2・師匠が働かないから弟子の仕事が増える

  なにが、あわよくば、だ。

「きみたち全員、そんなに暇じゃないでしょ。だいたい、みんなの師匠はミリドなんだから、素描の添削をしてもらいたければ、ミリドに頼みなさい」

「師匠は昨夜から帰ってこないんすよ」

(あんにゃろ)

 また夜遊び……もとい、パトロンのパーティーか。

 工房では、ただ描くだけでは、パンにならない。絵を買ってくれるパトロンが必要なわけで、工房主のミリドは夜な夜な金持ちのパーティーを渡り歩いては、即興で絵の腕前を披露したりなどして、自らの名を売り歩いているのだった。

(大切なことだって、わかっちゃいるんだけどさ)

 ミリドの名で請け負った仕事をイトたちに任せきりで、朝帰りというのはいかがなものだろうか。

(帰ってきたら、今日こそとっちめてやらなきゃ)

 心を決めつつ、自分の仕事に戻ろうとしたのだが、

「イトっち、ちょっといいかな」

 話しかけてきたのは、直々の後輩……二番弟子にあたるオークリーだった。

「良くないよ。わたしは今週中に仕上げなきゃならない大事な仕事があるんだから」

「それはそうだろうけど、こっちは今日引き渡しの仕事なんだ。ほら、例の修道院から注文がきた聖母像」

「例の……あぁ。あれなら、ほとんど完成してたんじゃなかったっけ?」

「ほとんどね、僕も手伝って、背景なんかは終わっているんだけど……肝心の真ん中の聖母像。先生は興がのったらやるっておっしゃって放っておかれて、昨夜も興がのらないまま出かけちゃったんだよ」

「……納入日はいつだって?

「今日。正午過ぎに修道院の人が取りに来る予定」

「見せて!」

 修道院依頼のその仕事は、工房のなかでも重要な大作なので、ミリド専用の製作室に置かれていた。

 めまいがするほどリアルな習作をかきわけて製作室に辿りつき、作品を見あげたイトは――唖然とした。

 大きな板を三枚も貼り合わせて描かれた大作だ。左右の絵は完成しており、膝まずいて、祈る天使も、背景の岩も山も幽玄で艶めかしい。

 中央の絵も、これはオークリーの手になるものらしく、植物や建物は几帳面に完璧に仕上がっていた。ただ、真ん中。真っ白。

 聖母の姿があるべきところだけ、何一つ描かれていない。

「……これを、置いて出かけただって? 今日が締め切りなのに?」

「そう」

「……修道院とは、どういう契約なのかな?」

「納入期限を守らなかったら報酬なし。書きかけの絵は募集」

「大変じゃないか!」

 これだけの大作、時間も手間もかかっているうえ、修道院側の期待も半端ないはず。

 もしも『完成しませんでした』なんて言おうものなら、ミリドの工房は契約を守れないなんていう悪評がたってしまう。

「技法は何? 油彩だね。絵の具を持ってきて。顔料と油も」

 腕まくりを二の腕まで引き上げ、栗色の髪に布を巻いて邪魔にならなうように結びながら、弟子たちに次々と指示を出す。

「誰か、師匠の下絵があるはずでしょ。持ってきて見せて!」

「これです!」

 慌てて差し出された羊皮紙を開いてみて、イトは唖然とした。

 (これって)

 古代風の衣装に見立てた布をかぶり、バラの花冠を手にした。聖母のモデルは……イトだった。

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