第2話 血の令嬢

 むかしむかしのお話です。

 ある国の王子さまと、婚約者だった令嬢のお話。


 ふたりはとてもとても仲睦まじく、時には庭園の花を愛で、時にはお茶を共に、そして、一部の公務の相談すらされるほどの間柄でした。

 王子は穏やかですが、少し決断力にかけるお人柄。それを補うように、聡明で強気な令嬢は知識と決断を王子に与えます。

 ふたりは本当に、出会うべくして出会った、と言わざるを得ないほどに、相性のよいふたりでした。


 しかし、決裂というものは、突然訪れます。王子が、別の令嬢に「恋」をしてしまったのです。


 王子の婚約者、レ・リ。幼少のころから王子は、レ・リと交流を持ち、ほとんどの時を一緒に過ごしていました。将来は結婚するということを、親に刷り込まれ、なんの疑いもなく。

 しかし、彼女に対する王子の感情は「恋慕」ではなく「親愛」でした。

 そう、燃えるような気持ちになることは、別の令嬢を見たとき、声を聴いたとき、話をしたとき。これが初めてだったのです。レ・リに対するものとは決定的に違う胸の高鳴りを、王子はうまく処理することができませんでした。


 熱く焦がれ、苦々しく、しかしとろけるように甘い想いでした。

 王子はこの心情にひどく戸惑いました。けれども、頭の中はもう、あの子でいっぱい。ああ、恋しい。甘い声色、優しい口調。ふわふわと波打つ髪。淡い緑の瞳の色。レ・リとはなにもかも違うあの子……。思い浮かべるほどに、情熱があふれて止まりません。


 ですが、王子にはもう、婚約者がいる。あの子を手に入れることはかなわない。

 王子は悲しみました。レ・リに愛情がないわけではありません。しかしそれは限りなくただの、情、でした。

 好きな人。レ・リとは意味の違う、好き。愛情、恋ごころ。気づいてしまったら、もう止まりません。


 王子は考えました。毎日毎日、考えました。どうすればあの子が手に入るだろう。レ・リをうまく、遠ざけることができるのだろう……。

 ちかごろ、以前とは様子の違う王子を、レ・リは心配しました。ですが、声をかけても返ってくるのはなまぬるい、あぁ…… というため息なのか、返事なのかわからない音ばかり。


 とうとう、公務にも支障をきたしはじめました。レ・リもできるかぎり補佐をしますが、王子はうわの空。

 王子はレ・リをちらりと見て、思いました。


 ああ、いつもならば、こんな悩みごとがあるとき、必ずレ・リに相談していたのに、と。

 まさかこんな不義理なことを、相談できるわけもありません。王子はため息をついて、頭をかきむしりました。

 レ・リは、そんな王子に、笑顔を作って見せ、そっとお菓子を差し出しました。あなたさまの大好きなお菓子です。昨日作ったのですよ。レ・リができる、せいいっぱいのなぐさめでした。

 王子は、レ・リ、を見ます。そして、差し出されたお菓子へ視線をうつしました。やさしい笑顔で話すレ・リを見ても、差し出された好物を見ても、王子はそれになんの感情も抱けませんでした。

 なんならば、うとましいな、と。そんな気持ちがぴりぴりと心を刺しつらぬきます。


 いっそ、この女がいなければ……。王子の脳裏に、そんな考えがよぎりました。

 そうだ、そうすれば解決するではないか。なにもかもすべて。

 王子はお菓子をひとつ手にとって、レ・リに笑顔を返しました。


「ありがとう、いただくよ」


 レ・リは、ほっとした顔をしました。そして久しぶりの王子の笑顔を噛みしめます。

 レ・リは、王子のことを心から愛していました。


 それから王子は、うまくレ・リを始末するすべを考え始めました。

 なにか罪をきせる方法はないか。王族にふさわしくない女であると思わせるすべはないか。レ・リは城内でも評判のよい人柄でした。善人で、簡単に罪を犯すような人間ではない。だれもが納得する、違和感を思わせない手段……。それが必要でした。

 しかし、もしなにか汚名を着せるにしても、王子が手を回したと思わせないよう円滑にことを進めるとなると、入念に下準備をしなくてはなりません。そんな狡猾さを、王子は持ち合わせていませんでした。それこそ、罪状をなににするか決め、それをうまくレ・リにかぶせるためには、年単位がかかるでしょう。


