第19話 目の黒い内は

 体育倉庫の中は思っていたよりも随分と狭かった。各スポーツの備品や、スコアボードが所狭しと乱雑に置かれている。


 そのまま直置きにしている物も多く、収納スペースと呼べるような場所はほとんど見当たらない。


 そして運動部の控え室も兼ねているらしく。よく見てみると、狭い中にもトレーニング器具が置かれている。ちょっとしたダンベルに、あの斜め掛けになっているマットみたいなものは、はて、あれはなんだろう。


「腹筋とか、背筋用の器具よ」


 不思議そうな顔をしていたからか、鬼柳ちゃんがこそっと教えてくれる。ツンツンとボールカゴで小突いてくる所から、入り口でたむろせず、さっさと中へ入れという意味だと察する。

 

 恐らく急いでいるのだろう。


 ぼくらには着替える時間が必要だった。その上、女子の着替えには少しばかり時間もかかりそうなものだ。タハハと苦笑い、急かされながらもガラガラとカゴを押して入っていく。


 どこに片付けるのかは、全くと言っていいほどに迷わなかった。何せそこにしか置くスペースがなかったのだから簡単だ。無事に大役を務めた所で、改めて鬼柳ちゃんにお礼を述べておく。


 彼女は、

「どういたしまして」

 と言ったきりパタパタと駆けていった。


 果たして着替えは間に合うのだろうかと、他人事ながらに心配してしまう所である。面倒見が良いあまり、きっと損するタイプなんだろうなあ。なんて事を考えながらその背を見送った。


 どうぞご武運を。


 ゆるゆると腕を組んで物思いに耽った。まったく、あの子は優しいのやら優しくないのやら。判断に困るというものだった。


 まあ、ぼくもね。そろそろお礼をしとかなきゃいけないと思う頃合いではあった。なら、丁度よかったのかもしれない。お礼をするのなら何がいいのかな。なんてね、そんな事は決まっている。


 恩を仇で返す? いやいや。ぼくなら、恩は謎で返す。


 無人の倉庫内でひとり、

「ふふふ」

 と黒幕面をしていると、パチンと明かりが落ちて辺りが暗くなった。


 倉庫からひょっこり顔を覗かせると、そこに先生がいてびっくりしてしまう。


「なんだ、守屋。まだいたのか。ほら、はやく戻らないと次の授業が始まるぞ」


 おや、どうやらぼくも着替える時間がないらしい。慌てふためきながら教室に戻るハメになった。せっかく鬼柳ちゃんが手伝ってくれたというのにどうしてこうなった。ううむ、不思議だなと謎は尽きない。


 そんな出来事があった次の日の事。

 

 今日も朝から実にいい天気だった。ギラギラと強い日差しが照りつけてきて、なんだかとても恨めしいものじゃないか。


 ここの所ずっと猛暑日が続いている所為ですっかりと気が滅入るものだと、いつものぼくなら文句の一つでもブーたれながら登校していた事だろう。


 まあ、実際には思っていたのだけれど。


 それでも今日、学校へ向かうこの足取りはいつもより軽やかなものだった。ふわふわと浮き足立っているのを感じる。


 もういっそのこと駆けて行きたいくらいの気持ちでいた。もっとも、汗をかくのでそんなことは絶対にしないのだけど。


 今日かな、明日かな。


 わくわくと遠足を心待ちにする少年のように、ぼくの心はざわめいていた。何も本当に遠足に行くわけじゃあない。


 ぼくの撒いた謎の種がしっかりと実るのを今か今かと待ちわびていたのだ。遅くとも、明日には謎が開花するだろう。


 犯人はあれで切羽詰まっている様子だったから、そんなにも時間を割きはしないはず。収穫の時はもうそこまで来ていた。さてさて、ぼくの撒いた謎はいったいどんな色を見せてくれるのか。


