異世界ギルド、問題児ばかりの生活相談所
喜一
第1話
「頭頂部に耳がないようですが、私の言葉は聞こえていますか?」
そういって、女は耳を指さした。
失礼だと切って捨てるわけにもいかない。
田舎から出てきた獣人種は、時折この種の勘違いを起こすのであった。
俺は髪をかき上げて、耳を見せた。
「ギルド生活相談所へようこそ。人間種の細田です。本日はどういったご相談で?……ちなみに耳は、ここです」
「まぁ、可愛らしいお耳ですね」
兎人種の女は、口元を抑えて、そう漏らした。
悪意はなかった。俺がこの世界に来たときも、同じような反応をされたのだ。天然の獣耳、発せられる湿った獣臭、現実とはかくも脆いものだと感慨を覚えた。
彼らの立場にしてみれば、毛のない耳は実に幼くみえたことであろう。
「それで、相談はですね……その…お金がなくてですね?」
てへっと、兎人は可愛らしく舌を出した。
ギルド内は雑然としている。酒場が併設しているわけではないが、日夜様々な種族が詰め寄せる。生活の困窮などありふれた悩みだ。しかし、彼女はその一団に加わるのを少なからず恥じているようで、頬を染め、所在なさげに視線を彷徨わせた。
「なにか職業には?」
「冒険者を……」
していた、と。
故郷の村で魔物狩りを行っていたのだからと、日銭を稼ぐのはたやすいだろうと勘違いをしたのだろう。
しかし、この街では怠惰であれば飢えて死ぬ、勤勉であろうとも腹の音は収まらない。
誰もが走り続け、稼いだ金で腹を満たす。回遊魚のような暮らしだ。耐えられぬ者も多い。
「なるほど、ちなみに貯金の方は?」
「あったら来ませんよ」
ははは、と乾いた笑い、追いかけるように腹の音がなった。
生活相談所などという曖昧模糊な仕事で給金を頂いている以上、解決とまではいかずとも寄り添う姿勢は大事である。
「仕事をお探しには?」
じぃと、彼女のつぶらな瞳が突き刺さる。仕方がないだろう。何もしてやれない以上、このまま定時まで、のらりくらりとやり過ごすほかないのだ。
寄り添うとは横に立つことであって、問題に面と向かって立ち向かうことではない。
「ない、といいますか、何か市の方からの支援などありませんか?」
「火葬と土葬は無料で執り行えますよ」
「あはは、面白い冗談ですね……マジですか?」
俺は無言で頷いた。田舎のように人頭税を取ることがない分、なにをするにも税が乗っかるし、それが目に見えて返ってくることはない。
「あの……では、あなたの仕事をさせてください。生活相談所の仕事の募集ないんですか?」
カウンターを強く叩き、彼女の顔がずいと近づく。
この種の相談も多い。確かに、高給取りといかずとも、命の保証があるだけありがたいのだ。
そして、手慣れた言葉を突き返すことになる。
「まずは、あなたの力で生活を成り立たせてみませんか?」
「ああ、もう!今、ここに、餓死しそうな女の子がいるんですよ?人の心はないんですか?この鬼め、悪魔め」
「種族差別はお控え下さい」
「うう……この人間めぇ!」
カウンター越しに怒気が漏れることもしばしば、手が出ないだけお利口な方だ。
「それ以上、騒ぐようであれば、ご退席頂きますが、よろしいでしょうか?」
「分かりましたって。その、あれですよ、大人しくしますから。じゃあ、あなたはどうやって入ったんですか?」
「希少種族の優先採用は行っておりますが、兎人族はとにかく数が多いので……」
採用は難しいでしょう。と皆まで言い切らず、語尾を和らげて返した。
彼女は拳を震わせて、再び顔を寄せた。
「あ、あなたこそ種族差別じゃないですか?」
「いえ、これは種族の問わない生活相談員を採用するための方式であって……」
「私だって、希少種族です。聞いたことないですか?赤兎族」
夕日のような毛先を弄びながら、どこか冗談じみて彼女は告げた。聞いたことがない、というか細分化しただけであろう。
「採用担当は私ではないので、別途……」
「なら、可能性はありますね。とりあえず、申し込みだけお願いします」
しまったな。本来はこの流れに持ち込むべきではないのだ。
採用試験は断れないが、明らかに落ちる人物を通してしまうと、採用担当官に小言を言われる。
仕方なしに、さらさらと書類に書き込んでいく。
お名前は?歳は?と質問を重ねて、空欄を埋める。
シルフ・シュトー、十九歳、性別は女性。自称赤兎族。
「それでは、採用は後日、そうですね明後日ごろに日時を張り出しますので……」
説明を終えるより早く、脱兎の如くシルフは飛び出していく。
終業時間も間近に迫っていた。
採用されることはないだろうと、家路につくころにはすっかり頭の隅から転がり落ちた。
これが三日前の出来事だ。
「改めて、よろしくお願いいたします。シルフ・シュトーです」
いつものデスク、いつものカウンター、横並びのいつもの相談員たちに紛れて、そいつはいた。
「まさか、受かったのか?」
「はい。前任者が事件に巻き込まれて失踪したとのことで、帰ってくるまでの埋め合わせに、と」
職員の失踪から募集が出されるまでにはそれなりのスパンが空く。それでも稀にこういった運命的な応募がある。
これからシルフは同僚だ。少し態度を改めるべきだろう。兎といえば幸運の象徴である。崇めておいても損はない。心の中で手を合わせつつ、俺は挨拶を口にした。
「そうか、これからよろしく。俺はサイダだ」
「はい、それで、その……まだ、給料がなくてですね、次の給料日までお金がなくて」
働いていないのに給料が出るわけない。とはいえ、あと一月、日に日にやせ細る同僚を見るのも忍びない。
俺は深々と溜息をついてみせた。
「貸すのは最低限、次の給料日になったら返せ、いいな?」
「わぁ、職員の方って、カウンター越しでないと優しいのって本当なんですね?」
「一言多い」
シルフの頭に軽くチョップを入れた。
どこかをふらついているであろう前任者に思いを馳せて、俺はひとまず、財布を取り出した。
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