 王子は、焦れました。そんなに待っていられない。うまく考えられない。だってそんなことを、一度も考えたことがないやさしい王子でした。今この瞬間までは。

 はやく、はやくなるべく迅速に私の令嬢を手に入れたいのだ。お互いが若く美しいうちに、すべての楽しいことを、あの子と……。一番手っ取り早い手段。そして、己の欲求もかなえられる、手段は……。


 そうだ、傷害だ。しかも王族への。自分自身を犠牲にするのだ。王子を、刺したと思わせればいい。傷は自分自身の手で作る。レ・リの目の前で己を刺し、レ・リに刺されたと、一芝居打つのだ。

 まずは、私の令嬢と必要以上に親しくし、私の令嬢を完全に手に入れる。きちんと、よい王子を演じて。そうして、あの子と仲睦まじくするところを見たレ・リが嫉妬に狂い、私を刺したと思わせればよい。確かな証拠などなくてもいい。多少粗末な計画でもいい。レ・リの人柄も優秀さも関係ない。

 結局のところ、権力者の言葉こそが、絶対なのだから。


 王子は、宴を頻繁に開くようになりました。自分は社交性に欠けているから、将来のため高めたいのだ、とうそぶいて。

 となりには、いつも王子の恋するあの子。楽しそうにおしゃべり。とてもよい雰囲気。令嬢も、王子にひいきされていることをひしひしと感じており、まんざらではないようでした。

 レ・リはいつもそれを眺めています。じっと、ただ、じいっと。

 王子は本当に楽しい時間を過ごしていました。令嬢と仲睦まじくすることが、心地よくて仕方ありません。しかも、最終的には少々の痛みで、自分で手加減した傷で、すべてがうまくいく。王子は、浅はかにもそう思っていました。

 レ・リは、宴の日には、遠くで見ています。王子を、じいっと眺めています。


 ある宴の日。王子はあいも変わらず令嬢とおしゃべりをしていました。交わす視線は熱っぽく、くちびるからこぼれる言葉は、もはや愛を語るようにしっとりとしています。

 令嬢は、突如はっとしました。そして、包みを取り出します。笑顔で包みを開けると、そこにはお菓子がいくつか乗っていました。

 それは、王子の好物のお菓子でした。レ・リが、王子に作っていたお菓子。

 王子は、いつかレ・リに言いました。


「このお菓子は、本来子供が好むものだから、ほかのひとには恥ずかしくて言えないんだ。ぼくとレ・リだけの秘密だよ」


 そのお菓子が、令嬢の手から手渡されている。わたくしが作りました、と。王子は、歓喜しています。人目もはばからず、そのお菓子を口に運びました。そして言いました。「とてもおいしいよ、きみの作ったフェチューがいちばんおいしい」と。


 王子に、衝撃が走りました。どん、と、背中をなにかで押されたのです。いいえ、押されたのではありません。なにかが、体内に、ある。その部分が、とんでもなく熱い。その周辺が、あたたかく、塗れていく……。

 王子が後ろを振り向くと、レ・リがいました。その顔は、無表情。冷たく見開かれた漆黒の瞳。それが王子の目をまっすぐに見据えている。

 ぞくり、としました。レ・リのこのような顔は、一度たりとも見たことがなかったからです。


 王子がレ・リの表情を見たのは一瞬でした。次の瞬間、レ・リは周りの人間たちに押さえつけられ、床に磔にされていたからです。王子さま! 令嬢の声が響きます。床を見ると、レ・リに向かって、赤い液体が、流れていっています。いったい誰の? いいえ、わかっていました。王子は、これが自身の血だと。

 あのレ・リが? いつも明るくふるまって、聡明で、冷静で、私を想う、あのレ・リが。

 そうか、私を想うからこそか。冷たそうなその感情のなかには、嫉妬というものが、あったのだね、レ・リ。心を痛めていたのは、私だけではなかったのだね。

 本当にきみに、刺されるだなんてね。


 王子は、すぐに処置をされ、懸命に看病され、命に別状はないと判断されました。

 レ・リは騒動の後、即刻投獄され、処刑の日まで、王子と会うことはありませんでした。


 処刑の日が、やってきました。王子はずいぶんと回復して、その場にいます。

 王子自ら、死刑宣告をすると、王子が望んだのです。それが、けじめだと。


 処刑場には、見物人の民衆と、処刑人が待ち構えています。

 レ・リは罪人の着る服に身を包み、処刑場へとやってきました。足は自由でしたが、腕は、縄で厳重に縛られています。周りは、レ・リが逃げ出さないように、剣を携えた衛兵たちが取り囲んでいます。