 楽しみだねと、黒幕面で登校していく。


 弾むように軽やかな足どりで教室に入ると、ガヤガヤと騒がしい。既に教室の中は色めき立っているようだった。どうやら今日がその日だったらしい。


 パチンと指を弾き、

「ビンゴ」

 と言いたい所である。


 若干口元は緩かったかもしれないけれど、色濃く謎の香る爽やかな朝だったから、まあ、それくらいは許されるのだろう。


 きょろきょろと周りの喧騒をほほ笑ましく思いながら席につく。親愛なるおしゃべりな友人は生き生きと目を輝かせ、朝から情報収集に走り回っているようだった。


 うん、精が出るね。


 ぼくの姿を見かけた彼はニヨニヨとしながら近寄ってくる。それはさながら、真っ白なキャンバスを見つけた画家のようでさえあったのかもしれない。


「守屋。聞いたか? 事件が起こったぞ」


 だろうね、そんな気はしていたよ。弾みかける声をグッと抑え、尋ね返す。


「いったい、何があったんだい」


 誰に聞かれるわけでもないのに、むしろみんなに聞かせたいのだろうに顔を近づけてひそひそとした声で教えてくれる。


「体育倉庫からごっそりと全部、バスケットボールが無くなってたらしいぞ」


 ふぅん、上手くやったようじゃないか。


 上々上々と、しきりに感心していると、

「待て待て、話はここからだ」

 友は指と顔を振った。


「だけどな。体育倉庫にはボールが一つだけ、とり残されていたそうだ」


 ん?

 

「そしてな、そこには深々とナイフが突き刺さっていたって話だ。警察を呼ぶのかどうか、先生達がいま相談してるみたいだぞ」


 サッと血の気が引き、目をぱちくりとさせる。はて、なんだいそれは。


 ナイフだって?


 冗談じゃない、そんなのぼくは知らないぞ。どうしてナイフなんか使ってしまったんだ。そんな事をしたらせっかくの着地点がずれてしまうじゃないか。

 

 根掘り葉掘りと噂の真偽を確かめてみるけれど、友のその言葉に嘘偽りはなさそうだった。そう言えば、教室にくるまでの間も先生達の姿を見かけなかった事を思い出す。


 実際、先生達は職員室に集まって話し合いの真っ最中なのだろう。


 そこからはもう、親愛なる友の言葉もどこ吹く風だった。上の空になりながら、頭の中ではぐるぐると今回くわだてた計画をさらっていく。


 ザッと全貌を見返してみても、やっぱりぼくに手抜かりはないように思える。ナイフの出番なんてあろうはずもなかった。これは随分と勝手な事をしてくれたものだ。


 まったく、なんてことだい。


 いい度胸をしているじゃないか。この守屋呈もりやすすむの計画を邪魔してくれようとは。ぼくの目が黒い内はそんな不手際認めやしない。とは言ったものの。さて、どうしてくれようかな。


 口に拳を当てううんと唸りだしたぼくを見て、友は一体どう取ったのか。徐ろに持論を展開し始めた。


「俺が思うに、犯人はだな──」


 まず、犯人はもう知っている。


 あの坂本くんだ。ナイフから足がついて警察当局のお世話になり、このまま彼が捕まったとしてもぼくの名はまず出てこないと思う。例の如く、ぼくはただ誘導とは思わぬ誘導をしただけなのだから。


 世間話をして逮捕されちゃかなわない。


 その点での心配は特になかった。でも坂本くんの事情を踏まえるとなあ、と思わなくもない。このまま彼が捕まってしまうのは少しばかり夢見が悪いものだ。


 ちょっと探ってみようかな。


 きっとぼくの計画を狂わせる、何かイレギュラーな出来事があったに違いない。それがわかったなら、まだ軌道修正の目が残っているかもしれないからね。


「──と思うんだけどさ。俺のこの推理、どうよ?」

 友はキラキラとした目を覗かせていた。


 しまった。まったく聞いていなかった。


「なるほど、ね。面白い推理じゃないか。続報を期待しているよ」


「おう、任せとけって」

 

