第9話 モルモット

モルモット。愛くるしいネズミ。

ネットやアニメで見かけたその生き物は、常にプイプイ言っていて可愛かった。


しかし今の私にはプイプイ言う余裕はなかった。


「ではこちらのゲートからお入りください」


受付嬢から入館証を渡され庁舎に入る。案内が欲しそうな顔で見つめ返してみたが、耳の尖った彼女は一瞥も返してくれない。


(エレベーターどこかな……)


そもそもテュルカがいけないのだ。一緒に住んでいるのに、同じ職場に来いと言ってるのに、なんで一緒に家を出ないんだ。迷うに決まってるだろ。


スマホの乗換案内も使えず、アナログな手法に頼って約束から1時間ほど遅刻した私は、感情を怒りに転化する事で不安と闘っていた。


実に1ヶ月ぶりの社会復帰である。今まで暇で仕方なかった私だが、身体の反応は極めて正直だった。仕事と思うだけで身体が言うことを聞こうとしない。身体が逃走を求めているのが分かる。


(帰りたい……)


広いロビーの片隅に案内板を見つけ、ようやくエレベーターに乗り込む。

何を隠そう、今日は私を元の世界に送り返す実験に協力する日なのだ。どう考えても嫌な予感しかしない。


エレベーターが目的の階に着いたことを知らせる。初めての客先はこの瞬間が1番緊張する。


ましてや一人、ましてや遅刻。


扉が開くとまずは廊下。長官室は……奥かな?

ちょうど事務室から出てきたエルフに軽く会釈をしながら進む。


遂に着いてしまった。遅刻するくらいなら休んだほうがマシな気分だが、ここまで来てしまったらもう行くしかない。


ええいどうにでもなれと思いながら、扉を開けると同時に勢いよく頭を下げる。


「実験協力者の佐藤です。遅れてしまい大変申し訳ございません!」


物音が止まり、しばしの静けさが訪れる。

気まずい静寂。


と思いきや、ものの数秒でプッと誰かが吹き出す声が聞こえ、堰を切ったように部屋中が笑い声に包まれた。


あれぇ、と恐る恐る顔を上げると、顔の良い人たち10人ほどが皆腹を抱えて笑っていた。涙まで流しているのもいる。失敬な。


ひとしきり笑った後、上役と見られるエルフが腹を抱えたまま近づいてきた。


「相申し訳ない……貴女がサトウ様ですね」

「はい、そうです」

「いきなり大変な失礼を……徹夜続きで枝が落ちだだけで笑ってしまう者ばかりでして」

「は、はぁ」

「お待ちしておりまし……ふふっ……こちらへ……」


箸が転がっただけで面白いとか、そんな表現なんだろうなと思いながら個室に案内される。


綺麗なノック3回でドアを開ける。


「サテュア様、サトウ様がお見えです」

「どうぞ」


それでは、と口だけで話してエルフは去った。


「失礼します」


私が室内に入ると、毎日見慣れた顔と、昔に一度会った顔に出迎えられた。この2人には大いに貸しがあるので少し安心する。


「ようこそ精霊文化庁へ! と言いたいところだけど、随分な重役出勤のようね」

「それはすみません……まあ初めて来た国の公共交通機関を使って、ネットなしで1人で辿り着けただけでも奇跡に近いのでお許しください」


ジト目でテュルカの方を見やると、テュルカはバツの悪そうな顔で目を逸らす。今朝は彼女が寝坊したせいで、ろくな説明もなく家に取り残されたのだ。


「まあそのなんだ……すまない」

「まあ良いですけど」


私がブスッとした顔をしていると、サテュアの目が輝いていた。テュルカと私を見比べている。


何故?


「あら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???」


そしてニヤニヤとした顔でテュルカの顔を覗き込む。


なんだその顔は。私とテュルカはそういう関係じゃないんだぞ。勘違いしないでくれ。


テュルカが咳払いをする。そうだ、言ってやってくれ。


「……サテュア様、明日からはお仕事全部1人でやってくださいね」

「いやいやいやいや! そんな話ある?!」


一転、涙目になるサテュア。騒がしい人だなという印象。


なんとなくテュルカとサテュアの力関係がわかった気がした。



・・・・・・・・・・・・



「……とまあ、改めまして。自己紹介がまだでしたね。サテュアリスム・フォン・シャルスティーラと申します。気軽にサテュアと呼んでくれていいわ」


「佐藤すみれと申します。今後ともよろしくお願いしますサテュア様」


爛々と輝いた目で応答するサテュア。最初会った時の印象よりもだいぶ快活に思えるが、これが彼女の素に近いのだろう。


「まずはこの書類にサインしてもらえるかしら?」

「これは?」

「被験の同意書だ。内容の確認をしよう」


テュルカが引き継ぐ。試験目的などの一般的な事、嫌だと思ったらいつでも辞めて良いくらいの内容だった。

元の世界で被験はやったことはなかったが、多分同じような手続きなのだろう。


ふと被験責任者の欄を見ると、テュルカのサインが入っている。ああそれか、とテュルカが答える。


「サテュア様に責任を負わせるわけにもいかんだろう」


うーん、ブラック。


「今日は相談がメインだ。サテュア様のプランに対して、スミレ殿の意見も聞かせて欲しい」

「プラン?」

「そう。まず術式の概要について説明するわね」


サテュアは私の知らない単語を並べて難しい話をし始めた。私は文中にわからない単語が2語以上入ると思考停止するのでやめてもらいたい。


よし、なんもわからん。


そっとテュルカの方を見やると、静かに目を閉じて聞き入っていた。流石エルフ、この意味不明な話を理解できるのか。


時折うなずいて……る訳じゃなくて、これは船漕いでるだけじゃ……?

