第12話 黒くて臭い

「ひどい! 最悪! 絶対に許さない!」


 なにが起こったのかを知ったとき、わたしはもの凄く怒って見せた。そうすることで、両親と、心の中で溢れそうになった恐怖を誤魔化した。


 公園で絡んできた、あの怖い男の人。

 その人にわたしの絵を使われているというのが、もの凄く怖かった。


 お父さんとお母さんは、すぐに事態を治めるべく動き出してくれた。

 だから、「大丈夫。すぐになんとかなるよ」と自分に言い聞かせた。


 それが、一日目。いつか返事を聞くときのことだけを考えて、眠りについた。




 でも、それから二日経っても事態は変わらない。

 むしろ、悪化しているようにも思えた。


 お父さんたちは、何も教えてくれなかった。「大丈夫、何とかするから」と、何度も言って聞かされた。


 なのにわたしは、その優しさを無下にしてしまった。

 今どうなっているのかが知りたくなったわたしは、インターネットで調べてしまった。


 あの人の名前は、お父さんが誰かと電話で喋っているときに知ることが出来たから、それを検索するのは容易だった。


「……おぇ」


 吐き気がして、すぐに見るのをやめた。


 どうして、わたしが悪く言われているの?

 わたし、なにか悪いことしたっけ?


 そんなことを、ずっと聞いていた。誰も答えてくれないのに。

 スマホの電源はそれ以降消しっぱなしだ。


 それが三日目。わたしの世界が揺らいだ日。




 それからまた二日が経った。

 その日の晩、お父さんとお母さんが泣いていたのを見た。

 わたしに知られないように、声を殺して泣いていた。

 もう、ダメなんだと感じた。


 それが五日目。この日は泣き疲れて眠るまで、ベッドの中でいっぱい泣いた。




 今度は三日経った。


 この日のことは忘れられない。思い出したくないのに、忘れられない。


 家に誰かが来た。何かが入った大きな袋を持って、お父さんに頭を下げていた。

 この人、誰だろう。なんで謝っているんだろう。


 その人はわたしが見ているのに気が付くと、逃げるように帰って行った。

 あの袋の中はなんだろう。玄関に置いていった袋には、何が入ってるんだろう。


「お父さん。それなにが入ってるの?」


 お父さんに聞いても、答えてくれない。放心したように、茫然と玄関のドアを見つめていた。


 その姿を見て、妙に胸騒ぎがした。

 それを確かめるように、急いで袋の中身を見る。


「見るな!見ちゃ駄目だ!」


 中身を見る直前、お父さんが怒鳴るように言った。お父さんに怒鳴られるのなんて、覚えてる限り一度もなかったのに。


「―――――――あ」


 袋の中身は、キャンバスだった。わたしの絵が描いてあるはずの、一枚のキャンバス。

 昔、賞に送ってどこかに展示されていたはずの、わたしの絵の一枚。わたしの世界の一枚。


 それが、黒塗りになって帰ってきた。


 誰かによって墨みたいなものをぶちまけられた、汚れた状態で、わたしの元へ帰ってきた。


「……あぁ……ああ……あああ……あぁぁ……」


 この絵を描いたわたしは、どんな匂いを感じていたんだろう。

 朝焼けの優しい匂いかな。お菓子の匂いかな。潮風の匂いかも?それともカルピスの匂い?もしかしたら夏の雨みたいな匂いだったかも。


「―――おぇ」


 もう、わからないけど。


 それが八日目。ついに壊れちゃった。




 それからは、もうずっと部屋に閉じこもっていたから、何日経ったとかわからない。


 暗くて臭い世界の中で、なるべく何も考えないようにしてた。

 それでも、考えちゃうことはあって。

 ふと机の上を見たとき、スケッチブックが目に入った。


 あの、わたしの世界を一緒に過ごしてきた、相棒のスケッチブックの三号。

 それを開けば、もう一度、あの世界に戻れるんじゃないかって思って、それで、スケッチブックを開いてみた。


 臭い。臭い。臭い。

 どのページを開いても、ずっと腐ったたまごみたいな匂いしか感じない。


「あぁああああああああ!!!!」


 思いっきり、ページを破った。めちゃくちゃに、ぐちゃぐちゃに。二度と視界に入らないように。


 三号を破り終わったら、一号と二号も破った。


 気が付けば、床の上は紙くずだらけになっていた。

 その上に座り込んで、泣いた。


 遠くにいる君に、届くように。大きな声で、泣いた。


 結局、守ってくれなかったね。

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