第5話:リョウの未来視
カフェ「ルナ・マーレ」の紫色の光が、いつもより不安定に揺れていた。
壁の古時計は、先日の騒動で止まったままのはずが、時折チクタクと妙な音を立てる。電子レンジも静かに鎮座しているが、一度狂った歯車は、完全に元に戻ったわけではないことを示唆しているようだった。
ハルカは、温かいシナモンティーを淹れるナツミの背中を見つめていた。
脳内のバグは、前回の一件で少し落ち着きを取り戻したものの、まだ完治したとは言えない。
心のBGMは、時々、予測不能なノイズを挟む。
「……あ」
リョウが、突然、小さな呻き声を漏らした。
いつもなら、彼が思考に没頭する際に発する、分析開始の合図のようなものだ。
しかし、今日のその声は、どこか切羽詰まっているように聞こえた。
ミサキは、スマホの画面から顔を上げ、リョウに視線を向けた。
ユウトは、新しい発明品のスケッチをしていた手を止め、疑わしそうに彼を見る。
リョウは、両手でこめかみを強く押さえ、顔を歪ませた。
彼の眉間に、これまで見たことのない深い皺が刻まれる。
そして、その瞳は、まるで映写機が故障したかのように、無数の映像が高速でフラッシュバックしているかのようだった。
「だ……めだ……」
絞り出すような声が、リョウの口から漏れた。
彼の心のBGMは、いつもの静かで鋭い分析音ではなく、複数の楽曲が同時に再生され、耳障りな不協和音となって響き渡っていた。
まるで、壊れたスピーカーからノイズが噴き出しているかのようだ。
「リョウくん!? どうしたの!?」
ハルカが慌てて駆け寄る。
カフェの棚のカップがカタカタと震え、カウンターの端に置いてあったユウトの改造ラジオが、突然ショートしたかのような音を立てた。
「なんか、リョウの周りの空気、変じゃないか?」
ユウトが顔をしかめて言った。
実際に、リョウの周囲だけ、空間がわずかに揺らいで見える。
店内の照明が異常なまでに明滅し始め、まるでディスコのようだ。
「彼の脳内システムに、過剰な情報が入力されているわ……っ! 見て、あの壁!」
ミサキが指差した壁には、先日の脳内ログのような半透明の文字が、ランダムに、そして猛烈な速さで現れては消えていた。
「未来:ユウト、また電子レンジを爆発させる」
「未来:ミサキ、新作動画で大炎上、謝罪配信」
「未来:ハルカ、ツッコミAIが完璧になりすぎて、友達がいなくなる」
「未来:ナツミ、カフェの天井から生えてくるキノコを栽培」
「はあああ!? なにこれ!? 俺がまた電子レンジ爆発!? ってか、ハルカがツッコミAI完璧すぎて友達いなくなるとか、悪口かよ!?」
ユウトが叫ぶ。ミサキも顔を青くした。
「私の新作動画が大炎上ですって!? そんな未来、絶対にありえないわ! リョウのやつ、勝手に変な未来視を垂れ流してるんじゃ……っ!」
リョウは、そんな二人の言葉も耳に入らないかのように、さらに苦しそうにうめいた。彼の体からは、まるで過熱した機械のように微かな熱気が放たれている。
「根拠が……ない……無意味な……可能性……!」
リョウの声に、焦燥と絶望が滲む。
彼は、自分の能力が「完璧な論理」から逸脱し、無数の「根拠のない可能性」を生み出していることに、ひどく混乱しているようだった。
彼にとって、不確実性は最大の恐怖なのだ。このままでは、彼の精神が情報過多でフリーズしてしまう。
「落ち着いて、リョウくん!」
ハルカは、リョウの肩にそっと手を置いた。
彼女の「共感」の心が、彼の激しい「心のBGM」に同調しようと試みる。
あまりにもノイズがひどくて、頭がズキズキと痛むが、ここで引くわけにはいかない。
「リョウの脳内、今、未来の映像が無限にストリーミングされてるんだろ!? よっしゃ、なら俺が、そのノイズを可視化してやる!」
ユウトが、にわかに目を輝かせた。
彼の心のBGMが、一見無意味な電子音の羅列から、何か新しいものを組み立てようとするかのように、規則的なリズムを刻み始める。
彼は、店の隅にあった古いプロジェクターを引っ張り出し、どこからか取り出した配線と、自身のスマホを繋ぎ始めた。
