第6話:呪いの森の入り口と、村長の頑なな心(とティアラの悪戯)

 井戸の浄化から数日。

 ミストラル村には、僅かながらではあるが、良い変化が見え始めていた。

 井戸の水は清らかさを保ち、それを飲んだ家畜たちは少しずつ元気を取り戻し、畑の作物も心なしか色艶が良くなったように見える。

 村人たちのセシリアを見る目も、以前のあからさまな不信感や冷ややかさは薄れ、遠巻きながらも期待と興味が入り混じったようなものに変わってきていた。特に、ティナをはじめとする子供たちは、すっかりセシリアに懐いていた。


「聖女様、聖女様! 今日は何をするのー?」

「ティアラさんともお話ししたいなー!」

 子供たちは、セシリアの周りを無邪気に飛び跳ねる。


(おいおい、俺は動物園のパンダか何かじゃないんだぞ。まぁ、この村の貴重な癒やし枠であることは否定せんがな)

 優は、ティアラの内部でそんなことを考えつつ、セシリアに次の指示を出す。

(セシリア、井戸の件はあくまで対症療法だ。根本原因を叩かない限り、イタチごっこになるぞ。次のターゲットは、あの『呪いの森』だ。瘴気しょうきの発生源は、十中八九あそこにある)


「はい、ティアラさん!」

 セシリアは力強く頷く。

 そして、以前花の魔法を失敗して煙を出してしまったことを思い出し、今度こそ何か村の役に立つことをしたいと「皆さんにお礼の栄養満点スープを作ります!」と張り切り始めた。


(おい、やめとけ。お前の料理スキルはマイナス評価だ。これ以上村にバイオハザードを発生させるな。その有り余る善意は、別の方向に向けるんだ)

 優の必死の制止(と、エドガーとケントの母親であるサラという女性の巧みな誘導)により、セシリアの料理リベンジは寸でのところで回避され、村の平和はかろうじて保たれた。セシリアは、サラに手伝ってもらい(というか、ほとんど作ってもらい)、ようやくまともな野菜スープを完成させ、子供たちに振る舞うことができたのだった。

(セーフ……今回は村の平和が守られたな。お前の料理は、レシピ通りに作るという概念が欠落してるんだよな。ある意味、独創的だが)


 スープの後片付けも終わり、セシリアは改めて村長ゴードンの元を訪ね、呪いの森の本格的な調査を行いたい旨を申し出た。

 その瞬間、ゴードンの顔色が変わった。それまでの穏やかさは消え去り、険しい表情でセシリアを睨みつける。

「……聖女様。井戸の一件は確かに見事であった。しかし、あの森だけはならん。あの森は危険すぎる! 聖女様とて、生きては戻れんかもしれんぞ!」

 その声には、焦りと、そして何かに対する強い恐怖が滲んでいた。


「ですが、村長さん。ティアラさんも、あの森に呪いの原因がある可能性が高いと……」

 セシリアが食い下がろうとすると、ゴードンは苦々しい顔で首を横に振った。

「……昔、この村が大きな厄災に見舞われた時、一人の聖女が森に入った。そして……二度と戻らなかった。いや、正確には……森から出てきた彼女は、もはや我々の知る聖女ではなかったのだ……。まるで心を失った人形のように、ただ虚ろな目で村を彷徨さまよい、やがてどこかへ消えてしまった……。あの時の絶望は、今も忘れられん」

 ゴードンの言葉は重く、その目には深い悲しみと、そして拭いきれない不信の色が浮かんでいた。彼の聖女に対する複雑な感情の根源が、そこにあるようだった。


(ほう、過去に何かあったな、この村長。トラウマ案件か……デリケートな問題だが、情報としては重要だ。キーワード『聖女』『森』『豹変』『精神汚染』……検索エンジンにかけたい気分だぜ。この世界のグーグル先生はどこだ?)

 優は、ゴードンの言葉の裏にあるものを探ろうと、ティアラの分析機能を密かに作動させた。


 重苦しい沈黙が場を支配する。

 その沈黙を破ったのは、息を切らして小屋に駆け込んできたティナだった。

「聖女様! 大変! ケントお兄ちゃんが、森に薬草を採りに行ったまま、帰ってこないの! きっと森で迷子になっちゃったんだわ!」

 ティナの大きな瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちている。ケントとは、エドガーの弟で、ティナの遊び友達の一人だ。


 エドガーも、心配そうな顔でティナの後ろから姿を現した。

「聖女様、申し訳ありません。弟が、どうやら村の薬師くすしに頼まれて、珍しい薬草を採りに森の少し奥まで入ってしまったようなのです。日が暮れても戻らないので……もしよろしければ、弟を探すのを手伝っていただけませんか?」

 その声は、兄としての不安で震えていた。


(なるほど、強制イベント発生だな。これで森に入る大義名分ができた。ナイスタイミングだ、ケント少年。お前には後で感謝状(という名のセシリア作・激ヤバスープ)を贈ろう)

 優は、内心でガッツポーズを決めた。

(セシリア、これは聖女としての使命だろ? 断る理由はないよな? 子供の涙を見過ごすほど、お前も薄情じゃないだろうしな)


 ティナの涙とエドガーの必死の形相を見て、セシリアの心は決まった。

「わかりました! 私が必ずケント君を見つけ出します!」

 その声は、まだ少し震えてはいたが、確かな決意が込められていた。


 ゴードン村長は、「やはり森へ行くと言うのか……聖女様、あなたというお方は……」と、苦虫を噛み潰したような、それでいてどこか諦めたような複雑な表情を浮かべていた。

 優は、ティアラの機能でこっそりと村長のストレスレベルを測定する。

(村長、ストレスレベルが危険域です。脈拍も急上昇中。このままでは心臓に負担がかかります。深呼吸を推奨します。あと、最近抜け毛も増えてませんか? 頭皮ケアも重要ですよ)

 その念話は、もちろんセシリアにしか聞こえない。セシリアは、必死に笑いをこらえ、真剣な顔でゴードンを見つめた。彼女の頭上でティアラが微かに振動していることには、誰も気づかなかった。


 結局、ゴードン村長は最後までセシリアの森入りに難色を示したが、彼女の固い決意と、エドガーの「弟のためならどんな危険もいといません」という懇願に、ついに折れた。

「……よろしい。ただし、わしも護衛として同行させていただく。それと、エドガー、お前もだ。聖女様お一人を危険な目に遭わせるわけにはいかん」

 その言葉には、村長としての責任感と、そしてセシリアに対するわずかな信頼のようなものが感じられた。


(よし、これで村長の監視付きだが、森の内部データが取れる。ケント救出はサブクエストとして、メインは森のシステム調査だな。一石二鳥とはこのことだ)

 優は、今後の展開に内心ほくそ笑む。


 出発の準備をするセシリアとエドガーを、ゴードン村長は複雑な面持ちで見守っていた。そして、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

「わしの胃が……また痛くなってきた……聖女様が来てからというもの、胃薬の消費が激しいわい……」


(ケント救出クエスト、スタート! ついでに呪いの森のバグもまとめてデバッグしてやるぜ! 村長の胃薬代は聖教会に請求しとけよ! ……って、俺の声、村長には聞こえないんだったな。残念)

 優は、セシリアの頭上で、新たな冒険の始まりに密かな興奮を覚えていた。

 呪いの森の深奥には、一体何が待ち受けているのだろうか。

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