑みが浮かんでいた。

 彼が、白石。年上の氷室や、あの岩尾すら従える、若き「王」の風格を、その身に纏っていた。


 白石は、俺たちを一瞥すると、興味深そうに旅館と、その奥にあるダンジョンゲートを眺め、にこりと笑った。

 彼の口から放たれたのは、ビジネスライクな挨拶ではなく、まるで旧友に会ったかのような、親しげで、それでいて有無を言わさぬ一言だった。


「いやあ、動画で見るより、ずっと趣のある場所だ。気に入ったよ。……さて、俺たちを泊めてくれるんだろう?」


 一泊二日の、静かな、しかし熾烈な戦いの幕が、今、上がった。

 



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