テステは書き留める
水野葦舟
第1話 少年茸
私はひとつ、薄赤くぷよぷよとした、透き通る実をもぎ取って食べました。あまずっぱい味が口内に広がり、染みわたる水分が、旅の疲れを少し癒してくれる気がしました。
私はその実をひとつふたつみっつ、もいで袋に持ち、食べながらまた歩き始めます。
しばらく歩いたのち、私は草木をかき分けて、人の気配の一切しない森の中へと、足を踏みいれました。
それは、お昼の一番暑いころあいでした。
森の奥深くで、少しだけ人の歩きやすい、道、と言っていいのかはわかりませんが、なんとなくそのようになっている場所へと出たのです。
何度も踏みしめた跡がある。意外と、人が頻繁に訪れているのでしょうか。うっすらと残る足跡からして、獣ではなさそうです。まじまじみると、靴の跡。やはり、人の通った形跡がある。
その道のような、そうでないような跡をなんとなく歩いていると、ふと、人が座っているのが横眼に見えたのです。
人がいる? しかし今、近くで人の気配はしなかった。もしや死体だろうか。
そう思い、立ち止まってその方向を見つめてみると、それはそのどちらとも違いました。
「きのこ……」
そこにあるものは、確かにきのこでした。しかし一般的なきのこではありません。
それは、完璧な人間の姿、少年の形をしている、きのこでした。
薄くほほえんだ美しい表情。真っ白な頬にそっと触れてみると、その感触はやはり人の肌のものではありません。地べたに座って、だれかに握手を乞うように、少しだけ上目遣いにこちらを見つめ、腕を差し出すように上げている。その状態を保っていました。体のあちこちからは、一般の食卓では見ないような波うつ白いきのこが生えています。
少年の姿をしたきのこは、まるで、彫刻のようにその場にたたずんでいました。
「少年茸、か」
かなり限定された土地、まさに今、立っているこの地域でのみ発生する、地域病でした。
ある日突然、なんの前触れもなく、ある一定の年齢の少年や少女だけに発病し、治療する間もなく、そして方法もなく、たちまちきのこに変化してしまう。人間の形を、保ったままに。原因はわかっていません。理由もわかりません。
近年になって突然発症するようになったそれを、人々は恐れています。少年少女は、なるべく外に出されないようになりました。しかしたとえ家に閉じ込めていたとしても、その奇病は音もなく忍び寄って少年少女を襲います。防ぐ方法はありません。できるのは、神に祈ることだけ。この地では、神への信仰がますます強くなっていると聞いています。どうか、うちの子が、奇病に侵されず育ってくれますように、と。
神も努力はしているようですが、根本的解決には至っていないのが現状です。
私は少年であったそれから生える、いくつかのきのこをもぎとり、袋に入れました。そして、そのとなりへと座ってみます。
「きのこになる心地は、どうですか」
うつろにほほえむ表情は、少年茸の特徴だそうです。その奇病に侵された瞬間に座り込んだかと思うと、うつろな目をしてほほえみ、硬直してしまう。そして、変貌していく。まっしろな、美しいきのこの配列へと。
「すばらしいものを見るのでしょうか。肉体が変化していく、人でなくなるその瞬間。そのようにやさしく微笑むというならば……きっと」
私は、となりの少年の肩に生えている、小さな一口大のきのこを一本もいで、口に含みました。
甘い。舌に広がるほのかな甘さ、時間が経つにつれ、じっとりとまとわりつくような、あまったるさ。そして、旨み。噛みしめるごとに強く突き抜けるような旨みが、脳天までかけあがりました。
くらくらとします。ひとを狂わせるような、なにか。
これは、あまりにも毒だ。
私の体質に毒は効きません。ですがたったひとくちではっきりとわかります。
これは存在してよいものではない、のだと。
