第2話 出会いのやり直し

 翌日。

 今日の学校はいつもより活気づいている。きっと今日が金曜日だからだ。金曜日の高校生は、みんなテンションが高い。


 だけど僕はまだ、昨日のことを少しだけ引きずっていた。


「なぁ石田。お前なんか元気なくね。どかした?」

「あー…そう見える?」


 そんな僕の些細な心情による変化を感じ取ってきたのは、中学からの友人である天田 光一だった。


 中学で仲が良かった二人のもう一人である光一は、かなめとは違い、高校生になってもちょくちょく話す仲だ。


 一年のうちはクラスが違かったこともあり廊下ですれ違ったとき話す程度だったが、二年生では同じクラスになった僕らは、同じ男子グループに所属し、気が付けばほぼ毎日喋る仲に戻っていた。


 そんな光一に、僕は昨日のことを愚痴るように話す。


「いやさ。蝶名林さんっているじゃん」

「ああ、四組の。あの子となんかあったん?」

「僕、からかわれたんだよ。昨日」

「からかわれたって、どんな風に?」

「絵に描いてあげるって期待させたくせに、まったく描いてくれなかった」

「はぁ? あの子がお前を描くって言ったのか?」

「言ったよ。そりゃ、僕は描くに値しない凡人だけどさ。期待させておいて落とすのは酷くないかって話。そう思わない?」


 同意を求めて反応を窺うと、なぜか光一は顎に手を当てて首をかしげていた。今の話のどこにわかりにくい点があったのだろうか。簡潔にわかりやすい説明だったと思うのだが。


「なんだよ。なにかおかしかったか?」


 僕は少し苛立ちを含む口調で言った。


「俺にはさ、どうにも信じられないんだよ。あの蝶名林が人を描こうとしたなんてさ」

「……というと?」

「俺、あの子は人を描かないのかと思ってた。今まで見た絵も全部人が描かれてない風景画ばっかだったし」


 光一は最後に「まぁ今まで新聞に載ってたやつしか見たことないけど」と付け加えた。


 だからなんだってんだ、と僕は思った。


「結局バカにされたってことだろ」

「いや、そうなのか……? そんなことするイメージなかったけどな」


 光一はどうにも腑に落ちない様子だった。

 そんな光一を見て興味が惹かれたのか、周りにいた同じグループの男子三名が集まってきた。


「なになに? 光一、なんか悩んでんの?」

「おいおい光一、水くせぇじゃねぇか。とりま、俺らに聞かせてみ」

「あぁ。なんか石田がさ……」


 そして、いつもみたいに光一を中心とした会話が繰り広げられる。

 こうなったら、僕は会話に口を挟むことができなくなる。このグループの中心は光一で、彼らが話したいのも光一で、僕は光一の友達というポジションだった。


「―――ってことがあったらしいんだ」

「え。石田かわいそうで笑う」

「てか俺思ってたんだけど、蝶名林って前からお高くとまりすぎじゃね?あーやだやだ!」


 僕は彼らが話している間、適当に愛想笑いを浮かべていることがほとんどだ。時々相槌を入れて、「そうだねー」とか言っておく。僕が求められているのはそういう役回りだ。


「じゃあさじゃあさ。文句言いに行かね?」


 一人が冗談交じりで言った。


「おーいいじゃん! 腹立つもんな。石田も」

「おっしゃ。今日の放課後は討ち入りだ! どうせ美術室にいるだろ」


 続いて周りが同調した。僕は嫌だったけれど、ここで「やらない」なんて言ってしまえば、彼らとのただでさえ薄っぺらな友情にひびが入ってしまう。それは、なんだか嫌だった。


「おい。お前はいいのか? 嫌だったら言えよ?」


 途中から怪訝な表情を浮かべていた光一は、彼らが盛り上がっているのを横目に、こそこそっと僕に耳打ちをしてそんなことを聞いてきた。


「……あーうん。大丈夫だから。ちょうど、文句も言いたかったしね」

「そうか? なら、せめて喧嘩にならないようにな」


 僕は取り繕ったような笑みで答えた。それを見た光一は、どうにも納得できていない様子。


「……なぁやっぱ」

「はいみんな席に着けー六限も頑張ろうなー」


 光一が何かを提案しようとしたちょうどその時、休み時間終了を知らせる予鈴が鳴り、教室に先生が入ってきた。


 蟻の子を散らすように、クラス中が話題を切り上げて自席へと戻っていく。光一も言葉を飲み込み、釈然としない顔をしながら戻っていった。



***



 そして放課後。彼らが教室で作戦、というほどのものでもないけど、もし蝶名林さんがキレてきたらどうするだとか、泣き出したらどうするだとかを想像して楽しんだ後、程よく時間が過ぎた四時頃、僕は美術室の扉の前に立たされた。


