72.海の魔物
両親を魔災で亡くした。
その過去を、ミミさんはただの雑談のように口にした。
「あ、ごめん。そんなに重く取らないで。って言っても無理だよね」
「おおう……んん……」
そんなこと言われても。
あたしの家族はみんな健在だ。
姉はいま居ないし、両親とは一緒に暮らしてないけど、それでも生きている。
だからこういった境遇をどう受け止めて良いのかわからない。
胸が痛むことだけは確かだけど……憐れむのも違うような気がする。
少なくともこの人は、それを望んでいないだろう。
おそらく主題はそこじゃない。
「とりあえずわかりました」
「飲みこんだねぇ。……まあ、小学生のころだよ。だいぶ昔。今はもう一人で暮らしてるし、受け入れてる。でも、当時はそうじゃなかった」
密林を変わらぬペースで進みながら、ミミさんは静かに話している。
もしかしたらいつものおちゃらけた調子より、こちらが素なのではないかと思った。
「いきなり親が居なくなって、泣いてばかりだったんだ。でもそんな時、リノたんが言ってくれたんだよ――『私が探索者になったら、モンスターなんてぜんぶやっつけてあげるわ』って」
「リノさんがそんなことを……」
「意外でしょ。でも、あの子ってそういう子なんだ。当たり前にそういうことが言えちゃう子なの。そんで高校生になったらすぐに探索者ライセンス取って、どんどん強くなってさ……私、なんかそれが辛くて」
「辛い?」
ミミさんは小さく頷いた。
「私のために無理してるんじゃないかなって――だから私も探索者になった。一緒に戦って、その辛さを半分こしようと思った。まあ、そういうの全部リノたんにはバレてたっぽいけどね」
そもそもあの子は辛くもなんともなかったんだってさ――と。
宝箱の中身を、こっそり見せるような調子でミミさんは言う。
しかし、その言葉尻には『だけど』という三文字がくっついた。
「今は……辛いんだろうね。死ぬほど」
それはもう、わかりきっていることだった。
ミミさんも、あたしにも。
喫茶店で会ったリノさんは平気そうだった。
しかし、平気そうだからと言って、本当に”そう”とは限らない。
「…………ミミさんのために戦うとまで言った人が、仲間の死に心を痛めていないわけがない…………」
「そゆこと。……ほんと、どうしたらよかったんだろ」
茂みから飛び出してきたデカい蚊みたいなモンスターを、見もせずに銃弾でぶち抜きつつミミさんは空を仰ぐ。
「……脱退届を渡されたあの時、私は頷くべきだった。でも……なんでかな、引き留めちゃった。酷いよね。自分で自分が信じられないよ。どうしてあんなこと言っちゃったんだろうね……」
――――待ってよ。お願いだから待って。
それは、いったい”何”に対しての懇願だったんだろう。
きっと本人にも答えようがない。
「……友達が、どこか遠くに行っちゃうような気がしたら……止めたくなるのは、普通のことだと思いますよ」
何とかそう口にすると、ミミさんは力なく笑った。
この二人は、それぞれの優しさでお互いを傷つけあっている。
相手の優しさを、相手以上に知っていて、その優しさに苦しんでいる。
彼女たちが願うように、離れた方が良いんだろうか。
あの脱退届を機に、ミミさんとリノさんは別々の道を生きていくべきなんだろうか――――
「おっ。ねえねえレムちん見て! 密林の出口!」
努めて明るくしたであろうその呼びかけに、あたしは顔を上げる。
鬱蒼としていた密林は、だんだんとその隙間を拡げ、輝くような陽光が差し込んできている。
いつの間にか暑さを忘れていることに気づいた。
頬に伝う汗を手で拭い、気持ち急ぎ足で密林を抜ける。
そこは砂浜だった。抜けるような青空と、陽光を受けて煌めく海が視界いっぱいに広がっている。
ダンジョンであることを忘れるほど綺麗な景色だ。
「ダンジョンにも、こんな場所があるんですね……」
「ね。私も初めて見た」
しばし二人で海に見とれる。
だが、改めて――ここはダンジョン。
こうして密林を抜けて気づいたが、おそらくこのダンジョンは孤島のような形状をしているんだろう。
そして、密林の中から探索を始めたあたしたちがこうして砂浜、海辺まで来たということは。
ここは……ダンジョンの最深部とも言える。
そのことに気づいた途端、景色が一変した。
空も、海も、砂浜も。
全てが赤く染まる。
「異変……!」
このタイミングで突発異変!?
動揺するあたしだったが、そこに……
「レムちん!」
鋭い呼びかけの直後、海面が爆発した。
すでに黒刀を構えていたあたしは見た。
こちらに向かって、おびただしい数の何かが空いっぱいに広がって飛んでくる。
「速い……!」
まるで矢のようだ。
細長い何かはすぐにあたしたちへとたどり着く。
『斬空』を発動し、初撃を切り払ってやっと目視できた。
「「トビウオ!?」」
声が重なる。
飛来する矢を撃ち落とすミミさんも気づいたようだ。
その群れは、トビウオ。
何とか切り払っていくけど――速い、数が多い。追いつかない……!
「ぐっ……!」
「いだだだだだ!」
揃って悲鳴を上げる。
落とせなかったトビウオの何匹かがあたしたちに突き刺さった。
そこまで鋭くないけど、刺さってる!
トビウオの群れが止む。
刺さった個体を払い落とすと、それらは黒い塵のようになって海へと一目散へと戻っていく。後を追うように海を睨み返した。
トビウオが戻ったそこから、ズズズズ、と巨大な何かがせり上がっている。
「…………なに、あれ」
どの生物にも当てはまらない、巨大な頭部だけが覗く。
真っ黒だ。それに、丸い。強いて言うなら人間の頭部のよう。
そこには二つ、ランプみたいな両目が光っていて、こちらを見つめていた。
「なんか昔マンガで見たよ。海坊主って妖怪」
「海坊主……」
あんなモンスターは知らない。新種だろうか。
目を凝らすと、『テラー・シーキメラ』という名称が見えた。バリバリ英名だ。
「……よっし。ここに来た当初の目的を果たそうぜ、レムちん」
「はい。勝ちましょう」
気晴らし。
名目としてはそのつもりだった。
悩むばかりじゃやっていけない。
今はあいつを倒すことだけ考えよう――ちょうど習得したばかりのスキルを試したかったところだ。
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