【短編】ファリベリータ、ファリベリータ、ファリベリータ。

お茶の間ぽんこ

ファリベリータ、ファリベリータ、ファリベリータ。

 授業中でのワンシーン。


「はい、ここの問題分かる人」


 私は生徒に問いかける。「はい、はい!」とクラスの子どもたちは元気いっぱいに手をあげた。「はい、じゃあ一番早かったサイトウくん」私はサイトウくんを当てた。


「ファリベリータ!!」


 サイトウくんがそう自信満々に答えると、クラスの皆が同調して「ファリベリータ、ファリベリータ!」と合唱する。


 私は呆れながら、正しい答えを言った。



 放課後、私は校内の端っこにある喫煙ルームに行った。扉を開けるとオノヅカ先生がいて手をそっとあげて挨拶してきたので、私は頭を下げた。オノヅカ先生は近くにいると加齢臭が気になるので灰皿を挟んで対面に立った。ポーチからタバコを取り出して火をつける。


「はあ…」


「ミユキ先生、大きなため息なんかついてどうしたんですか」オノヅカ先生が話しかけてきた。


「また生徒たちがファリベリータって。まともに授業ができないですよ」


「最近ファリベリータが流行ってますな。いやあ、もうおじさんの私はついていけませんよ」煙を吐き出しながらガッハッハと笑う。


「ファリベリータって何でしょうね」


「ファリベリータ自体に意味なんてないでしょう。あれは言うことに意味があるんですよ」


「言うこと?」私は聞き返してオノヅカ先生の一呼吸を待った。


「合言葉ってやつですよ。共通の言葉を持つってのは子どものロマンじゃないですか」


 オノヅカ先生は目をつぶってウンウンと頷く。自分の幼少期を思い出しているんだろう。私は誰かと独自の言葉を共有した思い出なんてなかったので、彼の言うことがよく分からなかった。


「大丈夫ですよ。流行りはすぐ廃れるんですから、もう少し長い目で見ましょうよ」


「はあ、だと良いんですけど」


 私は大きく煙を吐いた。少しばかり沈黙が続いてボーッとする。宙を見て煙の行方を追うオノヅカ先生を見た。オノヅカ先生はいつも猫背でだらしないイメージだったが、今日は気持ちばかり背筋がピンとしていて、活気があるように見えた。


「最近、なんていうか、生き生きしていますよね」


 社交辞令としてオノヅカ先生を褒めてみると、オノヅカ先生はパーッと顔を輝かせた。


「分かります!? そうなんですよ。ずっと悩まされていた腰痛も治って、若返ったように元気になりましてね。最近は朝のランニングが日課になっているんですよ」


 オノヅカ先生は腕をあげて上半身を回してみせた。


「これもファリベリータのおかげかな」


 彼は馬鹿にしたように言ってタバコを灰皿に落とした。そしてファリベリータ、ファリベリータと小さく呟きながら喫煙所を出ていった。


 誰もいなくなった喫煙所でスマホをだして『ファリベリータ』と検索する。検索結果は表示されるが、ファリベリータについて解説しているページなんてどこにもなかった。やはり子どもたちの中でのみ流行っている合言葉みたいなものなんだろう。


 はじめてファリベリータという言葉を聞いたのは確か、教室でマキハラさんに話しかけられたときだ。「ねえねえ先生。最近ファリベリータを飼ったの! とっても可愛くてさ!」マキハラさんはウキウキした様子でそう言った。


 もちろんファリベリータなんて聞いたことがなかったし、何かパスタの名前なのかなと思った。だけど、マキハラさんの言い方的に「ファリベリータが可愛い」と言っているし、きっと何かしらの生き物だろうと思った。


 だから「ファリベリータってペット?」と聞いたら「違うよ、ファリベリータはファリベリータ」と答えた。よく分からなくて、生き物ではないのだったらぬいぐるみなのだろうと思った。


「ぬいぐるみさん?」

「ぬいぐるみと一緒にしないで!」

「じゃあ何?」

「だからファリベリータだってさ!」


結局、マキハラさんと話してもファリベリータについて何か分からなかった。ファリベリータはファリベリータなのだと言われても、ファリベリータを知らないのだから理解してあげられない。それから、クラスの皆でファリベリータが浸透していった。それは食べ物や建物などの物体を指すようなこともあれば、イベントや何かの言葉など概念的な何かを表すこともあった。それが曖昧なもので明確な定義がなされていないことだけが分かった。


 オノヅカ先生が言う通り、ファリベリータという言葉には意味がなくて、それを唱えることが子どもたちの仲間意識を確固たるものにさせる、そういうことなんだと理解することにした。ファリベリータを言うことに問題はないけれど、授業にまで支障が出るのは一教師として看過できない事態ではあった。ただ、このブームが一過性のものであると考えるようにした。



 一ヶ月経った今でも、ファリベリータのブームが終わることがなかった。むしろ、ファリベリータは教師陣にも広がり始めた。


 朝会で校長先生が思わぬ発言をした。


「今日から、ファリベリータ強化月間としましょう。子どもたちの間でより促進されるように、先生一同も日頃よりファリベリータを積極的に使ってください」


 その言葉に私は唖然とした。周りの先生を見る。先生たちも納得したようにウンウンと頷いていた。


「どうしてファリベリータが推奨されるのですか」


 私は思わず聞いてしまった。校長先生は堂々と説明する。


「ここ最近、学校内外での子どもたちの振る舞いがすこぶる改善されました。それどころか、親御さんおよび近隣住民からのお叱りの電話もめっきりなくなりました。むしろ、お褒めのお言葉を頂くようになっているのですよ。ファリベリータが浸透し始めてからそうなったと判断しました」