 彼らは三人とも、まるで自分たちは関係がないとでもいうかのように少し離れたところで、僕をほくそ笑みながらこちらを観察していた。


 ここに光一はいない。あいつは部活があるからこの場には来なかった。


「はあぁ……」


 だから僕は諦めて、一度大きくため息をついた後、やけに重く感じた引き戸のドアを開けた。


 すると、目が合った。

 あの美しい目から放たれた視線が、僕のものと交わった。


「だれ? 何か用?」


 美術室の真ん中に置かれたキャンバスの前に座る蝶名林さんが、訝しむように尋ねてきた。


 そう聞かれてまずは何を言うべきか、頭の中で様々な選択肢が浮かんでは消え、僕と彼女の間には微妙な沈黙が漂った。


 考えてみれば、何を言うのかを決めていなかった。ただ文句を言うということだけが決まっていて、どんな文句を言うのかなんて全く決めてなかった。


「―――君、昨日の……」


 沈黙を破ったのは、彼女の方からだった。


 何も言えなかった僕はこくりと首肯した。すると、彼女は嬉しそうに話し出す。


「やっぱり! ねぇ、昨日は急にどうしちゃったの? わたし、なにかしちゃった?」


 言われて、僕にピリッとしたものが走った。それをきっかけにして、それまで出てこなかった言葉が次々溢れてくる。


「蝶名林さんは、最低だよ」

「え?」

「僕を期待させて、からかったじゃないか」

「えっと、ごめん。なんのこと?」


 彼女はきょとんと困惑している。どうもおかしい、と違和感があったが、ここまできたら止められない。


「絵だよ、絵。昨日、僕のことを描くっていったのに描かなかっただろ。画家として最低だよ。僕には描く価値がないのはわかってるけどさ。なにもあんなことしなくていいだろ」

「待って。わたし、そんなこと言われる筋合いなんてないよ? だって、ちゃんと君のこと描いたもん」

「はぁ? 描いたって……そんなわけ」


 僕が言い終わる前に、彼女はガタンッと音を鳴らして勢いよく椅子から立ち上がると、「ちょっと待ってて」と言って隣の美術準備室に入っていった。


 一瞬、先生しか使えないはずの準備室をどうして彼女が使っているのかと疑問に思ったが、そんなことよりも先ほどの彼女の言動が気になった。

 どうにも今の様子からは、彼女に悪意があるようには見えない。


 もしかしたら、僕はからかわれてなんていなかったんじゃないのか。冷静になると、その可能性がどんどん僕の中で高くなっていった。


 もしそうだったら最低なのは自分じゃないかと焦り始めたころ、彼女が準備室から戻ってきた。脇には一枚のキャンバスを抱えている。それが昨日のあの絵だとはすぐにわかった。


 彼女はそれを僕の前に持ってきて、両手でずいっと見せつけてきた。


「見て! ここ!」


 そう言って、彼女は器用に指で絵の一箇所を指す。そこには、あの不自然な水色の滲みがあった。


 もしかして、またからかわれてるのかと思ったが、それは彼女の真剣な表情が否定していた。そして数秒の思考の後、やっと彼女の言いたいことを理解した。


「つまり、これが僕?」

「そう!」


 僕がそう答えると、彼女は堅苦しい顔をほころばせて、満面の笑みでそう言った。


「そっかごめん。分かりづらかったよね。昨日、わたしは君の匂いを描いたの。水色なのは、夏の雨みたいな匂いだなって思ったからでね。それが他とは違うとってもいい匂いにだったから、どうしても描きたくなっちゃったの」


