ズワイガニは松葉ガニと越前ガニだけ?

猫電話

前編 なんでお前がいるんだよ!

「……なんでお前がここにいるんだ?」


 札幌県警所属の重茂おもい古見こみ44歳が、一週間もの長期休暇を得て訪れたのは京都県の北部にある漁港の街、舞亀漁港。


 この漁港に面するいくつかある、松葉ガニを美味しく食べられるお店の中で特に有名な、いけす料理のお店『呱々葉島璃ここはじまり』。

 重茂はこのお店の店主である、佐井さい緒舵仮しょだけ45歳と古い友人で、精神的な養生のために会いに来ていた。


「えー?水臭くないですか?重茂さんが旅行に行くなら僕も連れてって下さいよ!」

「いや……なんで?」


 自分の座る席の前、対面の席に座る九浮くうき依馬内よまない29歳の、見てるだけでイラっと来る笑みを、実際にイライラしながら睨みつける。


「なんでって!僕と重茂さんの仲じゃないですか!」

「……ただの上司と部下の筈だが?」


 九浮が部下になってから、重茂は何度も胃を痛くした事か。

 つい先日も、怪異としか思えない事件に遭遇したのは絶対こいつのせいだ。

 そういう不快な感情を込めて、さっきから睨んでるが全く気にしない九浮に呆れた溜息を漏らす。


「またまたぁ! 重茂さんが一週間の休みを申請してるの見て、慌てて僕も同じ期間を申請して追いかけて来たんですよ! 喜んでくださいよ!」

「なんでそれで喜べるとおもってんだよ!」


 ついに我慢できなかったのか、椅子を蹴って立ち上がるとそう叫ぶ重茂。


「え? そうですか?」


 九浮は、全く重茂の叫びを気に留めないで、いつの間に自分だけ頼んだのか、ビールジョッキを傾けながら不思議そうに首を傾げる。


「もういいよ……」


 そう言って力なく席に座りなお重茂は……


「だがよ? 俺と同じ期間の休暇申請よく通ったな?」


 目の前のお冷に口を付けて溜息と一緒に疑問を吐き出す。


「え? 重茂さん何言ってんすか? うちら窓際じゃないっすか?」


 っく!

 苦虫を噛み潰すような表情で唸る重茂。

 九浮のその言い分は事実なので何も言い返せない。

 自分の部長という肩書は、訴事情の情けで貰えた物なので、自分のデスクが窓際それなのも一番理解している。

 九浮の話も聞いている。

 上司から新しい部下として彼を紹介された時に言われた言葉は「優秀だが空気が読めなくて、仲間内で揉め事ばかり起こして困ってるからお前が面倒を見ろ」だった。


「っち、それでなんでここにいるんだよ?」

「え? 普通に重茂さんを尾行しましたけど?」


 これだよこれ!

 意味がわからん!

