第12話「騎士団来訪と、変わらぬもてなし」
朝の光が遺跡カフェの石造りの壁を優しく照らしていた。アサギは厨房で、いつものように紅茶の準備をしている。
「今日はダージリン風味にしようかしら」
銀髪を後ろで束ね、お気に入りのエプロンドレスを身に着けたアサギの手つきは、もうすっかり慣れたものだ。湯を沸かし、茶葉を計り、温めたポットに入れる。その一連の動作に、迷いはない。
「アサギ! 外がなんか騒がしいよ!」
手のひらサイズの光の精霊フィーが、慌てた様子で飛び込んできた。金色の光がいつもより激しく明滅している。
「あら、どうしたの?」
窓から外を覗くと、森の小道を、銀色の鎧に身を包んだ騎士団が進んでくるのが見えた。王都の紋章が朝日に輝いている。
「......来たのね」
アサギは小さくため息をついた。いつかは来ると思っていた。王位継承権を持つ公爵令嬢が、結婚式を前に失踪したのだ。王国が放っておくはずがない。
「どうする? 逃げる?」
フィーが心配そうに聞く。
「いいえ」
アサギは首を振り、エプロンのしわを伸ばした。
「いつも通りよ。お客様をお迎えするだけ」
遺跡の入口に設置した鐘が鳴る。不思議なことに、その音色は「いらっしゃいませ」と聞こえる。この魔法の鐘は、来訪者の意図に関わらず、すべての人を客として歓迎するのだ。
扉が開き、重々しい足音が響く。先頭に立つのは、グレゴール騎士団長。王国でも屈指の剣士であり、かつてアサギに剣術を教えた人物でもある。
「アサギ様」
グレゴールは兜を脱ぎ、深々と頭を下げた。
「お迎えに参りました。王都では皆様が心配しておられます」
後ろに控える騎士たちも、一斉に膝をついた。その中に、見覚えのある顔があることに、アサギは気づく。
「まあ、ユリウスじゃない」
金髪の青年騎士が、ばつの悪そうな顔を上げた。
「アサギ様......その、お久しぶりです」
幼馴染のユリウスは、新人騎士として騎士団に加わったばかりらしい。ぴかぴかの鎧が、その初々しさを物語っている。
「立って。皆さんも楽にしてください」
アサギは穏やかに微笑んだ。
「長旅でお疲れでしょう? まずは一杯、紅茶はいかがですか?」
騎士たちがざわめいた。てっきり抵抗されるか、あるいは泣いて許しを請われると思っていたのだろう。
「アサギ様、我々は任務で......」
「任務の話は、お茶を飲んでからでも遅くないでしょう?」
アサギはくるりと振り返り、カフェスペースへと歩いていく。
「フィー、お客様の人数分、カップの準備をお願い」
「はーい!」
フィーが人間の子供サイズに変身し、てきぱきとテーブルをセッティングし始める。騎士たちは顔を見合わせた。
「団長、どうしますか」
副団長が小声で尋ねる。グレゴールは困ったように眉をひそめた。実は彼も、久しぶりに会った教え子の変化に驚いていた。かつての、何をするにもおどおどしていた令嬢の面影はない。
「......とりあえず、座るか」
重い鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら、騎士たちが席に着く。二十人近い屈強な男たちが、小さなカフェのテーブルを囲む光景は、なんとも奇妙だった。
「今日の紅茶は、ダージリン風味です」
アサギが優雅な手つきで紅茶を注いでいく。立ち上る湯気から、花のような上品な香りが広がった。
「ミルクとお砂糖はいかがですか?」
「あ、いえ、結構です」
騎士の一人が慌てて答える。
「そうですか。でも、少しミルクを入れると、また違った味わいになりますよ」
アサギは小さなミルクピッチャーを差し出した。
「せっかくですから、お試しください」
断りきれずに、騎士はミルクを受け取る。他の騎士たちも、つられるように手を伸ばした。
グレゴールは渋い顔で、目の前のティーカップを見つめている。任務中に呑気にお茶を飲んでいる場合ではない。しかし......