この地域の法に則り、私は少年を燃やしました。
少年茸を見つけた場合、少年茸になってしまった場合、即時その場で燃やし処分すべし。
炎に包まれる少年は、とてもうつくしい。そこには苦痛も概念もない。ただ、火をまとう、白い肌の少年が崩れてゆく。きのこの焼ける、とてつもない芳醇な香りとともに。
少年が燃え尽きるのを見届けたあとは、森の中を散策して、薬草をいくらか採取し、森から出てゆきました。
町に戻ると、焼けるにおいが充満していました。
家族とおもわしき数人の大人子供、そして何人かの大人が、焦げ跡を見つめています。全員が、程度はそれぞれでしたが、泣いていました。
残り香が、漂ってきます。先ほど嗅いだ、あの香り。とても、よいにおいがします。その中で泣いている人々が、異質に思えるほどの、いいかおり。
ああ、だれかが。
私もその場の人々に引きずられるように、ほんの少しだけ悲しくなって、下を向きました。家族を失うのは、とても悲しいことですから。
しばらくうつむいていると、突如うしろから、ぽんと、やさしく肩をたたかれました。
「かなしんでいるのかい」
ふりむくと、優しく微笑むおじいさんがいました。
「旅の方だろう? このあたりではみかけぬからなあ」
おじいさんは、私を見て珍しそうに言うので、仕方なく、少しだけ自分のことを話すことにしました。
「よくわかりましたね。私は、各地のさまざまな伝承や逸話を求める旅人。それを書き溜めていくことが、至上の喜びなのです。この地へもそれを求めて、東方の地よりまいりました」
おじいさんは私の顔をじっと眺めています。少し合点がいかないような、そんな表情をして。
「東方のひとにしては、顔立ちがこちらの人間に近くはないかい? 髪色も、向こうの人はだいたい黒色に近いと聞いているが、きみはきれいな金の色をしている」
私は、微笑みました。そして足元を指さし、両の靴にひとつずつついている飾りを見せます。
おじいさんは、珍しそうにそれを見つめました。
「これは、両親に頂いた石飾りです。顔立ちも、髪の色も、瞳の色も東方のものとは少し違いますが、この飾りこそ、私の故郷が東方であることを示している」
これは、東方の儀式の証。父と母が婚姻を結ぶ際に贈りあった、大切な品物なのです。と、私は伝えました。
おじいさんは、今まで見たことのないであろう形をしたふたつの石を見て、深くうなづきます。
「信じるよ。こんな飾りは、お目にかかったことがない。それに靴の形が、確かに東方のものだ。市場で見たことがある。けっこうな高級品だし、旅人がそう簡単に手に入れられるとも思えないからねぇ」
ありがとうございます、と言って一礼し、おじいさんから遠ざかろうとすると、腕を掴まれ、おじいさんに引き留められました。
「なあ。この町のかなしみに、心を砕いてくれたお礼がしたいんだ。おれの家は町のはずれで少し遠いが、泊まっていってくれないか。路銀は節約した方がいい。それに、旅人さんは、逸話を集めてるんだろう。実はとっておきのがあるんだよ」
おじいさんは、変わらずにこにことしています。
逸話が聞ける。それは私にとって、とても望ましくて、心躍る誘い文句でした。しかし、どこか怪しさもはらんでいます。
ですが、聞けるものは、なんでも聞いておきたい。たとえそれがまゆつばであろうと。誰かが抱える、どこかから来た物語。目の前に差し出された高級菓子に、手をつけないなど、失礼に当たる。
私はおじいさんの提案をのみました。ありがたく、ちょうだいします、と。
それから町でパンを買い、今夜の食事の材料もそろえて、おじいさんの家へとゆきました。
町はずれのおじいさんの家は、簡素なつくりでした。必要最低限のものしか置いていない、質素ながらんとした部屋。
おじいさんは、食事を作るから待っていてくれと言って、台所へと立ちます。そのようすを、眺めました。よくよく見ると、おじいさんの腰はすこし曲がっていて、ずいぶん年齢もいっているようです。
