第7話 自動演奏
様々な噂が流れているようだった。そして凄いなあと感心する。よくもまあ、これだけの噂をかき集めてくれたものだ。小林くんに感謝と一礼。
「後はそうだな、ああ」
他にも何か思い出したようだった。しかし、どこか苦々しい顔。
「なんつうの、如何にもな奴もあってさ。でもさすがにな」
「うん? 妙にもったいぶるね」
まるでエイプリルフール当日の噓のような、面白い事をしますと言ってからやりはじめた芸のような、そんな照れ臭さを滲ませながら小林くんは話した。
「誰もいないはずの音楽室から、ピアノの演奏が聞こえるんだってさ」
キョトンとしてしまった。
その話は、誰もが聞いた事のあるような話だった。一度も見た事はないのに、どこか懐かしささえ感じるあまりにも古典的なもの。
「ふぅん、その近くでさ。人体模型が走り回ってたりはしてないのかな?」
もしいたなら、そいつの演奏だと思う。口元を緩ませながらの問いに返事はなく、呆れられながら返される。
「俺が言ったんじゃねえよ」
「だろうね」
笑って返す。
噂の主はきっと、例の友達の友達だろう。そしてぼくは密かに首を傾げた。その人はどうしてこんな笑っちゃう、見え見えな噂話を流したのかなと。
何も学校の怪談をバカにする気はない。
あれはあれで意味や意図があり、必要に駆られての物だからだ。だけど物によっては少し、今の時代にはそぐわないんじゃないのかなと思う。
時代は令和。
ひとは科学の力で宇宙にだって行ける。そろそろ、怪談も科学武装していかなきゃダメだ。
それはビデオに封じられた白装束の人がブルーレイに対応したり、チェーンソーを振りまわす怪人が宇宙へと旅立つのと同じ事。
なにせ自動演奏可能なピアノが発売されているのだから。奏者なしのピアノが怪談話としてやっていくのはちょっぴりと厳しい。お役御免だと言える。
長年おつかれさまでした、だ。
それだったら、人体模型がピアノを弾く方がまだ現実味がある事だと言える。おや、やっぱりいいな。単なる思いつきにしては悪くない考えだった。
人体模型に扮してピアノを弾くのも面白いかなと思ったけど、すぐにその考えは打ち消した。そういえば、ぼくは音楽に疎かったのだ。
誰かに聴かせる腕を持ってはいない。もしもピアノが弾けたなら、やれる事もあったのになと悔やまれて止まない。
ため息で肩を落とすぼくを、小林くんは不思議そうに眺めていた。その他にもいくつかの噂話を教わり、小林くんは喉が乾いたのか購買に行くという。それじゃあぼくは散歩にでも行こうかなと、その場で別れる事にした。
ひとり廊下を行く。
使い古しの噂にまんまと惹かれたわけじゃない。なのに、足は自然と音楽室に向かっていた。
なぜだろう。
もちろん人体模型での演奏案を真剣に考えだした訳ではない。ましてやピアノの練習に向かうわけでも。しいて言うのなら、古典的な怪談を引っぱり出してきたその理由が気になったからだろうか。
教室から音楽室まではそこそこの距離がある。まあ、食後の運動にはもってこいなのかもしれなかった。
それにもうひとつ。
ピアノと聞いて頭をよぎったのは中原紗奈の姿だ。あの凛として佇む姿が浮かんだ。あれからも少し、彼女の事が気になっていた。
まさか惚れたわけでもあるまいにと自嘲する間に、音楽室が見えてきた。
──はて、気のせい、か。
何かが聞こえたような。歩くのをピタリとやめ、目を閉じて音に集中する。耳をよく澄ませてみると。
うん、やっぱり音がする。僅かに何かが鳴っていた。でもこれは何の音なんだろう。
ここ特別教室の集まる別棟は、教室から遠くて生徒が寄りつく様な所じゃあなかった。運動場ならばいざ知らず、お化けが出るとまで噂される別棟に誰がいるというのか。
特に音楽室は防音上の理由からなのか、三階の隅っこにあった。端も端のへき地と呼ぶ様な場所だ。それに何より、使う予定のない教室にはカギが掛かっているはずだった。
そんな場所からどうして音がするのだろう。例の古典的な怪談話を思い出し、まさかねと笑いつつも、差しだす足は自然にそろりと忍び始める。
音楽室へと近付いた所で、音の正体が判明した。やっぱり聞こえていたのはピアノを弾く音だった。閉め切ったドアから音が漏れ出している。ドア越しだからか、鈍い音が耳へと届く。
近寄り、耳をそばだてる。
音楽に疎いぼくにはこの旋律が何という曲なのかはわからなかった。とめどなく流れるメロディーは静かな様で、どこか不気味さを感じさせる、物悲しい曲だった。
何の曲だろうかと、ごそごそスマホを取り出す。ただいま時刻は十二時三十分。幽霊がでるにはまだ日が高く、外は明るく思えるけれど。
とあるアプリを起動した。
例え鼻歌からでも楽曲を検索してくれるという、それはそれは便利なシロモノだ。この怪しく流れる旋律を分析してみようか。
ふふん。科学武装とはこういう事をいうのだよ、怪談くん。どうだ科学の力は凄いものだろうと、怪談相手にひとのふんどしで得意がってみる。
よく洗ってから返す事にしよう。
さてと、それじゃあ早速。音を取り込もうじゃないかとタップすると、
「ポポン」
とアプリの起動音がした。
旋律がスッと影を潜める。
「──誰かそこにいるのか」
おや?
