第16話「決別の書と、新たな始まり」
朝の光が遺跡カフェを照らす中、アサギは大切な書類を前にしていた。正式な王位継承権放棄の書類。エドワード王子が残していったものに、必要事項を記入し、署名と印を押したものだ。
「これを王都に送れば、すべてが終わる......」
でも、不思議と寂しさはなかった。むしろ、清々しい気持ちだった。
「アサギ、それって?」
フィーが肩に乗って、書類を覗き込む。
「私の過去との、最後のお別れよ」
「寂しくない?」
「ううん」
アサギは微笑んだ。
「だって、私にはもう新しい家族がいるもの」
「家族?」
「フィーも、レオンも、エルフィーナも。それに常連のお客様たちも、みんな大切な人たち」
フィーが嬉しそうに光を強めた。
「私もアサギのこと、家族だと思ってる!」
「ありがとう、フィー」
その時、扉が開いて、騎士団長グレゴールが入ってきた。
「失礼する。書類を受け取りに来た」
「あら、グレゴール様。もうお一人で?」
「ああ。これは公的な任務だからな」
しかし、その表情はどこか寂しげだった。
「本当に、これでいいのか?」
「ええ」
アサギは迷いなく書類を差し出した。
「私の選んだ道です」
グレゴールは書類を確認し、深くため息をついた。
「......わかった。確かに受け取った」
「あの、グレゴール様」
「なんだ?」
「今日の夕方、お時間はありますか?」
グレゴールが怪訝な顔をする。
「なぜだ?」
「実は、ささやかなパーティーを開こうと思って」
アサギは少し照れくさそうに言った。
「私の新しい人生の始まりを、みんなでお祝いしたいんです」
「パーティー......」
「騎士団の皆様も、もしお時間があれば」
グレゴールの厳つい顔が、少し和らいだ。
「......部下たちに聞いてみよう」
午後になると、アサギは準備に大忙しだった。
「レオン、テーブルをもっと寄せて。みんなが座れるように」
「おう」
「フィー、お花を摘んできて。テーブルに飾りたいの」
「はーい!」
「私も手伝います!」
リーゼロッテ王女が、また現れた。今度の変装は......普通の町娘風?
「リーゼ、今日はまともな格好ね」
「えへへ、侍女に選んでもらったんです」
相変わらず少し上等すぎる服だが、前回までに比べれば格段の進歩だった。
「今日は何を作りますか?」
「パーティー用のお菓子をたくさん」
二人で厨房に立ち、ケーキやタルト、クッキーを次々と作っていく。リーゼロッテの腕前は、確実に上がっていた。
「見て、アサギさん! タルトの飾り付け、上手にできた!」
「本当! すごく綺麗」
「へへ、王宮でこっそり練習した甲斐がありました」
夕方になると、続々と人が集まってきた。
騎士団の面々、常連客のマルコや他の商人たち、そしてなんとエドワード王子まで。
「兄上!?」
リーゼロッテが驚きの声を上げる。
「リーゼ、お前もいたのか」
「あ、えっと......」
「構わない。今日は公式行事ではないからな」
エドワードは柔らかく微笑んだ。
エルフィーナも実体化して、準備を手伝う。
「千年前にも、こんな風にみんなで集まってお祝いしたものです」
「どんな時に?」
「新しい命の誕生、若者の門出、収穫の喜び......」
大精霊は懐かしそうに語った。
「人が集い、喜びを分かち合う。それは今も昔も変わらない、素晴らしい文化ですわ」
日が傾き始めた頃、全員が揃った。騎士も、王族も、商人も、精霊も、みんなが同じテーブルを囲んでいる。
アサギが立ち上がった。
「みなさん、今日は集まってくださってありがとうございます」
少し緊張した面持ちで、でもしっかりとした声で話し始める。
「今日、私は正式に王位継承権を放棄しました」
ざわめきが起こる。知らなかった者もいたのだろう。
「でも、これは終わりではありません。新しい始まりです」
アサギは店内を見回した。
「ここで、みなさんと出会えて、本当に良かった。貴族も平民も、人間も精霊も関係なく、ただ紅茶を愛する仲間として集える場所。それが、私の夢でした」
「そして、その夢は叶いました」
アサギの声に、感情がこもる。
「これからも、この遺跡カフェを、みんなの場所として守っていきたい。よろしくお願いします」
拍手が沸き起こった。
「アサギさん、おめでとう!」
「これからもよろしく!」
「最高の紅茶を、ずっと飲ませてくれ!」
口々に祝福の言葉が飛ぶ。
グレゴールが立ち上がった。
「アサギ様......いや、アサギさん」
騎士団長は、真摯な表情で語り始めた。
「正直、最初は王命に背いた我が儘な令嬢だと思っていた。だが、違った」
「あなたは、自分の信じる道を選び、それを貫いている。それは、騎士道にも通じる生き方だ」
グレゴールは、深々と頭を下げた。
「敬意を表する」
騎士団全員が、それに続いた。
エドワードも立ち上がる。