「むかしから、ここに住んでいるのですか?」
私は聞きました。単に、何気ないひとことでした。おじいさんは、私の言葉から少しの間をあけて、言いました。
「いいや、まあ、まだ若いころだけれどね、移住してきたんだ。生まれはここじゃない」
とても、さみしい声色が含まれていた気がします。
私は、それ以上の詮索をやめました。ただ黙って、料理ができあがるのを待つことにします。
静かになった部屋で、くつくつと、鍋で水が煮える音、なにかを刻む音。
おじいさんは、手際よく刻んだ材料を、鍋に次々と放り込んでいきます。この地方で何度か嗅いだその匂いから察するに、どうやら晩御飯は、スープのようでした。香辛料とミルクのいい香りが、食欲をそそります。
おじいさんは、台所から少し離れて、棚から器をふたつ取り出しました。料理は、終わったようです。私も運ぶのを手伝うために、立ち上がりました。おじいさんは、すまないね、と言って、スープを器へと注ぎます。私はそれを受け取って、テーブルへと置きました。それと、買ってきたパンを皿に乗せ、それも置きます。
かくして、食事の準備は無事に整いました。あとは、ほおばるだけ。
スープには、たくさんのきのこが入っていました。きのこと、野菜と、肉のスープ。とろみがついていて、たっぷり注がれたミルクの白い色に、いろどりあざやかな野菜たち。とても、おいしそうでした。
「いただきます」
手を合わせて、目をつむって、食材に感謝の言霊を捧ぐ。目を開けると、おじいさんは驚いていました。
「それは東方の作法かい。美しい所作だね」
おじいさんはもう、パンをスープにひたして、食べ始めていました。
「はい。こうして食材へ感謝を捧げ、食べる喜びを表し、これから満たされる心身へ、贈る。一種の祈りです」
おじいさんは、パンを口に含みながら、私の話を聞き、興味深げに首を緩やかに上下させていました。
私も、まずはスープを口に含みます。あたたかいひとくちからは、深いミルクの味わいが鼻を抜け、新鮮な野菜の甘みがじんわりと広がり、少し強めの香辛料が舌をぴり、と刺激しました。少し硬めの肉も、噛みしめるとどんどん味が出てきます。
そしてなにより……。
食事を終え、後片付けも一通り終わりました。
それからふたり、向かい合わせに席につき、おじいさんが、息を吸い、吐きました。おじいさんは、ゆっくりと口を開きます。
「昔のことだ。おれが最初に住んでいた地域では、噂程度になっていた話さ」
おじいさんが、話し始めました。まずは、聴き入りましょう。そして、書き留めましょう。私は手帳とペンを取り出し、おじいさんの話を聴き始めました。
昔、とある村では珍しいことに、きのこが主食だった。
その村ではどんな悪天候が続いても、災害にあっても、ほかの地域が尋常ならざる不作に陥っても、絶対に一年中、主食のきのこが食べられない日はなかった。そしてそのきのこは、どこで作っているのか、わからない。村長から住民に均等に配られるのだ。
村の人々は、納得していた。享受していた。なぜなら、このきのこさえあれば永遠に飢えることなく、平穏に過ごせるのだから。なに不自由ない、豊かな生活。村人の結束は強く、そして排他的だった。決してよそ者は寄り付かせない。そして、村から出ていくものはひとりもいない。
不思議で気味の悪い村だと思うだろう。でも村人たちはそんな生活にちっとも違和感を抱かない。永劫に続く幸福を、決して放棄などしたくはないから。
村にはたくさんの子供たちがいて、大人たちがそれを眺めて、いつも賑やかだった。
村には、一年に一度、儀式をする決まりがあった。
村人たちもみんな、知っていたんだ。承知と納得の上で成り立っていたんだ。
それは「村の少年か少女をひとり神のいけにえに捧げる」こと。