 空気が読めないとかそういう事が、揉め事の原因じゃ無かったに違いない、あの上司はわかっててそれを隠して紹介したに違いない。


「殆ど犯罪じゃねぇか……」

「いいじゃないですか!重茂さんが休みを取って迄どこに行くのか興味があったんですよ!」


「……だからそれが犯罪だって言ってるんだよ……」


 項垂れる重茂を無視するように話題を変える九浮。


「それで、ここって松葉ガニでしたっけ? 美味しいらしいですね!」

「……そうだが、それがなんだ?」

「松葉ガニってズワイガニの事らしいですよ? ブランド名? そんな感じで先日食べたズワイガニと基本的に同じ物らしいですね!」

「松葉ガニもブランド名ではありますけど、ここらでは間人たいざガニって言うんですよ」


 最近知った知識を自慢げに披露する九浮と重茂の前に、店主の佐井が冷水で〆た蟹の足が3本づつのった皿を置きながら、そう声をかける。


「佐井か……久しぶりだな」

「久しぶりだな、重茂」


 九浮は届いた蟹の刺身に目をが奪われて二人の会話は耳に入ってないようで、さっそくといった感じに唇を舐めながら、刺身の一本の殻の部分を摘まんで持ち上げる。


「今日はありがとうな! わざわざ俺の誕生日に祝いに来てくれるなんてよ」


 そう言って重茂に握手を求めて右手を差し出す佐井。


「おう! 誕生日おめでとう!」


 その手を握り返す重茂は、彼があまり見せない笑顔浮かべてる。

 その笑顔に驚いた九浮は持ち上げた蟹の刺身を取り落とす。


「重茂さんって笑う事できたんですね……」

「ころすぞ!」


 あまりもの九浮の言い分に青筋を立てて睨む重茂を佐井が肩を叩いて止める。


「まぁまぁ、いいじゃないか! 勝手にとは言え態々追いかけてくるような、お前を慕ってる部下じゃないか」

「こいつのそれは、そいう可愛い理由なんかじゃないぞ? 絶対」


 九浮は、キョトンとした表情を浮かべたが、直ぐに取り落とした蟹の刺身を再度摘まみ上げると、わさび醤油の皿に軽く浸して口に運んで頬を膨らませてもぐもぐと咀嚼する。

 その顔は満面の笑みを浮かべていた。


「……これだぜ?」

「はははは」


 重茂が後ろ手の親指で九浮を指して溜息を漏らして、佐井は苦笑いを浮かべた。

 その後、佐井は奥に戻り残りのカニ料理をタイミングを計りながら提供してくれた。


「相変わらずの腕だな。 旨かったよ」


 そう言って、レジで佐井の料理を褒めながら財布を手にする重茂。


「お代は今日はいいよ! 俺の奢りだ!」


 そう言って佐井は片手で重茂の財布を押し返す。


「何言ってるんだ、今日は俺が祝いに来たんだぞ? 俺が奢られてどうするんだよ?」


 それでも払おうと佐井の手を避けて財布を開こうとした重茂を完全に無視して九浮きがとんでもない事を口にする。


「本当ですか!ご馳走になります!」

「だれがお前に奢るっていったよ!」


 あまりに我儘なその言葉に重茂は叫ぶ。


「まぁまぁ! いいよ重茂の可愛い部下なら一緒に奢ってやるよ」


 そう言って佐井は笑顔で重茂を窘めるとレジ前を離れて二人の背中を押しながら店の外へ出る。


「……本当に悪いな佐井」

「いいって、で夜はうちにくるんだろう?」

「ああ、何か摘まめるもの買って行くよ」

「いいって、俺が何か作るさ!」

「そうか……奥さんに謝っておいてくれよ?」


 苦笑いを浮かべた重茂はもう一度佐井と握手をしながらそう伝えて、その場を後にしようとした所で、九浮が驚愕の顔を浮かべているのが見えた。


「重茂さん……ホテルとかじゃないんですか! 僕はどこに泊まればいいんですか!」

「しらねぇよ!! 勝手に来たんだろうが! 自分でどうにかしろよ!」


 頭を抱える九浮に何度目かの青筋を立てて捲し立てる重茂。


「まぁまぁ、九浮君だっけ? 君も家に泊まりに来な」

「いいんですか! ありがとうございます!」

「少しは遠慮しろよ!」


 間髪入れない九浮の言葉に重茂がキレる。


「まぁまぁ、取り敢えずお店が終わる迄時間が有るから、漁港でも二人で見て来いよ。 まぁただの漁港だから見る物ないかもしれないけどな!」


「……佐井、本当に迷惑かけるな……」

「いいって! わざわざ祝いに来てくれただけで俺は嬉しいんだって!」

「そうか……ありがとな」


 これ以上ここに居てはお店の迷惑になると、重茂は九浮を引き摺るように漁港に向かった。


「漁港ですか? 何か珍しい物でもあるんですか?」

「別にねぇよ、単なる暇つぶしだ」

「えー! じゃぁ街の方に行きましょうよ? 可愛い子とかのお店あるんじゃないんですか?」

「じゃ一人で行ってこいよ」


 重茂は九浮と会話するのが本当に疲れて来ていた。

 もう、声は呟くような小さい声しか出せなくなっているようで、肩も落として歩く。


「重茂さんと行きたいんですよ!」


 もう何も返さない重茂。


「あ! あっちの方で水揚げやってるみたいですよ?」


 そう言って漁港の中で人だかりが出来てる場所を指さす。


「こんな時間に?」


 訝しく思った重茂がそちらに目線を向けると、その人だかりの手前の方に見た事のある姿が立っていた。

 その者はこちらに気が付いたのか、こちらを振り向いた。


「あ! 刑事さん! お久しぶりです!」


 そう言って手を……いや、鋏を振るのはオーバーオール姿のかに太郎たろう23歳。


「なんでお前もここに居るんだよ!!!」


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