「どうぞ、冷めないうちに」
アサギに促され、仕方なくカップを手に取る。一口含んだ瞬間、グレゴールの表情が変わった。
「これは......!」
思わず声が漏れる。王城で供される最高級の紅茶より、はるかに美味い。ダージリンの爽やかな香りに、ほのかな甘みと深いコク。それでいて後味はすっきりとしている。
「美味しいでしょう?」
アサギが微笑む。
「この茶葉は、遺跡の魔法で毎朝補充されるんです。きっと、千年前から変わらない味なのね」
騎士たちも、それぞれ紅茶を口にして、驚きの表情を浮かべている。
「うまい......」
「こんな紅茶、初めてだ」
「ミルクを入れると、本当に味が変わる!」
殺風景だったカフェに、にわかに活気が生まれた。
「お茶請けもありますよ」
フィーが大きなバスケットを運んでくる。中には、焼きたてのスコーンがたっぷり。
「わあ、いい匂い!」
ユリウスが思わず身を乗り出した。
「遠慮しないで、どうぞ」
アサギがバスケットを差し出すと、騎士たちは一瞬ためらったあと、恐る恐る手を伸ばした。
「これ、アサギ様が作ったんですか?」
ユリウスが信じられないという顔で聞く。
「ええ。最初は失敗ばかりだったけど、今はこれくらいなら作れるようになったの」
「すごい......昔は、お茶を淹れるのも使用人任せだったのに」
「人は変わるものよ」
アサギは懐かしそうに微笑んだ。
騎士たちがスコーンを頬張り始めた。外はさくさく、中はふんわり。ほのかな甘みとバターの香りが口いっぱいに広がる。
「うまい!」
「もう一つもらってもいいですか?」
「俺も!」
あっという間に、屈強な騎士たちによるスコーンの争奪戦が始まった。
「おい、それは俺が目をつけてたやつだ!」
「早い者勝ちだろ!」
「団長! あいつが二つも取りました!」
「......」
グレゴールは頭を抱えた。王国最強と謳われる騎士団が、スコーンの取り合いをしているなど、誰が信じるだろうか。
「もっとありますから、落ち着いて」
アサギが苦笑しながら、追加のスコーンを運んでくる。騎士たちは少年のような笑顔を浮かべた。
「アサギ様の紅茶、最高です!」
「このスコーン、王城のパティシエにも負けてない!」
「また来てもいいですか?」
和やかな雰囲気の中、レオンが店の奥から現れた。いつものように無愛想な顔で、騎士たちを見回す。
「なんだ、この騒ぎは」
「あ、レオンさん」
ユリウスが振り返る。
「王都からお客様よ」
アサギが説明すると、レオンは「ふん」と鼻を鳴らした。
「で、アサギを連れ戻しに来たってわけか」
空気が一瞬、張り詰めた。騎士たちが姿勢を正す。
「いかにも。アサギ様には王都にお戻りいただく」
グレゴールが重々しく言った。
「ほう」
レオンが腕を組む。筋骨隆々とした元傭兵の威圧感に、新人騎士たちが息を呑んだ。
「本人が嫌だと言ったら?」
「それでも連れて行く。王命だからな」
「やってみろよ」
一触即発の空気。しかし、アサギが間に入った。
「レオン、やめて。皆さんも、お茶の時間に争いはなしよ」
「......ったく」
レオンは舌打ちして、カウンターの奥に引っ込んだ。騎士たちも、剣の柄から手を離す。
「ところで、グレゴール様」
アサギが団長に向き直った。
「王都に戻れという命令は、いつまでに実行しなければならないのですか?」
「それは......特に期限は定められていないが」
「でしたら、今日一日くらいは、ゆっくりしていかれては?」
アサギは悪戯っぽく微笑んだ。
「せっかくここまでいらしたんですもの。遺跡も見学していってください」
「しかし......」
「報告は明日でも間に合うでしょう?」
