狂い咲き

 お待たせしました!

 藤堂こゆ様より、お題「狂い咲き」をいただきました!ありがとうございます!


 今回、だいぶ手間取りました!ごめんなさい!

 私、学園もの苦手だwww「月の失言」でもそうだった!自分の弱点が一つわかって結果オーライです。


 でも、また少し毛色の違う作品に仕上がりました。

 それではお楽しみください!どうぞ!


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 傘を差して小雨の中を歩く。

 何ものにも変え難い気持ちのいい一瞬。

 路肩に並ぶ紫陽花たちは一斉に咲き誇り、まるで私達を暗示するように、赤と青の二色に分かれて艶やかな花を咲かす。

 季節は梅雨。

 ユリはローファーが濡れるのも構わず、スキップをする。傘をクルクルと回し、ジーン・ケリーさながらにウキウキと雨の中をゆく。

 ああ、あの人が待っている。愛しい愛しいあの人が。

 一体どんな花を咲かせてくれるのだろう。

 熱に浮かされたように頬を染めながら、ユリは雨に唄い続けた。


 ………………………………


 何で、皆同じであろうとするのだろう。

 山本スミレはアンニュイな気持ちで外を眺めていた。

 校庭の片隅で並ぶ紫陽花が同じような色、同じような形で並んでいる。

 赤と青の違いはあれど、皆、一斉に咲き、季節が過ぎれば茶色く萎れる。

 紫陽花だって色んな品種があるんだよ、って言う人は黙っててほしい。

 そういう話ではないのだ。

 桜もチューリップも紫陽花も。一番美しく花開く瞬間を、なぜ他人と同じものを追いかけることに費やさねばならないのか。

 ぼんやりと眺めながら、スミレは昔のことを思い出していた。

 あれは一体何だったのか……。でも、あの時期が、一番輝かしい時間だった気がする。

 

 夏の暑い日差し、縁側で涼やかな音を鳴らす風鈴、団扇と蚊取り線香、そして……私の手に口付けをする少女。

 イマイチ、何処での記憶なのか思い出せない。

 彼女が誰で、何でそんな状況になったのか、さっぱり思い出せないのに、何故か酷く懐かしかった。

 彼女が口をつけていた左手を見る。柔らかな唇が、くすぐる様に肌に触れる感覚が思い出されて、背筋にゾクッと電流が走る。

 そっちの気は無いんだけどなぁ……などとぼんやりしていると、遠くから声がしている様な気がしてそちらを見る。


「……山本。おい、山本。聞いてんのか?」


 教師から声をかけられて、すみれはハッとした。

 慌てて立ち上がり、椅子をひっくり返しそうになる。

 クラス中にクスクスと笑いが広がり、教師は呆れた。

 

「たるんでるぞ。期末近いんだから、授業に集中しろ。」

 と言うと、教科書を読めと言った。

 

 言われた通りに英文を読みながら、スミレはクラスメイトの視線に気恥ずかしさを感じた。目立つのは好みでは無い。早く授業が終わってほしかった。


 授業が終わり、夕暮れの堤防をゆるゆると歩く。雨が上がって、雲間から黄金色の夕日がのぞく。

 先ほどのことを冷やかすクラスメイトを適当にあしらって、そそくさと、この川沿いにきた。

 悩み事があると、ひとりでこの川を見にくる。夕焼けに照らされ金色に輝く水面を見ていると、モヤモヤとしたものが水に溶けていくのを感じる。

 

 孤独を愛しているわけではないが、たいして興味のない男性アイドルユニットやコスメの話を聞くのは億劫だった。さりとて期末試験の問題予想に真剣になるほど真面目でもなく、部活動に入れ込むほどのスポーツマンシップも持ち合わせていなかった。

 

 何か足りない。家族といても、友人といても、何か自分の中にかけているものを感じる。

 それを埋めたくて、いろいろなことに手を出した。

 ギターもやった。絵も描いた。ダンスもやった。バスケやバトミントンもやってみた。

 何か違うのだ。

 もっと心を高揚させる何かを。もっと自分の中にある何かを表現できる何かを。

 そう思って周りを見ても、それが何なのか、答えてくれるものはいなかった。


 心の高揚。あの少女と遊んでいたころは、毎日が心躍ることでいっぱいだった気がする。

 また、少女との思い出を思い返す。

 あの時、私たちは何をしていたっけ。

 

 私達は縁側に座って、工作をしていた。多分、夏休みの自由工作か何かだろう。

 不意に痛みが走ってスミレは、顔を顰める。

 どうやら紙の端かカッターで、薬指の背を切ってしまったらしい。

 痛むところを見ているうちに、ジンワリと赤い筋が広がり、ツツツっと血が指を伝う。

 

 一緒に工作をしていた友達が、

「あっ。」

 と言うと、スミレの手を取る。

 

 すみれは、傷を引っ張られて「いたた……。」と呟いたが、友達はそれを無視して、手の傷を眺めている。

 友達の様子が、どこかおかしい。血が怖いのだろうか。

 血をまじまじと見つめ、少し息が上がっている。目は瞳孔が大きくなり、頬は上気していた。

 そして、目を閉じると、そっと傷口に口を当てた。


 そうか、彼女は私の傷を心配してくれたのか。

 スミレは左手の甲を自分の方に向けて、薬指を見る。もうそこに傷跡はなく、きれいな細い指があるだけだった。

 おもむろに、自分の唇をそっと当てて目を閉じる

 少しだけ、思い出が鮮明になるような気がした。

 

