終わらない星

燈栄二

終わらない星

 引退試合……かあ。俺は目の前の話相手が放った言葉を咀嚼する。選手としてずっと第一線に立ち続けるのは難しい。特にサッカー選手なんて、走力を失えばスターティングメンバーは遠のく。


「もう引退しちゃうの? 俺はまだまだ続けるつもりだけど」


一面ガラス張りの窓から見える湖。暖房の効いた室内と鼻をくすぐるコーヒーの匂い。今シーズンも無事に終わり、目の前で話す男、大城直紀は引退試合を来月に控えている。


相変わらずハンサムだが、髪は白髪が目立ち、どこか老いを感じさせるようになったように思える。


「まあな。大輔、俺たち今年で50だからな。そろそろ節目だ。まあ、お前には無縁な話かもしれんがな」


 そうかもね、なんて言葉と共に俺は外の湖へ視線を向ける。直紀の別荘も立派なもんだ。指紋ひとつなく磨かれたガラスには俺の姿が見える。


流行りに合わせてセンター分けにした茶髪、顔も俺的にはかっこいいと思っているが、まだ肌にハリもあるし、到底50には見えない。


身分証明書を見せると驚かれるし、普通に20歳ですと言っても信じてもらえる。


「お前は俺と違って永遠人だもんな。ったく羨ましいよ。一生現役やれてさ」


 外見に倣うように、肉体も衰えを見せては来ない生きもの。永遠人、いつしか誰かがそう呼び始めた。簡単に言うと、一定の年齢に達すると、そこから老いることも死ぬこともない。


古代から人間の隣人として存在し、人間社会の一員として生活している。


名を上げることを嫌う永遠人が多い中で、俺はサッカー選手としてキャリアを積み上げることを選んだ。それから約30年。俺は今でも、若い選手とスタメンの枠をとりあっている。


「永遠人も楽じゃないぞ。むしろ、辞めどきが分かんなくなる。それに、いつまでも同じことの繰り返しさ。


若さのままピッチを駆け回って、90分間試合出場し続けて。ライフプランとかそういうの、俺には想像できないんだ」


「いいじゃないか。歳とるとな、思うとおりに体が動かなくなって、若い選手の何倍もケアに気をつけないと動けなくなる。結構楽なもんじゃない」


 直紀につられて、俺もコーヒーを飲む。苦い。酸味など一切ない苦さだ。そういえば、直紀はコーヒーは苦みが大切だ、なんて話していた気もする。


「で、試合ってどこでやるの? ロート?」


かつて俺と直紀が所属していたチーム、東亰FKのホームスタジアムの略称で尋ねる。しかし、直紀は首を横に振ると


「こんなおじさんでも雇ってくれた、今のチームに感謝してるからな、そこで行うことにしたんだ」


「ええっと……ヒルシュゲヴァイ鹿嶋だっけ。あそこのスタジアムって山間部って聞いたことあるよ」


ヒルシュゲヴァイ鹿嶋。現在4部所属のチームだ。かつてのNリーガ得点王で集客でもしたいのか、歳をとっても動ける直紀を選手として欲しいと見たのか。


実際シュートの威力や軌道、そうした技術は健在なはずだ。それに直紀自身も、自分の役目をシュートだと言っていたし。


「で、お前には俺の引退試合に来てほしくてな。俺の対戦相手側のキャプテンにしてやるよ」


そうだった。今日はビッグな話がある、と直紀に呼び出されていたことを思い出す。


「もちろん、呼ばれてなくても行くぜ。にしても対戦相手か……昔みたいに、どっちが得点王になれるか勝負だ!」


ついつい身を乗り出す俺に、直紀は若いな、という言葉で答えた。



 一か月後。引退試合に俺登場は許されたようで、自然豊かな地に建てられたスタジアムに直紀率いる直紀イレヴン、とかいう直紀の交流の深い選手たちが既にピッチ上でスタンバイしている。


次に俺がキャプテンにされたチームが入場し始めると、スタジアムDJが、俺たちの紹介に入る。


「対する相手はあのN1川崎グレンゼ所属の常磐大輔! 大城直紀と共に1991年に東亰FKに加入。共にストライカーとして得点王の座をめぐるライバル関係にあったそうです」


懐かしい。当時の東亰FKは今でも第二次黄金期と呼ばれるほどの猛威を振るい、1993年にはリーガ優勝も果たした。


その年の得点王は直紀で、すっごく悔しかったのを今でも鮮明に思いだせる。俺が同じ称号を得たのは2012年。既に東亰FKを去ったあとだったから。


不本意ながら直紀に大輔イレヴンと名付けられた、懐かしいメンツの揃う俺たちのチームの一人一人の紹介が終わり、互いに握手を交わし、それぞれのポジションにつく。


 俺も直紀と正対し、キックオフのホイッスルが鳴り響く……ものの引退試合。勝ちを目指すというよりも、見知った仲間たちでサッカーそのものを楽しむことが目的だ。


通常の試合ほどガチガチに戦術をはめていくわけでもなく、皆で笑顔を浮かべながらボールを前へ運び、時に守る。


俺は直紀とどっちが沢山ゴールできるのか、を対決する、そのつもりでボールにもトライしていく。


途中、ゴール手前で直紀イレヴン側のディフェンスからボールを奪い取った俺は、そのままターンで一人かわし、その後は股抜きでボールを前進させ、再び追いかける。


引退試合だからか、そう皆も真剣に俺に突っ込んでは来ない。それもあってか、やがてキーパーと1対1になった俺は、いつもよりシュートの威力を落としてゴールへ撃ちこむ。まずは俺たち、大輔イレヴンが先制だ。


