第19話:システムの正常化と、呪いの終焉(と《クロノ・ブースト》による奇跡と代償)

 シルフィードの精神を縛る黒い鎖に、セシリアの純粋な聖なる光が亀裂を入れた。

 それは、長きにわたる絶望の中に差し込んだ、ほんの一筋の希望の光だった。

 シルフィードの瞳に、かすかな生気が戻る。


(よし、心のデバッグ、第一段階クリア! だが、本当の戦いはこれからだ! コアシステムの再インストール、間に合うか!? セシリアの集中力が持てばの話だがな!)

 優の緊迫した念話が、セシリアの意識を現実世界へと引き戻す。


 現実世界の「いにしえほこら」では、依然として暴走した魔力が荒れ狂っていた。

 祠の中央に鎮座する黒水晶――シルフィードのコアシステム――は、まるで断末魔の叫びを上げるかのように激しく明滅を繰り返し、周囲に強烈な瘴気しょうきと負のエネルギーをまき散らしている。

 外では、エドガーたちが村人と共に、結界を守りながら、そこから漏れ出してくるバグモンスターと必死の攻防を繰り広げているはずだ。


「ティアラさん……私、やります!」

 セシリアは、シルフィードの心の叫びを胸に、そして村人たちの想いを背に、改めて黒水晶へと向き直った。その瞳には、もはや迷いの色はなかった。


(ああ、分かっている! 俺の指示に従い、お前の全聖力をコアシステムに注ぎ込むんだ! 暴走しているプログラムを強制停止させ、浄化のための初期化コマンドを送信する! いわば、OSのクリーンインストールだ!)

 優は、ティアラの全機能をシルフィードのコアシステムの解析と制御に集中させる。ゴードン村長から託された「シルフィードの守り石」が、ティアラの出力を限界まで引き上げていた。


 セシリアは、杖を黒水晶にかざし、聖女としての祈りを込めて、清浄な聖なるエネルギーを注ぎ込み始めた。

 しかし、暴走したシステムは、そう簡単には鎮まらない。

 黒水晶から、まるで拒絶するかのように、凄まじい量の負の魔力が逆流し、セシリアの身体を激しく打ち据える。

「ぐっ……あぁっ……!」

 何度も弾き飛ばされそうになりながらも、セシリアは歯を食いしばり、必死に耐える。彼女の華奢な身体は、今にも折れてしまいそうに震えていた。


(セシリアのバイタル、危険水域だ! このままじゃ本当にクラッシュする……! だが、ここで止めれば全てが無駄になる……! どうする…どうすれば…!)

 優の脳裏に、焦りと絶望がよぎる。ティアラのエネルギー残量も、急速に低下していく。

 このままでは、シルフィードを救うどころか、セシリア自身が危ない。


 その時、優の意識の奥底で、何かが閃いた。

 それは、彼が元いた世界の、SEとしての最後の記憶の断片。そして、このティアラ「プロトゼロ」に秘められた、未知の可能性。

(……この処理を実行すれば、俺のシステムに深刻な不可逆的ダメージが残る…! 最悪、一部機能の永続的な喪失、あるいは……俺自身の魂のデータがどうなるか分からん……だが、やるしかない!)

 優は、覚悟を決めた。セシリアと村、そしてシルフィードを救うために、最後の賭けに出ることを。


(セシリア! 聞こえるか! 今から俺の全機能を一時停止し、全エネルギーを《クロノ・ブースト》に回す! お前に与えられるのは、ほんの数秒……いや、コンマ数秒の『絶対時間』だ! その一瞬に、お前の全てを叩き込め! 失敗は許されないぞ! そして、この処理の後、俺がどうなるか分からん! だが、必ずシルフィードを救え!)

 優の悲壮な決意が、念話を通じてセシリアの魂に直接響き渡る。


 セシリアの頭上のティアラが、これまでにないほどのまばゆい、そしてどこか儚い光を放った。

 《クロノ・ブースト》が、ティアラの限界を超えた出力で強制的に発動される。

 セシリアの意識が、再び極限まで加速し、世界の全てが完全に静止したかのように見えた。

 荒れ狂う瘴気しょうきの渦も、激しく明滅する黒水晶の光も、まるで時が止まったかのように、その動きを止めている。


 その静止した世界の中で、セシリアには、黒水晶の内部、暴走する魔力の流れの中心にある、最も脆弱な一点――システムのバグの根源――が、まるで輝く星のように、はっきりと見えていた。

 そこが、彼女が全ての想いを込めて、聖なる一撃を打ち込むべき場所だった。


(行けぇぇぇ! セシリアァァァ! 俺のことは気にするなァァァ!)

 ティアラ(優)の、まるで魂の叫びのような最後の声が、セシリアの背中を押した。

 優の意識の中で、自身のプログラムコードが激しく書き換わり、一部が欠落していくような、耐え難い激痛にも似た感覚が走る。

(ぐ…っ! やっぱり……負荷が……でかすぎる……! だが…これで……!)


 セシリアは、村人たちの祈り、ティナの笑顔、エドガーの勇気、ゴードンの信頼、そしてシルフィードの悲しみ……その全てを乗せた、純粋で清浄な聖なる一撃を、その一点に、寸分の狂いもなく打ち込んだ。

 彼女の小さな身体から放たれたとは思えないほどの、強大な聖力が、黒水晶のコアへと流れ込んでいく。


 瞬間、世界が白光に包まれた。

 黒水晶から噴出していた瘴気しょうきが、まるで朝日に溶ける霧のように消え去っていく。代わりに、暖かく、そして清浄な光が、水晶玉の内側から溢れ出し始めた。

 暴走していたシルフィードの力が鎮まり、祠全体、そして呪いの森全体が、その優しい光によって浄化されていくのが分かった。


 村を覆っていた瘴気しょうきも、嘘のように晴れ渡り、空には美しい朝日が昇り始めていた。

 結界の外で戦っていたエドガーや村人たちは、その奇跡的な光景を目の当たりにし、言葉を失い、やがて涙ながらに歓声を上げた。


 しかし、その奇跡の中心にいたセシリアは。

 彼女の頭上のティアラは、全ての光を失い、まるでただの石ころのように冷たく、そして静かになっていた。中央の蒼穹石そうきゅうせきには、かすかに、しかしはっきりと亀裂のようなものが入っているように見える。

 セシリアもまた、全ての力を使い果たし、その場に静かに倒れ込んだ。

 その顔には、やり遂げたという安堵の表情と、そして、大切な何かを失ってしまったかのような、深い悲しみが浮かんでいた。


「ティアラ…さん……ありがとう……」

 セシリアの最後の意識は、ただ、その言葉だけを繰り返していた。

 そして、彼女の意識は、深い闇に包まれた。

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