 赤と黒を基調にした着物。

 黒々としたおかっぱ髪。

 白磁のように白い肌。

 そして……彼岸花のように赤く燃える瞳。


 脳裏にスミレを見据える双眸が浮かび、びくっとして目を開ける。

 近くで誰が見つめている気がして、きょろきょろと辺りを見回したが、遠くの方で犬の散歩をしている老人と、河川敷で基礎トレーニングをしている運動部の姿しか見えなかった。

 日が傾き、夜のとばりが近づきつつある。

 不穏な空気を感じてスミレは早足にその場を後にした。

 

 その様子を一人の少女が、対岸でじっと眺めてる。

 薄く笑うと、後ろ手に手を組んで、彼女もその場を後にした。


 ………………………………

 

 家に帰って玄関のドアを開ける。

「ただいま。」

 真っ暗な家の中に声をかけても、返事をするものはいない。

 兄が大学に進学してから、一仕事終えたといわんばかりに、母は自分の仕事に専念しだした。

 父はもともと家に寄り付かない。休日ですらどこかに出かけていて、顔を合わせるのは朝食の時の一瞬くらいなものだった。

 母は、しばらく前までスミレの成績に目くじらを立てていたが、兄を理想通りの大学に進学させると、スミレの成績に対する興味を失った。

 父の思想にしたがって女性はいい会社に入って早く嫁ぐことが親孝行だと母が言い始めた頃、スミレは、自分が兄が失敗した時のための補欠要員だったことに気づかされた。

 父も母も、世間体が保てれば、私の将来などどうでもいいのだと感じた瞬間、家族に対して期待することを辞めた。

 今は、どうやってこの家を出るかばかりを考えている。


 冷蔵庫を開けると、母が作り置きしていたものを温めて、ひとり食卓に着きそれを口に運ぶ。

 食事中は、スマホもテレビも見る習慣はなかった。カチャカチャと食器が触れ合う音が食卓に寂しく響く。

 味気ない夕食を終えると、食器洗浄機に皿を入れて、自分の部屋に向かう。

 

 いつもならそこで勉強机に向かうのだが、今日はなんだかやる気が起きず、部屋着に着替えると、そのままベッドに寝転んだ。天井をぼんやり眺めていると、意識がふっと落ちそうになるが、体を起こして首を振る。

 だめだ。私への興味を失ったとはいえ、勉強のノルマをおえてなかったら母は怒るだろう。

 そう思って勉強机に向かう。まずは宿題から済まそう。でもその前にちょっとだけ……。


 スミレはスマホを取り出すと、友人に教えてもらった偽装アプリの奥にあるSNSを起動する。

 母は私がこんなことをしていると知ったらどんな顔をするのだろうか。

 そんな反抗心が、かすかにスミレの心を高揚させる。

 

 そのSNSは攻撃的な言葉や煽情的な画像であふれていた。

 同じ高校のグループチャットは、特定の誰かへの醜悪な罵詈雑言で埋め尽くされ、同好のための掲示板には出会いを求めてアクセスする者たちがあふれていた。危険の匂いが、スミレの心を少しだけ満たす。

 そして、個人あてのメッセージボードについた着信表示をみて、スミレの心は華やいだ。

 

 いそいそとメッセージを開くと、ヒロトというハンドルネームのアイコンが表示され、

「忙しいかな?この間のデート、楽しかったよ。また一緒に行こうね。」

 というメッセージが入っていた。

 スミレは、頬を赤らめながら、「私も楽しかった。今度はもっとゆっくりしたいな。」とメッセージを送る。


 ヒロトはSNSで知り合った男性だ。自称大学生と言っているが、本名も住んでいる場所も知らない。

 友人が、ソーシャルゲームのオフ会に一人で行くのが怖い、といって半ば無理やりスミレを付き合わせた時に、ヒロトと知り合った。

 怖いと言っていたはずの友人がオフ会仲間と打ち解け始めると、スミレはやることがなくなって端の方でスマホを眺めていた。すると、一人の男性が気を利かせてスミレに声をかけてきた。それがヒロトだった。

 

 誠実そうな人だった。

 最初は警戒していたスミレも、聞き上手なヒロトと話しているうちに、段々と自分の事を進んで話すようになった。

 するとヒロトはスミレをしきりに褒めてくれた。今まで感じたことのない承認欲求の充足に、彼女はいつしかヒロトに惹かれるようになっていった。ヒロトはスミレの連絡先を知りたがったが、親に見つかると困る、というと、SNSでのやり取りの方法を教えてくれた。

 

 そして、つい先日。とうとう友人に内緒で、二人だけのデートをした。

 と言っても、軽くお茶をして映画を見に行っただけだったのだが、その後の夕食も含めて、ヒロトは誠実だった。

 夢のような時間が過ぎ、スミレは早く次のお誘いが来ないか待っていた中で、今回のメッセージが届いた。

 

 ヒロトからさっそく返信が届いた。

「大学の課題で海の写真を撮らないといけないんだけど、一緒に行かない?俺、車出すからさ。いい景色のところ、知ってるんだ。スミちゃんに手伝って欲しいなぁ。」

 

