第3話 喜びと別れ

 ノルは最近見られている──。


 ある日窓の外から視線を感じたノルがそちらを見ると、黄土色の帽子を被った少年と目が合った。その子は窓に小さな手の平と頬をつけてこちらを見ている。ノルの視線に気がつくとニコッと笑い、元気に手を振りながら走り去って行った。


 その後何度も行く先で同じ子とノルは会ったが不思議と元気が出た。その子が通った後にはノルの好きな土の香りがするからかもしれない。


 今日もそんな香りを感じながら初冬の森を歩いていた。


 昨日は雨が降っていたためか道が少しぬかるんでいる。今日の目的地は例の秘密基地だ。初めて来た時にはあんなに不気味に感じた深い森の中も、今ではなぜあんなに怖かったのか不思議なくらいだった。


 茂みを抜けるとルリベナの木の下で幹に背中をつけてエアが待っていた。よく見ると顔がほんのり赤く、ソワソワしているがその様子にノルは気づかないふりをする。


 季節がいくつか進み、気付けばエアと出会ってからは2年ほど経っていた。今の時期は蝶はいないがノルとエアにとってここが特別な場所であることに変わりない。斜め上を見上げながらエアはポケットから何かを取り出す。彼が無言で突き出したその箱は少し潰れていた。


 今日はノルの誕生日だ。


「わぁ、ありがとう。開けてもいい?」


 ノルが尋ねるとエアはガクガクと頷いた。


「かんざしだわ! 私のお母さんの話を覚えていてくれたのね、嬉しい。もしかして髪の毛を伸ばしてるって気付いてたの?」


 エアが作ったのであろう、木でできた荒削りのかんざしの先では若葉色の石がキラリと光っていた。ノルがパッと視線を上げるとエアはホッとした表情をしている。ノルはさっそくかんざしで髪を結い上げた。


「に、似合っているぞ」


 エアは赤くなりながらボソボソと呟く。


「プレゼントとっても嬉しかったわ。私もあなたのお誕生日をお祝いしたいのだけど、いつ?」


 突然エアは思い出したかのように叫んだ。


「お、俺これから用事があるからまた今度なっ!」


 ノルに姉弟だと知られてはいけない。


 ノルはエアに急かすように森の入り口まで連れて行かれ、いつものようにひとりで家へ歩きながら「なんてせっかちなのかしら」とぼやいた。


 ノルが家に近付くと近所のおじさんが青ざめた顔で待っている姿が見える。そのただならぬ様子にノルは心をギュッと鷲掴みにされたような感覚で近所のおじさんの元へ向かった。


 ──お母さんが崖から落ちた


 そう聞かされた直後のノルの記憶は無い。気がつくと村の診療所の前で、ヒューヒューと息を切らして立っていた。どうやってここへ来たか覚えていなかったが、早く会いたいという気持ちと見たくない、怖いという気持ちが戦っていたことは、おぼろげに覚えていた。


「お母さんが待っているわよ」


 診療所の前で待っていたお姉さんに促され、ノルは扉を開けると中に入る。その扉はたった今沈もうとしている夕陽に照らされてオレンジ色に光っていた。


 部屋の中にはベッドに横たわり、首から下に布をかけられた母の姿がある。布に所々できた血の滲みが今もゆっくりと広がっていく様子が、母の状態を説明するようだった。


「──ノル」


 弱々しい母の声に涙が滲みかけたが、母の最期を悟ったノルは涙をグッと堪えた。


「ノル……私はあなたに話さなくっちゃいけないことがあるの。大切なあの人からもらったこのオルゴールが、最期にあなたに会える時間を作ってくれたのね」


 ロエルの視線の先にある壊れたオルゴールを、窓からわずかに差し込む夕焼けが照らす。ロエルはノルの手を取ると語り始めた。


 それからノルが聞かされた話は衝撃的だった。


「(私が妖精の血を引いてるって、妖精っておとぎ話の中の存在じゃないの……? しかも会ったことも無いお父さんが妖精王? エアが双子の弟?)」


 だがそんな事よりも、母との別れの時が確実に近付いている実感と恐怖がノルの心にまとわりついて締め付けていた。


 そんなノルの心の中を見抜いたようにロエルはノルの頭を撫でた。その力無く震える手は先ほどよりも確実に冷たくなっている。それなのにとてもあたたかく心地よいとノルは感じられた。


 辺りはすっかり暗くなり、窓から入り込む月明かりが部屋を優しく照らしている。


 ロエルが掠れるような声で呟いた。


「あなたたちの母親になれてとても幸せだった。忘れないで、ノル。私はいつでもあなたたちを近くで見守っているわ」


 そう言い終えるとロエルは眠るように息を引き取ったのだった。






【次回、ノル、家族の温かさに触れる】

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