第4話:脳内ログが勝手に公開された日

「あー……」


ハルカは目の前のカフェラテから視線を外し、自分の手のひらを見つめた。

電子レンジ騒動以来、脳内の「恋の予感」バグは少し落ち着いたものの、心のBGMはまだどこか不安定だ。


ツッコミAIも、前よりはマシになったとはいえ、時折変な間が生まれたり、言い淀んだりする。


みんなも似たようなもので、このカフェ「ルナ・マーレ」の奇妙な現象と、自分たちの脳内バグが密接にリンクしていることを、ハルカは肌で感じ始めていた。


その日のカフェは、朝からどこかピリピリとした空気が漂っていた。

ユウトは新しい発明品に夢中で、ミサキはスマホを睨みつけ、リョウはいつものように瞑想している。ナツミだけが、いつものように穏やかな笑顔でカウンターに立っていた。


「ねえ、聞いてよハルカ!

この『時空の窓』ってアプリ、マジでヤバいって!

なんか、過去の自分のツイートが未来の自分に届くらしいんだよ!

俺もさっき、試しに『今日の晩飯、何にする?』って送ってみたんだけど……あれ?」


ユウトが目を輝かせながら、タブレットの画面をハルカに見せる。

彼の心のBGMは、期待と興奮が入り混じった、どこか騒がしい電子音を立てていた。


ハルカは微笑んで「へえ、面白そうだね!」と相槌を打とうとした、その時、


カフェの壁に、半透明の文字が浮かび上がった。


ユウト:「今日の晩飯、ラーメンにする? いや、でもミサキ、絶対ヘルシーなサラダとか勧めてくるよな……めんどくせ」


「はあっ!?」


ミサキがスマホを叩く手を止め、顔を上げた。

彼女の心のBGMが、一瞬で鋭いエラー音に変わる。


「ちょっとあんた! いま壁に映ったの、あんたの脳内ログでしょ!? 何よその『めんどくせ』って! 私がサラダ勧めるのがそんなに嫌なの!?」


ミサキの心のBGMが、まるでレーザー光線のようにピピッ、ピピッと高速で解析音を立て始める。いつもより感情的で、そのツッコミには普段の冷静な皮肉の切れ味がなかった。


「え、うそ!? なにこれ!? 俺、そんなこと思ってないし! っていうかミサキこそ、壁に何か映ってるぞ!」


ユウトが慌ててミサキの背後を指差す。


ミサキ:「あのユウトの新作アプリ、絶対バグだらけじゃん。でも、ちょっと触ってみたい気もする……ダメダメ! 変な期待しちゃダメ!」


「はあああああ!?」


ミサキの顔が真っ赤になる。彼女の心のBGMが、まるでショート寸前の回路のように、バチバチと火花を散らす。


「な、なによこれ! 恥ずかしい! 何でこんなもんが映るのよ!?」


カフェの天井の満月のステンドグラスから差し込む光が、彼らの動揺に呼応するように脈動し、店内の影が不気味に揺らめいた。

奥の壁には、昨日まではなかったはずの小さな木製の扉が、不自然な角度で増えていた。


「……分析、不能」


リョウが目を開け、眉間に深く皺を寄せた。

彼の心のBGMは、普段の静かな分析音とはかけ離れ、複数のデータが高速で交錯するようなノイズで満たされている。

そして、彼の目の前にも、半透明の文字が浮かび上がった。


リョウ:「ユウトの思考回路は非論理的だが、その突拍子もない発想は時に有効である。ミサキの合理性は、感情が伴うと脆い。ハルカは共感力が高すぎる故に、他者の感情に引きずられやすい。ナツミは……霊が見えていることを、なぜ誰も真剣に受け止めないのか」