「アサギ、君の選択を祝福する」
「そして、約束しよう。この場所は、王国も守る。文化的に重要な場所として」
「でも、運営は君の自由だ。好きなように、この場所を育ててくれ」
「エドワード......ありがとう」
リーゼロッテが飛びつくように、アサギの手を取った。
「アサギさん、私、決めました!」
「何を?」
「将来、王女を引退したら、ここで働かせてください!」
「リーゼ!?」
エドワードが慌てるが、リーゼロッテは真剣だった。
「だって、ここが一番楽しいんです! 身分なんて関係なく、みんなが笑顔でいられる場所」
「......その時が来たら、歓迎するわ」
アサギが優しく答える。
「でも、まだまだ先の話よ。今は、王女としての責任を果たして」
「はい!」
レオンが、珍しく自分から口を開いた。
「俺は、言葉は得意じゃない」
ぶっきらぼうな口調は相変わらずだ。
「でも、ここは......居心地がいい」
「初めて来た時、紅茶を飲んで、母親を思い出した。温かい記憶を」
レオンは照れくさそうに頭を掻いた。
「だから、これからも、ここを守る。それだけだ」
「レオン......」
「感動的な話の後で申し訳ないけど」
マルコが陽気に割り込んだ。
「そろそろ乾杯しない? 料理が冷めちゃうよ!」
みんなが笑い、グラスを手に取った。紅茶、ジュース、それぞれ好きな飲み物で。
「それでは」
アサギが音頭を取る。
「新しい始まりに!」
「「「乾杯!」」」
グラスが触れ合う澄んだ音が、暖かな空間に響いた。
パーティーは夜遅くまで続いた。
騎士たちは鎧を脱いで、リラックスした様子で談笑している。
「なあ、ユリウス。お前、剣術大会で優勝したんだって?」
「えへへ、まぐれですよ」
「謙遜するな。お前の実力だ」
若い騎士たちの会話に、アサギも嬉しくなる。ユリウスも、立派な騎士になったのだ。
リーゼロッテは、商人たちと楽しそうに話している。
「へえ、東の国にはそんなお菓子があるんですか!」
「ええ、今度仕入れてきましょうか?」
「ぜひ! 作り方も知りたいです!」
身分の壁を越えた交流が、自然に生まれている。
エルフィーナは、昔話を聞かせていた。
「千年前、この遺跡では毎月満月の夜に、大きな茶会が開かれていました」
「へえ、どんな茶会だったんです?」
「人も精霊も神々も、みんなで輪になって、歌ったり踊ったり」
幻想的な光景が、聞く者の頭に浮かぶ。
「いつか、そんな茶会も開いてみたいわね」
アサギが夢見るように言うと、フィーが飛び跳ねた。
「やろうやろう! 満月の茶会!」
「賛成!」
「俺も混ぜてくれ」
「騎士団も参加させていただこう」
話はどんどん盛り上がっていく。
夜も更けて、客たちが帰り始めた。
「今日は本当にありがとう」
「こちらこそ、素敵な会に呼んでくれて」
「また来るよ」
「紅茶、楽しみにしてる」
一人、また一人と帰っていく。最後に残ったのは、いつものメンバーだった。
「片付け、手伝うよ」
ユリウスが申し出る。
「私も!」
リーゼロッテも袖をまくった。
みんなで協力して、あっという間に片付けが終わる。
「それじゃ、俺たちも帰るか」
グレゴールが立ち上がった。
「アサギ、改めて言う。幸せにな」
「はい」
騎士団が去り、王族も帰った後、アサギはレオン、フィー、エルフィーナと共に、静かな店内にいた。
「楽しかったね」
フィーが眠そうに呟く。
「ああ」
レオンも満足そうだ。
「素晴らしい夜でしたわ」
エルフィーナも頷く。
アサギは、温かい紅茶を淹れた。今日一日の疲れを癒すための、特別な一杯。
「みんな、ありがとう」
「何がだよ」
「すべて」
アサギは微笑んだ。
「みんながいてくれたから、今の私がある」
照れくさい沈黙が流れ、そして、フィーが破った。
「明日は、何の紅茶にする?」
「そうね......」
アサギは考えた。
「新しい茶葉を試してみようかな。エドワードがくれたもの」
「楽しみ!」
話は尽きない。でも、そろそろ休まなければ。明日も、カフェは開店する。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「良い夢を」
それぞれが自室に向かう。アサギは最後に店内を見回した。
ここが、私の選んだ場所。私の居場所。そして、みんなの場所。
王位継承権は放棄した。でも、失ったものは何もない。むしろ、得たものの方がずっと大きい。
自由、仲間、そして生きがい。
窓の外では、星が瞬いている。明日も、きっと素敵な一日になる。新しい人生の、新しい一日が。
アサギは満ち足りた気持ちで、ベッドに入った。
夢の中でも、きっと紅茶を淹れているだろう。みんなの笑顔に囲まれて。
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