 スミレはドキッとした。

 車となると密室だ。しかも、長時間二人きりになる。知り合ったばかりの人と言ってもいいのだろうか?とスミレの理性はささやく。

 でも一方で、その禁忌感が、スミレの心を刺激する。非日常の魅力がスミレの心をとらえる。

 躊躇と行きたいという願望の狭間で、わずかに理性が勝った。


「うん。私も行きたい。でももうすぐ期末試験なんだぁ。試験が終わってから……ね?」

 茶目っ気のある愛情表現のスタンプを付けて返す。

 嫌われたらどうしよう……という不安を拭い去るようにヒロトから返信が来る。


「そりゃ大変だ!ごめんね、忙しいときに。僕はいつでも待ってる。勉強頑張って。また連絡するね!」

 キスマークのスタンプが送られてきて、スミレは真っ赤になった。


 ありがとう、とメッセージを送ると、机に向かう。

 俄然、やる気が出てきた。

 勉強道具を広げながらも、心の中は、ヒロトとのデートに何を着ていくかを考える方が忙しかった。


 ………………………………

 

「スミレ、おはよう。」

 翌朝、眠い目をこすりながら登校すると、例のゲーム好きな友人が、背後から抱きついてきた。


「ルリ、おはよう。何か機嫌いいね。」

 気安い仲ではあるが、普段はここまでベタベタしてこないので、何かいいことでもあったのだろうと思った。

「サトルくんと、何か進展でもあった?」

 

「へっへー。まぁね。」

 ルリは意味深な笑顔を浮かべるとピースする。

 ルリの自慢話を笑顔で受け止めながら廊下を歩いていると、ふと、周囲の生徒たちがざわついているのに気がついた。

 でさぁ……とデレるルリも気がついた様で、声のトーンを落として、皆が見ていいる方向に視線を向ける。

 スミレもつられてその方向を見る。


 向こうから少女が近づいてくる。

 黒髪を揺らし、まっすぐ視線をこちらに向けながら、颯爽と歩いてくる。

 ザワつく訳だ。怖いほどの美人だった。豊かな黒髪をストレートに伸ばし、肌は抜ける様に白かった。ほっそりとした体は均整が取れ、少し険のある目元は自信が溢れていた。濡れた様な赤い唇に少しだけ笑みを浮かべていた。


 皆、彼女が近づくと、気おされた様に道を開ける。そして、彼女の姿に釘付けになる。


「……誰だろ?あんな子、うちの学校にいたっけ?」

 ルリが聞いてきたが、スミレも見惚れながら、わかんない、と首を振った。

 うちの指定のセーラー服を着ているから間違いなくうちの生徒なのだろうが、あんなモデルみたいな風貌の子がいたら、噂になるはずだった。少なくとも、同学年にいた記憶はない。


 そして、その少女の視線は、スミレに向いていた。少女と目が合うと、困惑しながらも視線を逸らす事ができなかった。

「え?……スミレ、知り合いなの?」

 ルリがコソコソと聞いてくるが、スミレは首を振る。


 首を振りながらも、スミレは記憶の片隅に何か引っ掛かるものがあるのを感じていた。

 ……何故だろう。何処かで会った事がある気がする。

 

 スミレが答えを探しているうちにも少女は近づき、そして……スミレの目の前でピタリと足を止めた。

 隣でルリがたじろいでいるのを気にも止めず、少女はスミレに向かって、

「久しぶり。元気してた?」

 と、尋ねてきた。


 あっ……声のトーンは少し違う。でもこの喋り方、少し首を傾ける仕草、そして、少し目元を緩ました瞬間に光が反射して瞳が紅く煌めいた瞬間、スミレの記憶と少女の姿が結びついた。


「……ユリ?」


「……覚えていてくれて嬉しい。」


 少女はホッとした様に微笑むと、スッと手を伸ばして、スミレの体を包んだ。

 大胆な親愛の表現に、一瞬声が出そうになったが、間近に少女の体温を感じた瞬間、懐かしさが溢れて力が抜ける。

 隣でルリが目を白黒させていた。


 ユリはしばらくそうした後、スミレの耳元で、

「今日から隣のクラスよ。後で昔話でもしようね。」

 と囁く。

 鈴を鳴らす様なその声に、スミレは耳元に蕩かす様なくすぐったさを感じて、背筋が泡立つ。


 戸惑うスミレをよそにユリは体を離すと、ニッコリ笑う。踵を返すと、きた時と同じ様に、モーゼの様に人混みを割って職員室の方に去っていった。


 ポカンと呆気に取られる全ての生徒たちの真ん中で、スミレは突然の非日常に戸惑うことしかできなかった。



「……いや、だから。あんまり覚えてないんだって。」

 教室に着くと、ワラワラと集まってきたクラスメイトに質問攻めにされた。

 

 だが、質問攻めにされても、スミレは答えようが無かった。幼い頃に遊んだ記憶はあるのだが、どう言う経緯でそうなったのか全く覚えていないからだった。

 親の知り合いの子供だったのかも、近所に住んでたのかも、全くわからない。そもそもあの記憶の場所が何処なのかすらよくわからなかった。

 

 でも、皆が妄想を刺激されるのも理解できる。いきなり美少女が現れて、あんな風に距離感がバグった再会をすれば、誰だって何かあったと思うだろう。正直言っていい迷惑だった。