 彼女は熱弁するように絵のことを語る。それを聞いて、僕は光一が言っていたことを思い出した。


『俺、あの子は人を描かないのかと思ってた』


 あいつの言っていたことは半分間違いだった。彼女はちゃんと人を描いていた。ただ、それが特別な描き方だったというだけ。


「全部僕の勘違いだったってことか……」


 僕は空を仰いだ。やっぱり彼女は本当に特別な人間だったんだ。


「よかった。勘違いで」

「あの、ほんとごめん。最低とか、ひどいこと言ったし……」

「うん。よろしい。許したげる!」


 僕が謝罪すると、彼女は近くにある使っていない三脚にキャンバスを立てかけ、そして満足げに腕を組んだ。


「……ところで、君の用はそれでおしまい?」

「え、ああ。一応、終わったはずだけど」

「じゃあ、そこの人たちは別の用事?」


 彼女は僕が入ってきた扉の方に向かって大きな声で尋ねた。そこには、こちらをちらちら見ていたであろう三人の友人たちの姿があった。


「やべ。おい逃げるぞ」

「へへっ。すみませーん!」

「さいならー!」


 彼女に気が付かれたとわかると、三人は一目散に逃げていった。僕のことはこの際どうでもよくなったらしい。


「なにあれ。君の友達?」

「いやぁ……どうなのかな……友達、なのかな。僕にもわからないかも」

「……へぇー。なら、ちょっと失礼なこと言うけど、あの人たちひどい匂いだったよ。少しだけ腐ったたまごみたいな匂い。あの人たちと関わるときは気を付けてね」


 彼女はよほど匂いが気になったのか、数度猫のように鼻をこすっていた。


「そんな臭かった? なにも感じなかったけど」


 腐ったたまごの匂いなんて嗅いだことないけれど、それが悪臭なのはわかる。だが、少なくとも僕はこの部屋に漂う若干の埃臭さしか感じなかった。


「……わたしにしかわかんない匂いだからね。君にはわからなくて当然だよ」


 彼女は少し悲しそうに言った。


「それは、鼻がものすごくいいとか、そういうこと?」

「ううん。ちょっと違うよ。例えるなら……魔法みたいなものなのかも。見たものに匂いを感じることができちゃう、ちょっと不思議な力……みたいな」

「なるほど。で、それを絵に生かしてるわけだ」

「―――……そう。そうなの! わたしの見てる世界をみんなにも知ってほしいからね!」


 そう言った彼女は、先ほどまで描いていた方のキャンバスの前に戻ると、子供の頭をなでるようにそれに触った。なぜか嬉しそうににやけている。


 彼女を目で追って、僕もその絵を見た。


 その絵は、昨日のものとはまた違った絵で、今度は山の渓流のような景色が描かれている。小さいけれど滝もあって、山中の絶景といった感じだ。誰もいない静かな川のようだけど、よく見ると川の周りがピンクや黄色に滲んでいたから、きっとこの絵には人がたくさん描かれているんだと思う。


「蝶名林さんには、世界がその絵みたいに見えてるの?」

「うん。見えてるよ」

「じゃあ、もしかして僕の顔とか見えてなかったりする?」


 彼女の世界がこうならば、人間は匂いでしか感じ取れないのかもしれない。

 それならずいぶん不便そうだな、と思って聞いてみたのだけれど、その質問を聞いた彼女は声を出して笑っていた。


「まさか! そんなわけないよ。えっと、ちょっと言葉にするのが難しいんだけどね。例えるなら、世界が重なってるみたいな感じかな?普通にも見えるし、そういう風にも感じられる、みたいな」

「……レイヤーみたいなものってこと?」

「うーん。まぁそうかも。だからね……」


 彼女は急に僕の目の前まで近づいてくると、僕の顔を下から覗き込むようにして、続きの言葉を言った。


「君の顔はちゃんと見えてるから、安心してね」


 その時のイタズラっぽい笑みに、僕の心臓がちょっとだけ跳ねた気がした。

 照れ隠しのために一歩後ずさると、それを見た彼女はより一層楽しそうに笑ってくる。


「きゅ、急になに……⁉」

「仕返し! このくらいは許してね」


 彼女と僕はほぼ初対面のはずなのだがどうも距離が近いように感じる。今まであまり女子と接してこなかった僕からすると、これはちょっと大変だった。


「だからごめんって。悪かったよ」

「えー……ほんとに悪いと思ってくれてる?」

「いや、ほんとに思ってるって」

「じゃあそうだなー……なら、今度はわたしの絵のこと、ちゃんと褒めてよ。それがお詫びってことで! いいでしょ?」

「……そんなことでいいなら、全然いいけど」


 罪滅ぼしとしてはまだ少し弱い気がしたけれど、彼女がそれで満足するならと、僕はその絵の感想をどんなふうに述べようか考え始めた。評論家のように大げさな表現を使って褒めるべきか。