私の疑念が確信に変わった頃、サテュアの話は終わった。


「という訳で、この試験方法について意見をもらえると良いのだけど」


おずおずと訊ねるサテュア。

私は胸を張って答える。


「私では力不足なので帰ります」

「なんでよ!!」

「サテュア様、申し上げづらいのですが」


寝起きのしょぼしょぼした目でテュルカが会話に入ってくる。


「難しすぎて多分何も伝わっていないです」

「あんなに噛み砕いたのに……?」

「私も正直よくわかりませんでした」

「えぇ……」


サテュアは不服そうな顔をしていたが、しばらく小声でぶつぶつと呟いた後、しめやかに宣言した。


「まあいいわ。このまま続けましょう」

「サテュア様、それはダメです。説明義務違反です」

「これ以上わかりやすく説明するのは無理だわ。分かるって何なのよ」


急に哲学めいたことを言い始めるサテュアを尻目に、テュルカがジト目で応答する。


「サテュア様。そんなだから住民説明会で炎上するんですよ」

「仕方ないじゃない! あんな間違いだらけの答弁書を読むなんてごめんだわ」

「間違いではなく方便です。理論的に正確な説明が万人に理解できるはずがないんです。三文以内で説明してください」


サテュアはわなわなと震えていたが、次第に小顔を可愛らしく歪めながら俯いていった。サービスショットありがとうございます。


そしてしばらくするとパッと顔を上げて彼女は口を開いた。


「私の術式で、サトウさんの時空を特定する実験を行います。具体的にはサトウさんに関係のある特定の物体を、転送したり戻したりします。今回の結果はサトウさんの時空特定にのみ使用されます。これでいい?!」

「お見事です」


決め顔で振り向くサテュアを褒めるテュルカ。あれだけ噛み砕くのを渋っていた割に、守秘義務の話で一文使うんだ……と遠い頭で私は考えていた。


まあいいや。


私はスルスルとサインをする。


「理解しました」

「じゃあ早速服脱いでもらえる?」

「やっぱり理解してないです」

「さっき説明したじゃない。あなたに関係あるものを転送するって」

「なんで服を脱がないといけないんですか」

「貴女に縁があって、元の世界から持ってきたものがあるなら良いのだけど。服以外にそういうもの、ある?」


どうやら私の世界と関係が深い……私に縁のあるものが必要らしい。縁ねぇ。


改めて言われるとそんなものは中々見つからない。人なんてものは死んでしまったら案外何も残らないのだ。



「……こういうのもので良ければ」


私は指輪を外して机に置く。


「これは……良いの?」

「母の形見です。私に一番縁がある物は、多分これかと」


サテュアが少し驚いた表情を浮かべる。


「……これは使えないわ」

「何故?」

「正確には使えなくはないけど、余り適切じゃない。あなたのお母さんに縁があるものでしょう? 実験試料としては不適当だわ」


サテュアは若干しっとりした声でそう応えると、指輪を私の方へ返した。


「だから」


サテュアは打って変わって悪戯な声で告げる。


「服を脱ぎなさい」

「やっぱり帰って良いですか」

「ダメなのー! 諦めて早く脱ぎなさい!」

「ちょ、実力行使は洒落になら……! テュルカも止めさせてください!」

「テュルカは動いちゃダメ! これは業務命令!」

「流石に越権では? ……すまないスミレ。実際の所、今の説明を聞く限りではサンプルは服くらいしかなさそうだ。スミレはほぼ何も持たずにこの世界に来ただろう?」


ぐぬぬ。


確かに通勤鞄は召喚時にはこちらの世界には来なかった。小物類は全部鞄に入れるタイプの人間なので、ほぼ何も持たないままこの世界に放り込まれていたのだ。


「ほらチェックメイト。観念なさい」

「くっ……こなくそぉぉ」


私に劣らず、サテュアも細くてちっこいタイプだったが、思ったより膂力がある。体幹で負けて押し倒される。


「痴女! 痴女です! いたいけな難民へのセクハラで人権団体に訴えてやる!」

「うるさいうるさいうるさい! 署名したんだから少しは協力しなさい!」

「嫌ならこの被験はいつでもやめていいんでしょ?! 今すぐ辞めます! 暴力反対!」

「あんなもん形式だけで拒否権なん……てッ、ないのよ!」

「あ、ちょっと?! あ、あぁ〜〜〜!!」


私の敗北の絶叫が、部屋中に響き渡った。



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