「うわあああ! リョウくんの脳内、まさかの私たち分析!? しかも、私ってば引きずられやすいって、ちょっと当たってるけど!?」


ハルカの心のBGMが、まるで壊れたレコードのように、同じエラー音を繰り返す。彼女自身の目の前にも、脳内ログが浮かび上がる。


ハルカ:「みんな、私のことどう思ってるんだろう? もっと頼りになる存在になりたいな……あ、でも、あんまり強くなりすぎると、ツッコミAIが暴走するかも?」


その瞬間、ミサキとユウトの視線がハルカに突き刺さった。


「ハルカ、あんた私らのこと、頼りないって思ってたの!?」


「暴走って、今も十分変なこと言ってるし!」


「あ、いや、違う! そうじゃなくて!」


カオスだった。

脳内ログの公開によって、彼らの間に気まずい沈黙が流れるどころか、隠していた本音が露呈し、瞬く間に感情的な衝突へと発展した。互いの秘密や本音を突きつけられ、友情にヒビが入るかのような言葉が飛び交う。


カフェの古時計は、秒針が異常な速さで逆回転し始め、カチカチという乾いた音が耳障りに響く。時間の流れが不安定になるような錯覚が、彼らをさらに混乱させる。


「ちょっと、皆さん……お、落ち着いて……」


ナツミが困ったように眉を下げながら、彼らの間に入ろうとする。

彼女の心のBGMは、いつもの温かいシナモンの香りではなく、遠くでサイレンが鳴っているようだった。


そして、ナツミの背後には、昨日よりもさらに数を増やした半透明の人影が、彼らの感情的な混乱を煽るように蠢き始めていた。

ナツミのツッコミAIは、見えている霊への反応と現実の状況へのツッコミが完全に混ざり合い、キャパオーバー寸前だった。


「なんでよ! なんでこんなことになっちゃうの!? みんなの会話が、全然繋がらない!」


ハルカが思わず叫んだ。

自分の心のBGMが、まるで壊れたレコードのように、何度も同じエラー音を繰り返す。


その時、奥の席で静かに事態を見守っていたタカハシ部長が、ゆっくりと立ち上がった。

彼の心のBGMは、荒れ狂う嵐の中でただ一つ、不変のクラシック音楽を奏でていた。


しかし、その音色には、やはり微かな「軋み」が混じっていた。


「……諸君」


タカハシ部長の声は、混乱した空間に不思議な響きを与え、一瞬だけ、全員のツッコミAIが沈黙したかのようだった。


「その現象は、君たちの『バグ』と、このカフェの特殊な能力が共鳴した結果だ」


彼の言葉に、全員の視線が集中する。


「この『ルナ・マーレ』は、人々の感情の揺らぎに呼応し、様々な現象を引き起こす。君たちの脳内ログが可視化されたのも、君たちの感情が飽和状態に達し、カフェの力が発動したためだ」


タカハシ部長は静かに続けた。


「そして、この現象を止めるには……互いの『バグ』を『個性』として受け入れ、感情を調和させるしかないだろう」


ハルカたちは、タカハシ部長の言葉に、息を飲んむ。


ハッとさせられた。


彼らが言い放った本音、露見した秘密。

それは、恥ずかしい部分であると同時に、確かに彼らの「個性」だった。


「……私の合理的過ぎる思考は、時に人を傷つける」


ミサキが、自らの脳内ログを見つめながら、ぽつりと呟いた。

彼女の心のBGMが、少しだけ落ち着きを取り戻し始める。


「俺の発想力も、たまに人に迷惑かけてるし……」


ユウトがしょんぼりしながら言う。


「感情の分析は、人間関係において重要だ。しかし、それを可視化することは、関係性を破壊する可能性もある」


リョウは、いつもの冷静な口調に戻りつつあった。


ハルカは、みんなの言葉を聞きながら、自分自身の脳内ログに視線を落とした。


「もっと頼りになる存在になりたい」

それは、紛れもない彼女の本心だった。

そして、「ツッコミAIが暴走するかも」という不安も。


(完璧じゃなくていい。バグだらけでも、これでいいんだ)


