第7話「亡霊騎士と、過去の記憶」
朝の光が遺跡カフェの石壁を優しく照らしている。アサギは、いつものようにティーポットに湯を注ぎ、今日の紅茶の準備を始めた。
「アサギ、今日はなんの紅茶?」
フィーが期待に満ちた目で覗き込む。最近のフィーは、アサギが淹れる紅茶の香りを当てるのが日課になっていた。
「今日はね、ミントティーよ。レオンと一緒に、遺跡の新しい区画を探索する予定だから、頭がすっきりする紅茶がいいかなって」
「わーい! 探検だ!」
フィーがくるくると宙を舞う。その時、カフェの扉が開き、レオンが入ってきた。いつもの無骨な表情だが、どこか楽しそうな雰囲気が漂っている。
「おう、準備はできてるか?」
「ええ、もちろん。でもその前に、朝の紅茶はいかが?」
レオンは小さくため息をついたが、素直に席に着いた。彼もすっかりアサギの紅茶の虜になっている。
ミントティーの爽やかな香りが、カフェに広がる。レオンが一口飲むと、表情が和らいだ。
「うまいな。これなら、長い探索でも頭がはっきりしてそうだ」
「でしょう? それに、水筒にも入れていくわ。探検の途中で休憩する時に飲みましょう」
準備を整え、三人は遺跡の奥へと向かった。試練の間を過ぎ、レオンが前回見つけた扉の先へ。石造りの通路は、奥に行くほど装飾が豪華になっていく。
「なんだか、王城みたいね」
アサギがつぶやく。確かに、壁には美しい彫刻が施され、天井には色褪せた絵画の跡が残っていた。
「ここは、きっと重要な場所だったんだろうな」
レオンが慎重に周囲を観察しながら進む。と、その時――。
「あ、あれ!」
フィーが指差した先に、大きな広間があった。そして、その中央に――。
「騎士...?」
アサギが息を呑む。そこには、完全武装の騎士が立っていた。ただし、その姿は半透明で、明らかに生きている人間ではない。
「亡霊か」
レオンが剣の柄に手をかける。騎士がゆっくりとこちらを向いた。兜の隙間から、青白い光がこぼれている。
「我は...守護者...」
掠れた声が響く。言葉は途切れ途切れで、まるで長い間使っていなかった喉を無理やり動かしているようだった。
「ここから...先は...通さぬ...」
騎士が大剣を構える。しかし、その動きはどこか悲しげで、攻撃的というよりは、義務を果たそうとしているように見えた。
「待って!」
アサギが前に出る。レオンが止めようとしたが、彼女は首を振った。
「私たちは、敵じゃありません。ただ、この遺跡のことを知りたいだけなんです」
騎士は動きを止めたが、剣は下ろさない。
「関係...ない...通さぬ...」
アサギは考えた。この騎士は、きっと生前から、何かを守る使命を背負っていたのだろう。そして死してなお、その使命を果たそうとしている。
「そうだ」
アサギは持参した水筒を取り出した。まだ温かいミントティーが入っている。
「紅茶を...飲みませんか?」
レオンが目を丸くした。
「おい、アサギ。亡霊に紅茶を勧めてどうする」
「でも...」
アサギは騎士の様子を見つめた。その姿は、ただ立っているだけでも辛そうだった。
「とても、疲れているように見えるの」
アサギは持参していたカップに紅茶を注ぎ、そっと床に置いた。湯気が立ち上り、ミントの香りが広間に広がる。
その瞬間、騎士の姿に変化が起きた。半透明だった体が、一瞬だけはっきりとした輪郭を持つ。
「この...香りは...」
騎士の声が、初めて感情を帯びた。剣を下ろし、ゆっくりとカップに近づく。
「懐かしい...ミントティー...母上が...よく...」
騎士は膝をつき、カップを手に取ろうとした。しかし、その手は実体がなく、カップをすり抜けてしまう。それでも騎士は、香りを懐かしそうに嗅いでいた。
「生前、お好きだったんですね」
アサギが優しく声をかける。騎士がゆっくりと頷いた。
「セオドア...それが...我の名...」
「セオドアさん」
アサギは微笑んだ。
「もしよろしければ、毎日ここに紅茶をお供えします。ミントティーでも、他の紅茶でも。きっと、お母様との思い出の味に近いものを見つけられると思います」
セオドアの姿が震えた。兜の隙間から、光の雫がこぼれる。それは、涙のようだった。
「なぜ...そのような...親切を...」
「だって」
アサギは素直に答えた。
「紅茶は、誰かと分かち合うものですから。生きている人も、亡霊の方も、関係ありません」
フィーが嬉しそうに付け加える。
「そうだよ! アサギの紅茶は、みんなを幸せにするんだから!」
セオドアは長い間、黙っていた。やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「...感謝する」
そして、道を空けた。
「通るがよい。ただし...奥には...危険もある。気をつけよ」
「ありがとうございます」
アサギは深くお辞儀をした。
「明日から、必ず紅茶をお持ちしますね」