その年は、とある男の息子が選ばれた。自分の子がいけにえに選ばれることは、この村の親なら、泣いて喜ぶほど名誉なことだった。
だが男は、昔から少し、疑問に思っていたんだ。この村の不思議に、蔓延する違和感に。そして、心を痛めていたんだ。いけにえになる少年少女は、どんなふうに苦しんで死ぬのだろう。と。
昔、男とずっと一緒に遊んでいた同年代の子供が、ある日姿を消した。誰に聞いても、その子は神に選ばれたのだ、としか言わない。祝福しなさいと。祈りなさいと。喜びなさいと。
次の年もひとり減った。男より年下の子も、年上の子も。
そうしているうちに、ずいぶん減った同世代のみんなとともに、男は青年になった。
男はずっと、毎年の儀式がいやだった。なんともいえない気持ちになるんだ、と。
そして、自分が助かった代償か、偶然か、必然か、自分の息子がいけにえに選ばれてしまった。
男は苦しんだ。息子を神のもとへとやることが、いやで仕方ない。けれど、儀式は絶対だ。
耐えなくては。耐えなくては。息子が選ばれた日から、男は苦しんだ。
儀式の日は、無情にもやってくる。家の前で、神官から祈りの言葉が紡がれる。
息子はきれいな装束に身をつつんで、神官に手を握られて、歩いて行ってしまった。なんの疑問も持たず、どんな仕打ちを受けるのかも知らず。
男はただ、見守り、見送った。
儀式は、絶対に行わなければならない。
なぜなら、村人が絶えず食べられるきのこは、村人の平穏な一年は、神に捧げるいけにえのおかげなのだから。いけにえがいなければ、神の恩恵を受けられなくなり、村人たちは飢える。
しかし、やはり男は思った。息子を失いたくない、と。
どんな風に苦しみ、死んでゆくのか。昔のあの子たちは、旧友たちは、どうなったのか。そもそもいけにえの儀式をなにも知らない。ただの末端の村人だから、なにもしらない。
男は息子を助けなければ、という気持ちにひどく駆られた。
家から飛び出て、走った。神官の向かった方へ。村の山の深く、ろうそくで照らされた道が作られている。この先に息子はいる。
走って、走って、神官がふたりほど立っているのが見えた。神官はびっくりしている。なぜここにいる、と声を発したかったのだろうが、その声は男のこぶしで中断させられた。
もうひとりの神官がとびかかってくる。しかし、興奮状態の男はその神官のことも殴って、殴って……。とにかく、動かなくなるまで殴って、そして神官の後ろ側にある広場へと出た。
そこにあった光景はあまりにも、幻想的だった。なんの明かりもないまっくらな森の奥の広場で、息子はその真ん中に立ち、きらきらと輝く星のようなものを纏ってほんのりと発光している。
神の御業だ。そう思った。息子はたった今、神の贄として、迎え入れられようとしている。
男はその圧倒的な美しさに息をのんで、息子を見つめていた。が、息子が「おとうさん」と声を発したのだ。
男は我に返って、己のすべきことを思い出す。そうだ、おれはここに、息子を助けにきたのだ。
息子に駆け寄って、肩に抱き上げて、来た道を反対に全速力で走る。走る。走る。驚く息子に、静かに、と、ひとこと言って、そこからはただ黙って、走る、走る、走る。
村は男が行動を起こすこの日まで、平和だった。誰もがこの生活を手放すまいと、見て見ぬふりをしてきた。
泣いた母親はいたか、悔しがった父親はいたか。
いいや、自分の見た限りではいなかった。誇らしいと、喜ぶことはあっても。
儀式の日は、村人たちはみんな家の中にいるよう、神官たちに告げられている。村の出入り口には、だれもいない。ただ解放されるための出口がぽっかりと開いているだけ。
逆らうものがいない村に、守衛はいらないのだ。
簡単に外に出られた。早く村から逃げなくては、息子とともに、遠く離れたどこかの村へ、町へ、どこでもいいから!