 そうして校長先生は「ファリベリータは魔法の言葉なんです」と添えた。


 私以外の先生は、子どもたちみたいに「ファリベリータ」と合唱した。



 ファリベリータ強化月間が始まって少し経った今日、授業が終わり、職員室で学校行事の遠足の内容について練っていた。私はタイムスケジュールに問題があると感じて、オノヅカ先生に相談した。


「ここ、バスが到着する時間と休憩時間が見積もり甘くて、それ以降の行程に支障が出そうなんですけど、どうすれば良いですか」


 オノヅカ先生は渡された資料を凝視して、こう言った。


「これはファリベリータすれば良いんじゃないですかね」


「ファリベリータ?」


 私はオノヅカ先生がふざけてるようにみえてムッとした。


「今、業務の話をしています。ふざけないでくさい」


「ふざけてなんていないですよ」


「じゃあ私にはそのファリベリータの意味が分からないので、私の分かる言葉で教えてください」


「だからファリベリータはファリベリータなんですよ。それ以外の意味はありません」


「オノヅカ先生。ファリベリータはそれ自体に意味がないって言ってたじゃないですか」


「ファリベリータには意味がありますよ」


「じゃあどういう意味なんですか」


「何度も言っているじゃないですか。ファリベリータはファリベリータですよ」


 私はこの男を殴りたくなった。しかしオノヅカ先生は至極当然のような風で答える。


「ミユキ先生、落ち着いてください!」


 他の先生が割って入る。私の怒りの感情が伝わったのだろう。きっと、フォローを入れてくれてオノヅカ先生にまともな回答をさせるように運んでくれるに違いない。


 しかし、返ってきた言葉は思っていたものと違っていた。


「ファリベリータは魔法の言葉なんです。ミユキ先生も受け入れましょう」

 


 私は喫煙所に行った。もうこの喫煙所には私しか足を運ばない。ファリベリータという”魔法の言葉”によって皆が禁煙したとでも言うのか。


「阿保らしい」


 私はそう独り言ちながら大きく煙を吐いた。


 オノヅカ先生と言い、他の先生も皆、ファリベリータによって狂ってしまった。正直、もうこのイカれた学校で教師を続けられる自信がない。タバコをふかしているうちに、辞職の意思が固まり始めていた。


 ブーブーとスムーズが鳴る。私はイライラしながらスマホをだした。電話だった。私は電話に出る。


 電話の内容を聞いて、私はスマホを落とした。



 急いで病室にかけつけた。その病室には私の彼氏のタケルが顔に包帯が巻かれた状態で寝かされていた。室内ではモニターから発せられるピッピッという無機質な音だけが響く。


 タケルは営業の出先に交通事故にあって意識不明の重体だと言う。


「再び意識が戻るかどうかはわかりません。ミユキさんが側にいてあげて、祈ってあげることしか…」


 そう告げる医師の言葉に呆然とすることしかできなかった。僅かばかりの可能性にかけるしかないと言われているようにしか聞こえなかった。


 側でタケルをじっと見つめる。私にできるのは祈ってあげることしかできないのが辛かった。


 そんなときにふと学校での記憶が思い出される。


———ファリベリータは魔法の言葉なんです


 そんな眉唾ものの言葉を信じることが嫌でしかたなかったが、私は藁にすがる思いでそれに従うことにした。


 ファリベリータ、ファリベリータ、ファリベリータ。


 祈ったところで、タケルの状態が良くなると思えなかった。もう頭がぐちゃぐちゃだった。


 しかし、私が祈った途端、モニターに映る数値が安定し始めた。


 医師は思わぬ事態に戸惑う。そして、彼の口が小さく動いた。


「ミユ…キ…」



 朝、起きる。今日は仕事終わりにタケルとファリベリータだ。


 そうして学校に行く。学校ですれ違う子どもから「先生! ファリベリータ!」と挨拶される。私も笑顔で「はい、ファリベリータ」と返した。


 職員室に入る。「あ、ミユキ先生。ファリベリータ」と声をかけられる。私は「みなさん、ファリベリータ」と返す。オノヅカ先生は席に荷物を置く私に対して「今日はファリベリータ日和ですね。どうです? 私と仕事終わりにファリベリータするのは?」と提案してきた。私は「すみません。今日は彼氏とファリベリータするので」と丁重にお断りした。


 授業中でのワンシーン。


「はい、ここの問題分かる人」


 私は生徒に問いかける。「はい、はい!」とクラスの子どもたちは元気いっぱいに手をあげた。「はい、じゃあ一番早かったサイトウくん」私はサイトウくんを当てた。


「ファリベリータ!!」


 サイトウくんがそう自信満々に答えると、クラスの皆が同調して「ファリベリータ、ファリベリータ!」と合唱する。


 私は笑顔で「正解。ファリベリータ」と言った。

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