中から聞こえた声と共に、ピアノの音色は消え去っていく。これには驚いた。まさかぼくも、怪談の方から声をかけてくるとは思ってもないことだった。
足音がし、ゆっくりとドアが開けられる。ドアの前に屈んでいたぼくが見上げると、すき間から顔を覗かせたのは中原紗奈、そのひとだった。
胸元まで伸ばしている、ツヤツヤとした美しい黒髪。ぷっくりとして色艶の良い整った唇。パッチリとした瞳は涼しげに、真っ直ぐぼくを見つめていた。
なるほどね。
遠目でみた時から思っていたけれど、近くでみると尚のこと美人じゃないか。あの時、朝礼で熱視線を送っていた男子生徒の気持ちもわかろうかというものだった。
中原紗奈は特に驚いた様子も見せず、無言のままマジマジと眺めてくる。ドアの前に潜んでいたぼくは、彼女にどう見えているのだろう。
「ああ、いや、邪魔しちゃいましたかね。ピアノの音色が聞こえたもので、ついつい」
ハハハと、努めて明るい声を出そうとするけれど、出てくるのはあいにく苦い笑いばかりだった。その言葉を信じたのか、信じていないのか。
中原紗奈は、
「ふぅん」
と悩ましげな表情を見せた。
少しだけ、音楽室のドアが開かれる。ちょっと前のめりになった彼女が訊いてくる。
「まあいい、見かけない顔だな。君は音楽が好きなのか?」
まいった、それをぼくに聞いてくるのか。音楽には疎いんだってば。さて、どう答えたものか。
「いえ、特に」
とはさすがに答えにくい。
ましてや正直に、
「怪談見たさで、冷やかしに来ました」
とは口が裂けても言えないし。
さあ、どうしよう。音楽が好きかどうか。
これは中々に難問だった。好きだと嘘をつくのは簡単だけど、それを好む人の前でつく嘘はすぐにばれてしまうだろう。好きな曲はと聞かれただけで、言葉に詰まる姿が目に浮かぶ。
そして、好きじゃないとも言い辛いものである。それなりの嘘を用意しても、その場合は音楽室にやってきた別の理由が必要になってくる。しかもその理由が、またもや嘘になってしまうにちがいない。
嘘を嘘でぬり固める嘘つきのジレンマ。八方塞がりになること請け合いだった。
言い淀むぼくを尻目に、中原紗奈はにやりと意地の悪そうな顔で笑う。そんな笑顔にも関わらず、魅力的に映るっていうのだから不思議なものだった。
「大方、君も怪談話を聞いてきたのだな」
ずはりと図星だった。言葉もない。
彼女はそうかと言い残し、返事も待たずにさっさと音楽室へ戻っていった。そこにはさっきまでの表情は見当たらず、スンッとした顔が冷たく映る。
もう用はないと言われたに等しかった。
しかしながらドアは開け放たれたままで。これはぼくが中に入ると思ったから閉めていないのかな。まだ心のドアを閉めきられたわけではない、と考えていいものかどうか。
──歓迎されている?
恐る恐るといった様子で歩みを進め、ひょっこりと顔を出しては中を覗いてみる。ガランとした音楽室、夜中にきょろきょろと目玉を動かすであろう歴代の音楽家達の他には、中原紗奈の姿しか見えない。
意を決し、彼女に続いて音楽室へと入る。ちらりと視線を寄越しはしたけれど、特に拒絶されるわけではないようなので、ピアノの前に座る彼女の元へ近付いていった。
譜面台には楽譜が置かれていた。素早く目を走らせはするけれど、オタマジャクシが悠々と泳ぐばかりでぼくにとっては暗号でしかない。
どうにも不得手ながら、タイトルだけはかろうじて理解できる。月光というらしい。さっき弾いていた曲がそれなのかな。どうもクラシックは全部同じに聞こえていけないや。
中原紗奈は表情を失くしたままだったけど、瞳はきょろりと珍しそうにこちらを見つめていた。なので訊いてみる。
「先輩も、怪談話を知っていたんですね」
「誰もいない部屋から、月光が聞こえてくるという奴かな」
聞こえてくると噂される曲は月光だったのか。ぼくの知らない情報だった。そして先輩は、どうやらその噂を信じちゃいないらしい。
そうでなきゃ、呑気にピアノを弾いている訳がないもの。すると残念な事に、それは怪談が存在しない証明する事になってしまう。
ああ無念、おばけは出てこなかったか。まあ、最初からわかっていた事だった。噂はやっぱり噂止まりなのか。
ガクリと首を垂れる。
「誰もいない音楽室、──ね」
独りごちる先輩は、感情を感じさせない面持ちのまま、ポロロンと何かの拍子を弾き始めた。
そして、バンと鍵盤を叩きつけ、
「私はここに居るじゃないか」
と呟く。
大きな音にちょっと驚いた。
さらりと長い黒髪が先輩の横顔を覆い、どんな表情をしているのかは伺いしれない。意外にも激情家だったりするのだろうか。
ちょっぴりと怖い。
何だか近寄り難く感じるのは、ただ美人なばかりではないのかも知れなかった。
無言のままじゃあちと気まずい。はて、なんと声をかけたものかと、ない頭を少しばかり捻り。
「あのお、ぼくも居ますけど」
手を挙げる。
「言葉の綾だ」
呆れた声が返ってくる。
そう言って儚げに薄く笑む先輩の姿が、どこか淋しそうに見えてしまった。それならばと、もうひと捻りしてみる。
「言葉の綾というのなら。その手の怪談話はまったくの不出来じゃないかなと、ぼくは思いますけどね」
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