男は走り続けた。体力の限界を通り超しても、もう、わからなくなっていた。無我夢中で走って、走って、意識はどこかでぷっつりと途切れた。
男は、目を覚ます。ベッドの上に、寝かされていた。「おとうさん、起きた!」息子の声がした。息子は目を開けた男を見下ろして、笑っている。男はぎしぎしと痛む体をむりやり起こして、ぼろぼろ涙を流しながら、息子を抱きしめた。生きていて、よかった、と。
息子から話を聞き、ここがとある町だと知った。町に着いた瞬間に、倒れたらしい。息子が、町の人間を呼んできて、男は町のひとたちに医者のところまで運んでもらったようだった。
それから息子といっしょに、その町へと定住することになった。
村からはずいぶん離れた場所だったらしい。見たことも、聞いたこともない土地だった。
そこで、男は息子と幸せに暮らす。毎日穏やかに、町のひとたちの力も借りながら、男は暮らしていった。
だが、日々を過ごしてしばらく経ったころ。異変が起き始めた。男は、次第になにか、よくわからない渇きを覚えるようになっていったのだ。
最初は本当にわからなかった。この渇きの正体が。どうしてこんなに欲しいのだろう。いったいなにを求めているのだろう。胸をかきむしりたくなるような、不明の渇き。
そして、そのころから息子の様子もおかしくなっていった。
真っ暗な夜、うつろな瞳をして、外にふらふらと出たかと思うと、空を見上げている。手のひらを空に向けて、腕をのばす。なにかを乞うように。手を空に差し出している。
なにをしているんだ、と訊くと、息子は、はっとして、どうしたのおとうさん、とはっきりした目を向ける。
男はその間も渇き続けている。息子がなにかに侵されていっているその間も。そのあとも。
渇きは日に日にひどくなる。我慢ができない。苦しい。どうしてもほしい。あれが、ほしい。食べたい、食べたい。なにが食べたい? それは。
息子が、突如、がくりとうなだれて、座り込んだ。男は息を切らしながら、息子の名前を、ようやく呼ぶ。
おとうさん。か細い声が聴こえる。ゆったりと息子が顔をあげる。その表情はうつろで、優しいほほえみをたたえていた。
そして、ゆっくりと、不自然に、腕を男に向けて上げた。
「おとうさん、たべて」
その腕には、きのこが生えていた。男は、泣いた。それは記憶の奥底に沁みついて離れない。見覚えのあるきのこ。
そうか、いけにえの子供たちは……。
男は食べていた。視界に入った瞬間、息子の言葉が終わる前に。腕に生えたきのこを、ほおばっていた。ぼろぼろと涙をこぼしながら。
息子は、動かなくなった。なにか違うものになったのだ。そう、きのこだ。
血色の良かった肌は白い繊維に。そして全身から、次々と生えてくる、あの、きのこ。
村のきのこ。これには中毒作用があった。神の祝福。そして、呪いだ。
いちど食べたら、にどとこれを食べずに生きてはいられない。守衛がいなかったのもうなづける。村を出るものがいたとしても、そのものは、必ず戻ってくるのだから。だれがなにをしなくとも、すさまじい渇きと共に。
男のように疑問を持ったものも、嫌気がさしたものも、いなかったわけではない。
いないことにされた、のだ。
しかし、男はほかの者たちと違って、息子がいる。神の呪いを受けた、息子が。
大切にしよう。この息子を。なにがあっても、生涯守り続けよう。
深い森の奥に隠して、おれは息子を、守り続け、そして、食べ続けよう…………。
しばらく、沈黙が流れました。カリカリと、ペンが走る音だけが聴こえています。
私は、素晴らしい話を聞くことができた、と思い、笑みました。
私のペンがコトリとテーブルへ置かれると、おじいさんは、乱暴に席を立って、黙って私の方へと近づいてきます。私も、こちらへと迫るおじいさんを見つめたまま黙っていました。
「よくも息子を殺したな!!」
おじいさんは、怒りにまみれた表情をして、私にとびかかってきました。
体当たりされた衝撃であおむけに倒れた私のうえに馬乗りになって、腰のベルトにひっかけてあった刃物を抜き、躊躇なく私の胸に突き立てようとします。私は、おじいさんの腕をつかみ、抵抗を試みました。
