第5話:交錯する思惑と小さな協力者



長編小説「完迎会 - 残響する最後の言葉 -」


第五話:交錯する思惑と小さな協力者


田中の怯えた様子と、背後に感じる不穏な視線。恵は、自分が確実に佐藤にマークされていることを悟った。オフィスでの不用意な行動は、もはや命取りになりかねない。それでも、何かしなければ、無情にも時間は過ぎていく。


翌日、恵は有給休暇を取得した。表向きは体調不良ということにしてある。会社を休むことで、佐藤の警戒を少しでも解き、別の角度から情報を集めるためだ。


(まず、佐藤健司という人間について、もっと深く知る必要がある)


恵は自宅のPCで、佐藤の名前を検索エンジンに打ち込んだ。SNSのアカウント、出身大学、過去の職歴…表面的に出てくる情報は、どれも当たり障りのないものばかりだった。だが、恵は諦めない。古いニュース記事や、匿名掲示板の過去ログまで、執拗に彼の名前を追った。


数時間が経過した頃、ある地方新聞の小さな記事に目が留まった。数年前、佐藤が以前勤めていた会社で起きた、不審な事故の記事だった。プロジェクトリーダーが、実験中に薬品の取り扱いミスで重傷を負ったという内容。そのプロジェクトには、若き日の佐藤も関わっていたと記されている。記事自体は、事故として処理されたことを伝える短いものだったが、恵の胸に小さな棘が刺さった。


(考えすぎかもしれない。でも……)


恵は、その事故についてさらに深く調べてみることにした。当時の関係者を探し出すのは困難だったが、インターネットのアーカイブを駆使し、いくつかの関連情報を手繰り寄せた。その中で、ある匿名ブログの書き込みを見つけた。事故の被害者の元同僚を名乗る人物が、事故の状況に不審な点があったこと、そして当時、被害者と佐藤との間に確執があったことを匂わせる内容だった。


(これだ……!)


確証はない。だが、佐藤の過去に、何か闇がある可能性を示唆していた。もし、これが翔太の件と繋がっているとしたら?

恵は、そのブログの主に接触できないか試みたが、ブログは数年前に更新が止まっており、連絡先も見当たらなかった。


手詰まり感を覚え始めた時、スマートフォンのメッセージアプリに通知が入った。意外な人物からの連絡だった。

『水野さん、昨日はすみませんでした。少しだけ、お話ししたいことがあります』

田中からだった。


恵は驚きと期待で胸を高鳴らせながら、すぐに返信した。

『大丈夫です。どこでお会いできますか?』

田中は、人目を避けるように、少し離れた隣町の公園を指定してきた。


夕暮れ時、指定された公園のベンチに座っていると、帽子を目深にかぶった田中が、周囲を警戒しながら近づいてきた。その顔は昨日よりもさらに憔悴しており、目の下には濃い隈が浮かんでいる。


「わざわざすみません、水野さん」

「いえ。何か、話してくれる気になったんですか?」

恵の問いに、田中は小さく頷いた。


「……僕も、最初は信じられなかったんです。佐藤さんが、あんな恐ろしいことを考えているなんて。でも……彼の目は本気でした。それに、僕には家族がいる。逆らえば何をされるか……」

田中は途切れ途切れに語り始めた。佐藤に巧みに取り込まれ、脅され、計画に加担させられてしまった経緯。そして、計画の断片的な内容。やはり、毒物を使った殺害計画であること。歓迎会の席で、翔太の飲み物に混入させる手筈になっていること。


「佐藤さんは、翔太さんのことをずっと妬んでいたようです。才能も、人望も、全て。今回の栄転が、彼の最後の引き金を引いたのかもしれません……」

田中の声は震えていた。


「毒物は、どこで手に入れたか分かりますか?」

恵は核心に迫ろうとした。


田中は首を横に振った。

「それは……僕も詳しくは。ただ、佐藤さんは昔から薬品の知識に詳しい人で……何か、特別なルートがあるのかもしれません」

恵は、先ほど調べた過去の事故の記事を思い出した。薬品の取り扱いミス。偶然だろうか。


「田中さん、お願いです。翔太さんを助けるために、力を貸してください。あなたが知っている情報を、もっと詳しく教えてもらえませんか?どんな些細なことでもいいんです」

恵は必死に訴えかけた。


田中はしばらく黙り込んでいたが、やがてポケットから小さなメモ用紙を取り出し、恵に差し出した。

「……これが、僕にできる精一杯です。佐藤さんのPCのログインパスワードのヒントです。彼は最近、このパスワードに変えたはずです。でも、もしこれで何かあっても、僕の名前は絶対に出さないでください」

メモには、いくつかのアルファベットと数字の羅列が書かれていた。一見、無意味な文字列に見える。


「ありがとうございます、田中さん。絶対に、あなたのことは言いません」

恵はメモを強く握りしめた。これは大きな一歩だ。


「佐藤さんは、用心深い人です。水野さんのことも、おそらく警戒しています。気をつけてください」

田中はそれだけ言うと、逃げるように公園を立ち去った。その背中は、罪悪感と恐怖に押しつぶされそうに見えた。


恵は、田中の勇気に感謝しながらも、彼の身を案じた。佐藤に気づかれれば、ただでは済まないだろう。

そして、自分自身も。佐藤のPCにアクセスするなど、危険極まりない行為だ。しかし、そこに決定的な証拠が隠されている可能性があるのなら、試してみる価値はある。


(歓迎会は、明後日……時間がない)


恵は、手に入れたパスワードのヒントを頼りに、佐藤のPCにアクセスする方法を模索し始めた。もし成功すれば、計画の全貌が明らかになるかもしれない。だが、失敗すれば、全てが終わる。


夜空には、細い月が頼りなげに浮かんでいた。恵の孤独な戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。交錯する思惑の中で、彼女は小さな協力者から託された希望の糸を、必死に手繰り寄せようとしていた。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る