 レ・リに科せられた罪状は実際のところ限りなく重いものでしたが、王子からの嘆願もあり、執行される刑は、残酷なものでなく、絞首刑に決まりました。

 せめて苦しまずに、逝かせてやらなければ。王子はあれから、令嬢と会っていません。にどと、会う気もありませんでした。あれだけ世話になったレ・リが、私の勝手で、死んでしまう。追い詰めたのは、死に追いやったのは私だと、正気を取り戻していました。

 王子は、あのとき私が望んだ結末になったのにな、とだれにも聴こえない声でぽつりと言いました。


 そろそろ、執行の時間です。王子は、レ・リの近くまで歩み寄り、罪状と刑を読みあげました。

 その時です。レ・リはけたたましい雄たけびをあげ、腕の縄を自力で引きちぎりました。周囲の人間たちはあまりのことに、混乱してしまいます。王子も、驚いて硬直してしまっています。

 その一瞬の隙をつき、レ・リはひとりの衛兵から剣を取り上げました。それから、王子のもとへ一目散に走ってゆきます。衛兵たちははっとして、動き始めましたが、時すでに遅し、でした。

 レ・リは、その剣で、王子の服と、わずかに皮膚と肉を切り裂きました。王子は、逃げようとしました、が、その行動もまた、一歩遅かった。レ・リは逃げようとする王子の睾丸めがけて、飛びつきました。そしてその睾丸を口に丸々含むと、そのまま食いちぎったのです。

 王子の叫び声が聞こえます。レ・リは、その睾丸を丸のみにしました。


「きさまに、わたくし以外の子など作らせてなるものか!! おまえの血の存続を、絶対に絶対に許しはしない!!」


 獣の形相で叫ぶレ・リは、とうとう衛兵にとらえられました。息ができないほど、地面に押し付けられ、苦しそうにしています。王子は、気絶していました。レ・リの叫びが聞こえたかは、定かではありません。


 レ・リは、民衆の前で王子を辱めたこと、王子を殺害しようとしたこと、後継者をつくれぬ体にしたこと。それらを以て、この国で最も重い刑に処されることになりました。生きたまま、皮をはぎ、死ぬまで肉をそぎ続ける刑です。レ・リは、まず服を脱がされました。


 するとどうでしょう! まず、処刑人が、おかしなことに気づきました。

 レ・リは女性のはずなのに、なぜか睾丸がついているではありませんか!

 前の方に陣取っていた民衆も気づきはじめます。情報は波紋状にひろがり、会場はざわめきました。処刑人も戸惑い、言葉を失いました。


 その国には、だれもが知っている言い伝えがあります。


 妖精には、人のほしい部分を食べて、自分のものにしてしまうものがいると。人間のいちぶを食べると、その部分がその人間のものになってしまうのだと。その妖精は、人間を巧みにだまして、人間の体をほしがるのだ。


 それは、当時子供がさらわれては、一部分を失くして殺されるという事件が相次いだことで、子供がひとりで遠くに行ったり、だれかについて行ってしまわないように広まっていた作り話。

 だれもがそう思っていました。


 しかし、目の前で、実際に人のいちぶを奪い、自分のものにした女が、いる。


 妖精が本当にいた、妖精だ、と民衆は震えあがります。

 レ・リは、うつむきました。自分にはえた睾丸を、じっと見ています。そして、ほほえみました。いっしょになれましたね、と。


 会場は、大騒ぎです。処刑人は、はやく処刑をはじめなければ、この騒動を、妖精を殺すことでおさめなくては。そう思い、急いで皮をはぎ始めました。レ・リの顔は苦痛に歪みます。しかし、どこか恍惚としていました。これで死ぬなら本望、といったような、表情でした。


 肉をそぎ落とすたび、血しぶきがちります。その血は地面にぽつぽつ、しみこんでいきます。民衆は、妖精を殺せ、といきりたっています。様々な声の飛び交う中、処刑は淡々と行われてゆきました。