セオドアは答えなかったが、その姿が少しだけ温かく見えた。
三人が広間を後にしようとした時、レオンが小さくつぶやいた。
「まったく...亡霊まで紅茶でほっこりさせるなんて、お前らしいな」
「あら、何か言った?」
「いや、なんでもない」
レオンは照れくさそうに顔を背けた。フィーがくすくすと笑う。
「レオンも、紅茶でほっこりしてるくせに〜」
「うるせぇ!」
広間を抜けると、さらに奥へと続く通路があった。セオドアの言う通り、確かに危険な雰囲気が漂っている。
「今日はここまでにしましょうか」
アサギが提案する。
「セオドアさんにお供えする紅茶の準備もしたいし」
「そうだな。無理は禁物だ」
帰り道、アサギは考えていた。セオドアは何を守っているのだろう。そして、なぜ千年もの間、ここに留まっているのだろう。
「きっと、大切なものがあるのね」
カフェに戻ると、さっそく明日の準備を始める。
「セオドアさん、どんな紅茶が好きかな」
「ミントティーが懐かしいって言ってたよ!」
フィーが思い出したように言う。
「でも、他の味も試してみたいかもしれないわね」
アサギは棚から様々な茶葉を取り出した。
「明日はミントティー、明後日はカモミール...いろいろ試してみましょう」
レオンが呆れたような、でもどこか優しい目で見ている。
「亡霊の好みまで考えるなんて、物好きだな」
「だって、千年も一人ぼっちなんて、寂しいじゃない」
アサギの言葉に、レオンは何も言えなかった。確かに、あの騎士の姿は、とても孤独に見えた。
その夜、アサギは遺跡の歴史について考えを巡らせた。平和な文明があり、それを守る騎士たちがいた。でも、何かが起きて、文明は失われた。
「セオドアさんは、きっと最後まで何かを守ろうとしたのね」
窓の外を見ると、満天の星空が広がっている。千年前も、きっと同じ星が輝いていたのだろう。
翌日、約束通りアサギはセオドアの元を訪れた。今度は一人で。手には、温かいミントティーと、焼きたてのスコーンを持って。
「セオドアさん、来ましたよ」
広間に入ると、セオドアが同じ場所に立っていた。アサギが近づくと、ゆっくりとこちらを向く。
「来たか...」
「ええ。今日もミントティーを淹れてきました。それと、スコーンも」
アサギは丁寧に紅茶をカップに注ぎ、スコーンと共に置いた。セオドアの姿が、昨日よりもはっきりと見える。
「ありがたい...」
セオドアは紅茶の香りを深く吸い込んだ。
「思い出す...平和だった頃を...」
「よかったら、お話を聞かせていただけませんか?」
アサギも床に座り、自分の分の紅茶を飲み始めた。セオドアは少し驚いたようだったが、やがてゆっくりと語り始めた。
千年前のこの地の様子。人と精霊が共に暮らし、毎日のように紅茶を囲んで語らっていたこと。セオドアも、非番の時は仲間たちと紅茶を楽しんでいたこと。
「あの頃は...良かった...」
アサギは静かに耳を傾けた。時折相槌を打ち、質問をする。セオドアの話は途切れ途切れだったが、少しずつ当時の様子が見えてきた。
「今のカフェと、似ているところがありますね」
「そうか...お前も...人々に紅茶を...」
「はい。いろんな人が来てくれて、みんなで紅茶を楽しんでいます」
セオドアの姿が、一瞬揺らいだ。
「それは...良いことだ...」
その日から、アサギは毎日セオドアの元を訪れるようになった。時にはレオンやフィーも一緒に。最初は警戒していたセオドアも、次第に心を開いていった。
ある日、セオドアがぽつりと言った。
「我が守っているのは...この奥にある...記憶の間だ...」
「記憶の間?」
「この文明の...すべての記憶が...そこに...」
セオドアの使命が、少しずつ明らかになっていく。彼は、失われた文明の最後の守護者だったのだ。
「でも、もう一人で守る必要はありませんよ」
アサギは優しく言った。
「私たちも、一緒に大切にしますから」
セオドアは答えなかったが、その姿が少しだけ安らいだように見えた。
その夜、カフェではいつものようにレオンとフィーと夕食を共にしていた。
「セオドアさん、少しずつ元気になってきたみたいね」
「うん! 今日は、ちょっと笑ったように見えた!」
フィーが嬉しそうに報告する。
「亡霊が笑うって、想像つかないけどな」
レオンが苦笑する。
「でも、確かに最初より穏やかになってる」
「紅茶の力って、すごいのね」
アサギは改めて思った。生きている人も、亡霊も、精霊も、みんな紅茶の前では同じ。温かい一杯が、心を繋いでくれる。
「明日は、アールグレイを持っていってみようかな」
「いいね! きっとセオドアさんも喜ぶよ!」
フィーが賛成する。レオンも小さく頷いた。
遺跡カフェに、また一人、いや一体、新しい仲間が加わった。千年の孤独を癒やす、温かい紅茶と共に。
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