「地域病の原因は、息子さんでしたか」
森の中にあった、おじいさんの息子の体から舞う菌糸が、ふわふわと漂い、この町の少年少女を、奇妙な死へと追いやっていたのでしょう。
おじいさんこそ、話の中の男。私が燃やした少年茸の、父親だったのです。
少年を見つけたとき、近くにこそ人の気配はありませんでしたが、遠くにはひとつ、ありました。この、おじいさんだったのでしょう。私を、観察していたのです。
「息子はおいしかったか? おいしかったろう! たっぷりとスープに混ぜた!」
もうすでに、一度勝手にいただきましたが、とは言えません。ただひとこと、おいしかったですよ、と言って私は笑みました。
男は震えています。どのような感情なのでしょう。自分の息子を誇らしく思うのか。それともただただ憤怒の情で震えているのか。わかりませんでしたが、男は私の胸を刺そうとする手に、いっそう力を込めました。
「おれのエデュケリ、かわいいエデュケリ! おまえがいなくなって、突然いなくなって! あんなにして助けたのに! 地獄の渇きがまたおれを待つのか!! エデュケリッ!!」
「放してください」
「てめえは死ぬんだよ!!」
「いいえ、あなたが死んでしまいます」
私は、刃物を持つ男の手を握る反対の手で、すっと円を描きました。すると、馬乗りになっていた男はふわりと浮き上がり、私の横に移動して、少しだけ浮いた状態で、うつぶせになりました。先ほど私に向けていた刃物を、己の胸へと向けた状態で。
男は、抵抗しています。必死の形相で、胸に刃物が刺さってしまわないよう全身に力を込めています。
「てめえ……てめえミャロキロか!! まだ罪を犯そうってのか! 犯罪者め!! 早く放せ!!」
「いいえ、私は純正ですから」
男は、ぞっとした顔をしました。信じられない、といった訝しげな色もそこにあります。しかし、私の言ったことが本当なら……。私を見て、先ほどとは違った表情をして震えています。
「それに私がミャロキロならば、罪を犯せば死んでしまいます。めったなことでは、ミャロキロもそんな選択はしないでしょう」
男も、それがわかっていたから、強気でいたのです。どうせ殺せまいと。ですが、私の態度が、口調が、目線が、男を震わせる。躊躇なく、殺すと訴えかける瞳。男は、私の言葉が単なる脅しでなく、事実を述べているのだと理解したのでしょう。
「ど……うすれば、見逃し……」
か細い命乞いの声。しかし私は、言いました。
「あなたは息子さんのところへ行くのです。それがきっと、あなたの幸せ」
すっと、指を下へとおろし、空気をなぞりました。浮き上がっていた男は、なんとも形容しがたい音と共に、床へと降ろされ、そこで這いつくばる形になりました。もう、動きません。お昼に出会った、彼の息子のように。
血の香り。じわじわと、床へ、ながれてゆきます。
「すばらしいお話を、ありがとう。また、本当の小さな歴史が刻まれる。そしてお食事……息子さんも、本当においしかったですよ。それでは、さようなら」
私は、そっと蝋燭の明かりを吹き消し、外へと歩み出ました。空は、暗く、星の明かりだけが瞬いています。
男が息子を抱えて走った夜は、こんなふうだったのでしょうか。仔細はもう、わからないですけれど。
これで、地域病は収まるでしょうか。それはわかりません。もしかするとまだどこかに、静かに眠る少年や少女がいるかもしれないからです。
きのこになった少年は、とても美しかった。愛好家は、どこにでもいるものです。燃やされずに所持されている少年少女がいないとは限りません。
そして、それが他の地に持ち込まれることも……。
しかし、そのどれらも、私には関係のないこと。どうでもよいことです。
私はただ、散らばる話を集める者。小さな歴史を刻む、矮小な旅人ですから。
さて、男の息子さんの残り。そういえば、いくつか持ってきてしまったのでした。これは、この地域で処理してしまわなければなりません。
もう決して食べられないあの優美な味を、いつ楽しみましょうか……。
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