 

 授業が終わるたびに質問攻めに合うのに嫌気がさして、お昼休みはサンドイッチとお茶を持って、校舎裏の花壇に逃げた。

 人目につかない茂みを選んで、腰を下ろすと、ため息をついて、空を眺める。スマホが静かに揺れてメッセージの着信を告げる。いそいそとアプリを開くと、ヒロトから、

「寂しいよ〜!勉強がんばってね!」

 というメッセージとスタンプが貼られていた。


 もう……甘え上手なんだから、とニヤニヤしていると、


「ふーん。彼氏いるんだ。」

 と言う声が背後から降ってきた。

 慌ててアプリを閉じようとしてスマホを取り落としそうになり焦るスミレ。

 何とかスマホを受け止めて振り返ると、ユリが口を尖らせながらスミレを覗き込んでいた。

「ま、そっか。スミレは昔からカワイイもんね。彼氏くらいいるか。」


 そういうと、よいしょと無遠慮にスミレの横に腰掛けた。彼女の押しの強さにドギマギしながら、あの……、と言葉の掛けどころを探る。

 

 その様子を見てユリは寂しそうに苦笑した。

「……ごめんね、私ばっかり盛り上がっちゃって。そうだよね、覚えてないよね。」

 長い髪をくるくると指に巻き付けながら、ユリは虚げにため息をついた。


「ごめん……ユリ……ちゃん。私、あの頃の記憶が曖昧なの。あなたと一緒に遊んだ記憶はあるんだけど、それがいつ何処で遊んでいたか、うまく思い出せなくて……。」


「ううん。気に病まないで。そう言うものだから。

 スミレのペースで、ゆっくり思い出してくれればいいよ。」


 謎めいたことを言いながらユリは微笑んだ。花ほころぶような笑顔にドキッとしながらも、何故彼女の方から教えてくれないのだろうと訝しむ。


「……私たち、仲良かった……のかな?」


「そうだよ。私は毎日スミレに会いたいくらい仲が良かった。

 でも、あの頃、私はあまり外に出られなかったし、スミレもまだ小さかったから、長くは遊べなかった。

 しかも、それぞれのお家の事情で、私たちは離ればなれになった。とても寂しかったよ。

 やっと……私が外に出られる様になって、こうして会いに来れた。私、とても嬉しい。」


 彼女は病気か何かだったのだろうか。とすると、二人が遊んだあの建物は、病院とか療養施設だったのかもしれない。

 あの潔癖な父母の事だ。病気をうつされでもしたらかなわないと心の中では思っていても、世間体を気にして、私をユリに会わさざるを得なかったのだろう。

 結果的に、私はユリとゆっくり遊ぶことができず、記憶が曖昧になったのかもしれない。


「……そっか。もう体の方は大丈夫なの?」


「平気平気。太陽の光は苦手だけど、いくらでも走り回れるよ。むしろ周りの人に心配されちゃうくらい。」


 細い腕を捲り上げる姿が様になってなくて、スミレは吹き出した。どうやら、自分の杞憂の様だった。彼女は、いい子だ。


「ところで、スミレ。その彼氏さんだけど……。」

 と、ユリが言い出したので、スミレは慌てて周りの目を気にしながら、口元に手を当てた。


「まだ彼氏じゃないって!

 この間、友達との集まりで偶然知り合って、よくしてもらってるだけ。変な噂が立つとイヤだから内緒にしておいて。」


「ふーん。その割には随分ご熱心なようでぇ……。」


 と意地悪な視線を向けてくるので、スミレはポカポカとユリを叩いた。


「あははは。ごめん、ちょっとヤキモチ妬いちゃった。スミレの幸せの邪魔はしないよ。でも、気をつけてね。世の中、いろんな人がいるから。

 もしかしたら人を食べちゃう悪〜いオオカミかもよ。」


 悪ふざけを続けるユリとじゃれていると、予鈴がなった。


「次、視聴覚室だ。ユリ、私もう行くね。」

 スミレは荷物をまとめると、立ち上がる。

「何か、楽しかった。今度うちに来なよ。もっとゆっくり話そ。」

 

「わぁ、初デートがいきなりお家デート?スミレは大胆だなぁ。勝負下着付けてかないと。」


 バカっ、と口の形だけで言うと、スミレは笑いながら駆けていった。

 ユリは嬉しそうにスミレに手を振る。

 自分も授業に行かなければならないが、まあ、私には別に必要ないし、のんびりスミレとの会話を反芻しよう。

 でも、その前に……。


「いる?」

 

 誰もいない方向に向かってユリは話す。

 ややあって、くぐもった音が応える。

 

「辿れる?」


 くぐもった音は少し鈍い音に変わった。


「そう……面倒な時代になったわね。」


 舌打ちをすると、ユリは腕を組んだ。


「……仕方ないわ。皆を総動員して、スミレを見張って。何かあったら承知しないわよ。」


 ユリがそう言うと、くぐもった音は消え去った。

 まったく……いつの時代も、さもしいものね。

 ユリはため息をつくと、学生たちの群れの中に戻っていった。


 ………………………………

 