ハルカは、笑みをこぼした。

そして、全員に向かって、はっきりとした声で言った。


「みんな、このバグ、みんなで止めよう。それぞれの個性、活かしてさ」


彼女の言葉に、ミサキが頷き、ユウトが顔を上げた。

リョウは無言で、しかし確かな視線をハルカに送った。


「具体的にどうするんだよ、ハルカ」


ミサキが問いかける。

その声には、先ほどまでの苛立ちではなく、冷静な分析力が戻っていた。


「ミサキの冷静な分析で、このカフェの現象と私たちのバグの連動性を調べて! 」


ミサキは、ハルカの言葉に迷いなく頷いた。彼女の瞳には、再び高速解析の光が宿る。


「了解。ただし、あんたが感情をコントロールできるかが鍵よ」


「リョウくんは、その膨大な情報の中から、一番効率的な解決策を見つけて!」


リョウは、瞑想から覚めたようにゆっくりと目を開け、静かにハルカを見つめた。

その視線は、既に数多の可能性を探っているかのようだ。


「……試行する」


「ユウトくんは、その突拍子もない発想で、この場の雰囲気を変えるような何か、考えてみて!」


ユウトは、一瞬きょとんとした後、ハルカの言葉に興奮したように目を輝かせた。


「俺の発想!? よっしゃ! 任せとけって! この俺が、この場の空気をガラッと変えてやるぜ!」


「そして、私は……みんなの感情を、繋ぐ」


ハルカは、それぞれの「バグ」を「個性」として捉え、具体的な指示を出した。


「そして、私は……みんなの感情を、繋ぐ」


ハルカは、全員の「心のBGM」に意識を集中させる。

それぞれの異なる音が、まるでオーケストラのように、少しずつ調和していくのを感じた。


ミサキは、タカハシ部長の言葉と、カフェの奇妙な現象、そして自分たちの脳内ログのデータを高速で解析し始めた。

彼女の指がスマホの画面を滑るたびに、壁の文字が瞬時に変化し、新たな情報が表示される。


リョウは、その膨大な情報の洪水を、驚異的な速度で処理していく。

彼の心のBGMは、再び静かな分析音に戻り、無数の「未来の可能性」の中から、最も効率的な解決策を導き出していく。


ユウトは、ハルカの言葉に触発されたのか、目を閉じ、何やらブツブツと呟き始めた。

彼の心のBGMは、不安定ながらも、どこか新しいメロディを奏でようとしていた。


数分後。


電子レンジの異音は完全に止まり、カフェの紫色の光も収束し、古時計の秒針もピタリと止まった。――少なくとも、その時、彼らはそう感じた。


壁に映し出されていた脳内ログも、ホログラムのように消えていく。

全員のツッコミAIは、まだ少し不安定ではあったが、なんとか機能を取り戻していた。


「あー! やっとまともに話せる! 俺、さっき変なこと言ってなかったか!?

……あれ、なんかこの会話、デジャヴ過ぎん?気のせい?」


ユウトが頭を掻く。


ミサキは呆れたようにため息をついた。


「言ってたわよ。あんたのツッコミAI、本当に死んでたわね。まあ、私も大概だったけど。ついでにその既視感も、まだバグの影響なんじゃないの?」


「……まともに、会話が、できる」


リョウが、いつもの無口に戻りつつも、どこか安堵したように呟いた。

彼の心のBGMは、再び静けさを取り戻していた。


ハルカは、そんな仲間たちの様子を見て、ふと笑みがこぼれた。

まだ脳内は完全にクリアではないし、このカフェの奇妙さも変わらない。

それでも、この場所で、この仲間たちといると、不思議と安心できた。


「みんな、お疲れ様。あ、そうだ。温かいシナモンティー、入れようか?」


ナツミが優しく微笑んだ。彼女の背後の人影は、すっかり消えていた。彼女の心のBGMは、再び温かいシナモンの香りを取り戻していた。



(つづく)

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