かつて同じチームで戦った選手たちと軽くハイタッチをし、直紀イレヴンの皆ともハイタッチを交わす。


「次はお前の番だぞ」


俺は直紀にそう声をかけ、ハイタッチしようとするが、直紀はそうだな、と短く答えるだけだった。ったく、俺に先制されたのがそんなに悔しいかよ。


 次は、直紀イレヴンがボールを持つと、すいすいと運んでいく。俺たちのゴール前、俺も守備に走る中、直紀はかつてのチームメイトを避け、軽やかにシュートを放った。


 直紀は満足げにポーズを決め、駆け寄る仲間たちにもみくちゃにされていく。確かに、素晴らしいシュートだった。現役30年という時間を考えたら、正確にシュートを決める能力は見事だ。だが違う。


俺の知る直紀のシュートはあんなものではなかった。もっと速くて、もっと理不尽で、不可能な角度でも、何人壁になっても、ゴールネットにボールを突き刺す、そんな選手だった。


呆然と立ち尽くす俺の前に、直紀が現れる。


「ごめんな、大輔。俺はもう、お前と互角に戦える選手じゃない」


そういうことか。全てわかってしまった。自分だけが、過去を生きていると。


でもなんて言えばいい? 分かったなんて言う訳にはいかない。今日は直紀の舞台だ。俺のじゃない。だったら、長い間俺たちのできなかったことは何だ? 一つだけあるはずだ。


「……何、言ってんだよ。ったく、全く衰えてないからビビっちまったよ。ルール変更だ。今回は、二人で何点取れるかだ!」


声が震える。だが、ずっと俺たちは敵同士で戦い、やがて直紀はN1から姿を消した。共に戦う、その感覚を、直紀も思い出したいのではなかろうか? もし、俺が直紀にとって邪魔なら、審判にレッドカードを貰えばいい。


「ありがとな。勝負の続きは、お前が引退する時だ」


直紀が手を前につきだす。俺は思い切りハイタッチをしてやった。


 審判に促されて、ポジションに戻ると、ホイッスルの音で試合が再開される。俺がボールを蹴り、前進を試みる。すると、直紀が邪魔してきやがる。まるでかつての練習みたいに。


同じ歳で、互いに得点力を期待されていたのもあってか、俺たちはすぐに仲良くなった。俺が永遠人だと知っても、直紀は俺が仲間でありライバルなのは変わらない、面白いのに会えた、と受け入れてくれた。


結局試合は俺と直紀の打ちあいになり迎えた後半45分。もうこの時点でスコアは10-10。野球でもやってんのかってところだ。


もうピッチ上の俺たちも、あとは直紀にどう花を持たせるかだけを考えていた。まあ、とうの主役は俺達のゴールにせまり、キーパーも形だけは守備のために前に出ている。あとは味方が直紀にボールを出したら、良い感じにシュートを放てるはずだ。そう思っていた。


 思わずえっ、という声を飲み込む。直紀イレヴン側の選手から出されたパスは、俺へのものだった。このまま俺が反対側のゴールへ駆け出したらどうするつもりだったんだよ、と思いつつ、俺だって与えられた役目くらい分かる。


「直紀!」


大城直紀、1990年代のNリーガを代表する選手のひとり。やがて日本代表にも選ばれ、ヨーロッパにも渡った。やがて日本に戻ってきた彼は、サッカーを続けていたいと様々なチームと地方を転々とし、今日までサッカー選手であり続けた。


サッカーを愛して、サッカーに打ちこみ続けた男。そんな彼と同じ年に生まれ、サッカー選手として共に戦えたことを、誇りに思える。ボールを直紀に向かって蹴り出す。


走り込んできた直紀は昔のようにそのボールに追いつくと、キーパーの正面にシュートを蹴りこんだ。


試合終了のホイッスルが鳴り響く。電光掲示板に表示されるスコアは11-10。スタジアムDJも直紀イレヴンの勝利だと称え、スタジアムは歓声に包まれた。


 ピッチの中心に並び、礼をすると、選手たちは直紀に駆け寄っていく。そりゃそうだ。俺も含めて、誰もが直紀が大好きで、尊敬しているから。しかし直紀は、真っ先に俺に近づいてくる。


「何だよ、みんな待って……」


俺が話してるのもお構いなしに、直紀は俺を抱きしめる。そういえば、直紀が得点王に選ばれた時も、こんな感じだった。俺もまだ若かったから、離せよ! と直紀にやつあたりしてしまったな。


「ありがとな、大輔。お前が最後の対戦相手で本当に良かった」


「なんだよいきなり。呼んだのはお前のくせに」


ふと、直紀が電光掲示板に視線を送る。スコアボードが照らすのは11-10の数字。みんな直紀の対戦相手が俺である理由を理解してか、シュートを全て打たせてくれた。それは直紀の方も同じだ。


そういえば、二人で何点取れるかだって約束したな。合計21得点。いや、21?


「直紀、お前が得点王になった時のスコアってさ」


直紀はやっと気づいたか、と俺にまわしていた腕を解くと電光掲示板を指さし、


「同じスコアだ。あの日、お前が悔しがっていたのは分かってた。もう引退だからさ、次は一緒に喜びたいと思ったんだ」


 どうしてだろう、涙がこぼれる。分かってしまったんだ。自分が20歳のままで止まっていること。外見だけじゃない、心までも若いままに置き去りにしていたと。


「ごめん……俺なにも分かってなかった……。直紀が、どんな思いで引退するのか……」


ぽんぽん、と頭を撫でられる感触がする。引退試合で他人を慰めるなんて、きっと直紀しかしない経験だ。


「お前こんな所で泣くなよ。行くぞ、みんな待たせてんだからな」


そのまま俺は肩に手を回した直紀に連れられ、かつての仲間たちの方へと歩き出した。

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