 期末テストは無難に乗り切れた。決していい点数だったとは言えなかったが、追試が必要な教科はなかった。

 いよいよ夏休みが始まる。夏休みに入って仕舞えば夏期講習などが始まるが、それが終わるのを待つ理由はなかった。

 スミレは心地よい海風を感じていた。浜辺から見る水平線の入道雲が美しい。少し向こうでは観光客たちの喧騒が響いているが、今、近くにいるのはヒロトだけだった。

 カメラを構えて、スミレの一挙一動をつぶさに記録していく。プロモーション作成のための撮影練習なのだと言う。何だか自分が芸能人にでもなった気がして、スミレは見られる事への快感をふつふつと感じていた。

 もちろん、ファインダーの先にヒロトがいるからこその幸福だった。


 水族館や観光名所での撮影を終えると、シーサイドビューのオシャレなカフェで撮ったものを確認する。失敗した写真や道ゆく人に撮ってもらった二人の写真を見ながら笑い合う。

 何だか、新婚旅行みたい……などと言う考えが浮かんで、スミレは真っ赤になる。

 ヒロトは、どうしたの?暑かったかな?とらいうので、スミレは慌てて首を振った。


 水族館でお揃いイルカのキーホルダーを買い、ヒロトは付き合ってくれたお礼、と言ってそこそこ値のはるネックレスをプレゼントしてくれた。

 

「そんな……良いのに……。」

 と恐縮していると、

 

「良いんだ、僕の気持ち。受け取って。」

 と、手を握ってきた。

 

 ヒロトの大きく温かな手に、スミレの鼓動が早くなる。

 ヒロトはスミレを引き寄せるとそっと耳元で、

「ねぇ……今日は、このまま君と、離れなくないな……。」

 と囁いた。


 言葉の意味はわかっていた。期待もしていた。

 友達と口裏を合わせて、今日は外泊してくるかもと親には伝えてある。


「うん……良いよ。」

 スミレはふわりと笑う。


「……良かった。断られたどうしようって、結構緊張してたんだ。」

 と言うと、ヒロトは笑った。


 気の利くヒロトは宿泊先も予約していたらしい。確かに、断らなくて良かった。

 ヒロトのオープンカーでドライブがてら、宿泊先に向かう。好きな曲をガンガンにかけて、映えるドリンクを片手にヒロトと自撮りをする。

 右にならえの学校じゃ絶対に感じられない、みんなと違う、私だけの非日常。

 どこまでも続く水平線に、スミレははしゃいでいた。


 空が夕焼けに染まり始めると、疲れが出たのか、助手席でうとうとし出すスミレ。

 あれ……何だか、とっても眠い。


「……大丈夫?」

 ヒロトの声が少しぼやけて聞こえる。


「ごめん……何だか……眠くて……。」


「暑かったからかな。冷房強くするから、寝ててもいいよ。着いたら起こしてあげる。」


「ごめん……ありがと……。」

 スミレはそのままシートにもたれて寝息を立て始めた。


 ……しっかり寝静まったのを確認すると、ヒロトは電話を取り出して、耳に当てる。


「あ、俺です。今から行くんで準備しててください。……ええ……はい……終わったら、いつもの口座に。はい……よろしく。」


 さあ……仕事の時間だ。

 電話を切るとヒロトは無表情にアクセルをふかした。


 ……走り去るスポーツカーを、空から小さな影が見ていた。そして、おもむろに車の後を追い始めた。


 ………………………………


 スミレの意識が戻った時、一番最初に感じたのは、頭痛だった。

 頭が重い……締め付けられる様な痛みで、目の奥が熱い。吐き気がする。

 息苦しい。口元に何か掛けられているのか、呼吸がしづらい。

 霞む視線が像を結び始めると、コンクリート打ちの床が見えてくる。

 耳に聞きなれない言語で話す数人の声が響き始める。


 ――な……に……これ……。


 苦しい。酸素が薄い。

 口元の何かを除けようと、右手を上げようとした瞬間、ギチィと何かが腕を締め付ける。

 そのせいで、ようやく意識がはっきりした。


「ん……んっ……んんっ!」


 スミレは、混乱した。

 まだヒロトの車のシートにいる……そう思っていた。

 

 違った。

 肘掛けの付いた椅子に座り、体と手足は椅子に革紐で拘束されていた。口元も革製の拘束具がつけられ、そのせいで息が苦しかったのだ。


「んんんんっ……!んんんんんんっ!」


 突然の恐怖で我知らず声が出る。だが、出す声は拘束具に吸い込まれくぐもった悲鳴にしかならない。

 手足を何とか椅子から外そうとするが、革紐が食い込むばかりで、びくともしなかった。

 