グレゴールは困った顔で、部下たちを見回した。騎士たちは皆、期待に満ちた目をしている。正直なところ、グレゴール自身も、もう少しこの不思議な空間に留まりたかった。
「......わかった。今日は、ここで休憩させてもらおう」
騎士たちから歓声が上がった。
「やった!」
「もっとスコーンが食べられる!」
「紅茶のおかわりもお願いします!」
アサギは満足そうに頷いた。
「では、ゆっくりしていってくださいね」
午後になると、騎士たちはすっかりくつろいでいた。鎧を脱ぎ、楽な姿勢でお茶を楽しんでいる。
「なあ、ユリウス」
先輩騎士の一人が聞いた。
「アサギ様って、昔からこんな感じだったのか?」
「いえ、全然違います」
ユリウスは首を振った。
「昔は、もっと......なんというか、繊細で、いつも誰かに守られている感じでした」
「へえ」
「でも、今の方がずっと素敵です」
ユリウスは幼馴染を見つめた。アサギは他の騎士たちとも気さくに話し、時には冗談を言って笑わせている。
「本当に、強くなられた」
グレゴールも、かつての教え子の成長を認めざるを得なかった。剣の腕は相変わらずだろうが、心の強さは比べ物にならない。
「なあ、団長」
副団長が小声で話しかけてきた。
「本当に、明日連れて帰るんですか?」
「......」
グレゴールは答えなかった。正直、迷っていた。確かに王命ではある。しかし、これほど生き生きとしているアサギを、鳥籠に戻すことが正しいのだろうか。
夕方、大精霊エルフィーナが姿を現した。
「あら、今日は賑やかですわね」
千年を生きる精霊の登場に、騎士たちがざわめく。
「精霊......!」
「本物だ......」
エルフィーナは優雅に微笑んだ。
「人間の騎士の方々ですか。ようこそ、遺跡へ」
半透明の姿で宙に浮かぶ大精霊に、騎士たちは畏敬の念を抱いた。
「ここは、千年前から続く平和の場所。争いは似合いませんわ」
その言葉に、グレゴールは深く頷いた。
日が暮れる頃、騎士たちは名残惜しそうに立ち上がった。
「今日は、ありがとうございました」
グレゴールが深々と頭を下げる。
「素晴らしいおもてなしでした」
「また来てくださいね」
アサギが微笑む。
「ただし、次は任務ではなく、一人の客として」
騎士たちが顔を見合わせ、そして笑った。
「ぜひ、そうさせていただきます」
「俺、今度は非番の日に来ます!」
「俺も!」
口々に約束する騎士たち。ユリウスも、嬉しそうに頷いた。
「アサギ様、その......今、お幸せですか?」
幼馴染の問いに、アサギは迷わず答えた。
「ええ、とても」
「それなら、よかった」
ユリウスは安堵の表情を浮かべた。
騎士団が帰った後、レオンがぼそりと言った。
「明日、本当に来るぞ」
「そうね」
アサギは頷いた。
「でも、きっと大丈夫」
「根拠は?」
「だって、皆さん、スコーンを気に入ってくれたもの」
レオンは呆れたように首を振ったが、その表情は柔らかかった。
「ま、なんとかなるか」
フィーが甲高い声で言った。
「明日のために、もっとたくさんスコーン作らなきゃ!」
「そうね」
アサギは遺跡の入口を見つめた。明日、騎士団が何を告げに来るかはわからない。でも、今日という日が、きっと何かを変えたはずだ。
紅茶は、人の心を繋ぐ。それを、また一つ証明できた日だった。
星が瞬き始めた空の下、遺跡カフェに温かな灯りがともる。明日も、新しい一日が始まる。アサギは期待を胸に、後片付けを始めた。
新しいお客様との出会いが、また一つ、大切な思い出になった。
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