パート25: 主への刷り込み

「マスター、危ないです!」

「あなた、何を考えていますの!?」


 リナとセレスティアの制止を振り切り、僕は一人、通路で暴れるフェンリルへと近づいていく。

 彼女は僕を威嚇し、再びその鋭い爪を振り上げてくる。


「グルアアアアッ!」


 だが、僕は少しも怯まなかった。

 その赤い瞳の奥に、苦しみと怯えの色が見えたからだ。

 彼女は、暴れたくて暴れているわけじゃない。

 制御できない力に、自分自身が苛まれているのだ。


 僕はひらりと彼女の爪をかわし、その懐に飛び込む。

 そして、抵抗する彼女の額に、そっと右手を触れた。


「――大丈夫。もう、苦しくない」


 僕は、まるで幼子に言い聞かせるように、優しい声で語りかける。

 同時に、《無限経験値バンク》から、特殊な性質を持つ魔力を彼女に流し込んだ。

 それは、成長を促す経験値ではない。

 興奮した神経を鎮め、荒れ狂う魔力を安定させるための、「鎮静」の力だ。


「ア……ゥ……?」


 僕の手から流れ込む、温かく穏やかな力。

 フェンリルの体の力が、少しずつ抜けていく。

 充血していた瞳から赤い光が消え、理性の色が戻り始めた。

 振り上げていた爪も、だらりと力なく下ろされる。


「もう、大丈夫だ」


 僕はもう一度、そう言って彼女の頭を優しく撫でた。

 僕のスキルは、ただ経験値を譲渡するだけではない。

 その質を変化させることで、様々な効果を発揮する。

 これもまた、僕だけの秘密の力だ。


 やがて、フェンリルの全身から完全に力が抜け、彼女はその場にへなへなと座り込んだ。

 暴走は、完全に鎮められた。

 僕を見上げるその瞳には、もう敵意はなく、ただ純粋な好奇心と、そして安堵の色が浮かんでいた。

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