 その様子に気がついたのか、少し向こうで話をしていた男達が振り返る。

 一人は髭を生やした外国人。そして……もう一人はヒロトだった。


 スミレはヒロトに助けを求めて視線を向ける。声を上げながら涙を流すスミレ。

 ヒロトはもう一人の男に何かの指示をすると、笑顔を浮かべながらスミレに近づいてきた。前屈みになり膝に手を置いてスミレの顔を覗き込んでくる。


「おはよう。よく眠れた?」


 助けを求めてヒロトに縋ろうとしたが、当然動けない。

 そして何より、スミレが苦しんでいる姿を目の前で見ているのに、デートの時とまったく変わらぬ笑顔で覗き込んでくるヒロトが、恐ろしくて仕方なかった。


「ごめんね、口枷は外せないんだ。撮影が始まったら外してあげるから、存分に叫ぶといいよ。」


 目を見開いて、何か異様なものを見る様にヒロトを見つめる。何も変わらないスマートな彼が、薄暗い闇の中で得体の知れない化け物に見えた。


「もうちょっと用意があるから、その間、少し話してあげよう。」


 そう言うと、ヒロトはその辺に置いてあったパイプ椅子を引き寄せる。

 その動きにつられて向けた視線の先に、沢山の道具が置いてあるのが見えた。

 ノコギリ、ピック、ナイフ、ハンマー、釘、ペンチ……。医療のメスと思しきものもある。

 普通であればDIYに使うごく普通の道具たちのはずなのだが、どう考えても、この空間で家具を作ろうとしているものは、一人もいなかった。

 スミレの視線に気がついて、ヒロトは悪戯っ子の様に笑う。


「……見つかっちゃったか。何に使うかは後のお楽しみ。まずは君の疑問に答えていこう。」

 ヒロトは椅子に逆に座って背もたれに顎を乗せる。

 

「まず、ここはどこか?

 ホテルではあるんだけど、もちろんコンセプトホテルやSMホテルじゃない。バブルが弾けて倒産したホテルの廃墟だよ。この部屋はその廃墟の地下室だ。

 この辺の土地をまるごと買い占めた海外のお金持ちが、ついでにこの廃墟も買って、自分の趣味の空間にしたんだ。僕らみたいな業者を雇って、撮影会やオフ会を楽しむための空間にね。


 海外の富豪が所有者のせいで、警察もおいそれとこの辺りには立ち入れないし、そもそも広すぎて、多少騒音やニオイがあっても、周辺住民や自治体は気づかない。

 つまり、ここは日本でありながら、ほぼ治外法権なのさ。だから、やり方さえ気をつければ、いくらでも悪いことができる。」


 まるで種明かしを楽しそうに語る子供の様なヒロトに、スミレは自分の指先が、どんどん冷たくなっていくのを感じた。ヒロトは……生粋の犯罪者だ。


「じゃあ、お金持ちはどんな趣味をするのか?

 月並みだけど、彼らは並大抵のアクティビティじゃ満足できない。おまけに、ここの所有者は日本人が大嫌い。理由は知らないけどね。

 二つを同時に解消するために彼らが思いついたのが、スナッフムービーさ。知ってる?殺人フィルムとか呼ばれるやつ。」


 スミレの耳に、フィクションの世界でしかないはずの単語が響き、血の気が一気に引いていく。吐きたい……信じたくない……これは悪い夢の中なんだと思いたかった。


「この国の子は、本当無警戒だよね。ちょっと甘い言葉と優しさを見せてあげれば、ホイホイついて来るんだから。

 しかも、自分は賢い、どんな事でも対処できると思ってる。本当に周到に用意された悪意には、どんな大人だって太刀打ちできないのに。自分だけは何とかなると思って疑わない。まあ、お陰で僕の仕事が楽になるんだけどね。」


 こともなげに言うとヒロトは肩をすくめた。

 

「最後に、僕は誰か。

 さっきも言った通り、こう言うアングラな仕事を請け負う犯罪者さ。色んなことをやる。今回は現場監督。

 いやぁ、依頼人がね、今回はできるだけピュアな子をターゲットにしたいって言って困ったよ。

 普段なら、こんなに段取り踏まないんだけど、家出娘と違って、真面目な子は足がつきやすいからね、慎重にお誘いしたのさ。

 スミちゃんは本当に可愛かったよ。僕もお気に入り。

 本当は味見したかったけど、希望内容に『手付かず』って項目があったから、残念だけど、これでお別れ。

 君と海岸で撮ったプロモーションも一緒に編集して、あとで思い出に浸るとするよ。」


 そう言うと彼は手をひらひらさせながら立ち上がった。

 お別れ……と言う言葉の意味が、頭の中で形を成した瞬間、スミレは叫び声を上げた。

 手足をひねり、何とかして拘束具から逃げ出そうと足掻いた。

 だが、椅子は地面にボルトで固定されており、どう足掻いてもびくともしなかった。


「さて、いよいよ撮影開始だ。誰にも迷惑にならないから、存分に声を上げてくれ。その方が、クライアントの金払いが良くなるしね。」


 男たちの一人が、カメラを構えた。アクションッ、と楽しそうに呟くと、ヒロトは照明の外に出た。

 顔を隠したスタッフが暴れ回るスミレの後ろに近づき、口の拘束具を外す。


 途端に部屋中にスミレの声が響き渡る。

 拒否と、絶望と、懇願が、スミレの口から阿鼻叫喚となって、漏れ出す。だが、それに聞く耳を持つものは誰もいなかった。

 

 どす黒く汚れたエプロン姿の男とその助手が近づいて来る。

 その手に握られた、何本かの釘と金槌の意味が頭の中によぎり、スミレの心が、折れる。


「あ……や……やめ…………やめてぇ……何でも……何でもします……やめて……いやぁ……。」


 もう……懇願する以外何もできない。

 絶望の果てにこんな情景がある事を、知りたくなかった。


「そしたら右手から行こうか。表情、撮り逃すなよ。」

 