 はて、去り行く友は、いったい誰を犯人としたのだろう。


 残されていたナイフの話は其処此処でも噂されていて、いろんな憶測が飛びかっている。その上、先生が教室にくる様子はまだないときていた。もちろんおとなしく待っているような生徒ばかりではない。


 中には待ち切れず、或いは好奇心から、

「見にいってみようぜ」

 教室を飛び出してしまう困ったちゃんが絶対に出てくるものだ。


 やれやれだねと肩をすくめ、

「どれ、ぼくも」

 いそいそとかけ足で教室を後にする。


 少し嫌な予感がしたけれど、噂の広まり方は思っていたよりも早いようだった。

  

 ナイフ騒ぎのあった体育倉庫には、既に人だかりが出来ていた。みんな、伺い探ってやろうかなと野次馬根性を出して、ワラワラと寄ってきているようである。


 なんだ、ぼくだけじゃなかったのか。


 まったく、困ったものだよ。こんなにひとがいたんじゃ、現場を見ることは叶いそうにない。ぼくにも見せてよと野次馬根性丸出しで何度か挑戦してみるけれど、ひとの壁の厚さになす術もなく阻まれてしまう。


 ううん、まいったね。


 この中に割って入る度胸も胆力も、あいにくぼくには持ち合わせがなかった。鬼柳ちゃんだったらこの小さなすき間からでもねじ込めたかもしれないけど、ちょっとぼくにはそれも難しそうだった。


 しかたがないと踵を返す。よし、職員室へ盗み聞きに行くとしよう。


 虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。本当だったらぼくも、虎が待ち受ける場所へわざわざ向かうのは御免被りたい所である。でも中には、行列が出来るほど人気の場所があると聞かなくもない。


 虎の穴には、よっぽど素晴らしい虎子が待ち受けているに違いなかった。


「ワー」

 と職員室に向かい、そこにも出来ていた人だかりを目の辺りにして、

「わああ……」

 となり、教室へ帰らせようとしている先生の姿も見かけちゃったものだから、

「ワアア」

 と逃げ帰る。


 それでもぼくはちらりと目にしていた。この連日の暑さの所為だろうか。職員室の窓が開いていたように見えた。急いで靴に履き替えて外からぐるりと回り込む。


 さすがにそこまでする生徒は他にいなかったようで、誰もいないのを確認しながらこそこそと窓際へ近付いていく。茂みがちょうど姿を隠してくれる中、そっと耳をそばだてた。


 風に乗って聞こえてくる先生たちの声をしばらく聞いていると、なんとなくだけど話し合っている内容がわかってきた。


 事態をあまり大事にさせたくない、穏便に事を済ませようとする教頭側と。生徒の安否を気にかけ、警察に届けようとする先生側とで揉めているようだった。


 学園戦争勃発だね、とワクワクする。


 ふぅん。何か大人の事情って奴があるのかもしれない。うんうんと頷いていると、バスケ部の顧問である高野先生が見えたので慌てて身を縮こませる。


 あの先生怖いんだよな。


 いつも何か面白くなさそうな、苦虫を噛み潰したような顔をしている。生徒への当たりも強く、大きな声を出しているのをしょっちゅう見かけるような先生だった。

 

 バスケ部の練習中、体育館から怒声が聞こえてくるのも有名な話だ。生徒を怒鳴ってストレス発散しているんじゃないかと噂される事もあるくらいだった。


「安全が第一でしょう」

 教頭相手にも大きな声を出している。


 ほらね。おや? 


 どうやら、高野先生は警察に届けるのに賛成のご様子であった。生徒を想っての発言はなんだかちょっと意外な気がする。


「でも、それではですね──」


 しかし、もう一人のバスケ部の顧問である島田先生がそれに食って掛かった。顧問同士でも反発しあっているらしい。


 おお。中々のバチバチ具合じゃないかと思わず手に汗を握る。代理戦争まで起こってしまったか。


 これは目が離せない。

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