 何時間ほどたったでしょう。レ・リはとうとう死んでしましました。


「すき」


 ひとこと、声が聴こえました。

 それは、死んだはずのレ・リの甘い声でした。


 みなが声のしたほうへ、ふりむきました。

 そこには、真っ赤な体の、レ・リの形をしたなにかがいたのです。


 レ・リだけではありません。横には、真っ赤な王子が立っていました。

 そして真っ赤な王子は、言いました。


「あいしているよ」


 二体は抱きしめあい、互いの形を崩しながら地面にしみこんでゆきました。


 それからこの地には「令嬢の血」と呼ばれる、粘液状の生物が発生するようになりました。たびたび現れては、ひとを誘い出して喰い殺すそれは、民たちに恐れられ、みなその土地から逃げ出し、次世代の子をつくれなくなった王国は内乱の果てに滅びました。

 レ・リの一族は、妖精の一族として血の薄い親族までみな根絶やしにされたそうです。



「……で、そのおはなしを聴かせた後にこれを食べろ、と」

「そうよぉ! だあれももう知らない、本当のお話。聞かせてあげたんだから!」


 彼は私の数少ない友人。不老不死の食人鬼、シャーリ。自分でももう何年生きているのか忘れた、と言っているほど、長く長く生きています。


 今目の前に出されている食物に使用されている生き物「粘体」こと「レ・リ」は、知性こそほとんどありませんが、その特殊な分泌物によって、ひとや動物を誘い、取り込みます。知識として知ってはいても、その分泌物に誘われて喰われてしまうものが後を絶ちません。ひとを喰らえば、そのひとの形に。動物を喰らえば、その動物の形に。自由自在に姿を変える、生き物です。

 それをぷるんぷるんのゼリーへと加工したものが、今、私の目の前に出されています。


「あなたね…… 私はべつに悪食というわけではないのですよ。ただ趣味で、美食も求めているだけで……」

「たべたくないの?」

「あたりまえでしょう。この材料、ひとを喰らったレ・リでしょう。食人鬼のあなたはいいとして、私はいやですよ」

「おいしいわよ」


 私の言葉など一切意に介さないシャーリの笑顔は、どこまでもまぶしい。

 私はため息をついて、スプーンをゼリーへ差し入れました。少し強めの弾力。しかし、その弾力とはうらはらに、すうっとスプーンが中へと通ります。そのまますくうと、ひとくち大のゼリーがスプーンに乗りました。

 見た目は、おいしそうなゼリーそのもの。まさに血液のような色をした、紅く、透き通った。香りは…… あまりありません。

 しばらく、見つめていました。しかし、このままじっとしていても、しかたがない。結局食べなければならないのですから、躊躇は時間の無駄。意を決して、それをくちに含みます。


「ん!? お…… いしい、ですね」


 くちに含んだそれは果実の味がしました。血なまぐさいのだろうか、とうとう人間まで食べるのか、さすがに倫理観がぐちゃぐちゃになる、と考えていたので、拍子抜けしました。


「あっはははは! 人間に、人間を食べたレ・リは食べさせないわよぉ! それは養殖もの! 最近は生まれたばかりのレ・リを捕まえてきてね、人間が養殖しているのよ。果実を食べさせたり、薬草を食べさせて、お薬や食料にするの。お薬は特によく効くんですってよ~~。キミの食べたものもその加工品よ。ボクのほうは、人間を食べたレ・リだけれどね。よ~~くみると、少し色合いが違うわよ」


 まだ世にひろまっていない、最近始まったばかりの試みのようでした。「お薬」がよく効くのは、妖精の力がまじっているせいでしょうか。


「まったく、趣味の悪いひとですね」

「あはっ! 久しぶりに会うのだから、少しは遊ばないとねっ」

「けっこう、肝を冷やしたんですがね……」


 なにげない話で、盛りあがります。友人との対話も、たまにはいいものです。彼は、町の新しい特産物を、紹介したかったのでしょう。ある日、突然手紙で彼の家に呼び出されたのです。いい話があるから、と。


 確かに、いいお話でした。

 住民たちがもうレ・リを見慣れてしまって、発祥のできごとも人々の記録から消え失せてしまって、令嬢の血は、なにも知らずに人のくちに入る。

 今はきっと、嫉妬に狂う以前、元の優秀なレ・リが望ましいように、民衆のために使われ始めているのでしょう。


 私はもうひとくち、ゼリーをくちに含みました。

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