 ヒロトの指示に頷くと、男達は無言でスミレに近づき、助手が彼女の右手を押さえ込む。再び、激しく暴れ出すスミレ。だが、男達は黙々と作業を進める。

 カメラの位置を確認しながら、釘の先を手の甲に向けた瞬間、スミレは胃の中の物がせり上がってくるのを感じた。


「スミちゃん、良いよその表情。やっぱり君は最高だった。」


 ヒロトの声が耳に届き、スミレは悔しさが止まらなかった。


 ――誰か……誰か助けて……。お願い……私……死にたくない……。


 

 その願いが、残虐な現実の前に消えそうになった刹那、スミレの視界は、鮮紅色に染まった。

 

 覚悟の一瞬、在らん限りの悲鳴をあげていたスミレは、自分の手が、痛みを感じていない事に気がつくのに、時間がかかった。

 その違和感を徐々に自覚するにつれ、スミレは、自分に降りかかったその血潮が、自分のものでない事に、ようやく気がついた。

 

 涙でグシャグシャになった顔を、ゆっくりと上げる。


 首のない体から2つ。

 目の前でグラグラと揺れたかと思うと、盛大な音を立てて、床に転がった。

 

 スミレは何が起きたか分からず、声すら出せなかった。

 

 何故、自分は今、平気なのだろう。

 何故、この人達は急に死んだのだろう。

 

 あまりにも予想外な事が立て続けに起きて、スミレの思考は止まってしまった。


 それは、周りにいたヒロト達も同じだった。

 

 誰も、何も言えない。

 

 ほんの数秒前まで起きていた事が、一瞬で別の何かに変わってしまった。誰一人、何が起きているか理解しているものはいなかった。


「いったい……?」


 ヒロトがそう呟くのと、物音がしたのがほぼ同時だった。

 皆、一斉に音の方向を見る。

 照明を担当していた男が、同じ様に首のない死体に変わり、ドサっと倒れた。


 次の瞬間、男達は「うわぁ!」と声を出すと、全てを取り落として、部屋の出口に殺到した。

 われ先にと駆け出す男たちの中で、ヒロトは、

「おい!戻れ!どこにいく!」

 と叫ぶと、懐から何かを出そうとしていた。


「――――ギッッッッ!」


 後ろで言葉にならない絞り出す様な声がして、ヒロトは振り返った。

 カメラマンの体が宙に浮き、ヒロトを弾き飛ばす。

 床に叩きつけられたヒロトが振り返って目にしたのは、巨大な闇の顎が、カメラマンの上半身を咬み潰す瞬間だった。

 降り注ぐ血の雨に大声で叫びながら、転がる様に駆け出そうとしたヒロトの喉元に、突然、細く冷たい何かが突き入れられる。


 ぐぇっ!と呻くヒロトはそのまま中に持ち上げられて、足が宙を掻く。自分が、誰かに首を掴まれて片手で持ち上げられてると気がつく頃には、周りから悲鳴は聞こえなくなっていた。


「あなたが『ヒロト』君かしら?

 まあ、違っても、どの道、全員始末するから関係ないのだけど。」


 聞こえてきたのが、明らかに若い女の声で、ヒロトは喘ぎながら困惑した。

 女……だと……?

 視線を下に向けて確認したいが、女の手はヒロトの首をどんどん強く締め付けて、段々と目の前が真っ赤になって来る。


「スミレを怖がらせた罪は重いわよ。絶対に許さない!」


 そう言うと、女はくるりと身を翻し、遠心力をかけながら、ヒロトを投げ飛ばした。

 ありえない速度でヒロトの体宙を舞い、ヒビが入るほどの衝撃と共に壁に激突した。

 頭から盛大に血を吹き出させながら、ズルズルと崩れ落ちるヒロトに、侮蔑の一瞥を向けると、その人影は恐怖で動けなくなっているスミレに駆け寄った。


「スミレ!怖かったよね!今、自由にしてあげるから、待っててね!」


 そう言って駆け寄ってきたのは、ユリだった。


「……ユ……リ……?どうして……ここに……?」


「ごめん!眷属に言われてすぐきたんだけど、日があるうちは中々進めなくて……。でも、間に合ってよかった……。」

 そう言いながら、ユリは力任せに拘束具を引きちぎっていく。

 

 ユリの言っている事は何一つわからなかったが、どうやら自分が助かったと言う事に気がついた瞬間、感情が戻ってきた。

 手足が自由になった瞬間、ユリに抱きつき、泣き崩れるスミレ。ユリはスミレを受け止めると、一緒に膝をつき、

「大丈夫、もう大丈夫だから……。」

 と頭を撫でた……。


 複数の乾いた銃声が響いた時、ユリは、

 ――邪魔しないでよ。

 くらいにしか思わなかった。

 銃弾如きで、この体は朽ちない事を知っていたから。

 

 それでも討ち漏らしがあると、禍根を残すことになるので、後ろを振り返り、音の元を探す。

 壁に叩きつけて始末したと思っていたヒロトが、地面に伏せたまま、血塗れの顔で銃口をこちらに向けていた。

 その顔に勝ち誇った表情がありユリは訝しむ。


「…………ざまぁ…………みろ…………バ……ケモン……。」


 何を言って……と、呆れているユリの背中に、スミレが寄りかかって来る。


「スミレ、大丈夫よ。私はこの程度じゃ……。」


 と言いかけたユリの体に縋りつきながら、スミレはズルズルと崩れ落ちた。


「スミレ……?」


 目を丸くして見下ろす間に、スミレの体の下に血溜まりができていく。

 ユリは自分の服が、スミレの血でべっとり濡れている事に気がついた。

 背後でヒロトの掠れた忍び笑いが聞こえる。

 