 それともなにかに例えてみようか。なんていろいろ考えたけれど、ここは素直に答えるのが一番だと思った。


「―――綺麗、かな」


 何がとは言わなかった。これが国語の問題なら一点ももらえないだろう。


 でも、彼女は満足げにうなずいて「でしょ!」と喜んだ。

 そんな彼女の反応を見て、もう少し言葉を付け足してみた。


「ほんと、実際にあるなら見てみたいくらい綺麗だ」


 ただ、何気なく口にしたつもりだったこの言葉は、予想以上に高得点だったらしい。彼女は目を輝かせてこちらを見てきた。


「―――ほんと? ほんとに見てみたい?」

「え、ああ。見てみたいけど」

「じゃあ、一緒に探さない? 一日だけでもいいから!」

「も、もちろん」


 そう、すぐに返事をしていた。そうしたのは多分、ほんの少しだけど、僕もそれを知りたいと思ったからだ。


「やった! ありがと! 一人だと見つけられる気がしなかったからすっごい助かる!」


 そんなに頼りにされても……。そう思うくらいには彼女は喜んでいた。


「ていうか、この絵の場所って実在する場所だったんだね」

「うん。するよ。でもどこの景色なのか覚えてないんだよね。子供のころ一回見たきりだから。だからこの絵も記憶を頼りに描いてるの。電車に乗ってどこかの町まで行ったのは覚えてるんだけど……」


 ここまで聞いて、少しめんどくさそうな話だと思ったが、「やっぱ無理」とは言いたくなかった僕は、これもお詫びってことで納得しておくことにした。どうせ部活もやってないのだから、他にやることもない。


「あ、そうだ。わたし、鈴夏ね。ちりんって鳴る鈴に夏で、すずか」


 唐突に言われて、僕は何のことなのか頭が回らなかった。


「鈴夏?」

「名前だよ。名字だと呼びにくいでしょ。それに、名前で呼ばれる方が好きだし」


 たしかに、と心の中で手を打った。言われてみれば、蝶名林という名字はいちいち呼ぶにはちょっと長いように感じる。


 そこで僕ははっとした。この流れはマズい。


「それで、君は?」


 やっぱりこうなった。


「……石田」

「……名前は?」

「うっ……言わなきゃ駄目?」


 実のところ、僕はあまり自分の名前を人に知られたくなかった。名前と身の丈が合ってないのだ。昔は好きだったけれど、中学後半くらいから名乗るのが恥ずかしくなった。


「言いたくないの?」

「いや、きっと笑われるから……」

「わたし、そんなことしないよ。だから教えて?せっかくだもん。わたしも名前で呼びたい」


 僕の名前を聞いても、きっと鈴夏は笑わないだろう。そんなことはわかっている。それに、ここで言わなければ、先ほどまでの鈴夏への疑いがまだ残っていると言っているようなもので、それはやりたくなかった。だからここは言わねばならない。


「……英雄。えいゆうって書いて、ひでお」

 頼む、笑ってくれるな。と心で念じながら、鈴夏の表情を窺った。もしそこにあったのが悪意に満ちた笑いだったら、もう僕は立ち直れないかもしれない。


 けれどやっぱり、そこにあったのは嬉しそうな笑顔だった。


「英雄……うん、ちゃんとかっこいい名前だよ」


 僕にはそれが、彼女の心からの言葉だとわかった。意外ではなかったけれど、やっぱりそうしてくれたことには心の中で感謝した。


「それじゃあ、よろしくね。英雄」

「―――よろしく。鈴夏」


 僕らが出会ったこの日は六月十二日。天気予報が夏の始まりを告げた、蒸し暑い日だった。

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