Case 3-5 ご主人様

 静まり返った部屋のなか、窓から差し込む月明りが亜里紗の顔を照らしていた。


 だがその横で、異様な存在が、静かに彼女を抱きかかえていた。


 白銀の装甲、無機質な瞳。――ロボットだった。


 その機体は、かつて振動波生成室で亜里紗を守ったあのロボットに近かった。


「……!?」


 階段を駆け上がってきた望と南部が部屋に飛び込んだとき、すでにロボットは窓際に立っていた。


「まさか……やめろ!」


 望の叫びに応じることもなく、ロボットは窓を静かに開けた。そして、その足を窓枠にかけたかと思えば――。


 ドン――ッ!


 次の瞬間、ものすごい跳躍音を残して、空高く飛び立った。


 「待てっ!!」


 駆け寄った南部が窓から外を覗くと、ロボットは地上に着地すると同時に、信じられないほどの速度で駆け出し、近くの森へと吸い込まれるように消えていった。


 「……くそっ!」


 南部が歯噛みしたその背後で、望がその場に崩れ落ちた。


 「……あぁ……やはり……私のクローンが、亜里紗を……連れていったのだ……」


 肩を震わせながら、望は声を絞り出した。


 その姿を見て、南部は怒鳴った。


 「何を座り込んでるんですか、望さんッ!!」


 望が顔を上げ、目を見開いた。


 「あなたの娘ですよ!? 誘拐されたんですよ!? 何を諦めたような目をしてるんですか!」


 「だ、だが……あのロボットは、あいつの手によって――あんなにも強く……私たちでは勝てるはずが――」


 「関係ありません!」


 南部の声は、火を灯すように熱かった。


 「勝てるかどうかじゃない! 助けに行くんです。

 あんたが、何を失ってきたかは知りません。けど、これ以上、亜里紗さんまで奪われていいんですか?」


 望の瞳に、再び光が宿った。


 「……私は……」


 「行きましょう、金城さん。今度こそ――取り戻すんです」


 望はしばし黙っていたが、ゆっくりと立ち上がり、うなずいた。


 「……あぁ。行こう、南部君。今度こそ……娘を助ける」


 その言葉と同時に、二人は家を飛び出し、車へと乗り込んだ。


 行き先は、あのロボットが姿を消した森の中。


 見失った亜里紗を――必ず、見つけ出すために。



 それから、三時間が経ち、森の奥深く。


 ――かすかな湿気と、金属の錆びついた臭い。

 亜里紗は、その重たいまぶたの奥に、ぼんやりとした光を感じて、目を開いた。


 「……ここは……?」


 視界はかすんでいたが、徐々に焦点が合っていくと、自分が寝かされているベッドのようなものが、冷たく硬質な金属でできていることに気づいた。

 ベッドの周囲には、天井から吊るされた蛍光灯の一部が壊れてチカチカと明滅しており、壁面には配管や電線がむき出しで走っていた。

 コンクリートの壁にはカビと黒ずみが広がり、古びた警告サインや、半壊したモニターがちらほらと残っていた。

 所々に散乱しているのは、壊れた計器類や誰かの実験ノートの断片。――明らかに廃棄された研究施設だった。


 「なんで……私、ここはどこ……?」


 まだ身体が重く、完全には起き上がれなかった。

 だが、そのとき、視界の端に映る大きな影が動いた。


 驚き、慌ててなんとか身を起こすと、すぐそばに、一台のロボットが立っていた。

 銀色の機体、滑らかに仕上げられた関節部、そして亜里紗の目線に合わせるように膝をつき、こちらを覗き込んでいた――。


 「……っ!」


 思わず身体を引き、亜里紗は警戒の目を向けた。だがその瞬間、予想外の出来事が起きた。

 そのロボットの無機質な顔の一部――目のようなセンサーが、やや細まり、柔らかく揺れたのだ。


 まるで、喜びを表現する人間のように。


 「……!」


 亜里紗は目を見張った。そのとき――。


 「……目覚めてくれて、うれしいです。ご主人様」


 その声は、どこか落ち着いた男性の声だった。だが、それが発されたのが、まさに目の前のロボットの口元――


 信じられなかった。初めて見るロボットが、自分を『ご主人様』と呼んだのだった。

 言葉にできないほどの驚きが亜里紗の胸を打ち、彼女はただ呆然と、そのロボットの顔を見つめ続けた。

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