「残念……スミちゃんは……もらってく……ぜ……。」


「……眷属っ!」


 ユリが怒号共に叫ぶと、四方に散っていたユリの闇たちがヒロトの周りに躍り出た。

 そして、ユリの怒りを体現する様に牙を剥き出すと、ヒロトに一斉に襲いかかる。

 生きたまま身体中を貪られるヒロトの悲鳴は、しばらく止むことは無かった……。


「……スミレ!スミレ!返事をして!」


 ユリはもうヒロトを見ていなかった。

 冷たくなっていくスミレの体を抱きかかえると、涙を浮かべてスミレの顔を見る。

 胸と腹に大きな血の跡がある。スミレは虚な目で、ユリに何か言おうとしているが、その口から掠れた息と血が溢れる。

 ユリの背中が喪失を予感し泡立つ。


 ――ダメだ……このままじゃ……助からない。


 もう、医学を頼るラインはとっくに超えてしまっていると、本能的に理解できた。


 そうなると……残る手段は一つしかなかない。


「……スミレ、聞いて。

 今から、あなたを私と同じ存在にする。

 そうしないとあなたは助からない。

 でも、私と同じになると言うことは……化け物として、永遠を生きると言うこと……。

 あなたは後悔するかもしれない。

 でも、私はあなたを不幸にはさせない。

 私はあなたに全てを捧げる。

 だからお願い、私に身を委ねて。」


 そういうと、ユリはスミレと視線を合わせた。

 徐々に薄れつつある意識の中で、ユリの真っ赤な双眸を見つめいるうちに、スミレの脳裏に、あの頃の記憶がフラッシュバックした。


 ………………………………


「ユリちゃん、どうして血を舐めるの?」


「傷が早く治るからだよ」


「でも、なんでそんなに赤い顔をしているの?」


「それはね……こうやって薬指の血を舐めるのは、私たちの家族にとって、結婚指輪の交換と同じだからだよ。」


「そうなの?」


「うん……お母様も、お母様のお母様も、ずっとそうやって、私たちは家族を増やしてきた。私もいつか、好きな人とこれをやる。」


「じゃあ、私はもうユリちゃんのお嫁さんなの?」


「違うよ。私はまだ力が弱いから、スミレちゃんはスミレちゃんのままだよ。」


「そっかぁ。でも、私、ユリちゃんのお嫁さんになら、なりたいな。」


「……ありがとう。私、いつかスミレちゃんを迎えにいくね!」


「うん!きっと約束だよ!」


 ………………………………


 ああ、そうか……

 あれは、そう言う約束だったのか……。

 スミレの口元に微かに笑みが浮かぶ。


 ――いいよ、ユリ。ユリになら、私の運命を預けても構わない……。


 それが伝わったのかどうかはわからない。

 

 スミレが人間として最後に見たのは、獣の様に屈み込んできたユリの口が大きく裂け、そこから覗く犬歯が、スミレの首筋に突き立てられる光景だった…………。


 ………………………………


 向日葵が少し萎れ始めた頃、スミレは鏡の前で髪型のチェックに余念がなかった。

 

 もうすぐユリが迎えにくる。

 夏の日差しはもうほとんど山陰の向こうに隠れていたが、私たちの目なら、暗い所でも否応なしにはっきり見えてしまう。

 折角の花火大会デートなのに、ユリにおめかしの手を抜いていると笑われるのは、嫌だった。


 スマホが着信を知らせる。

 見ると、メッセージアプリに「もうすぐ着くよ。」と知らせが来ていた。


 ……髪型はこのくらいでいいや。

 と無理やり納得すると、巾着袋と団扇を持って、窓を開ける。ベランダに出て夜空を眺めると、遠くの方に、ひらひらと舞う影が見えた。

 

 スミレの心が踊る。

 思い切って地を蹴ると、闇を広げて愛しい人の元へと舞い上がる。

 その瞳は、彼岸花の様に紅く染まっていた。


 スミレはユリに手を振りながら、全く変わってしまった自分の人生を想う。

 

 もう、どれだけの想いこがれようとも、一斉に咲き乱れる花にはなれない。桜にもチューリップにも紫陽花にも、もう戻れないのだ。

 そう思うと、足並みを揃えて咲き誇る花々が懐かしくもあるし、羨ましくもある。ある日突然、そうでない自分に嫌気がさす日も来るのかもしれない。


 でも、私のそばにはユリがいる。

 私たちは異端だ。

 人間とは違う、夜の世界を舞う、吸血鬼。


 でも少なくとも、他者を想い、支え合う姿は、人間のそれと大して変わらないはずだ。

 ユリが私を助けてくれた様に、私がユリを惹きつけた様に、長い長い夜の舞台の上は、私達の気持ち一つで満開の花が咲く。


 空いっぱいに丸い花火が咲き誇る。

 その美しさにはしゃぎながら、ユリと私はお互いの薬指にキスをした。

 

 そう。ユリも私も、もう恐れるものはない。

 

 きっと、これからの私とユリの生活は、自分の思いひとつで好きな時に咲き誇れる、狂い咲きの人生なのだから。

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