第2話

 なにはともあれ、望外の仕事にありつけたことに変わりはないと、シルフはそう思っているはずだ。

 シルフ・シュトー、十九歳の兎人族。都会で職を得たからには、それなりの成果を出さねばと気合を入れた──が、その意気込みも昼の鐘が鳴るころには、机に突っ伏して消え果てていた。


 昼食を取ろうと腰を上げるのを見計らって、シルフの眼が大きく見開いた。

「サイダさん、ずるくないですか?」

 掠れた声、沈んだ声音、シルフはこちらに顔を寄せて、言葉を投げかけた。その逞しい溌剌さは失われていないようである。まだまだ元気そうだな、とそう声をかけるのは、流石に憚られたのだが。


「まぁ、食えるだけいいだろ?」

 うっ、と声を濁らせて、シルフは一歩後ずさる。しかし、すぐさま、反論を思いついたのか、こちらに食いかかった。

「給料はこれで同じなんですか?」

 うーん、痛いところを突かれた。

 彼女の不平は一応のところ筋は通っている。それもそのはず、相談員は各種族ごとに取り揃えられている。

 希少種族のもとに訪れる人数は減るはずで、横並びの相談員であっても、仕事の量には差ができる。


 俺のような相談員の元に集まるのは、空いている場所を求めたせっかちくらいであった。


「こればっかりは、数少ない種族に生まれた特権だからな」

 と、そうはいってみたものの、厄介事の質でいえば、こちらに軍配が上がるのだが……。

 とはいえ、シルフはまだ俺の担当案件を見ていない。まあ、いずれ知ることになるだろう。


 と、ちょうどその時、軋むような音が鳴った。乱暴な音だ。スイングドアに視線が集まった。


 ドアが開く。

 鬼人族の特徴を、彼女は余すところなく備えていた。筋骨隆々、天井すれすれの大柄な体躯。額からは大きな角が突き出ている。

「ほえー」

 シルフが間抜けな声を漏らしたのも無理はなかった。戦うことをこそ至上とするこの部族は、ふだんは中々お目に掛かれるものではない。

 もはや知己と呼んで差し支えないそいつをどうするか、しばらく頭を捻ってから声を掛けた。いや、掛けざるを得なかった。


「用はなんだ?ベルべス」

 そいつは獰猛な笑みを浮かべ、俺に食って掛かりそうな表情で近づいて、小さく耳打ちした。

「その、頼みごとがあるんですが……助けてください。決闘を仕掛けられたのですが、私、自信がないんです」


 ベルべス・スタンレー、鬼人族、女。恵まれた体躯に内在した暴威ともいえる戦闘能力に比して、すこぶる気が弱かった。

 だからといって、戦えないわけではない。むしろ、安全マージンを大きく取ったその戦闘方法は、種族差を活かすにはうってつけのやり方だった。

 冒険者としても高い地位にいる彼女は、しばしば、こうやって相談にくる。


「とりあえず、別室に行こうか」

 やはりというか、その危険な笑みを携えたまま、彼女は了承の意を告げた。その内心は子猫もかくやというほどに、臆病なのだが。


「だ、大丈夫ですか?サイダさん、その、なにかあったら、加勢しますからね」

 対照的に、やけに気の大きいシルフに手を振って、相談室のドアを引いた。ベルべスの臆病さを知る者は少ないはずだ。彼女の気の弱さが知れれば、厄介事に巻き込まれることは明白だろう。

 彼女に椅子に座るように促して、俺も席に着く。


「そのですね、サイダさん、決闘の件なんですけど」

「克服したんじゃなかったか?」

「ええ、普通の決闘には慣れました。普通の決闘には慣れたんですがね」


 やけに含みのある言い方をしながらも、彼女は視線を漂わせた。それは勇気のいる告白らしい。

 彼女は冒険者だ。荒事には慣れている。決闘騒ぎが苦手なのは注目されるからだ。名声を上げれば決闘を挑みに来るものが増え、下手な恨みを買うこともあるだろう。


 毒も通り魔も跳ね除ける彼女であれど、ヒトに疎まれるのはどうも気が休まらないらしい。


「それに今はギルドの頭目として、決闘はギルド員に押し付けているんじゃなかったのか?」

「はぃぃ、そうなんですが」

 彼女はヒトの上に立つことで、むしろ、注目を役職に集めたのだ。それも、ごくシンプルな方法を以て。

 力で率いたのだ。


 やはり、強さという一点において、彼女はなによりも優れていた。力で秩序を作った。決闘組合など、よく思いついたものだ。


「まさか」

 ともすれば、思い当たることは一つしかない。

「ええ、その、まさかです。ギルド員を打ち倒したうえで、私に決闘を申し込んできた方がいます。それもただの決闘ではありません」


 鬼人族というのも、希少な種族である。この街に二人目が現れたと、巷ではまことしやかに囁かれていた。それは俺の耳にも入っていたことで、ともすれば彼のことだろうと思っていた。


「婚姻を申し込まれました。儀式としての決闘です」

 鬼人族は武人のような精神性を持つものが多い。

 冠婚葬祭までひっくるめて、戦うことに脳が直結した奴らである。不思議ではなかった。


「断ることは……」

「できません。私が勝つのみです」


 彼女の瞳に不安が滲む。図体に似合わぬほどに気が小さい彼女のことだ。不安もひとしおのはず。


 彼女は俺の背後をちらと見やり、訊ねた。

「先ほどの兎人族の方のお名前は?」

「シルフ・シュトーだが」

「そうですか」


 と、彼女は俯きがちに席を立った。扉へと身を寄せたかと思えば

「盗み聞きをされたのであれば、それは仕方のないことです。あなたにも手伝ってもらいます」

 と扉を開いた。


 扉に体を預けていたのか、勢いよく中へ倒れ込んだのは、シルフであった。

「あはは、その……先輩が食べられちゃったら大変だなと思いまして……その、すみません」

 と子気味良く頭を下げた。ベルべスは深い溜息を吐くと、今度は真剣さを取り戻して、その大きな手のひらで包み込むように俺の手を握った。

「どうか、諦めさせることはできませんか?お相手の方に」



 シルフが迷惑をかけた手前、断るわけにもいかなかった。俺は恨めし気にシルフを眺めつつ、小さく頷いて見せた。

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