嘆きの中の誕生

 翌年



 佐々木香苗 六月八日 朝


「おはよ」


「……」


 ──わかってるよ、言ってみただけ。


「いただきます」


 今朝はトーストにしよう。


和哉かずやさん、漬け物要ります?」


「もらおうか」


 チンッ


「母さん、味噌汁もう一杯ある? それとご飯」


「あるわよ、はいひろし


「ありがと」


「ごちそうさま」


 食べ終わったので皿を洗う。


 スマホの通知音。


『今日の予定:一件 誕生日(香苗)』


「行ってきます」


 透明人間の朝の光景だ。


 谷野咲良 六月八日 朝


 ──あ、蹴った。


 ──君は元気だね、うんうん。お母さん嬉しい。


 ──お腹、減ったな。


「ママ~、臨月の妊婦がいるのよ? お酒控えて……くれませんか? お願いします」


 控えめに頼む。


 ──まるで居候だ。


「誰の子かもわかんないくせに、言うことだけは母親だね」


 ──佑翔の子だよ。


 ──彼としか寝てないもん。


「何回言えばわかって……くれるん……ですか」


 イラついてはいけない。お腹の子に悪い。


 ──穏やかに、穏やかに。


 自分に言い聞かせる。


 予定は来週。


出産そんなもんのために高校辞めやがって、馬鹿娘が」


 ──ママ……お願い、やめて。お祝いする気がないなら、せめて放っておいて。


 ──佑翔だって、頑張って仕事見つけたのに。私だって内職してたじゃん。




 香苗 六月八日 昼休み


 ──購買の菓子パン、全滅か。


 自販機でコーラを買う。


 ──午後、これで保つかな。


 グビリ。


 炭酸が、ぴりぴりと痛い。


 あまり好きではないが、贅沢は言っていられない。


 ──十六の誕生日にお腹空かせて授業受ける学生が何処に……いるじゃないか、ここに。


 ──谷野先輩、元気かな。会いたいな。


 咲良 六月八日 昼


 ──まずい。


 ──陣痛だ。


「マ、ママ? その……お腹痛い」


 ママを起こす。


「んぁ? んだって?」


「だっ、だからお腹が……陣痛かも」


「てめえで呼べよ、救急車んなもん


 ──えっ?


「ママ? 何を言ってる……んですか? スマホは……あなたが……その」


 ──没収したんじゃない。佑翔と連絡取らせないように。


「この世にはな、公衆電話ってもんがあるの。知らねえの?」


「近くにそんなもの……」


「探せよ、『お母さん』」


 ──っ!!


「わかりました。行ってきます」


「病院で食えるんだろ? 暫く作んなくていいな」


 ──いつも私が料理してんじゃん。


  香苗 六月八日 放課後


 ──帰ろ。


 ──今年は、何が起こるんだろう?

 ◆◆◆◆

 小学四年生の頃のことだ。

 母の古い日記を、盗み見たことがある。


 当時、難しい漢字は書けなかったが、読むことはできた。

 ────

 六月八日(土)

 またこの日が来た。憂鬱だ。

 ────


 ──わたしの、おたんじょうびなのに……。


 ────

 毎年のことだが、今年も不幸は起こった。きっと娘は呪いの子なのだろう。

 ────


 ──のろい? そんな。


 涙が出て、止まらなかった。


 ──おかあさん……ひどいよ。どうして、私がのろわれてるの?


 ────

 今回は自動車事故だ。玄関先に突っ込んできた。

 ────


 ──ようちえんの時だ。


 幼い私は気になって、他の年のものも探した。

 六月八日の記述のみを求めて。

 二年前。

 ────

 クラークが死んだ、事故死だった。

 ────


 コーギーのクラークだ。


 去年。


 ────

 博が万引きした。店に呼ばれ、謝罪した。 思い出したくもない。あの粗チン早漏中年!

 ────

 

 ──そんな!! わたし、何もきいてない……あらチン? はや……なにこれ?


 意味が分かったのは中学二年の秋だ。


 六月八日の日記は、金太郎飴のように、どの年を見ても不幸で彩られていた。

 

 ────

 和哉が親父狩りに遭った。

 ────

 落とした財布が拾われたと、警察から連絡が来た。現金が入っていない。

 ────

 突風で飛んできた看板が、リビングの窓ガラス直撃。

 ────


 ──わたしのせいなの?

「うぅ、えぐっ……」


 ────

 誰の種とも知れぬ娘を抱き締めて泣いた。 和哉には黙っておく。

 ────


 ──え? ──なんで、おとうさんに言えないの? たね? 


 中二の秋に、その意味も分かった。私は、不幸の申し子なのだろう。 


 ◆◆◆◆


 ──そろそろ、私自身にも何か起こるんじゃないか? 


 ──隣の部屋、何かあったのかな? うるさいな。二ヶ月前に越してきたみたいだけど、どんな人なんだろう?

 

 ──少し、谷野先輩に声が似てるな。


「ただいま」


 咲良(3) 同時刻



「ぐっ!! うぅ!! ああああああっ!!」


 ラマーズ法なんて余裕はない。


 結局、部屋を出る前に破水した。

 トイレに駆け込んで、鍵をかけた。


 ──この子は……私が守らなきゃ。


 激痛。


 スイカなんてもんじゃない。

 意識が何度も飛びそうになる。


 ──助けて…………佑翔……。


 何時間経っただろう。


 朦朧とする意識の片隅で、新たな生命の声を聞いた。


 赤く染まるその体を、私から切り離した。


 ──誕生日おめでとう……ううん、ごめんなさい、こんな世界に産んでしまって。


 香苗と咲良 六月八日 午後四時頃


 ×××

 ──今年は、何も起きなかったな。

 ×××

 ──ママ、スマホ返してくれないかな。こんな姿で、外に出られない。


 ──ねえ佑翔、あなたは父親になったのよ。

 ×××

 ──ケーキがない……のは毎年か。

 ×××

 ──お腹空いた。胎盤あれ、流さなきゃよかった。

 ×××

 ──せめて、音楽くらい。ボリューム最小で……ん? 何か聞こえ……え?

 ×××

「ハッピーバースデー……トゥーユー♪……ハッピー……バー……スデー……トゥー……ユー…………」

 ──そう言えば……今日、香苗ちゃんもお誕生日よね。元気かな、あの不憫な後輩。

 ×××

 ──信じられない。先輩の歌声そっくり……まさか。

 ×××

「ハッピー……バースデー…………うっ……ぐすっ……えぐっ、ああああっ!!」

 ×××

 ──違った。谷野咲良が泣くなんて。

 ──私の尊敬する谷野先輩が。

 ──でも、誕生日に『ハッピーバースデー』なんて、初めてだな。

 ×××

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ──誰か……助けて。せめて、この子だけでも。

 

 

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