「待って、ユウト! そんなんでどうにかなるわけ……っ!?」
ミサキが止めようとするが、ユウトの動きは既に早かった。
彼の指が、プロジェクターとスマホを繋ぐ配線に触れた瞬間、壁に映し出されていた無秩序な文字が、ユウトが操作するスマホの画面と連動し、意味不明な映像として壁一面に投影され始めた。
それは、リョウの脳内から溢れ出す未来の断片だった。
「なんて、無茶苦茶な……!」
ミサキは、その映像を高速で分析し始める。
無数の映像の中から、パターンを見つけ出そうと試みる。
彼女の心のBGMは、再び冷静な解析音を奏でていた。
ナツミは、リョウの隣にそっと椅子を置き、温かいココアを差し出した。
「大丈夫ですよ、リョウさん。どんなに混沌とした未来でも、一つずつ見ていけば、きっと道は見つかりますから」
彼女の優しい声が、リョウの耳に届いた。
彼の心のBGMの不協和音が、ほんのわずかに弱まる。
ハルカは、リョウの「心のBGM」にさらに深く同調しようとした。
彼の脳内は、まるで洪水のように情報が押し寄せ、過去も未来も現在も、全てがごちゃ混ぜになっていた。
その根源にあるのは、「完璧でなければならない」という強い執着と、「予測できないものへの恐怖」だ。
「リョウくん、未来は一つじゃないよ。たくさんの可能性があって、その一つ一つが、私たちみんなで作っていくものだよ」
ハルカの声が、リョウの脳内に響く。
同時に、壁に投影された映像が、ユウトの操作によって少しずつ秩序を持ち始める。リョウの脳波を読み取り、ノイズをフィルターにかけるユウトの「奇妙な装置」が機能し始めたのだ。
ミサキは、映像のパターンの中から、繰り返し現れる「特定の要素」に気づいた。
「……これ、全部、私たちに関する未来よ! そして、どの未来も、私たちの選択によって分岐している!」
ミサキの言葉に、リョウの瞳に微かな光が戻る。
彼は、壁に映し出される映像を、以前よりも落ち着いて見つめ始めた。
確かに、彼の未来視は「一つの確定した結果」ではなく、「無数の可能性の集合体」なのだ。
そして、その可能性は、彼ら自身の行動によって変わっていくものだと、リョウは理解し始めた。
リョウは、ゆっくりと息を吐いた。彼の苦しげな表情が、少しだけ和らぐ。
「……可能性は……無限。故に……無意味ではない」
彼の心のBGMには、これまでになかった微かな「肯定的な不協和音」が加わっていた。止まっていた古時計が正確な時を刻み始める、揺れていたカップがピタリと止まる。
それは、完璧な調和ではないけれど、不確実性を受け入れた、新しい音色だった。
全員の協力により、リョウの未来視の暴走は収束した。
カフェの異変も落ち着き、店内の照明は元の明るさに戻り、ユウトの改造ラジオも静かになった。
リョウは、深い呼吸を一つした。
「……感謝する。君たちのおかげで、オーバーロードを回避できた」
彼の言葉には、わずかながら、感情が乗っているようにハルカには聞こえた。
「いやー、リョウの脳内、マジでSF映画みたいだったな! 次はどんな未来を見せてくれるんだ?」
ユウトが目を輝かせてリョウに話しかける。
「私としては、あんな炎上未来は勘弁してほしいものだわ。でも……」
ミサキが、いつもの冷静な口調に戻りながらも、どこか複雑な表情で言った。
「……あんたの能力、結構、役に立つわね」
リョウは、無言で頷いた。
その口元には、微かな笑みが浮かんでいるようにも見えた。
彼の心のBGMは、再び静けさを取り戻していたが、以前よりもその奥に、どこか穏やかな響きが感じられた。
ハルカは、そんな仲間たちの様子を見て、安堵の息を吐いた。
(リョウくんも、また一歩、自分を受け入れたんだ)
奥の席で静かに事態を見守っていたタカハシ部長は、コーヒーカップを静かに置いた。
「……不確実性こそが、未来を面白くする。そうは思わないか、諸君」
彼の言葉は、彼らに向け自身に問いかけているのか、定かではなかった。
(つづく)
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